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第514号 2001(H13).01発行

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21世紀元年「知恵と工夫を」

チッソ旭肥料株式会社
副社長 柴田 勝

チッソ旭肥料株式会社
副社長 柴田 勝

 21世紀元年を迎え,例年になく心改まるお気持ちで新年をお迎えのことと思います。
 読者の皆様方におかれましては,本年が実り多い一年になりますよう心よりお祈り申し上げます。

 昨年の日本経済は緩やかな回復基調にあると報じられておりましたが,倒産件数に見られるように決して安定領域にはないと認識せざるを得ない感があります。昭和49年オイルショック時と同等の重油価格になっても円高のおかげで危機感は迫ってきませんが,日本経済は相当不安定な状況にあると思われます。経済の再生が着実に進むことを期待するものです。

 さて,昨年施行された「新農業基本法」に基づき平成22年に「食糧自給率」を45%に向上させる指針は具体的に麦や大豆などの転作が増加するなど目標に向かって第一歩を踏み出しました。しかし農業生産環境に目をやれば,お米が豊作だったことから今年も水田減反が拡大され110万haに達すること,セーフガード発令の要請が検討されるほどの生鮮野菜類の輸入が拡大し,水稲・畑作とも作付け面積の減少が必至と見られる厳しい情勢が続いております。肥料需要環境も循環型農業の移行も加わり,引き続き厳しい一年になるものと予想されます。

 これまで弊社は肥効調節型被覆肥料「LPコート®」「ロング®」,化学的緩効性肥料「CDU®」,泡状高度化成「あさひポーラス®」,園芸床土「与作®」,打ち込み肥料「グリーンパイル®」などを開発し,皆様方のご支援,ご要望を頂戴しながら特徴ある商品として育ててまいりました。今年はこれらの商品を一層リファインすると共に農業をめぐる新しい施策の展開や需要環境の変化は新しい技術を生み出す機会でもあると考えて,新商品開発に取り組む元年にしたいものと決意しております。

 「農業と科学」は皆様方のご支援のおかげで昨年発行30年を迎えました。新しい情報伝達の仕組みができあがろうとするIT元年にのぞみ,編集内容を一層充実させるべく工夫してまいりたいと願っております。皆様方からのご投稿,ご意見,ご批判をいただきながら進めてまいりますので,本年もよろしくご愛読いただきますようお願い申し上げます。

 

 

歴史の中の肥料-グアノ物語4

京郁大学名誉教授
高橋 英一

グアノの島が辿った運命

 Guano Islands Actが制定された1856年からグアノ熱がさめてしまった1903年の間に,合衆国の企業家達は大洋上に点在する94の小島や珊瑚礁(内3分の1はカリブ海に,3分の2は太平洋上にある)に対する専有権を政府に請求した。

 それらの中66は国務省によって一時的にせよ領有(appurentenance:主物である財産-ここではグアノ-に従属する権利,したがってグアノが採掘されなくなればその島に対する権利もなくなる)されたが,20余りについては実際にグアノは採掘されなかった。そして20世紀になるまでに大部分の所有権は放棄され,1903年に残っていたものは2ダースを割るに至った。

 グアノは窒素とリン酸を供給する最初の無機質肥料として合衆国に登場し,1850年台から60年台にかけて大需要期を招来した。それは偶然ゴールドラッシュの時期と重なっていたため,グアノラッシュと呼ばれた。

 しかし1888年に国内のフロリダでリン鉱石が発見されてからは,絶海の孤島でいろいろな障害を冒してまでグアノを採掘するメリットは次第にうすれていった(窒素質肥料としては南米チリからチリ硝石が入ってきた)。

 しかしグアノの採掘が行われなくなってからも,合衆国はなかなか島を手放そうとしなかった。現在なを合衆国は九つのグアノの島を保有している。つぎに,カリブ海と太平洋のいくつかのグアノの島が辿った運命について紹介する。

