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第513号 2000(H12).12発行

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歴史の中の肥料-グアノ物語4

京都大学名誉教授
高橋英一

カリブ海,太平洋ヘ広がったグアノラッシュ

 いち早くグアノビジネスに乗り出したBensonは,「グアノ戦争」に敗れ大きな損害を被ったけれども,疲弊した耕地を癒す外来の新肥料に対する合衆国民の渇望は高まるばかりだった。

 合衆国のグアノの輸入は,1852年の年間5万トン,小売り値48ドル(トン当たり)から,2年後の1854年は17万6千トン,53ドルに急上昇した。その結果グアノ購入のための経済的負担は,2年間に4倍,1000万ドル近い額になった。農民は政府に対し,ペルーのグアノ専売を止めさせるように強く要求した。しかし国家財政の多くをグアノ専売に依存していたペルーは,交渉に応じようとしなかった。

 合衆国におけるグアノ価格の高騰と需要の増大は,企業家達をしてカリブ海や太平洋の珊瑚礁や無人の小島に,ペルーグアノに代わるものを求めさせた。しかしそれは新たな国際紛争を引き起こすことになった。

Galapagos群島のグアノ騒動

 1853年,Washington駐在エクワドル代理公使になったJ. Villamilは,グアノ熱の高まりを目の当たりにした。彼は1832年にエクワドルが主権を主張したGalapagos群島の中にグアノを産する島があるのではないかと考え,知り合いのNew Orleansの船長J. Brissotに調査を依頼した(これはCharles DarwinがGalapagosを訪れ,進化論のヒントを得る5年前のことである)(図4)。

 1854年BrissotはGalapagosより帰還し,ペルーのChinca産と同等の良質のグアノを大量に発見したとVillamilに報告するとともに,採取した(と称する)サンプルを渡した。Brissotの報告を信じたVillamilは発見したグアノに対する自分の権利を要求するためにエクワドルヘ向かった。

 一方Brissotは,弁護士で上院議員でもあったJ. P. Benjaminを伴ってWashingtonに国務長官のMarcyを訪ね,自分の発見は合衆国がグアノを安く入手できる絶好のチャンスであると説得,またBenjaminはエクワドルヘ交渉にゆくつもりだと述べた。

 Marcyは最初Brissotをあまり信用せず,彼がGalapagosから採取してきたと称するサンプルの分析をハーバードの化学の教授に依頼したところ,その品質はペルーグアノの最良のものに匹敵するとの報告を得た。

 そこでMarcyはQuito(エクワドルの首都)駐在合衆国公使のWhiteにGalapagosの買い取り(300万ドル以内での)を含めて,エクワドル政府と交渉するように指示した。エクワドル外務大臣M. Espinelは,もたらされるかもしれない大きな利益を考え,交渉に入る前に密かにGalapagosのグアノについて調査を行った。一方Whiteおよびエクワドルに到着したBenjaminとVillamilも同様に調査を行ったが,いずれもBrissotのいうような発見を裏付けるものは見出せなかった。

 それにもかかわらずエクワドル政府は,発見者にグアノ収益の5分の1(内3分の1はBrissot,3分の2はVillamil)を認める契約をBenjaminとするとともに,Whiteに対して合衆国政府からの300万ドルの貸与の見返りに,割引価格でGalapagosのグアノの積み込みを認めるという提案をした。

 1855年1月Washingtonに戻ったBenjaminは,国務長官のMarcyと大統領のPierceに会い,Galapagosにはいわれているようなグアノの存在は認められないので,エクワドル政府と交渉する必要はないと思われると報告した。

 結局Brissotの発見は嘘で,彼がGalapagosから持ち帰ったと称するサンプルはChinca産のものであったらしいということになった。こうしてGalapagosのグアノをめぐる騒ぎは幕を閉じた。

Aves Island(鳥島)事件

 同じ頃,Bostonの貿易商のP, S. Sheltonらはグアノの専売事業を起こそうと考え,N. P. Gibbsという船長を雇ってカリブ海に有望なグアノの島がないか探索させた。

