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第591号 2007(H19).11発行

PDF版はこちら 第591号 2007(H19).11発行

農業と科学 平成19年11月

本号の内容

 

 

ゴーヤーの合理的施肥管理法

沖縄県農業研究センタ一 野菜花き班
主任研究員 久場峯子

Ⅰ はじめに

 沖縄県の庶民の味を代表するゴーヤーは,多収性品種の開発とウリミバエの根絶,加えて”ちゅらさん”効果が相乗的に作用し,晴れて全国区に登場した。本場沖縄では,温暖な気候を利用した冬場のハウス栽培が盛んである。現在のところゴーヤーは消費拡大期にあるため高値取引が可能であり,慣行の土耕栽培はもちろんのこと,導入が進みつつある養液土耕栽培や初期投資およびランニングコストの高い養液栽培等,多様な栽培方式が採られている。しかしゴーヤーは仕立て法はもちろんのこと,施肥管理技術も未確立であり,各県各様の栽培体系が試みられている。そこで,本県慣行の仕立て法(キュウリネット利用の垂直誘引栽培)における栽培方式別施肥管理法を,省力・環境保全・低コストを視野に入れ検討した。

Ⅱ 養分吸収特性の把握

1.方法

 施肥量の決定には,要素成分レベルを変えた施肥応答曲線を得る方法が一般的に用いられるが,ここでは養分吸収特性からのアフローチを試みた。
 つまり,
①養分吸収条件が最適と考えられる養液栽培(NFTシステムを使用),
②”必要な養分を必要な時期に必要な量だけ供給できる”1)と考えられる養液土耕栽培,
③慣行施肥による士耕栽培
の3つの栽培方式における吸収特性を比較検討することで,養分組成と吸収量の変異幅をおさえ,それらを基に培養液処方と施肥量を検討した。

 各栽培方式における具体的な施肥管理を表1および表2(慣行処方)に示した。品種は「汐風」,土壌はpH7.5,全N 50mg/100g,有効態P2O5 7mg/100g,交換性K2O 30mg/100gの国頭マージ(赤黄色土)系を用いた。

2.結果および考察

 商品果収量は収穫中期頃までは養液栽培で高く推移したが,成り疲れを生じさせたため,最終的には3栽培方式とも約8t/10aに落ち着いた(図1)。

 同程度の収量を得るために必要とされた全生育期間中の多量要素の養分吸収量は養液栽培で最も多く,次いで養液土耕,慣行土耕は最も少なかった(表3)。

 特に養液栽培におけるP2O5とK2Oの吸収は賛沢吸収と考えられる程高い値であった。養液土耕における吸収量が慣行士耕に比して多いのは,肥料の利用率向上を示唆するものと考えられる。

 N,P2O5,K2Oの植物体内での分配は果実部が優先され,その傾向はP2O5で顕著に現れた(表4)。

 吸収量の少ない慣行土耕栽培におけるP2O5は,全吸収量の約60%が果実部へ分配され,吸収量の多い養液栽培では約35%に止まった。吸収量の最も多いK2Oは果実部への分配割合がNおよびP2O5に比して低く,変異幅も狭かった。このことは慣行土耕におけるK2Oも賛沢吸収の範囲にあって,慣行施用量33kg/10aは過剰とも考えられる。

 その他の特徴的な点としてCaの多量吸収がみられ,養液土耕と慣行土耕の平均で約28kg/10aもあり,その90%以上が茎葉部に存在した。両土耕栽培では元々土壌pHの高い土壌であったためCa資材の投入は必要なかったが,難移動性のCaの吸収が旺盛なことは,酸性土壌での酸度矯正は勿論のこと,肥料としての施用を考慮する必要性も示唆される。

 表5から養分吸収量の推移をみると収穫開始期から吸収量が急増し,3要素の組成もNに対するP2O5・K2Oの割合が高くなるため,当該時期の前後で肥料の成分組成を変える方が望ましいものと思われる。

 一方養液栽培においては,慣行処方2)では交配開始期までの根へのP2O5分配率が高く(表6),培養液中のPとMgの濃度低下が著しかった(データ省略)。更に過繁茂で摘葉が遅れがちになり,うどんこ病発生を助長する傾向が見られたことから,初期のP2O5濃度とMg濃度を高め,全生育期間を通してNを低目に抑えた処方が適当と考えられる。

Ⅲ 施肥改善

1.方法

 養分吸収特性の結果を受け,最も吸収量の少なかった慣行土耕を基本に,ゴーヤーの施肥量は10a当たりN 25-30kg,P2O5 15-20kg,K2O 35-40kg程度を上限と見なし,各栽培方式における合理的施肥管理法を作成した(表2,7)。