カリブ海のグアノの島が辿った運命

Navassa島

 Navassa島はHaitiの西方海上の,珊瑚礁に囲まれた広さ2平方マイルの小島である(図5)。Guano Island Actによって合衆国に領有されるようになった島の中で,もっとも長期間かつ大量に採掘が行われ,そして流血の暴動によって幕を閉じたグアノの島である。

 この島は,1858年BaltimoreのCooper兄弟によって採掘が始められたが,1864年に他の資本と合弁のNavassa Phosphate Co.が設立されてからは,大規模な採掘が行われるようになった。島はまとまった雨が少なく,石灰岩の上にわずかばかりの植生を支える薄い土壌があるだけで,人が住めるようなところではなかったが,会社は5万ドルの費用を投じて,採掘のためのいろいろな施設をつくった。そして1864年以降は常時180人の黒人(労働者)と30人の白人(職員と技術者)を雇用するに至った。

 あとで分かったことだが島での白人による黒人労働者の酷使は甚だしく,両者の関係は年とともに険悪の度を増していった。そしてついに1889年9月14日早朝,暴動が起こった。これは夜になるまで続き,白人の中で最も憎まれていた5人が殺害された。

 翌日日,その知らせはジャマイカのアメリカ領事のもとに届いた。近海にアメリカ軍艦がいなかったため,アメリカ領事の要請を受けたイギリス軍艦が,9月20日にNavassaに到着した。そして生き残っていた白人全員と白人に加担した黒人3人を保護し,ジャマイカのアメリカ領事のもとに送りとどけ,領事は彼らをBaltimoreに送還した。

 10月4日になってアメリカ北大西洋艦隊の司令官がNavassaに到着し,島に残されていた黒人の取調を行った。その結果暴動の首謀者と思われた黒人6人を逮捕し,それと証人として3人の黒人を艦に収容した。残りの124人の黒人は,折からグアノを運ぶために到着した2隻の帆船に乗せ,Baltimoreヘ向かった。

 11月19日,連邦大陪審がBaltimoreで開かれた。裁判は翌1890年2月15日結蕃し,20日,殺人罪として起訴された17人の中3人に絞首刑,14人に10年から2年の懲役重労働が,そのほか暴動の罪で23人に2年から6ヶ月の懲役が言い渡された。

 絞首刑は翌月の3月28日に執行される予定であったが,被告弁護人側の最高裁への上告によって延期された。それはNavassa島の事件に対する合衆国の司法権行使の合憲性についてであったが,11月最高裁はこの上告を棄却した。

 そこで弁護団はさらに刑の執行猶予を求める請願を大統領にした。また市民からも恩赦を求める署名が集められた。丁度そのころNavassa島から一通の手紙が,大統領Harrisonの下に届いた。それはWashington,D. C,から島にきたCarterという黒人が契約期間が過ぎても帰ることができず,奴隷のような状態に置かれているので救い出して欲しいというものであった。

 大統領はNavassa島の実状を調べる必要があると考え,海軍長官にそれを命じた。1891年4月29日,調査隊は島に到着し,Carterの訴えの正しさを認めるとともに,労働者の管理は刑務所なみであり,このままでは暴動は何度も起こるであろうと報告した。

 5月14日New York TimesはCarterの大統領宛の手紙を掲載し,「合衆国の旗の下における奴隷の存在」(南北戦争の結果,1865年12月18日奴隷制廃止が宣言されたにもかかわらず)を報じた。

 このような状況の変化の下,大統領はNavassa島の事件の責任は会社側にあると判断し,絞首刑を宣言された3人に恩赦を与え,終身刑に減刑した。

 悪評を被ったNavassa Phosphate Co. はその後労働者を集めるのに苦労したが,グアノの採掘は米西戦争の勃発した1898年4月まで続いた。同年12月戦争は終わったが。会社はもはや採掘を再開しなかった。島のグアノの大部分は掘り尽くされた上,本土(フロリダ)産のリン鉱石との競合が激しくなり,もはや採掘を続けるメリットがなくなったからである。1900年9月,会社の資産は競売に附され,1901年6月島から全員が退去するにおよんで,Navassaはグアノの島としての歴史を閉じた。そしてこれがグアノラッシュの終わりでもあった。