 1854年4月Gibbsは西インド諸島の小アンチル列島の中に,無数の海鳥が巣を営んでいる67エーカーほどの無人の小島(Aves Island:鳥島)を発見し,堆積していたグアノのサンプルを持ち帰った。(図4)その品質はペルーグアノに匹敵するものであったので,Sheltonらの「Bostonシンジゲート」は採掘のためにGibbs船長の二本マストの帆船Dow号を「鳥島」ヘさしむけた。Dow号は28人の乗組員と食糧,採掘道具などの他に,万ーに備えて二門の6ポンド砲と数十丁のマスケット銃やピストルを積み込んだ。

 1854年7月15日Gibbsらは島に到着し,早速グアノの採掘を始めた。彼らは5ヶ月ほどの間に,島の5万トンと見積られていた埋蔵量の20パーセント近くのグアノを積み出し,メリーランドや南部諸州の農民に売りさばいた。これらはペルーグアノよりも安価であったため,忽ち優位に立った。

 このニュースはすぐに広まり,途中から割り込んで利益にありつこうとする実業家のグループが現れた。Philadelphiaの実業家J. F. D. Wallaceは11月下旬Caracasを訪れ,ヴェネズエラ大統領J. G. Mongasに向こう15年間のグアノの採掘独占権に対して20万ドル(トン当たり4ドルの採掘料)を支払うという話をもちかけた。

 このもうけ話を聞かされたMongasは,直ちに「鳥島」ヘ砲艦を差し向けた。12月13日,艦長のDiasは砲1門と10名の兵士を引き連れて上陸し,Gibbsらにヴェネズエラ政府はこの島を占領する旨を告げた。しかしこれに対してGibbsが激しく抗議したため,Diasは監視の兵士を残していったん島を立ち去った。

 12月21日Wallaceはヴェネズエラ政府とグアノ採掘契約を結んだ。12月30日,別のヴェネズエラ軍艦が島に近づいたところ,数隻のアメリカ船が停泊し,グアノの積み荷を待っているのを発見した。島に残されていた監視の兵士達は十分な食糧を持っておらず,Gibbsから食べ物を恵んで貰っていたので,グアノの積み出しを黙認していたのだった。

 これを怒った艦長は翌31日,24時間以内にすべてのアメリカ人は島から退去せよと命令した。抵抗できないことをみてとったGibbsらは,すべてを残したまま,急いで島を去った。

 一方Wallaceはヴェネズエラ政府から獲得した採掘権を,100万ドルの資本金で設立した新会社Philadelphia Guano Co. に譲渡した。新会社は鳥島のグアノを合衆国にトン25~40ドルの卸値で売り,最終的に1000~1600万ドルの利益を上げる積もりであった。ところが間もなくヴェネズエラ政府は,いったんWallaceと結んだ契約を破棄し島のグアノを国有化した。

 Philadelphia Guano Co. は合衆国政府に泣きつき,救済を求めた。国務長官Marcyは斡旋に乗り出し,結局翌1855年9月,会社はヴェネズエラ政府と新しく契約を結び,向こう15年間の採掘権としてトン当たり5ドルを支払う(25パーセントの値上げ)ことで決着した。

 他方SheltonらBostonシンジゲートも,1855年1月15日国務長官Marcyに手紙を送り,ヴェネズエラ政府による権利侵害を抗議し,破った損害64万ドル(島に置いてきた機材や採掘したグアノの推定評価額)の補償を求めた。

 その後一年余りの間,Sheltonらは再三国務長官や大統領に善処を訴え続けたが満足のゆく進展はなかった。そこでついにSheltonは1856年4月29日,鳥島に対する権利の確認と損害賠償を求めて,正式に議会に請願を行った。その中で彼は,合衆国民が,放棄されたままになっているグアノを産出する島あるいは岩礁を発見した場合,その占有権を保護する法律の制定を求めた。

Guano Islands Act(グアノ島法)の制定

 当時ペルーグアノはトン当たり30ドルで輸出され,New Yorkでは55ドル,Virginiaでは60ドル,Georgiaでは65ドルと,南部ヘゆく程高値で取引された。しかもグアノの需要は南部の州ほど大きかった。

 政治家達は合衆国農民にもっと安価にグアノを供給する必要性を痛感していた。そのためには,他国の主権の及んでいない新たなグアノ資源を捜し求める企業家達を,国家が保護する必要があると考えるに至った。

