§歴史の中の肥料[2]
大平洋のリン鉱の島々を巡るエピソード(2)
京都大学名誉教授
高橋 英一
§被覆尿素肥料を用いた高品質小麦生産について
愛知県農業総合試験場 企画普及部
企画調整グループ
技師 武井 理
§黒ボク土における長ネギの施肥同時溝切り機を利用した全量基肥栽培
秋田県農業試験場 生産環境部
主任研究員 村上 章
京都大学名誉教授
高橋 英一
太平洋の珊瑚島でリン鉱の採掘が始まったのは20世紀の初頭でしたが,現在なお採掘が行われているのはナウル島一つになりました。ここでは戦前,太平洋の四大リン鉱産地といわれた,オーシャン,ナウル,マカテア,アンガウル四島(図2参照)の辿った道を紹介したと思います1)。

これはギルバート諸島を構成している周囲10kmほどの小さな隆起珊瑚礁の島で,1804年にこの島を望見した船の名前「オーシャン号」に因んで名付けられました。伝統的な島の名前はバナバ(Banaba)で現在はこれが使われています。
この島にリン鉱があることを発見したのは,グアノの採掘やコプラと真珠の貿易を行っていた「太平洋諸島会社(Pacific Islands Company)」のエリス(Albert Ellis)という地質担当の技師でした2)。
1899年のある日,彼はシドニーにある自分の実験室のドアを開けたままにしておくつっかえ棒に使っていた大きな石が,ギルバート諸島のどれかの島にでる石に似ているのに気が付きました。尋ねてみるとそれは会社の支配人がナウル島で見つけて持ってきたもので,化石化した木片だといわれていたことが分かりました。彼は試みにその石を削って分析したところ,多量のリン酸が含まれていることを発見しました。
ナウル島には同じ岩石が大量にあり,近くのオーシャン島もナウルと構造が似ているので,翌1900年エリスはナウル島とオーシャン島を訪れて調査した結果,両島に良質のリン鉱石があることを確認しました。会社は年間50ポンドでオーシャン島民から採掘権を獲得,翌1901年この島はイギリスの保護領となり,間もなくリン鉱の採掘が開始されました。
1902年「太平洋諸島会社」は「太平洋リン鉱会社(Pacific Phosphate Company)」に改組され,1919年にはイギリス,オーストラリア,ニュージーランド三国政府によって設けられた英国リン鉱採掘委員会British Phosphate Comission(BPC)に買収されました。エリスはBPCのニュージーランド政府委員になり,またリン鉱の発見と開発の功績によってSirの称号を与えられました。その後オーシャン島は太平洋戦争を経て1979年7月キリバス共和国のー島として独立しましたが,同年末資源枯渇にともないリン鉱の採掘は停止され,現在に至っています。
太平洋戦争開始の翌年の1942年8月,日本海軍はオーシャン島を無血占領しました。その後食料事情から,リン鉱石採掘の出稼ぎで来ていたギルバート諸島民約800人の中から百数十人を日本軍の使役のために残し,オーシャン島原住民約700人とともにナウル,タラワなどの島に移送しました。そして連合軍の上陸をみないまま終戦を迎えましたが,終戦後になって日本軍はオーシャン島に残っていた約140人のギルバート諸島民全員を殺しました。しかしそのうちの一人が生き延びて,戦争犯罪裁判の証人になりました。これがいわゆる「オーシャン島事件」です。
また日本軍によって島外ヘ移送されたオーシャン島民と,オーシャン島民と結婚していたギルバート諸島民合わせて1003人は,戦後BPCによって,バナバ(オーシャン)島が島民が生活できるように復旧されていないという理由で,フイジー諸島のRabi島に送られ現在,バナバ島は無人になっているということです。
ナウル島はオーシャン島の西約260kmに位置する,火山台上の珊瑚岩からなる面積21平方kmの小島です。1886年にイギリスとドイツの間で合意された西太平洋の分割協定で,ドイツの勢力圏に入っていました。1900年この島がリン鉱を産出することがエリスによって発見されましたが,ドイツはその採掘権をイギリス資本の太平洋リン鉱石会社に与え,1907年から採掘が開始されました。ナウル島民は鉱山で働こうとしなかったので、労働者は当時ドイツ領であったカロリン諸島から連れてこられました。