 Guano Islands Actによれば,Navassa島に対する合衆国の主権もまた消滅したはずである。しかしその後も合衆国は,領有を主張するHaitiの度々の抗義を受け付けず,開通したパナマ運河(1914年8月)を航行する船舶のための巨大な燈台を島に建設した。そして今日なを領有権についてHaitiと論争中である。

Swan諸島

 Great SwanとLittle SwanからなるSwan諸島は,HondurasとCubaの中間のカリブ海に浮かぶ,熱帯植物の繁茂する面積併せて4平方マイルほどの小島である(図5)。

 1857年Atlantic & Pacific Guano Co. がグアノ採掘権を獲得して以来,所有権は転々としながらも1904年までグアノの採掘は続けられた。その後採掘は行われなくなったが,それにもかかわらず合衆国は半世紀以上にわたって島を利用し続けた。これはHondurasと島の領有権をめぐる紛争を引き起こした。

 たとえばGreat Swanに気象庁は1914年に測候所を,海軍は1918年に貯炭所を,農務省は1946年に口蹄病予防のため家畜倹疫所を設けたが,世界的に有名な事件に発展したのはCIAによる放送局の設置であった。

 1960年, Gibraltar Steamship Corporationと名乗るCIAの隠れ蓑の会社が,中米のほぼ全域とCubaの西部をカバーできる大出力の放送施設を建てた。これに対してHondurasは直ちに島の主権に対する侵害であると抗議し,Castroは国連でヤンキーどもはHondurasの領土を奪い,そこでCuba侵攻のために兵士の訓練をしていると非難した。

 一方CIAの放送局”Radio Swan”は,”Havana Rose”という名で知られるCubaからの亡命女性による放送(”Radio Free Cuba”)を開始した。彼女はCastroを独裁者と非難し,連日Castro打倒をあをった。

 1961年4月17日早朝,Radio SwanはCubaの地下組織に,アメリカで訓練を受けた亡命者達がCuba解放のためPigs湾に侵攻したという暗号放送を行った。しかし上陸は失敗に終わり,作戦は直ちに中止されたことは放送しなかった。その後Radio Swan はRadio Americaと名を変え,1963年まで反Castro放送を続けた。

 1969年大統領Nixonは,Swan諸島をめぐるHondurasとの争いに終止符をうつよう国務省に指示した。交渉の結果,合衆国はSwan諸島に対するHondurasの主権を認めること,島にある気象観測と遠距離通信の施設は両国が共同管理することで合意し,条約は1972年9月1日に発効した。

 こうして合衆国はSwan諸島に対するHondurasの主権を認めたが,CIAの関与は1988年のはじめまで続いた。CIAはNicaraguaの”Contra”を支援するために物資や武器を本土からこの島ヘ運び,そこからNicaraguaヘ空中投下していた。しかし議会がこの「プロジェクト」の予算をカットしたため,対空ミサイルを含む何トンもの積み荷が島に置き去りにされた。その後どうなったかは不明のままである。

太平洋のグアノの島が辿った運命

Johnston島

 第一次世界大戦後合衆国は,太平洋における自国の権益を守る戦略を練りはじめた。それは力を増してきた日本が南太平洋の島嶼をドイツから獲得したため,極東の領土Philippnesとの連絡が脅かされる危険性を感じたからである。そこで浮かび上がったのが,Guano Islands Actによって太平洋上に保有していた島嶼の新しい利用である,その例のーつとしてJohnston島の変還を紹介する。

 Johnston島は中部太平洋のホノルル南西1100キロメートルに位置する,珊瑚礁に囲まれた広さ40エーカーほどの島である(図5)。1858年,Pacific Guano Co. によってグアノの採掘がはじめられ,1892年頃まで続けられた。

 1926年には農務省により野生動物保護区が設けられたが,1934年に管轄は海軍に移され,1939年ころから軍事基地化が始められた。環礁に囲まれた水面は埋め立てられ,滑走路や兵舎や地下の病院などの施設がつくられ,完成時には島は当初の4倍の160エーカーの広さになった。