 1856年4月16日,上院議員のW. H. Sewardは,グアノの島を発見した合衆国民の権利を法的に保護するための立法化を議会に働きかけた。

 Sheltonの提案をもとにした’Guano Islands Act’(グアノ島法)は修正の後8月16日議会を通過し大統領のもとに送られた。その2日後の1856年8月18日,大統領Pierceは法案に署名,成立をみるに至ったが,その骨子はつぎのようである。

1)他国政府の主権外にあり且つ他国民によって未だ占有されていない島,岩礁,珊瑚礁にグアノ鉱床を合衆国民が発見し,採掘する場合,それらは合衆国に帰属するものとする。

2)発見者は採掘したグアノのトン当たり8ドル(船積み価格)あるいは4ドル(採掘現地価格)を越えない価格で,合衆国民に供給する権利を認められる。ただし合衆国民以外に供給する目的で採掘する権利は認められない。

3)合衆国大統領は発見者の権利保護のために,必要な場合陸海軍の兵力を行使する権限を保有する。

 このGuano Islands Actの可決によって,合衆国は企業家達の先導のもと,海外への領土拡張に乗り出すことになる。

 

 

茶の収量・品質に及ぼす施肥の影響と窒素の溶脱

高知県農業技術センター 茶業試験場
専門研究員 西野 恒夫

1.はじめに

 茶栽培農家は窒素の多投が高品質・高収益に結びつくとして,窒素を年間100kg/10a以上施用することも珍しくない。しかし,近年は地球環境保護の立場から,窒素施用量の削減が強く求められている。

 高知県では年間降水量が3,000mmに達する茶産地があり,窒素の溶脱は特異的に多いものと考えられるが,茶園窒素の溶脱を調べた研究事例は少なく,製茶品質との関係を調べた事例も少ない。

 そこで,窒素施用量の違いが収量・品質におよぼす影響を検討し,つぎに被覆肥料と慣行肥料との窒素溶脱と収量・品質を調査した。さらに,ジシアンジアミド添加肥料による窒素溶脱防止と荒茶の品質向上を検討し,多雨地域における窒素削減の可能性を試みたので紹介する。

2.窒素施用量と茶の収量・品質

 筆者は平成2~3年頃まで,「茶園への窒素多投が荒茶品質向上に結びつかない原因は,製茶機(粗採機)の揉み手圧が弱いためだ。窒素の多投で生葉品質が向上するので,揉み手圧を強くすれば荒茶品質は向上する」と思っていた。

 そこで,製茶技術改善試験を行うため生葉供試圃を現地に設け,1987年の秋元肥から2か年肥料を施した。窒素施用量は,多肥区(135kg/10a)と,少肥区の(68kg/10a)とした(表1)。肥料の種類や施肥時期は地域の栽培指針に準じた。

 試験を実施した2か年とも降水量は平年並みの3,000mm内外で,凍霜害もなく,ー・二番茶は順調に生育した。試験開始当初,秋元肥施用から40~50日後に多肥区で三番茶芽から四番茶芽が旺盛に繁茂し,多肥の効果は一見して明らかと思った。

 しかし,二年次は,多肥区の三番茶から四番茶芽の伸長は殆ど無く,園相による処理区の判別はできなくなった。

 土壌中の無機態窒素は両区とも施肥直後は高い濃度で推移するが,急激に減少する傾向を繰り返した。多肥区の窒素施用量は少肥区の2倍であるにもかかわらず,土壌中無機態窒素濃度は一部の時期を除いて,0~50% 程度多く推移するに留まった(図1)。

 生葉収量は一年次を除いて,一・二番茶とも多肥区が3~11%優った。製茶工程では,多肥区の茶葉が多少柔らかく感じ,ー・二番茶の荒茶窒素含有率も多肥区が0.1~0.2%高い傾向を示した。

 しかし,荒茶品質や荒茶価格はほとんど変わらず,肥料代を差し引いた収益は,2か年とも少肥区が1~2万円/10a優った。

 揉み手圧が強いと粗採工程が10分ほど短縮されたが,粉茶(篩い,30号下)も多くなった。施肥量と揉み手圧の関係は明らかにできなかった。

3.被覆肥料と茶の収量・品質

 場内の傾斜地圃場に,慣行区,改善Ⅰ区,改善Ⅱ区を設け1988年の秋元肥から2か年,被覆肥料による減肥・省力化試験を実施した。慣行区は当地域の栽培基準に準じ施用窒素106kg/10a,改善Ⅰ・Ⅱ区は緩効性被覆肥料(ロング140及びロング270)を施用して3割方窒素を削減した(表2)。