1914年第一次世界大戦が始まると,ナウル島はオーストラリア軍によって占領されましたが,リン鉱石の採掘は大戦期も続けられました。大戦後の1919年,ナウルは国際連盟の委任統治領として,オーストラリア,ニュージーランド,イギリスの共同統治下に置かれました。同時に三国は太平洋リン鉱会社の採掘権を350万イギリスポンドで買い取り,三者が設立したBPCが採掘を行うことになりました。
第二次世界大戦までナウルのリン鉱石採掘は大いに進み,その結果オーストラリアとニュージーランドは他の地域より格安のナウルのリン鉱石を入手できたので,両国の農業に大いに役立ちました。しかし採掘料はトン当たり僅か8ペンスで(1939年時点),ナウル島民は採掘による利益にあずかりませんでした。
第二次世界大戦が始まった1940年12月ナウルはドイツ軍の攻撃を受け,リン鉱石運搬船4隻が沈められ,翌1941年12月には日本軍によって採掘施設や住宅が破壊されました。日本軍は1942年8月から終戦までの3年間島を占領し,ナウルの北西1600kmにあるトラック諸島(現ミクロネシア連邦)に飛行場を建設するため島民1200人を連れ去り,かなりのの島民がそこで死亡しました。1945年9月オーストリア軍がナウルを占領し,1946年1月にはトラック島で生き残ったナウル島民737人が帰島しましたが,ナウルの人口は1940年の1848人から1946年には1369人に減少しました。
1947年ナウルは国連の信託統治領になり,1951年には島民議員による地方自治評議会が発足し,自治権拡大を求める運動が高まりました。またリン鉱石輸出がますます増加して,資源枯渇の恐れがでてきたので島の将来に対する不安も高まりました。島民はBPCと交渉して1964年に採掘権料の値上げに成功し,また1967年にはBPCが所有していた設備や機械が島氏側に払い下げられ,1970年に採掘事業は完全に島民側の所有になりました。
一方島民の独立運動が高まり,1966年には国連信託統治理事会の支持を得て,公選制の住民議会が発足しました。そして1968年1月31日,すなわちトラック諸島から帰還の22周年の記念日に独立し,世界最小の共和国になりました。
また1989年には,委任統治領および信託統治領時代のリン鉱石採掘によって地表の土壌が殆ど失われてしまったことに対し,オーストラリアの補償を要求して国際司法裁判所に提訴しました。そして1993年7300万オーストラリアドルの和解金を獲得しました。
ナウルの唯一の資源は良質のリン鉱石で,オーストラリア,ニュージーランド,韓国等に輸出しています。1990年の輸出量は92万6000トンで,採掘開始以来1990年までの総採掘量は6100万トン余にのぼっています。これは推定埋蔵量9600万トンの6割に相当し,2008年頃にはリン鉱石資源は枯渇すると予想されています。
そのためリン鉱石の輸出による利益の四分の三が,枯渇後に備えて設立された基金に投資され,外国証券,債券,不動産等に運用されています。1995年のナウルのGDPは3億6800万ドルで,その大部分がリン鉱石の輸出によるものです。人口一人当たりのGDPは3万3476ドルで,これは第三世界の最高水準です。
仏領ポリネシアに属するマカテア島は,ゴーギャンやサマセット・モームの「月と六ペンス」で知られるタヒチ島の北東約210kmに位置する,長さ7.5km,幅4.5km,高さ130mほどの台地状をした隆起珊瑚礁の島です。リン鉱石を産することが知られ,1908年からイギリス・フランス共同出資の会社によって採掘が始められました。当初労働者には地元のポリネシア人やヴェトナム人が導入されましたが,1910年からは日本人労働者が迎えられ,1921年に三井物産によって初めて日本にリン鉱石が輸入されました。
太平洋戦争時を除いて1966年に採掘を終わるまで,マカテア島のリン鉱石総生産高は950万トンに上り,その48パーセントに当たる457万トンが日本に輸出されました。労働者として働いた日本人は太平洋戦争中抑留されましたが,戦後もタヒチ島その他に残り,最後の一人が亡くなったのは1975年であったということです。