 1941年12月7日の日本軍の真珠湾攻撃の8日後,Johnston島は日本潜水艦の砲撃をうけた。戦争中,島は潜水艦と航空機の給油基地として重要な役割を果たし,終戦時には76機の陸上機,13機の水陸両用機と約1200の兵員を擁していた。

 第2次大戦後島の戦略的価値は無くなったが,そのまま軍の保留地として留まった。1948年島の管理は海軍から空軍に移され,核実験の司令センターの役割を務めた。1970年陸軍は島の一部を借りて,沖縄にあった化学兵器をここに移した。一方このころ空軍は,ベトナムで使った枯れ葉剤Agent Orangeの貯蔵をはじめた。これは1977年に焼却されたという。

 1973年,島の管理責任は空軍から国防省の核防衛局(Defense Nuclear Agency)に移管されて核兵器全般に関する業務を行うことになり,10億ドルの予算で核兵器のmonitorをする施設が建設された。

 1983年,議会は島に化学兵器処理システムを設置することを認め,神経ガスを含む13,000トンの化学兵器が集められた。議会は1997年までに全化学兵器の処分を命じ,38億ドルをかけて9つの焼却装置がつくられた。1990年にはヨーロッパの冷戦が終結したため,陸軍はサリンとVX神経ガスの入った10万発の砲弾を処分するために島に移送した。

 太平洋のど真ん中に「世界中の有害物の処理センター」ができたことに,South Pacific Forum加盟国は大いに怒り合衆国に抗議した。これに対してBush大統領は,処理は安全に行われることを明言し,処分後は二度とこのような目的に島を使わないことを確約した。

 そもそも合衆国の農業生産性を高める妙薬のグアノを供給する島であったものが,このように危険な核兵器や化学兵器の保管や処分を行うところになったことはまことに皮肉である。

グアノラッシュの歴史的意義

 合衆国にもたらされ,またたくまにひろまった最初の「商品肥料」であったグアノは,農民に科学的な農業技術を学ばせ,生産性を上げ,収入を増し,農民を政治的に目覚めさせもした。農民達はより安価にグアノを入手できるように政府に圧力を加えた。その結果1856年にGuano Islands Actが制定された。そして6年後の1862年には,農業を擁護する政府機関USDA(合衆国農務省)が創設された。

 反面グアノラッシュを契機として私企業に対する公的援助は日常のこととなり,laisez faire(自由放任)が合衆国の経済政策であるとはいえなくなった。議会が,国に代わって市民に領土要求を行わせるような道(Guano Islands Act)を開いた例も世界の歴史にはない。グアノラッシュは「政府に助けられた個人主義の精神(a spirit of governmentally assisted individualism )」を育てたが,これらのことは,これまで合衆国の歴史の中で見落されていた。ここに合衆国に起こったグアノラッシュのもつ歴史的意義がある。

 

 

施設軟弱野菜の持続的安定生産のために

富山県農業技術センター
野菜花き試験場 野菜課
課長 松本 美枝子

はじめに

 施設園芸では,作付け回数が多いため肥料及び有機物が多量に施用され,さらに土壌が乾燥気味に推移するため,露地園芸に比べ作土中に肥料成分が集積しやすいことはよく知られている。肥料成分集積土壌で栽培した作物は,収量や品質が劣ったり,過剰症や微量養素欠乏症が問題になる場合がある。

 稲作に特化した本県では,転作率の増加・米価の低迷から,水稲用育苗施設を用いた軟弱野菜の栽培が増えている。これら施設の多くは,作物が栽培されないまま経過したため,多量の有機物及び土壌改良資材による土壌理化学性の改善がなされてきた。こうした対応には,一定の効果が認められたが,近年になり,収量や品質の低下を訴えるケースが増えてきた。

 そこで500㎡以上の施設を有し,年間3回以上軟弱野菜を栽培している生産者60 名を選抜し,収穫期にある土壌及び軟弱野菜を採取して,土壌中の肥料成分蓄積の実態を調査した。なお調査は1998年8月上旬に,施肥に関する聞き取り調査も併せて行った。その他の補足試験は,1996年から3年間にわたって行った。