 試験を実施した2か年とも降水量は平年並みで,凍霜害はなかった。

 慣行区は2か年とも三番茶芽に徒長芽が多く発生し,この徒長芽から四番茶芽が3~4枚着葉した。一方,改善Ⅰ・Ⅱ区は三番茶芽が3.5枚程度揃って着葉し,四番茶芽は全く萌芽しなかった。

 改善Ⅰ・Ⅱ区は慣行区に比べて樹勢を欠くようであった。しかし,秋整枝の切断面は揃い,葉色は慣行区と変わらなかった。

 改善Ⅰ・Ⅱ区の土穣中無機態窒素は緩慢に推移したが,慣行区は施肥直後は多く,急激に減少する傾向を繰り返した(図2)。土壌中の無機態窒素は,改善区が一年次より2年次に多く留まる傾向を示した。

 畝間の根量の経時変化は,慣行区で試験開始から徐々に少なくなり2年次から差が顕著になった(写真1)。特に,改善Ⅱ区は次第に根量が多くなって,深耕や春元肥・秋元肥施用直後の浅耕作業が難しいほどになった(図3)。

 収量は,改善Ⅰ区が多く,次いで慣行区,改善Ⅱ区の順序になった。生産額は,改善Ⅰ区が多く,次いで改善Ⅱ区,慣行区の順序となった。茶園は畦幅180cmであるが,畝間は除草や摘採面の拡大のため30cmに満たない圃場も多い。慣行区の生産額が低い原因は,一度に窒素を10kg/10a施用しても,狭い畝間に肥料が施されるので,畝間は硝化作用が活性化して窒素の溶脱を速め,肥効が悪くなったものと思われる。また,畝間の根量の経時的変化から,硫安は一度に窒素成分で10kg/10aを施せば根系を痛めると推定された。

 試験開始時,被覆肥料を施すことにより,窒素が緩慢に効いて秋枝条が揃い,一番茶の芽揃いをよくして荒茶品質の向上をもたらすと予想していたが,根量の経時的変化から肥効もよいことが推定された。

4.ジシアンジアミド添加による窒素溶脱防止

 ジシアンジアミドが,硝化抑制作用のあることは早くから知られていた。しかし,果樹園などには全く効果を発揮しないことも知られている。

 また,ジシアンジアミドは石灰窒素の中間分解物質で,後に尿素になり無害なことも知られている。

 筆者は,茶園は狭い畝間(30cm内外)に肥料が施されることをヒントに,畝間の窒素施用量をライシメーターに再現して,有機配合肥料(成分:10-4-6)に,ジシアンジアミド態窒素を3.5%加えて窒素の溶脱を調べた。

 対照に一般的な緩行性肥料,被覆緩効性肥料区(ロング140,成分:13-3-11)IB化成区(成分:16-10-14),CDU化成区(成分:16-8-12),と無肥料区を設けた。

 ライシメーターは下部に砂礫を10cm入れ,上部は茶園の畝開から採取した褐色森林土と黒ボク土壌を35cm充填した。充填した後,45日間放置して降雨にあて,供試肥料を施用した。窒素施用量は畝間を再現して48Kg/10aとした。処理日から降雨毎に9月25日まで浸透水を採取して,無機態窒素を測定した。試験期間(1995.5.14~9.25)の降水量は1,044mmで,平年値の約50%であった。

 窒素の溶脱は,褐色森林土ではIB化成区が最も多く,次いでCDU化成区とジシアンジアミド添加肥料区がほぼ同等で,ロング区が最も少なかった。

 一方,黒ボク土ではジシアンジアミド添加肥料区とIB化成区が最も多く,次いでCDU区,ロング区の順序となった。ジシアンジアミド添加肥料は土壌の違いによって効果が異なる傾向を示した。

 アンモニア態窒素の流亡は黒ボク土から殆ど検出されなかったが,褐色森林土ではジシアンジアミド添加肥料区から10.6kg/10a,CDU化成区から8.1kg/10a,IB化成区から2.0kg/10aが測定された(図4)。