 養液土耕栽培においては低コスト化を意識し,所定量の各単肥を溶かしたタンクから地形の高低差による自然流下で,最も吐出速度の遅い点滴チューブ(760ml/エミッター/時,ネタフィム社製)を用い,1日1回給肥・給水する方式を採った。時期別かん水適量も,Ⅱの養分吸収特性把握試験で得られた養液栽培における吸水曲線と,一般的な10mm/週かん水を日換算し,原則1.4mm/日かん水を行った場合の給水曲線から求めた(図2,表8)。

 対照としての慣行土耕栽培では省力化・合理化を図るために,緩効率70%・溶出期間140日・N:P2O5:K2O=10:8:12の肥効調節型肥料を定植前に300kg/10a施用した。

2.結果および考察

 各栽培方式別収量は第3図に示すとおり,三方式とも高収量を得た。

 本試験では,対照となる慣行土耕の施肥を肥効調節型肥料の全量基肥施用にしたため,本来の慣行施肥体系との収量性に対する直接比較はできない。しかし,沖縄県農業研究センター土壌環境班比嘉明美氏のデータ(図4)によると,被覆尿素を用いた場合全量基肥で減肥しても速効性肥料分施と同等の収量が得られたことから,肥効調節型肥料利用は施肥の省力化・減肥化,減肥による環境負荷軽減を可能にするものと考えられる。

 養液栽培では試作処方を用いると,培養液のPを除く各種イオン濃度が理論値により近い値で推移し,慣行処方ではpHの上昇によるFe欠を生じたのに対し,試作処方では若干のpH上昇はみられたもののFe欠を生じることなく(データ省力),30%以上増収した。さらに単肥配合することにより肥料コストを45%削減できたことから,収益性の向上に寄与できる(表2)。

 養液土耕栽培は,Ⅱで養分吸収特性を把握するために使用した肥料および水より少ない量で十分な収量を得たことから,新しい栽培法として普及が可能であると言えよう。また,図5に示したように土壌中での移動性の低いリン酸を除いて水抽出成分濃度も低く推移し,肥料成分の地下への移動が極めて少なく,圃場の肥料成分蓄積低減が可能であった。

Ⅳ おわりに

 ゴーヤーの栽培方式と施肥について述べたが,今後の施肥体系は環境保全および省力化を意識した,肥効調節型肥料の利用や養液土耕栽培,あるいは両方の折衷型が主流になるものと考えられる。更に軽量培地を充填した隔離床へのかん水同時施肥も増えつつある中,緩衝能の低い根域制限下での肥培管理は問題点も多く,更なる研究が待たれる。

 なお本文は,日本土壌肥料学会九州支部編2004年度福岡大会記念誌”九州・沖縄の農業と土壌肥料”掲載の”ゴーヤーの栽培方式と施肥”を加筆再編したものである。

引用文献

1)B. Bar-Yosef :A dvances in Fertigation,
  Advances in Agronomy,65,1-77(1999)

2)養液栽培研究会編:養液栽培マニュアル21
  (農耕と園芸10月号別冊),p.155,誠文堂新光社(1997)

 

 

のり面緑化工の変遷について[4.番外]
-新潟県中越地震と斜面・のり面の被害
旧山古志村を中心として-

工コサイクル総合研究所
中野緑化工技術研究所
中野 裕司

1.はじめに

 すこしお休みをしておりましたが,今回は少し横道にそれ,新潟県中越地震における斜面・のり面の被害状況について述べることといたします。と,いいますのは,中山間地に位置する旧山古志村の被災状況について述べることが,のり面緑化の本質について触れ得ることになるものと考えるからです。また,中越地震の復旧がおおむね完了したかという時期に,能登半島地震,中越沖地震が引き続いて発生し,家屋災害と同時に斜面災害が発生しており,身の回りの地震による災害について考える機会となればと思うからです。

2.新潟県中越地震の概略

 中越地震は,2004年10月23日に発生し,震度7の本震後,長時間震度6以上の余震が続き旧山古志村(以下山古志と称します)を中心に大きな被害が発生しました。

本震の概略

 ・本震発生時刻:2004/10/23/17:56
 ・震源:北緯37.3N 東経138.8E(川口町)
 ・震源深さ:10km
 ・マグニチュード:M6.8(最大震度7)
 ・余震:同日18:11,M6.0(最大震度6強)
     同日18:34,M6.5(最大震度6強)
 ・死者:40名 負傷者:2,895名
 ・全壊・半壊家屋:7,822棟
 ・道路の破損:6,062箇所
 ・地すべり,崖崩れ:442箇所(新潟県調べ)
  斜面崩壊:1, 662箇所,内崩壊幅50m以上 234箇所
  (国土交通省10/24空中写真判読)

