東北大学大学院 農学研究科
附属複合生態フィールド教育研究センター
教 授 西 田 瑞 彦
米国地質調査所によれば,世界のリン鉱石の経済埋蔵量は690億トンで,2019年単年での産出量2.4億トンのおよそ290倍に相当する(U.S. GeologicalSurvey 2020) 。経済埋蔵量は鉱床の枯渇,新たな鉱床の発見,技術の進歩による採掘可能量の増加等により変動し,ひと昔前に言われたよりは長期に経済的な採掘が可能と見込まれている。しかし,その埋蔵量に限りがあることは確かである。また埋蔵量は北アフリカ〜中東や中国などで多く,世界の一部地域に偏在している。そのため,これらの地域の情勢によっては,供給が不安定になりかねない。リン鉱石の価格は2008年に急騰し,現在はそれより低く推移は
しているが,急騰前より高い状態が続いている(図1)。
我が国では全量を輸入に頼っているためその影響は大きく,リン鉱石価格の高騰を契機に,リン酸肥料の効率的利用の必要性が強く認識された。これにより,全国規模で土壌診断に基づく減肥の可能性が検討された。同時に,土壌中の可給態リン酸の変動に関する研究も進められた。ここでは,著者らによる湛水条件での水田土壌の可給態リン酸の変化と温度との関係についての研究(Nishida et al.2018)を紹介する。なお,本研究は農研機構東北農業研究センター大仙研究拠点で実施した。
水田において,リン酸不足が特に問題となるのは,根系が十分発達していない生育初期である。典型的なリン酸欠乏症状は分げつの減少であり,それが穂数の不足,そして減収へとつながる。その欠乏症状は低温で助長されるため,寒冷地の土壌では,暖地よりも高い可給態リン酸が必要とされる。志賀・山口(1976)は最高分げつ期の土壌の可給態リン酸と生育,収量との関係から,寒地においてリン酸無施肥で減収を防ぐためには,普通年ではブレイNo.2リン酸が22mg/100gで良いが,冷害年では40〜50mg/100g以上必要とした。
このことは,水稲生育期間中の湛水条件での土壌のリン酸供給力と温度との関係が,特に冷涼な気象下で重要なことを示唆している。そこで,全国(秋田,岩手,山形,宮城,栃木,茨城,新潟,愛知,岡山,福岡,宮崎,鹿児島)から水田土壌の作土を収集し,湿潤土のまま10℃,17.5℃,25℃の温度条件で湛水培養し,湛水条件における温度と可給態リン酸との関係を検討した。
湛水条件での可給態リン酸(ブレイNo.2リン酸)と積算温度との関係を,いくつかの土壌について図2に示す。培養温度が異なっても,積算温度とブレイNo.2リン酸との関係は,ほぼ同様であった。このことから,以後の解析は全て培養温度条件を区別せずに,積算温度をもとに行った。湛水条件でのブレイNo.2リン酸の値およびその積算温度に対する変化は,土壌によって異なった。多くの土壌で積算温度の増加に伴いブレイNo.2リン酸が増加する傾向がある一方で,ほとんど変化しない土壌も見られた。
先に述べたように,水田でリン酸不足が問題となるのは生育初期である。寒冷地の秋田県大仙市の移植から中干し直前の1カ月間(5/20〜6/20)の水田の積算地温(地中5cm深)は,4ヶ年の平均で650℃であった。その積算温度650℃までの湛水条件下のブレイNo.2リン酸は,ほぼ直線的に増加してい(図2) 。そこで,これらの関係が直線で表現できると考え,回帰分析を行った。その結果,積算温度が増加してもブレイNo.2リン酸がほとんど変化しない4土壌を除いて,有意な正の相関が認められた(データ略) 。
このことから,積算温度650℃までのブレイNo.2リン酸の変化は,各土壌固有の一次回帰式で表現可能と考えられた。しかし,この各土壌固有の回帰式を求めるには,湿潤土による湛水培養実験が必要となる。これには時間と労力を要するので,この湛水条件でのブレイNo.2リン酸の変化を風乾土壌の分析値で推定できることが望ましい。そこで次に,この回帰式を風乾土壌の分析値で推定できないか検討した。
まず各土壌の回帰式の切片,すなわち湛水後のブレイNo.2リン酸の初期値と風乾土壌を用いた分析値との関係を検討した(表1) 。なお以降の解析は,黒ボク土を除く土壌(灰色低地土15,グライ土3,灰色台地土1,黄色土1)と黒ボク土(6土壌)に分けて実施した。非黒ボク土では,風乾土壌のブレイNo.2リン酸(R2=0.947*)と,黒ボク 土ではリン酸吸収係数(R2 =0.920)と回帰式の切片の間とに最も強い相関が認められた(表1,図3) 。これらのことから,湛水後のブレイNo.2リン酸の初期値(回帰式の切片)は,非黒ボク土では風乾土壌のブレイNo.2リン酸によって,黒ボク土ではリン酸吸収係数によって推定できると考えられた。