 褐色森林土でジシアンジアミド添加肥料区が窒素の流亡が多い原因は,pHが3.5と低く窒素置換容量が小さくて,砂壌土で粘土質が少ないためと思われる。

5.ジシアンジアミド添加肥料による二番茶品質の向上

 1995年5月12日に,改善区はジシアンジアミド添加肥料(成分:12-5-5,窒素の8.5%がジシアンジアミド態窒素)を窒素成分量で10kg/10a施用した。慣行区は5月12日に,燐硝安加里(成分:20-4-8)を窒素成分量で10kg/10aを施用し,5月30日に硫安を窒素成分量で10kg/10aを施用した。

 試験は場内の圃場(傾斜13度,褐色森林土,有効土層:100cm,pH3.8~4.0’やぶきた’22年生)で行った。

 一番茶摘採直後の施肥(5月12日)から二番茶摘採日までの降水量は147.5mmで,平年の35.7%であった。降雨は5月20日と6月7,8,20,21日にあったが,6月20日は降水量75mmの豪雨であった。

 ジシアンジアミド添加肥料(改善)区は,摘採前の葉色が濃緑で,生葉収量も多く,出開き度が高いにもかかわらず,荒茶の窒素含有率も高く,価格・品質ともによくなった。

 二番茶摘採日の土壌中無機態窒素はジシアンジアミド添加肥料(改善)区が15.0mg/乾土100gで,慣行区が1.1mg/乾土100gであった(表3)。

 土壌は区の5か所から採取し,横30cm,縦30cm,深さ30cmで採取し,無機態窒素を測定した。

 本県のような多雨地帯で地球環境に優しく,かつ,窒素利用率を高めるためには,ジシアンジアミドの添加も有効と思われる。

 もし,ジシアンジアミド添加被覆肥料があれば,本県のような多雨地帯でも投下窒素30kg/10a内外で,溶脱量を10kg/10a内外に抑えて,荒茶品質・収量を確保できるものと思われる。

 

 

生ごみの堆肥化法とその実用例

神奈川県環境農政部 農業振興課
専門技術員 藤原 俊六郎

1.はじめに

 生ごみは,家庭や事業所から排出される食品屑であり,厨芥類とも呼ばれる。生ごみは,かつては家畜の飼料として使われていたが,輸入飼料の価格低下などの要因もあり,現在では多くの場合,焼却処分されている。しかし,廃棄物処理の限界やダイオキシン発生などの環境問題から資源循環の重要性が指摘されるようになった今日,資源として有効に活用することが強く求められるようになった。

 このような状況から農林水産省は,2000年,生ごみの堆肥化及び飼料化促進のために「食品循環資源の再生利用などの促進に関する法律」を新たに制定した。これにより,一定規模の事業所に,そこから排出される生ごみの肥料化または飼料化による有効活用が義務づけられることとなった。このため,生ごみを使った堆肥や肥料は,今後,多く流通することが予測される。

 生ごみは,分解が早く不潔になりやすい,含水率が高い,肥料成分に富むなどの特徴がある。また,発生場所や時期による品質のばらつきがあることから,使い方に難しさがある。ここでは,生ごみの農業利用の方法を考えてみたい。

2.生ごみの肥料的性質

(1)生ごみの発生量

 家庭から出る生ごみは1人当たり250g程度であり,平均的な4人家族の家庭からは,約1kgの生ごみが毎日出る。つまり,全国では,年間,1,000万トンを超す生ごみが発生していることになる。さらに,食堂などの事業所から発生する量を考慮すると,年間2,000万トンに及ぶ膨大な量になると考えられる。

 表1に生物系廃棄物リサイクル研究会の調査1)した,生物系廃棄物の全国産出量の推定値を示した。これによると,生ごみは,家畜ふん尿の1/5程度であるが,わら類の1,100万トンよりもはるかに多い。

 家庭から出される生ごみの量や組成は,条件によって大きく異なるが,京都市の調査事例2)では,調理屑が50~60%,食べ残しが30~40%,残り10%が異物である。調理屑は,野菜の皮や屑,果物の皮や屑が大部分で,魚介類の屑や卵のような動物質の屑は,わずかである。食べ残しの約30%は,手をつけられないで捨てられた食品であり,この中には,肉類や魚介類のような動物質のものが多く含まれている(図1)。