 新潟県は全国有数の地すべり地帯とされておりますが,中越地震はその中でも屈指の地すべり多発地帯をおそった直下型地震です。本震,それに続く余震により,多くの大規模地すべりや斜面崩壊が発生し,山古志を陸の孤島とし多くの方々が避難生活を余儀なくされました。
 地震により発生した大規模地すべりにより,河道閉塞(天然の堰止湖)がいくつも出現し,堰止湖の決壊による大規模土石流の発生による二次災害の懸念なと、ニュースをにぎわしたことは記憶に残っております。

 地震災害を大きなものとした原因については,本震直前まで豪雨が記録されており地下水位の上昇による地盤の緩みなどが挙げられております。豪雨とそれに続く地震により被害が大きなものとなったもので,中越沖地震も台風の直後でした。また,当地周辺は屈指の豪雪地帯であり,春期の融雪により被害が拡大しました。

 筆者は,土木学会地盤工学委員会斜面工学小委員会に所属している関係で,地震発生直後から3年間に渡り景観的な観点,のり面保護の観点より観察を続けてきました。

3.旧山古志村の風土・景観

 中越の景観構成要素として重要なものは,谷川岳に連なる越後山地と魚沼丘陵などの山地丘陵の存在と雪です。
 中越地震の震源となった魚沼丘陵は,新第三紀,第四紀に堆積した泥岩・砂岩互層が,第四紀の活発な地殻変動により隆起したもので,尾根の高さがほぼ同じ高さに揃う北東~南西方向の褶曲構造(活褶曲)と信濃川とその支流による洪積段丘により特徴づけられています。丘陵を形成する堆積物は年代の新しい時代の堆積物のため,固結度が弱く半固結状態であり,地すべり地帯となっています。山古志は砂山と言ってもよいほどで,石がほとんどありません。

 冬季の北西季節風は,日本海より供給される水蒸気を内陸部に運び,脊梁山脈に遮られ山地丘陵部に大雪を降らせます。植生は,深い雪により発生する雪崩の影響があらわれ,山腹急斜面には高木が少なく,タニウツギなどの低灌木・ススキにより覆われ,春は山菜の宝庫,秋はヤマハギとススキにより彩られる山里風景を醸成しました。

 山古志は,地すべりにより形成された標高100~400mの山間斜面に位置しており,その中に点在する14の集落に約2,000名の村民が暮らしていました。約40km2の村面積の80%以上が山林,残りの大部分が棚田や溜池です。
 緩傾斜地に集落が点在し,その周辺の斜面に融雪水を貯留するための溜池がつくられ,融雪水を水源とする天水棚田が発達し,コシヒカリの産地となりました。また,溜池は錦鯉の養殖池としても活用され,錦鯉の発祥地として全国に名を響かせております。高値のつく錦鯉の養殖が広がり,棚田よりもコイ池が多くなり,棚池とでも称したいほどです。

 山腹斜面は,低標高地から中腹部にかけては棚田とスギ植林地(小樹林),山腹上部緩斜面にはホウノキ,アカイタヤを主とする湿性の二次林が発達し,尾根筋~山頂斜面にミズナラが生育しており,この部分に一部自然林であるブナ林が認められます。山林は,地山が貧養な砂質土であること,積雪の影響,及び薪炭林などとして過度の利用がなされたため十分に発達している状態ではなく,森林景観としては貧弱なものといえます。
 集落と棚田周辺には,稲架木(はさぎ)や防風として活用された後,自家の普請に使用するための自家用林としてスギの小樹林が形成され,当地独特の棚田景観を醸成しています。

 当地の景観を最も強く印象づけるものは棚田と溜池の存在であり,地形図を開くと,乾燥地でもないのに,なぜこんな山間部に溜池がたくさんあるのかと驚いてしまうほどの数です。
 ため池は棚田に対する用水の供給を目的として天水をためるために造られたものですが,一戸あたり2個程度のため池が設けられています。この棚田では化成肥料を用いる以前は,ため池で鯉を養殖し,鯉の糞を肥料とする稲作りがなされたようです。