現地の実体

 調査した生産者の軟弱野菜平均栽培歴は11年で,年間作付け回数は4回であった。施設土壌への有機物の年間平均施用量は5t/10aで,その大半が牛糞堆肥であった。さらにpH調整資材(消石灰もしくは苦土石灰)が100kg/10a作,窒素,リン酸,カリがそれぞれ13kg/10a作程度施用され,地域によっては,リン酸資材(70kg/10a/年)も施用されていた(表1)。

 調査土壌の,平均ECは0.8mS/cm と高く,その他肥料成分濃度も,農水省農産園芸局農産課が示す土壌管理基準及び静岡県が示す施設土壌改良基準に比べ著しく高い実態が明らかとなった(表2)。

基準値とは(ホウレンソウの例)

1 土壌中の肥料成分濃度とホウレンソウの肥料成分吸収濃度の関係

 土壌の基準値は,もともと土壌中の肥料成分が不足し,生育が良好でなかった時代に,改良のための目標値として設定されたもので,肥料成分が過剰に蓄積した土壌の場合の位置づけは必ずしも明らかではない。

 そこで,ホウレンソウを例にその対応を考えてみた。まず,K2Oの場合は70mg/100g d.sまで,MgOの場合は60mg/100g d.sまでは,土壌中の濃度が高いほど植物体中の吸収濃度も上昇した。しかし,土壌中の濃度がそれ以上高くなっても,ホウレンソウの吸収濃度は上昇しなかった(図1)。このことは,土壌中の交換性塩基を上記の濃度以上に高く(施用)する必要がないことを示している。

2 K2OとCaO+MgO吸収の関係

 次に,土壌から吸収したこれら肥料成分が全て栽培作物に有効であるかどうかをホウレンソウを例に検討した。Kの吸収濃度については,図2に示したとおり,高くなるほどCa+Mg吸収濃度が抑制される傾向にあった。こうした拮抗作用は,微量要素との間にも認められる。すなわち特定養分を吸収しすぎた場合,他の養分吸収が阻害される場合もあることから,吸収の可能限界が土壌養分適正濃度とはならないと言えた。

 以上のことから考えて,現在の基準値(表2)は,肥料成分過剰蓄積土壌においても,これ以上施用する必要のない基準値(目安)となりうると考えられた。

どのようにして土壌中に肥料成分がたまったか

1 土壌中の肥料成分蓄積は多量の水でもリセットできない

 こうした土壌診断基準が存在するにもかかわらず,実際圃場で肥料成分の蓄積が進行している理由は幾つかある。

 まず,第1には,自然降雨もしくは多量の灌水によって,土壌中の肥料成分蓄積をリセットできるとする考えが定着していることである。本県においても冬期間(積雪時)のハウスビニール除去により,除塩(リセット)が行われていると考えられ,その後も減肥することなく慣行の土壌管理が行われている。そこで,冬期間の降水量(約600mm)による除塩効果を,CECが12(中粗粒灰色低地土)及び30(細粒質灰色低地土)の地域で,調査した。その結果,両地域とも,冬期間雨ざらしにしても,硝酸態窒素濃度以外の交換性塩基及び有効態燐酸は,処理前とほとんど変わらない(流亡しない)ことが明らかとなった(図3)。降水量600mmといえば,尾鷲等特殊な地域を除けば,最も雨の多い季節の2~3ヶ月間の降水量に相当する。

 以上のことから,施設土壌中の肥料成分蓄積を,多量の水によってリセットされるとする考えは誤りであり,この誤った考えに基づく土壌管理が肥料成分蓄積を助長してきたと考えられた。