アンガウル島はパラオ諸島(現パラオ共和国)に属し,コロール島南西に位置する面積約8平方kmの隆起珊瑚礁の小島です。かつては良質のリン鉱石の産地として,日本の委任統治地域の中で最も経済価値の高い島の一つでした。この島のリン鉱は1903年にドイツの探検隊が発見し,1909年以降ドイツの南洋リン鉱会社によって採掘が行われました。
第一次世界大戦が勃発した1914年10月,日本海軍が同島を占領し,日本政府はその鉱業権と施設の一切をドイツ側から買収し,1922年の南洋庁設置と同時に官営事業として採掘が行われました。1936年に国策会社の南洋拓殖株式会社が設立されてからは,同社によって採掘が行われ,太平洋戦争中に施設が壊滅するまで継続されました。そして1944年9月アメリカ軍が同島に上陸,一ヶ月に及ぶ死闘のすえ軍民ともに玉砕しました。戦後は連合軍からの依託により,リン鉱開発株式会社が施設を復興し,1955年まで採掘が行われました。ドイツ時代から戦後の採掘終了までの総採掘量は400万トン前後と推定されています。
アンガウル島の北東にペリリュウ(Peleriu)という小島がありますがここもリン鉱石を産し,1935年から1940年まで南洋興發株式会社が採掘を行い賑わっていました。しかし太平洋戦争勃発後は島の軍事的価値が重視されるようになり,関東軍の転進部隊を中核とするペリリュー守備隊が増強されましたが,アンガウル島と同じく1944年9月に米軍の上陸を許した後,二ヶ月に及ぶ死闘の
すえ,11月下旬軍民一万余名が玉砕しました。
小学国語読本にでてきたマリアナ諸島のサイパン,テニアン,ロタもリン鉱石の島でした。太平洋に散在する島嶼性リン鉱の資源量の規模は小さく,現在ほぼ掘り尽くされてその役割を終えようとしています。しかしリン鉱資源を持たないわが国にとってこれらの島々のリン鉱石は,この地域の一部がかつてわが国の委任統治領であったこともあって,大きな意義をもっていました。ミクロネシア連邦などとして独立したこれらの島々が,今後どのような運命を辿るか関心のもたれるところです。
1)これについては「太平洋学会編 太平洋諸島百科事典 原書房 1989」および「世界地理百科事典5アジア・オセアニアⅡ 朝倉書店 2004」を参考にした
2)サトクリフ著,市場泰男訳 エピソード科学史Ⅲ 16ドアのつっかえ棒とリン鉱床 現代教養文庫 1972
愛知県農業総合試験場 企画普及部
企画調整グループ
技師 武井 真理
愛知県では,麦作の本作化に伴い,作付け面積が急増している。しかし一方では急激な作付け面積増加は,実需の望む高品質生産を困難にしつつあり,要求されるタンパク質含量を満たさない事例も散見される。
そこで,本県では2000年に実需,生産者,指導機関等からなる民間流通協議会でタンパク質含量の自主基準(9.5~10.5%)を設け,この実現に向け現場では出穂期の施肥,いわゆる実肥施用に取り組む例も見られた。
しかし,作物体が大きくなってから行う「実肥」は作業性が悪く,施肥時期がコシヒカリの移植時期と競合することもあって,本県に特徴的な大規模経営の中に組み込みにくい特質を持つ。また,表層施肥となるため,肥効が降雨まかせとなることも問題で,タンパク質含量向上効果が無い場合がある一方,実需要望の上限値11%を超えるコムギも増加しており,実肥によるタンパク質含量のコントロールが難しいことを示している。
愛知農総試では大規模営農に対応した省力性の確保を前提としてコムギの全量基肥施用技術を既に開発しているが,収量の安定性並びにタンパク質含量の適正化を目指して,全量基肥施肥肥料の改良に1998年より取り組んできた。新たに開発した肥料の特徴は,初期生育確保並びに茎数の維持を目的とした速効性窒素及びリニア型被覆尿素肥料に加え,出穂期以降の実肥としての肥効を確保できるシグモイド型被覆尿素肥料を配合したところにある。本稿では,2000~2004年に行った新しい全量基肥施肥の試験結果を紹介したい。
栽培試験は,2000~2002年に農業総合試験場作物研究部の水田(細粒灰色台地土)において「農林61号」を用い,表1に示した耕種概要で行った。