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(2)生ごみの化学成分組成

 生ごみの成分は,その日の食べものにより大きな違いがあるが,乾燥した生ごみの無機成分は,窒素3~6%,リン酸1~2%,カリ1~4%程度が含まれており3),一般的な堆肥の原料である牛ふん以上の肥料成分が含まれている。

 事業所系の生ごみについては,東京農大の後藤教授ら4)が,堆肥化物を業種別に調査した結果を表2に示したが,窒素3.3~4.6%,リン酸1.2~2.6%,カリ0.9~4.6%であった。これは,乾燥鶏ふんと比べると,リン酸は半分以下ではあるが,窒素やカリはやや少ない程度であり,肥料効果が高いことがうかがえる。

 業種別に比べると,残飯類の多いホテルごみとレストランごみは,窒素>リン酸>カリであるが,スーパーごみと市場ごみは野菜屑が多くなるためカリ含量が高い。とくに野菜屑が中心の市場ごみは,カリが最も多く含まれている。また,生ごみは塩の害が心配されるが,ナトリウムや有害重金属含量もそれほど多くなく,農業利用上,まったく問題はない。

(3)生ごみの肥料効果

 生ごみ堆肥(ホテルごみ)の肥効試験を,東京農大が実施した事例を表3に示した。この試験は,対照として乾燥鶏ふんと化学肥料を使っている。ホテルごみおよび乾燥鶏ふんの施用量は,窒素無機化率から土壌中の無機態窒素生成量が化学肥料区と等しくなる量を施用している。

 ホウレンソウを圃場で栽培した結果,生育と収量には大きな差は認められなかったが,生ごみ堆肥区のビタミンCが特異的に多いという結果が出ている。この結果からみる限り,生ごみ堆肥は,鶏ふんや化学肥料と比べて遜色はなく,場合によっては品質が向上できる可能性があることを示している。

 生ごみの肥料効果は高く,使い方によっては化学肥料の代りとして使えることには間違いない。しかし,生ごみは製品のばらつきが多く,肉や魚の屑が多い生ごみ堆肥は肥料効果が高く,野菜くずの多い生ごみ堆肥は肥料効果が少なくなるなど,注意すべき点がある。この問題を改良するためには,多種類の生ごみを混合することや,家畜ふんなどの他の有機物と混合することである。

3.生ごみ堆肥の実用事例

(1)使用事例(F社)

1)実施事業所の概況

 F社川崎工場では1996年に堆肥化型装置を導入した。処理方式は,好気性高温菌による発酵であり,微生物脱臭装置を併設している(図2)。1日あたり,生ごみ430kg を投入し,24時間処理により95kgの堆肥を生産している5)。設置場所は,工場内の社員食堂の隣接地であり,専任作業者が維持管理し,毎日投入,毎日取り出しがなされている。

2)堆肥化における課題と対策

 生ごみ処理は,事前と事後の分別が極めて重要である。事前分別は,社員食堂であることから社員,食堂従業員の意識付け,教育を比較的容易に行うことができるが,小さな調味料の容器などの異物混入があるため,処理後にふるい作業を行っている。

 発酵の効率化のためには,事前に生ごみに含まれる水分の除去が重要である。厨房内で生ごみを集めた後,水切りかごで水切りをしている。

3)処理後の堆肥利用

 堆肥として農家への供給などを考慮して,川崎工場,小山工場のそれぞれで神奈川県,栃木県に「のびのびグリーン」の名称で特殊肥料として届け出を行っている。肥料成分は水分8%,窒素2%,リン酸0.5%,カリ全量0.7%である5)

 堆肥を有効活用するため,堆肥を農家に提供し生産された農作物を食堂で食材として使用することや一部を従業員に提供するシステムを考えた。小規模リサイクルシステムとして,川崎工場では近隣農家に堆肥を提供し,作物を買い上げて従業員に販売している。また,大規模リサイクルシステムとして特殊野菜生産組合と提携し堆肥を提供して生産物を社員食堂の食材として購入している。

(2)野木町と生ごみ堆肥生産

1)野木町の概要

 栃木県野木町(人口26,600人)は,1994年に「クリーンリサイクルタウン」の選定を受け,町全体がごみの減量化やリサイクル活動に取り組んでいる。

 「ごみ収集計画表」にもとづいて分別収集を実施しているが,とくに生ごみに関しては力を入れており,次の手順が指定されている6)