2 有機物には肥料成分が含まれていることを考慮する

 第2に考えられることは,有機物の多量施用である。有機物の施用が土壌物理性改善に有効であることはよく理解されているが,各種肥料成分が含まれていることはあまり理解されていないようである。このことは,肥料成分含量を評価して減肥につなげることがなかったことから推察した。したがって,肥料や地力増強資材の他に,有機物施用によっても肥料成分が持ち込まれ,軟弱野菜に吸収され収穫物として持ち出さず残った(差し引き)肥料成分が土壌中に蓄積したと考えられる。

 本調査においても,肥料成分収支は図4に示すとおり,全ての成分について,持ち込み量が持ち出し量を上回っていた。さらに,化成肥料や牛糞堆肥の成分組成と軟弱野菜の肥料成分吸収割合が大きく異なることが特定成分が蓄積する要因となったと推察された。

 以上の通り,多量に施用された有機物が,知らないうちに土壌中の肥料成分蓄積を助長してきたと考えられた。

肥料料成分のたまった土壌の管理方法

 実際栽培の場面では,基準値を著しく上回る肥料成分を含む土壌が多いことは先にも述べたとおりであるが,現状では,作物が若干作りにくくなる程度で,著しい障害は認められていない。しかし,これまでと同様の管理を続けると,障害が発生する可能性はきわめて高い。

 そこで,土壌診断により何がどの程度のスピードで蓄積しているか,また,栽培作物の収穫による持ち出し量と有機物や肥料による持ち込み量の差がどの程度なのかを知った上で今後の土壌管理方法を決定する必要がある。なお,土壌珍断の結果,過剰成分と不足成分が混在している場合,有機物や化成肥料で不足成分を補おうとすれば,必ず過剰成分の蓄積を助長するので,単肥を用い,不足分だけを施用する必要がある。

 実際場面では,窒素だけを施用すれば作物が作れる施設土壌が多いと考えられるが,窒素だけを施用して作物を栽培することに対する生産者の抵抗感は想像以上に大きかった。そこで,本試験では,肥料成分が過剰に蓄積し,しかも塩基バランスが乱れた2カ所の施設で,窒素(LP30のテープ封入肥料)以外の成分を施用せずにホウレンソウを2年間にわたり8作した。その結果,収量,土壌及び植物体中の肥料成分合量は,表3及び4に示したとおり,8作前とほとんど変わりなかった。このことから,過剰成分は施用しなくても軟弱野菜の収量・品質は確保できると考えた。

まとめ

 土は,人類にとって大切な資源であり,生産者にとっては貴重な財産である。この土を長く適正な状態で維持する必要性については言うまでもない。また,生産者にとって,有機物施用により,土壌を膨軟にしたり,通気性をよくしたり,保水性を高めることは財産に付加価値を付けることであり,好ましい行為である。しかし,今回の調査の結果,こうした目的で施用された家畜糞尿堆肥中の肥料成分含量を無視したことが,肥料成分蓄積の大きな要因であることが明らかとなった。また,土壌管理上のミスを元に戻すリセットボタンも実際には存在しなかったことから,土壌診断に基づく日頃の適切な土壌管理が資源及び財産を守る唯一の手段といえる。

 平成12年度10月から市販有機物中の肥料成分表示が義務づけられ,肥料成分評価が容易になる。こうした情報が得やすくなった現在,家畜糞尿堆肥も良質な肥料の一つになりうる。これを契機に有機物を上手に用いて,資源及び財産としての土を大切に使っていきたいものである。

 

 

温州ミカンの葉面散布による窒素吸収

静岡県柑橘試験場 西遠分場
主任研究員 吉川 公規

1.はじめに

 温州ミカン栽培では,高品質果実を生産するために樹体に乾燥ストレスをかける場合が多くみられます。その上,シートマルチ栽培では,秋肥を施用しない場合もあります。また,ハウス栽培でも着色遅れの心配から,開花期以降の施肥はほとんど行われていません。このため,園地によっては樹勢低下を引き起こす場合も見られます。

 しかし,栄養診断で欠乏が明らかになっても施肥できないことから,葉面散布を用いる場合があります。通常の栽培方法でも樹勢低下を防ぐために,葉面散布が行われています。葉面散布は通常の作業と同様に一般化してきているといえます。防除時に混用して行える場合が多いことから,施肥というよりも防除作業の一貫として防除暦に記載されている地域もある状況です。