供試した配合肥料は,コムギの窒素吸収特性,栽培時期の地温動向および溶出パターンを考慮して,初期生育確保のために速効性窒素とリニア型30日タイプ被覆尿素(以下,リニア30日タイプ)を,また収量安定,タンパク質向上のためにシグモイド型30日タイプ被覆尿素(以下,シグモイド30日タイプ)を同一窒素量(1:1:1)で混合した。対照として,粒状配合肥料を基肥として窒素で10aあたり6kg,穂肥として3kgを2月下旬および3月下旬に2回施用する分施区と,無肥料区を設けた(表2)。

配合肥料の現地適応性を見るため,豊田市,西尾市,岡崎市,安城市,碧南市,幸田町,吉良町,一色町,弥富町,十四山村の水田に,2000年に7地点,2001年には11地点,2002年に13地点の現地実証ほを設け,現地慣行栽培と比較した。
2001年について,被覆尿素肥料からの窒素溶出率をみると,リニア30日タイプは,施用直後より溶出を開始し,低温条件でも分げつ期に順調に窒素供給を行い,栽培期間を通して肥効が継続した。一方,シグモイド30日タイプは低温期にはほとんど溶出せず,2月中旬から3月上旬に溶出を開始し,その後,出穂期までに60%が,成熟期までに95%が溶出し,概ね期
待したパターンを示した(図1)。

試験ほ場に埋設した各被覆尿素肥料を経時的に採取して測定した溶出率から,この全量基肥肥料の窒素溶出パターンを計算すると,図2のように,出穂期以降に20%程度の実肥肥効を残す溶出パターンを示した。

2000年から2002年の生育調査結果を表3に示した。各試験年次とも出芽は概ね良好であった。2000年の生育は全量基肥区が対照区より劣る傾向にあったが,2001年および2002年は,全量基肥区の3月下旬の茎数は対照区より多く,成熟期の穂長および穂数も,全量基肥区が勝る傾向を維持していた。

表4に収量調査結果を示した。全量基肥区の精麦重は対照区に比較し,2000年は僅差で劣ったものの,2001,2002年には多収となった。千粒重は3カ年を通して全量基肥区は対照区と同等であった。また,全量基肥区の精麦タンパク質含量は,いずれの年次においても対照区に比較して0.6~0.9%程度高くなった。一方,硝子率は,タンパク質含量が10.5%を越えると急激に上昇したが(図3),未熟硝子粒が増加することは無かった。


コムギ粉ペーストのL*,a*,b*値からみた色相は,タンパク質含量が高めであった2001年は,施肥により若干劣化する傾向がみられたが,2002年度は両者に明確な差は無かった。一方,現地試験を含む2002年産コムギ139点のコムギ粉ペースト色を調べたところ,明るさの指標であるL*値はタンパク質含量 の増加にともなって低下する傾向が認められ,くすみを表すa*値はタンパク質含量の増加にともなって上昇する傾向が認められた。一方,黄みを表すb*値にはタンパク質含量増加の影響は認められなかった。
現地の実証水田での試験結果を表5に示した。全量基肥区では,2002年は慣行に比べ収量が僅かに劣ったが,2000及び2001年は,慣行以上の収量が得られ,精麦タンパク質含量も慣行より平均値で0.5%程度高くなった。