①生ごみをよく水切りをする。
②生ごみを新聞紙2枚以内で包む。
③町指定の「生ごみ収集袋」(紙袋)に入れる。
④名前を記入し集積所(ごみステーション)に出す。
⑤週2回の収集を行なう。

2)生ごみ堆肥化の方法

 堆肥化のフローを図3に示した6)

①分別収集された生ごみは受入検量後ピットに投入される。
②1回当たり1tの生ごみと発酵菌と水分調整材を調整装置に仕込み加熱攪拌する。
③3時間後発酵槽に取り出し,1か月間発酵させる。
④次に箱から取り出し適宜切返しを行ないながら2か月間熟成させる。
①熟成後,ふるいにかけて異物を除去し製品となる。

3)堆肥の利用

 資源化センターの堆肥製造部門は,特殊肥料製造者として県に届出し,製品名も「有機豊作」として登録されている。1994年には1,100tの生ごみから300tの堆肥が生産されている6)。この堆肥は,ごみ分別協力のお礼として町民に無料で配布され,町民は直接来て1人1回2袋(約14kg)まで持ち帰ることができる。1996年現在6,500名を超える引取り実績となっている。農業者は1回1t持ち帰ることができるが,量が少ないため申し込み制であり,数年に1tしか入手できない6)

4.おわりに

 家畜ふん尿の処理でさえ不十分な時代に,生ごみの農業利用は問題があると考えるかもしれない。しかし,生ごみは食品の屑や粕であるため,異物が混合しない限り安全であり,物質循環の意味からも農業生産にとって有用な資源に生まれ変わらせることが必要である。

 残念ながら現状では,利用者(農業者)にとっても「生ごみ」=「廃棄物」という感覚が強く,その素材の良さが理解されず,受け入れに抵抗を感じる問題がある。実際に,生ごみを利用した栽培を実施している多くの地域を視察したが,農業生産は安定しており,使用者の評判もよい。このような生ごみに対する誤解を解くためには,もっと多くの事例を重ねることが必要であろう。

参考文献

1)赤羽元(1999)圃場と土壌,31(10,11),p.6-10

2)農村生活総合研究センター編(1998)研究センターコンサルタントレポート,58,p.3-4

3)藤原俊六郎監修:家庭でつくる生ごみ堆肥(1999),p.12-24,農文協

4)後藤逸男(1998)圃場と土壌,352・353合併号,p.22-29

5)瀬畑章顕雄:農林水産研究ジャーナル,Vol.22,No.11(1999),p.24-25

6)佐々木健・長谷川哲夫・竹内大造:有機廃棄物資源化大事典(1997),p.405-415,農文協

 

 

2000年本誌既刊総目次

<1月号>
§新しい農業環境への対応
 チッソ旭肥料株式会社
 社長 太田 孝
§「農業と科学」通算500号記念号に寄せて
 農林水産省農産園芸局
 肥料機械課長 黒元 重雅
§「農業と科学」500号記念発行にあたって
 JA全農
 肥料農薬部長 岡本 英誠
§施肥と環境
 農林水産省 農業研究センター
 土壌肥料部長 伊藤 信
§被覆肥料の思い出
 農林水産省 北陸農業試験場 企画連絡室 企画科
 (前 農業環境技術研究所 資材動態部 肥料動態科長)
 主任研究官 古賀野 完爾
§畑作用新肥料の開発
 開発肥料株式会社
 技術顧問 早瀬 達郎
§新しい農業の時代
 財団法人 日本肥量検定協会
 理事長 藤沼 善亮
§資材革命と農法革新
 東北大学名誉教授
 庄子 貞雄
§「農業と科学」総目次
 昭和45年~平成11年(1970~1999)

<2月号>
§被覆肥料を用いたメロンの育苗時全量施肥法
 JA全農営農・技術センター肥料研究部
 藤澤 英司
§遺伝子組換え食品に関するアンケー卜の結果
 石川県農業短期大学 農業資源研究所
 島田 多喜子 大谷 基秦