 このように葉面散布による養分補給は一般的になってきましたが,果樹は樹体が大きいこともあり,影響や効果などに不明確な点も多くみられます。そして,どんな成分を葉面散布に用いるかで異なってきます。

 ここでは,静岡県柑橘試験場と農林水産省果樹試験場が重窒素を用いて行った共同研究の試験結果を中心に,温州ミカンの葉面散布による窒素吸収について説明します。

2.葉面散布窒素の吸収

(1)窒素資材の種類による吸収の違い

 葉面散布には各種の資材が使われています。静岡県経済連がまとめた取り扱い資材一覧でも,果樹以外で使用されるものも含めて数十種類も掲載されています。資材の成分をみると,N,P,K他には微量要素等も含んでいるものが多くみられます。これらを窒素の形態の形態別にみると,アミノ酸や無機資材を混合したものもみられます。

 いままでの試験例では尿素に関するデータは多いのですが,その他の資材に関するデータは少なくなっています。特にアミノ酸についてはほとんどありません。そこで,4種類のアミノ酸と2種類の無機資材および尿素の合計7資材について,窒素吸収を比較してみました(図1)。

 その結果,新葉での寄与率は尿素がもっとも高く,3日後でほぼピークの約1.8%となりました。一方,アミノ酸4資材中ではリジンがもっとも高い寄与率でしたが,尿素より低く,硫安と同じ程度でした。このため,尿素は他の資材より吸収が速く,しかも吸収量も多いと考えられます。

 旧葉でも,新葉と同じく尿素の寄与率が高く,6時間後に約0.9%になり,3日で約1.2%とほぼピークとなりました。新葉よりも低い値でしたが,資材による寄与率の傾向は,新葉と同じでした。

 直花と幼果での寄与率も,葉と同様の傾向です。ただし,尿素,硫安とも30日後にかけて高まる傾向がみられたことから,葉から移行した窒素により寄与率が高まったとも考えられます。

 これらの結果から推定すると,散布30日後の資材別窒素吸収率は,尿素が58%,硫安24%,硝酸カリ22%,リジン20%となりました。

(2)時期による吸収の違い

 葉面散布は様々な時期に行われています。そこで,散布時期による窒素吸収の違いを比較してみました。その結果は,新葉の緑化前の5月がもっとも高く,ハウス栽培の開花期散布も同程度でした。時期別の窒素吸収は,5月≧ハウス>12月>3月となりました(図2)。寄与率でみるとハウス栽培では葉中窒素含有率が高いため,12月処理と同程度の値でした。発芽後の葉令を考えると,若い葉の方が吸収の多い傾向となりました。ただし,吸収には処理時の気温も影響していると考えられますので,ハウス栽培の時期別に比較した場合は,異なることも考えられます。

(3)繰り返し散布の効果

 葉面散布は防除と同時に行えることから,何回も繰り返し行われる場合があります。農家によっては,ほとんど全ての防除に混用している例もみられます。そこで,複数回の散布で窒素吸収がどう増えるか,また,同じ回数でも濃度の影響はどの程度か,を検討してみました。処理は濃度0.5%では散布1,2,3,5回の4区を,0.2%では散布1回と5回の2区を設定しました。散布間隔は7日とし,最後の散布がサンプリングの7日前になるように行いました。

 0.5%の1回~5回散布の寄与率にみられるとおり,散布回数が増えるほど寄与率が高くなりました(図3)。散布濃度では,0.5%と0.2%の同じ散布回数で比較すると0.5%の方が高くなりました。そして,0.5%の2回散布と0.2%の5回散布は,ほぼ等しい寄与率でした。処理により散布した尿素量を寄与率と比較すると,高い相関を示しました。

 これらのことから,尿素は散布するほど,また濃くするほど,多く吸収され窒素補給効果は高まると考えられます。部位別では,旧葉<新葉<果実に寄与率が高くなる傾向でした。ただし今回の試験の範囲では影響は認められませんでしたが,散布濃度や回数によっては薬害の心配もありますので注意が必要です。