コムギの全量基肥栽培では,栽培期間中の温度が低いこと,畑条件下であることを考慮すると,低温期でも持続的に窒素を溶出する溶出期間の短い肥料が栄養成長の確保に適している。また,タンパク質含量を向上させるためには,実肥時期に溶出が期待できるシグモイド型被覆尿素の配合が効果的である。今回の試験では,リニア型30日タイプ被覆尿素とシグモイド型30日タイプ被覆尿素の配合肥料でこれらの条件に合致する肥効が得られた。本配合肥料を用いた全量基肥栽培は,慣行分施栽培と同等以上の生育量が確保され,収量性にも問題は認められなかった。
また,改善目的とした精麦タンパク質含有率も,分施区に比較して,0.2~0.6%程度上昇し,シグモイド型30日タイプから実肥的に供給された窒素成分は麦粒内に効率的に吸収されていると考えられた。以上の結果から,本技術により,省力性の向上と慣行分施に匹敵する収量の確保,子実タンパク質含量の向上が可能になると判断した。
ただ,精麦タンパク質含量が10.5%を上回ると硝子率は急激に上昇する傾向が認められたが,この場合の硝子粒の多くは,登熟不良で充実度が悪い,いわゆる「開溝未熟粒」ではなかった。また,過度のタンパク質含量上昇は,コムギ粉の色相を悪化させる危険性があるが,本試験のペースト色調査の結果からは,県自主基準であるタンパク質9.5~10.5%の範囲内であれば,本施肥が粉色を極度に低下させることはないと考えられた。
本試験で用いた配合は,現地要望によりコムギ用全量基肥肥料「麦ワンタッチ024(窒素:りん酸:加里=20:12:14)」として2002年より銘柄化され,2001年播種用より普及に移されている。速効性肥料を用いた慣行の分施体系に比較して肥料の現物価格は高くなるが,大規模営農に対応した省力性の確保を前提として,県産コムギのタンパク質含量を適正化し,実需者の要求する高品質コムギを安定的に生産するには合理的であると考えられた。
全量基肥施用技術は省力性を重視した技術ではあるが,施肥後,放任できる万能の技術ではない。排水対策など基本技術の併用によって効果を発揮することが可能となり,民間流通に対応した「多収・高品質コムギ生産技術」になりうると考える。
1.飯田幸彦,三田村剛,石原直敏.コムギ粉色に及ぼす土壌・栽培条件の影響.第1報.子実のタンパク質含量と粉色との関係について.日作紀.60(別1)38-39(1991)
2.木村秀也,志村もと子,山内稔.出穂後施用窒素がコムギの子実タンパク質に及ぼす影響.土肥誌72(3)403-408(2001)
3.高山敏之,長嶺敬,石川直幸,田谷省三.コムギにおける出穂10日後追肥の効果.日作紀.73(2)157-162(2004)
4.武井真理,池田彰弘.コムギのタンパク質含量適正化のための全量基肥施用技術.愛知農総試研報36,1-6(2004)
5.谷口義則,藤田雅也,佐々木昭博,氏原和人,大西昌子.九州地域におけるコムギの粗タンパク質含有率に及ぼす穂孕み期追肥の効果.日作紀.68(1)48-53(1999)
6.日置雅之,今井克彦,池田彰弘,久野智香子,岩田久史.肥効調節型肥料を用いた小麦の全量基肥施肥法.愛知農総試研報27,69-76(1995)
秋田県農業試験場 生産環境部
主任研究員 村上 章
秋田県では,長ネギを野菜の主要な生産品目として,生産・販売の推進を図っている。しかし生産者の高齢化や労働力不足,輸入ネギの増加等に伴う価格の低迷,さらには産地間競争の激化の中で,本県の長ネギは栽培面積,粗生産額ともに伸び悩んでいるのが現状である。長ネギの複合経営の一方策として生産振興を進めるために,規模拡大や省力・低コスト化をめざした機械化一貫体系の推進が求められている。
そこで,
①植え溝を作りながら同時に溝底に条施肥できる施肥同時溝切機の開発,
②それに用いる全量基肥施肥方法の開発を組み合わせた,省力体系の確立
を目的に,場内試験及び現地実証試験を行った。
対象作物は,本県で生産量の多い秋冬どりネギ(収穫期:9月下旬~12月下旬)である。これらの場内試験,現地実証試験は,
①どんな土壌でも使える施肥同時溝切り機をめざす(黒ボク土・砂質土),
②肥効調節型肥料の全量基肥栽培(全量局所施肥と全面全層施肥)で目標の生育収量をめざす,
③地床苗,チェーンポット苗のどちらにも対応できる技術とする
の3点を主な目標として取り組んだ。
施肥同時溝切り機は,秋田農試の経営計画部機械施設担当で開発した。
施肥同時溝切り機は,乗用トラクタ(クボタ,GL367型)とロータリ(クボタ,RM1800型)の後方に簡易設置できるものである。施肥部は,専用施肥オープナを溝切り機と一体化し,施肥ホッパから肥料を落下して作成した溝の下部に条施肥できるようにした。トラクタに付属したロータリの溝が崩れやすい砂質土への対策には,本体に付属する左右の溝切り成形板の全長をV字型に長く配置し,溝の壁面を強く押しつけ崩れを防ぐ形式とした。
また,溝切り機には,施肥チゼル取付部とチゼルで作溝された施肥跡を成形する施肥部成形板を組み込んだ(写真1,2)。その結果,施肥同時溝切り機は,黒ボク土及び砂質土で良好な溝切り施肥作業を同時に行うことができた。(特許出願093096,砂丘地用施肥溝切り機(片平ら2003))。


秋冬どりネギの窒素吸収パターンに合った肥効調節型肥料の組み合わせを得るために,溶出及び栽培試験を秋田農試内の畑圃場(表層腐植質黒ボク土,大川口統)で行った。
肥効調節型肥料の溶出パターンは,圃場埋設試験により測定した。LP30は施肥直後(6/6)から溶出が始まり,8/16(71日目)には80%以上溶出した。LPS60及びLPS100は7/19(43日目)以降に急激に溶出し,収穫期(128日後)の窒素溶出率はそれぞれ,93.81%であった(図1)。