<3月号>
§モモにおける被覆尿素肥料利用による効率的施肥
 山梨県果樹試験場 環境部 生理加工科
 研究員 古屋 栄
§水田における各種成分濃度の変動
 -水稲育苗箱内三要素全量施肥・農薬施用技術と慣行栽培の比較-
 農林水産省 北陸農業試験場
 水田利用部 土壌管理研究室
 主任研究官 中島 秀治
§「苗箱施肥法」についての諸感
 JA上北町指導課
 課長 田嶋 恒

<4月号>
§北海道の豊かな自然環境と調和した農業生産を展開するために
 北海道農業試験場
 副場長 前田 要
§全量基肥の植溝施肥がタマネギの生育・収量に及ぼす影響
 佐賀県農業試験場
 技師 甲斐田 健史
§越中富山売薬と農業
 -<上>農閑期利用の薬売り-
 作家 遠藤 和子

<5月号>
§野菜冬季栽培品目の生産性向上
 積雪地域における冬季間の軟弱野菜安定生産を目指して
 広島県立農業技術センター 高冷地研究部
 副主任研究員 田中 昭夫
§地形・地目連鎖系における窒素動態と窒素流出負荷の低減(1)
 静岡県農業試験場 海岸砂地分場
 主任研究員 宮地 直道
§土壌分析からみた土壌の現状と課題
 青森県十和田市農業協同組合
 農産担当 斗澤 康広

<6月号>
§北海道における被覆肥料入りBB銘柄の普及について
 ホクレン農業協同組合連合会
 肥料農薬部 技術普及課
 技師 長屋 貞夫
§「南郷トマト」の歩み
 福島県JA会津みなみ 西部営農センター
 近藤 一夫
§越中富山売薬と農業
 -<下>農業指導員として地域貢献-
 作家 遠藤 和子

<7・8月号>
§セルリーの土壌溶液診断による効率的施肥法
 静岡県農業試験場 土壌肥料部
 研究主幹 鈴木 則夫
§稲刈りの秋・株下に見える肥料を調べる
 -水稲育苗箱内三要素全量施肥・農薬施用技術-
 農林水産省 北陸農業試験場
 水田利用部 土壌管理研究室
 主任研究官 中島 秀治

<9月号>
§北国から見た肥料の違い
 北海道農業試験場畑作研究センター
 畑作研究センター長 西宗 昭
§被覆肥料を用いた畝内条施肥によるハクサイの施肥改善試験
 茨城県農業総合センター農業研究所
 土壌肥料研究室
 主任 池羽 正晴
§薬用植物栽培の現状と薬用植物園の役割
 富山県薬事研究所付設薬用植物指導センター
 副主幹研究員 寺西 雅弘

<10月号>
§歴史の中の肥料-グアノ物語1
 京都大学名誉教授
 高橋 英一
§被覆肥料を用いたピーマンの育苗ポット内全量基肥技術の確立
 長野県南信農業試験場 環境部
 研究員 宮下 純
§伝承民謡を育てた風土と農民歴
 (八尾町と越中おわら節)
 八尾町農業協同組合 副組合長理事
 八尾町文化協会理事長
 宮本 壽夫
§水稲における肥効調節型窒素肥料の全量越冬前施肥の効果
 宮城県園芸試験場 環境部
 研究員 佐藤 健司

<11月号>
§歴史の中の肥料-グアノ物語2
 京都大学名誉教授
 高橋 英一
§水稲の麦間不耕起直播栽培
 愛知県農業総合試験場
 安城農業技術センター作物研究室
 主任研究員 中嶋 泰則
§地形・地目連鎖系における窒素動態と窒素流出負荷の低減(2)
 静岡県農業試験場 海岸砂地分場
 主任研究員 宮地 直道
§被覆肥料を用いたイチゴ高設ベッド栽培
 栃木県農業試験場 環境技術部
 土壌作物栄養研究室
 技師 渡辺 修孝

<12月号>
§歴史の中の肥料-グアノ物語3
 京都大学名誉教授
 高橋 英一
§茶の収量・品質に及ぼす施肥の影響と窒素の溶脱
 高知県農業技術センター 茶業試験場
 専門研究員 西野 恒夫
§生ごみの堆肥化法とその実用例
 神奈川県環境農政部 農業振興課
 専門技術員 藤原 俊六郎
§2000年本誌既刊総目次