3.吸収窒素の動態

(1)吸収窒素の移行・分配

 いままで述べてきたように,尿素の吸収速度は速く,寄与率でみると3~5日後程度でピークを示します。ただし,その時に葉に存在する重窒素を測定しているだけでは,吸収後に他の部位ヘ移行している場合には真の吸収量とはなりません。このことから,吸収されて間もない窒素の移行をみるため,着果枝の中位葉に重窒素資材を塗布し,窒素の吸収と他の葉や果実への移行を調べてみました(図4)。なお図では中位葉から枝先の葉を先葉,基部側の葉を元葉と表記しました。

 この結果,処理葉の寄与率は散布5日後で低下しましたが,他の葉や果実への移行は認められませんでした。開花期や12月,3月ハウス栽培の開花期の不着果枝でも同じ傾向でした。これらのことから,葉面散布で吸収した窒素は5日程度までは吸収した葉に溜まっていて,他部位への移行にはもう少し時間がかかると考えられます。

 そこで,3月と5月に尿素の葉面散布を行い,各々1ヶ月後に樹を解体し,葉面散布窒素の吸収とその後の分配について調べました(図5)。

 3月散布では新葉がまだ展開していませんので,葉面散布窒素を吸収するのは大部分が旧葉です。しかし,1ヶ月後の器官別の寄与率をみると,花や新葉で高い値を示しており,旧葉で吸収された窒素が新生器官に移行していることが判りました。吸収した窒素の総量からみると,旧葉に残っているのは46%で,吸収した窒素の54%は他部位ヘ移行したと考えられます。果実(花)や新葉などの新生器官の方が,移行してきた量が多く約35%でした。根にも移行は認められましたが,約5%と地上部に比べると低い値でした。

 5月散布では,新葉は吸収窒素の41%と,旧葉の24%よりも多くなりました。これは新葉における吸収だけでなく,旧葉からの移行も影響したと考えられます。ただし,根への移行は3月散布と同様に少ない値でした。

 これらの結果から,地上部と地下部に分けて考えると,いずれも吸収した窒素の大部分は地上部に溜まり,地下部への移行は少ないと考えられます。これは,この時期の施肥窒素の分配と同じ傾向です。ただし,器官別にみると,旧葉での存在割合が高くなっており,根から吸収し分配される場合と違い,吸収した旧葉にも溜まりやすいと考えられます。

 また,グルタミン酸の散布でも,吸収窒素の分配については同じ傾向がみられました。

(2)葉内での吸収窒素の代謝

 枝の葉別処理試験で5日程度の短期間では,吸収した葉からの転流移行は少ないことがわかりました。これは,葉の中で吸収された尿素がアンモニアや硝酸,アミド,アミノ酸のような転流しやすい形態からタンパク質などに代謝されているためと考えられます。そこで,吸収された葉の中での窒素の代謝を調べるため,採取した葉をエタノール可溶性画分と不溶性画分に分画し,吸収された窒素の動きを調べました。

 その結果,可溶性画分では処理6時間後がもっとも高く,その後減少しました。不溶性画分は次第に増加し3日後では可溶性画分と同じ寄与率となりました。エタノール可溶性画分には無機態やアミノ態が,不溶性画分にはタンパク態の窒素が存在すると考えられます。このことから,吸収された窒素は吸収直後に無機態からアミノ態,タンパク態へと代謝され,3日後で吸収量の80%以上がタンパク態に代謝されると考えられました。葉では吸収された窒素は無機態やアミノ態で存在する量が少ないことから,吸収後数日では他部位への転流移行が少ないと考えられました(図6)。

 グルタミン酸は,尿素と異なることも考えられましたが,吸収量が少なく判別できませんでした。

4.おわりに

 今回の試験では,吸収した窒素が葉や樹に与える影響については検討しませんでした。このことは今後の検討が必要です。また,施肥した窒素と代謝や移行の違いを検討する必要もあると思われます。