湿潤土を湛水した後のブレイNo.2リン酸の初期値が,風乾土のブレイNo.2リン酸値で推定できることは,理解に難くない。しかし黒ボク土では,湛水後のブレイNo.2リン酸の初期値とリン酸吸収係数との間に強い負の相関が認められた。このことは,黒ボク土では風乾土の可給態リン酸で評価されるリン酸供給力よりも,リン酸を吸着・固定する力が,湛水後のブレイNo.2リン酸の初期値を決定することを示すものとして興味深い。
次に湛水条件での積算温度に対するブレイNo.2リン酸の増加の程度(回帰式の傾き)について検討した(表2) 。非黒ボク土,黒ボク土ともにアスコルビン酸還元ブレイNo.2リン酸とブレイNo.2リン酸との差(非黒ボク土:R2
=0.826, 黒ボク土:R2 =0.847), あるいはアスコルビン 酸還元ブレイNo.2リン 酸とトルオーグリン酸 との差(非黒ボク土: R2 =0.830,黒ボク土:R2=0.739*)との間に強い正の相関が認められた(表2,図4) 。これは還元条件での可給態リン酸(アスコルビン酸還元ブレイNo.2リン酸)と非還元条件の
可給態リン酸(ブレイNo.2リン酸,トルオーグリン酸)との差によって,湛水条件でのブレイNo.2リン酸の積算温度に対する増加程度を推定できることを示している。
一方,黒ボク土において最も決定係数が高かったのはリン酸吸収係数(R2=0.936)であり,強い負の相関が認められた(表2,図4) 。このことは,黒ボク土ではリン酸供給力に加え,リン酸を吸着・固定する力が湛水条件でのブレイNo.2リン酸の温度に伴う増加程度に強く影響することを示している。すなわち黒ボク土については,湛水条件におけるブレイNo.2リン酸の初期値およびその後の積算温度に対する変化が,リン酸の吸着・固定力に強く制限されていることになる。
以上により,寒冷地の移植後1カ月程度の湛水条件でのブレイNo.2リン酸とその積算温度に対する変化は,非黒ボク土の場合は風乾土の可給態リン酸(ブレイNo.2リン酸,アスコルビン酸還元ブレイNo.2リン酸)から,黒ボク土の場合は風乾土のリン酸吸収係数または可給態リン酸(ブレイNo.2リン酸,アスコルビン酸還元ブレイNo.2リン酸)から推定できると考えられた。いくつかの土壌で推定した例を図5に示す。
本研究では,湛水条件における土壌の可給態リン酸の温度に対する反応を広範な土壌で明らかにすることができた。本研究ではブレイNo.2法(準法)によって湛水条件下の土壌の可給態リン酸を分析した。その際の抽出の固液比は土壌環境分析法に従い1:20とした。しかし,地力増進基本指針の水田土壌の基本的な改善目標値,あるいは県単位での診断基準値はほぼトルオーグ法による可給態リン酸で設定されている。また既述の志賀・山口(1976)の先行研究では,固液比1:10のブレイNo.2法で可給態リン酸を分析している。
リン資源の有効活用がさらに強く求められ,より緻密な土壌診断基準値が必要となった場合,各手法による分析値の関係を明確にし,これらの知見を統合することが有効になるであろう。
本研究を共に実施し,終始ご指導や励ましをいただいた故吉田光二博士に深甚なる謝意を表します。本研究の土壌採取にご協力いただいた各県の農業研究機関,農研機構九州沖縄農業研究センター,東北大学の関係者に謝意を表します。
Mizuhiko Nishida, Koji Yoshida, Tomoki Takahashi. 2018. Estimation of changes in
available soil phosphate under submerged conditions associated with temperature during
the tillering stage of rice plant in the cool climate region of Japan. Communications in
Soil Science and Plant Analysis. 49. 1695-1706.
志賀一一, 山口紀子.1976.寒地稲作における土壌の燐酸肥沃度及び燐酸施肥の効果に関する
研究 第3報 窒素施用量及び年次変動との関係. 北海道農業試験場研究報告. 116. 139-155.