 当地は雪深い山間部に位置するために,山林生産物,農地を徹底的に有効活用する生活様式が発達したものと考えられます。その一つが,夏場の養蚕とコイの養殖です。山腹斜面で栽培したクワの葉でカイコを飼い,そのさなぎをコイのエサとし,鯉の糞を稲作の際の肥料とし,さらに,稲藁・糠をウシの飼料とし,その糞を肥料とするという循環型・自給自足型の生活が営まれていました。衣食住にかかわるすべてがクワ→カイコ→コイ→コメ→ウシ→クワという流れの中で山菜も加えられることにより自給自足がなされたわけです。すなわち,カイコは現金収入,コイは蛋白源,コメは租税・主食,ウシは耕転・荷駄用に飼育するというわけです。

 闘牛(角突き)が盛んであることも, このような循環利用との関係が考えられます。
 牛は南部牛で,昭和30年代まで荷駄の運搬,耕来去に使役されていたもので角突きの有様は「南総里見八犬伝」にも出てくるほどのものです。しかし,おしよせる機械化の波により,昭和30年代に衰退しましたが,その後復活し現在に至っています(写真1)。

 コイの養殖は,田へ放流するときと田からコイを取り上げるとき以外はほとんど手がかからない便利なもので,食用鯉として養殖されておりました。これが,江戸時代中期に「色鯉」が突然変異により生まれ,観賞用に養殖したのが錦鯉の始まりとされております。これが近代に入り産業として成立するようになり,利便性の優れた小河川沿いに養殖場が造られることとなり,養殖池は約2500面,130haに及んでおりました。

 棚田は村の全域に分布しており,棚田面積は176haと村の水田の大部分が棚田です。山古志の棚田の特徴は勾配が急なこと,石垣ではなく土堤による棚田であることです。棚田の多くは1/6(約10°)以上の急勾配地に造られ,土堤の高い箇所は埋木による補強がなされています。草に覆われた緑の土手とスギと大空が,棚田・ため池の水面に映し出されるコントラスト・ハーモニーが当地独特の景観を形成しておりました。
 山腹斜面に存在する山林と棚田・ため池は,山古志の景観を形成し生活を支える基盤としての風土を醸成したわけです。

4.斜面災害による景観損傷

 当地の景観は,地すべり地形の上に発達した棚田,ため池,およびそれを取り巻く林地により特徴づけられたものですが,中越地震により集落家屋が崩壊し,棚田,ため池が損傷を受けるとともに,その周辺の山地急傾斜地は広大な面積にわたる表層崩壊と地すべりが発生し緑の山が土くれ状態となりました。
 地斜面は,地すべり,表層崩壊により樹木を抱え込んだまま崩落し,地山がむき出しの状態となり景観が大きく傷つけられたのです。言うまでもなく家屋は倒壊し,道路は寸断され壊滅状態となりました(写真2)。
 道路の寸断は,地すべりや盛土部の崩落による路体そのもの崩壊,及び岩盤崩落,表層崩落による土塊の路面堆積によるものです。また,トンネルの崩落も発生しました。

 このような甚大な被害のなかで,切土のり面に対し緑化工を実施した箇所の崩壊は認められず,擁壁の損傷が認められる程度でした。これに対して盛土のり面の損傷箇所は多く,至る所に被災が認められました。
 阪神大震災においても切土のり面の崩落は極わずかであり,盛土のり面の被害は甚大なものがありました。能登半島地震,中越沖地震も同様の傾向を示しております。

 のり面緑化工は地山が安定状態であることを前提とし,地山表面の侵食防止,風化防止を目的として実施するものですから,このような結果となったことは当たり前と言えば当たり前のことですが,切土のり面が安全であることが相次ぐ地震により確認されたと言えるでしょう。これに対し,盛土のり面の脆弱さは予想以上のものがありました。
 山間部のみならず,都市部丘陵地宅盤の盛土に対しても何らかの対策が急務であることが実感できました。また,盛土部が存在する場合,斜面下部に対する安全対策を講ずることも考慮すべき問題として示されました。

5.おわりに

 土木学会斜面工学小委員会では,中越地震,能登半島地震,中越沖地震の現地調査を実施しました。また,中越地震の記憶を風化させることなく防災意識の持続と高揚をはかるために災害学習マップを作成しております。関心のあるかたは,下記URLをご覧下さい。
 中越地震,能登半島地震,中越沖地震による被災からの速やかな復興を祈るとともに,お亡くなりになられた方々のご冥福を心から祈念いたします。

参考資料

1)(社)土木学会地盤工学委員会斜面工学小委員会
  http://www.jsce.or.jp/committee/jiban/slope/

2)原光一,山古志村はコイの村:地理,pp.8-12,古今書院,2004.

3)須藤巧,写真集 山古志村【宮本常ーと見た昭和四六(1971)年の暮らし】,農山漁村文化協会,2005