一方,秋冬どりネギの窒素吸収パターンは,6/21定植後の30日頃から増加し始め,7月中旬から9月中旬にかけて急激に増加した(図2)。

これらのことから肥効調節型肥料の組み合わせは,肥料の溶出が定植直後から始まるLP30を1に対し,7月中旬以降に急激に溶出するLPS60またはLPS100 を3の窒素割合で混合することにより,ネギの窒素吸収パターンに合った溶出を実現できると考えた。
全量局所施肥法による全量基肥栽培試験では,局所区は,LP30とLPS60を窒素割合で1:3((LP30;0.4Nkg/aとLPS60;1.2Nkg/aの合計1.6Nkg/a)以下,局所S60区と示す)及びLP30とLPS100を窒素割合で1:3((LP30;0.4Nkg/aとLPS100;1.2Nkg/aの合計1.6Nkg/a)以下,局所S100区と示す)の2区とし植え溝底に手作業でスジ状に施肥した。慣行区は,速効性肥料で基肥1.5Nkg/a (全層施肥)+追肥0.3Nkg/a×3回の2.4Nkg/aとした。
局所区の慣行区に対する窒素減肥率は33%である。なお,リン酸(P2O5),カリ(K2O)はそれぞれ1.5kg/aを別途,基肥で全層施用した。供試苗は,チェーンポット(CP303 ,2粒播き)で育苗した苗を使用した。局所60区及び慣行区の窒素吸収量は全生育期間を通じでほぼ同様に推移し,収穫期における局所S60区,慣行区,局所S100区の窒素吸収量はそれぞれ,1.3,1.3,1.2Nkg/aであった。また,施肥窒素利用率は,局所S60区(66%)>局所S100区(58%)>慣行区(42%)の順に高く,局所S60区は慣行区に比べ,約1.6倍であった(図2)。
このように,LP30:LPS60を窒素割合で1:3に混合することで,秋冬どりネギでは3割程度減肥しても慣行栽培並み以上の収量,品質を期待できると考えた(表1)。

現地実証試験は,長ネギを基幹品目として重点的に振興を進めている県北部の能代市圃場(表層多腐植質黒ボク土,野々村統)で行った。
試験区は全量局所施肥区(以下,局所区と示す),全面全層施肥区(以下,全層区と示す)及び農家慣行区(以下,慣行区と示す)とした。供試した苗は,現地の地床育苗の苗を使用した。
局所区は施肥同時溝切り機を使用し,肥効調節型肥料を苗の植付位置から横4cm,深さ1~4cmの所に,窒素量2.0Nkg/a(LP30:0.5Nkg/aとLPS60;1.5Nkg/a)を条施肥した(写真2)。
局所区の窒素減肥率は慣行区に対して49%~59%であった。生育は慣行区に比べやや遅れぎみに経過したが,目標収量450~500kg/aに必要な窒素吸収量1.2~1.5Nkg/aを確保し,収量は480~580kg/aであった(図3・表2)。


全層区は,肥効調節型肥料を溝切り前に全面に施用し土壌に混和した。窒素量3.0kg/a(LP30;0.75kg/aとLPS60;2.25kg/a)施用で,窒素吸収量は慣行区よりやや少なく推移しながら生育するが,収穫期にはほぼ同量となった(図2)。
収量は460~580kg/aで,目標収量の450~500kg/aを確保できた(表2)。
また施肥窒素の利用率は,慣行区の27%に対して,局所区が44%,全層区が35%と向上し,施肥窒素量を削減できた(図3)。
秋田農試が開発した施肥同時溝切り機を用いた肥効調節型肥料の全量局所施肥技術は,
①どんな土壌でも使える施肥同時溝切り機をめざす,
②全量基肥栽培での目標の生育収量をめざす,
③地床苗,チェーンポット苗のどちらにも対応する
の3点を解決し,規模拡大や省力化,低コスト化となる技術である。また全量基肥栽培技術は,局所施肥及び全面全層施肥のいずれにも対応でき,減肥により環境負荷の軽減も期待できる。
今後,これらの技術は作業の効率化や栽培面積の拡大に大いに貢献できるであろう。