U.S. Geological Survey. 2020. Mineral Commodity Summaries.https://www.usgs.gov/centers/nmic
/phosphate-rock-statistics-and-information
千葉大学大学院 園芸学研究院
名 誉 教 授 犬 伏 和 之
日本も温暖化防止のため2050年にカーボン・ニュートラルを目指すことになったのは記憶に新しいところですが,世界的にもこの目標は気候変動の影響を最小限にするため,妥当と言えるでしょう。ポスト・コロナで欧州も一層の循環型社会を目指すグリーン・リカバリー(緑の復興)を旗印に掲げています。農業活動での温室効果ガス削減については,本誌でも既に紹介されています1) が,本稿では特に温室効果の高い一酸化二窒素 (N2O)の農地からの放出や制御のための肥効調節型肥料の効果などについてアジアの事例を紹介します。
グローバル・カーボン・プロジェクト(GCP)は,一酸化二窒素(N2O)の全ての発生源と吸収源を詳細に網羅した世界のN2O収支「世界の一酸化二窒素収支2020」を公表しました。この研究成果をまとめた論文は,2020年10月8日に国際学術誌Nature2) に掲載されました。10月29日にはGCPつくば国際オフィスと地球環境研究センター,JAMSTEC,Future Earth日本ハブの共催で,オンラインによる公開フォーラムが開催されました。このフォーラムでは,論文の共同執筆に参加した研究者,特に農業や食料生産,土壌や肥料といった分野を専門に研究している講師が詳しく解説し,筆者も「土壌の視点から見るN2O発生のプロセスと実現可能な緩和」と題して,N2O放出に及ぼす影響因子とN2Oの緩和策について報告しました。
まず地球環境研究センター物質循環モデリング・解析研究室の伊藤昭彦室長は,世界のN2O収支(2007〜2016年)の概要を紹介しました(図1) 。N2Oの放出には自然起源(57%)と人為起源(43%)があり,自然起源の放出量は9.3Tg(1Tg=1012g,100万トン) ,人為起源放出量が7.3Tgです。合計すると約17Tgが毎年放出されています。
一方,成層圏や対流圏での化学反応により毎年13.5Tg消滅します。差し引きすると毎年3.5Tgが大気中に残ることになります。地域別では,アフリカが最大の放出源(年間約3Tg)です。アフリカは面積が広いことと,熱帯林から放出されるN2Oが多いためです。熱帯林は年間を通じて温度が高く降水量が多いため,微生物の活動が活発でN2Oが放出されやすいと考えられています。次が南米,東アジアで,年間約2Tgです。南米はアフリカ同様に熱帯林からの放出が多いのですが,東アジアは農業からの放出が突出しています。海洋からも年間2〜3Tg放出していますが,推定方法で差があり不確実性が残っています。
世界のN2O放出量は毎年1%以上増加しています。農業は最大の人為起源放出源です。人為起源放出量の地域別の変動を見ると,近年,農業活動が盛んなアジア,次いで南アメリカとアフリカから放出量が増加しています。特に東アジアの増加は農地における化学肥料・堆肥投入量(+直接排出)の増加と関連があり,この30数年間で2倍以上になっています。
続いて,筆者がN2O生成のプロセスを紹介し,好気的な条件での硝化(アンモニアが微生物によって酸化され,亜硝酸塩や硝酸塩に変化する)での副産物の場合と,水田のように嫌気的条件での脱窒(土壌中の硝酸性窒素が還元され,大気中に分子状の窒素として放出される)での中間産物の場合があることを述べました。
N2Oの発生に影響を及ぼす因子として,1. 土壌の種類,2. 添加物(バイオ炭など),3. 土壌管理と制御(緩効性肥料,硝化抑制剤など),4.水田圃場の水管理,メタン発生制御との関係(メタンとN2Oのトレードオフ)があります。本稿では紙面の関係で,特に3. と4. について紹介します。
近年,熱帯林が開発され植物油脂原料であるアブラヤシのプランテーションが急激に増えているなかで,インドネシア1か所(Tunggal,図2の①),マレーシア2か所(Simunjan,図2の②;Tatau,図2の③)の大規模農園で,有機物が少ない無機質土壌(①,②)と有機物が多い泥炭土壌(③)に,1) 無肥料区(B),2) 従来方法の施肥量で化学肥料を表面施用する慣行区(C),3) 部分耕起だけの区 (B2),4) 肥効調節型肥料(ジェイカムアグリ,MEISTER (LPコート))を半分の施肥量にして部分耕起後に与えた試験区 (M) を設け,N2O放出を340〜580日間測定し比較してみました3) 。
Tunggalからは肥効調節型肥料によってN2O放出が有意に下がりました(図3) 。Simunjanは雨が多いところなので肥料が流れてしまい放出量は少なくなりました。アブラヤシの収量は肥料を半分の量にしても肥効調節型肥料とほとんど変わらなかった4) ので,ロスが少なくN2O放出も抑えられることがわかりました。一方,泥炭地のTatauではN2O放出が桁違いに多く,肥料の効果も明確ではありませんでした。熱帯土壌でもその種類によって,効果は大きく異なることが分かりました。
もう一つの緩和策として,期待されているのが硝化抑制剤です。硝化の過程にはアンモニアの酸化と亜硝酸の酸化があり,これらをブロックすることでN2Oの放出を抑える抑制剤が開発されており,ジシアンジアミド(DCD)など化学合成品は現在すでに肥料の一部に混ぜて使われています。インドネシアのマカッサール大学や国際農林水産業研究センターで開発されている植物由来の硝化抑制物質はN2Oの放出をかなり抑制できます5) 。今後,実用化が期待されています。
水田から放出される温室効果ガスのメタンを水管理方法の変更で減らすため,日本では中干し延長などが効果を示していますが,海外での有効性を確かめるため,インド南部のタミルナドゥ農業大学と共同で圃場実験を行いました(図4) 6) 。地下水位を数日おきに15cmくらいまで下げるような間断灌漑と幼苗一本疎植を組み合わせた高収量稲作法(SRI農法)区では,常時湛水の対照区と較べてメタンの放出量を4〜5割下げられ,50%程度節水することができました。
しかもメタン削減でトレードオフ関係にあるといわれ懸念されていたN2O放出に有意な変化はありませんでした。さらに東南アジアのフィリピン,インドネシア,タイ,ベトナムにおいても同様な節水栽培試験をしたところ,メタンは削減でき,N2O放出にはさほど影響がないことを確認しています。
現在の新型コロナによる影響について,国際土壌科学連合(IUSS)元会長のRattan Lal先生の論文7) を紹介します。土壌の健康は人々の健康や貧困解消,気候変動対策の基盤です。今後,COVID-19の影響で人間活動が変容し,それによって食料生産体系が変わり,それに対する土壌管理方法も,今まで以上に持続可能性が重視されるように変貌して行くと予想されます。肥料の生産や利用も影響を受けることは当然考えられます。またN2Oの大気中寿命は約120年と,他の温室効果ガスより1桁長いので,未来への負の遺産とならないように,削減策を進めてゆくべきです。
1)斎藤雅典:2019.農業活動と温室効果ガス排出削減,農業と科学,令和元年12月号,7−11.
2)Tian H., Xu R., Canadell J.G., Yao Y. et al.:2020. A comprehensive quantification of
global nitrous oxide sources and sinks, Nature, 586, 248−256.
3)Sakata R., Shimada S., Arai H., Yoshioka N., Yoshioka R., Aoki H., Kimoto N., Sakamoto A.,
Melling L., and Inubushi K.:2015. Effect of soil types and nitrogen fertilizer on nitrous
oxide and carbon dioxide emissions in oil palm plantations, Soil Science and Plant
Nutrition, 61, 48−60.
4)Sakata R.:2017. Soil, fertilizer and topography affect emissions of nitrous oxide and carbon
dioxide, and yield of oil palm in Indonesia and Malaysia, 千葉大学博士論文.
5)Jumadi O., Hala Y., Iriany R.N., Makkulawu A.T., Baba J., Hartono, Hiola St.F., and Inubushi
K.: 2020. Combined effects of nitrification inhibitor and zeolite on greenhouse gas fluxes
and corn growth. Environmental Science and Pollution Research, 27, 2087−2095.
6)Oo A.Z., Sudo S., Inubushi K., Mano M., Yamamoto A., Ono K., Osawa T., Hayashida
S., Patra P.K., Terao Y., Elayakumar P., Vanitha K., Umamageswari C., Jothimani P. and
Ravi V.:2018. Methane and nitrous oxide emissions from conventional and modified
rice cultivation systems in South India, Agriculture, Ecosystems and Environment,
252, 148−158.
7)Lal R.:2020. Soil Science beyond COVID-19, Journal of Soil and Water Conservation, 1−
3. doi:10.2489/jswc.2020.0408A