§ネギの窒素全量基肥施用技術
富山県農業技術センタ一
野菜花き試験場 野菜課
主任研究員 西畑 秀次
§歴史の中の肥料-グアノ物語5
京都大学名誉教授
高橋 英一
§環境にやさしい農業の推進をめざした水稲苗箱全量施肥の現地適用
鳥取県経営指導課専門技術員室
農業専門技術員 宮田 邦夫
富山県農業技術センタ一
野菜花き試験場 野菜課
主任研究員 西畑 秀次
富山県では,ネギの周年栽培が行われており,その中の春まき夏秋どり(8~9月収穫),春まき秋冬どり(10~12月収穫)が主要な作型である(表1)。これらの作型は,梅雨や夏の高温期に圃場で栽培するため,追肥や土寄せ等の管理が適期に行えないことがある。また,ネギ栽培では通常,土寄せ時に追肥を行うため,断根後の高窒素濃度による病気の発生が懸念される。そこで,肥効調節型肥料を用いて,定植時に全量施用する方法を検討し,追肥を省略した施肥技術を開発した。

ネギの生育適温は15℃~20℃(山崎ら,1998)(図1)であり,春まき夏秋どりの場合,定植後5~7月まで適温となり,生育後半に高温期になる。春まき秋冬どりの場合,定植直後と生育後半に適温となり,生育中期は高温期となる(図2)。


各々の作型における窒素吸収量を調査すると,春まき夏秋どりでは生育前半の窒素吸収量が旺盛となり,生育後半にはやや緩慢となった(図3)。また,春まき秋冬どりでは高温期の窒素吸収量が緩慢で,9月から窒素吸収量が旺盛となった。これらのことは,気温に対するネギの生育反応とパターンが一致した(図4)。


各作型のネギの生育特性に合わせた窒素供給を行う肥料について検討した。春まき夏秋どりに用いる肥料は,被覆尿素LP40とLP140を1:3で混合した肥料(以下夏秋取り用被覆尿素)を,春まき秋冬どりに用いる肥料は,被覆尿素LP30とLPS120を1:3で混合した肥料(以下秋冬どり用被覆尿素)の溶出特性を調査した。夏秋取り用被覆尿素は,施用後前半は安定して供給し,後半はやや緩慢となった(図6)。秋冬どり用被覆尿素は,施用後LP30が溶出し,夏季の高温期は溶出せず,8月後半からLPS120の溶出が始まることが示された(図7)。これらはネギの窒素吸収パターン(図3,4)に相似した溶出パターンが得られた。


夏秋取り用被覆尿素については,定植溝への条施用での施用量を,秋冬どり用被覆尿素については,施用方法と施用量について検討した(図5)。なお,燐酸,加里は,別途全層施用した。夏秋どり用被覆尿素については,慣行の50%(10アール当たり窒素成分で10kg)の施用量を植え溝に施用することで慣行並の収量が得られた(表2)。


また,秋冬どり用被覆尿素については,全層施用では慣行の80%(10アール当たり窒素成分で16kg),植え溝への条施用では慣行の50%(10アール当たり窒素成分で10kg) の施用量で慣行並の収量が得られた(表3)。

また,夏秋どり用被覆尿素及び秋冬どり用被覆尿素を使用することで,生存株率の向上が見られた(表4)。

以上のように,被覆尿素をネギの生育にあわせて混合したものを施用することで,全量基肥栽培が可能であった。また,窒素施用量を全層施用では慣行20%,条施用では慣行の50%削減が可能であった。このことから,施肥窒素の利用率が向上し,環境負荷の低減が期待できる。
近年,環境保全上の問題から低投入型農業技術に関する取り組みが各地で行われている。しかし,品種や作型,土壌条件により技術の応用が必要である。そこで今後,作物の種類,品種や土壌の機能を考慮するとともに,高齢化に対応した省力技術を組み入れた技術開発が望まれる。
1)山崎ら(1998)ネギの花成における炭素及び窒素栄養とその動態(第1報)ネギの光合成特性について.園学雑67別2:116
京都大学名誉教授
高橋 英一
1850年台から60年台にかけて,アメリカで異常なグアノブームが起こった。これは時を同じくしてカリフォルニアで始まった「ゴールドラッシュ」になぞらえて,「グアノラッシュ」と呼ばれた。ブームは19世紀末には終わったが,アメリカが海外ヘ領土拡張に乗り出すきっかけをつくるなど,多くの影響をあとに残した。南海の孤島に堆積した鳥の糞が,何故このようなインパクトをもたらしたのか,これからそれについて考えてみたい。
19世紀は肥料鉱物資源が相次いで発見され,作物へのN,P,K,の供給が,有機物依存の束縛を脱した時代であった。すなわち19世紀前半のグアノ,チリ硝石(中南米),後半のカリ鉱石(ドイツ),リン鉱石(北米)の発見である。*1 その中でPとNの2成分を含んだグアノは,とくに顕著な肥効を現したであろう。
これらの肥料鉱物資源の導入に先立つ18世紀後半,ヨーロッパとくにイギリスでは骨粉の肥料価値が注目を浴び,リンの肥効を高めるために硫酸で処理した過リン酸石灰が登場したが,この背景には耕地にリン不足が広がっていた可能性がある。
18世紀までのヨーロッパの農業は,輪作方式の改良を中心に地力の維持向上を図ってきた(図6参照)。栽培の過程で土壌中にあったN,P,K,は作物によって吸収され,収穫物とともに耕地の外に持ち出される。またこれらの養分は,雨によって溶脱あるいは流亡する。したがって失われた養分を補給しなければ,地力が衰え生産性は低下する。

そのため収穫物を利用後,土壌から持ち去られた養分を堆厩肥や屎尿などの形で耕地に返すことが一般に行われてきた。しかしこの場合PはN,Kに比べて戻りにくい傾向がある。何故なら作物の利用者である人間も家畜も脊椎動物であるため,食物や飼料中のPは骨の中にリン酸カルシウムとして固定されてしまうからである。
そのPの量は,例えば生体重200キログラムの大型家畜300頭で1トン近くになる。このようにして骨の中に固定されてゆくPは長年の間には少なからざる量になるが,それは18世紀に骨粉肥料が登場するまで,耕地に返されることはなかった。*2
これに対して,Nは大気中の窒素ガスが空中放電によって酸素ガスと結合して硝酸となり,雨に溶けて地表にもたらされ,また土壌中の窒素固定微生物によってアンモニアに変えられる。その量は,海への溶脱と大気への脱窒による損失にほぼ見合うと推定されている。*3 Pの場合このような天然供給は期待できないので,相対的にP不足になり易いと思われる。
地球上の物質はすべて重力の作用を受ける。陸地の養分も高所から低所ヘ移動し,最終的には河川等によって海ヘ運び去られる。
一年間に河川によって海ヘ運ばれるPの量について次のような推定がある(R. W. Howarth et al:Transport to and processing of P in nearshore and oceanic waters,p324 in Phosporus in the Global Environment. John Wiley & Sons 1995による)。
粒子状P2000万トン*+溶存P100万トン=2100万トン
*懸濁物量17.5・1015g/y×懸濁物のP含有量1.15mg/g
一方陸地の土壌中に含まれているPの量として,1.6・1011tという推定値がある。この値を一年間に陸上から失われるPの推定値2.1・107t/yで割ると0.8・104y,すなわち現在土壌にあるPは8000年で海ヘ流れ去ってしまう計算になる。
陸上では岩石の風化による新たな土壌生成があるものの,土壌のP肥沃度は徐々に低下してゆく傾向にある。その一方海底には莫大な量のPが堆積してゆく。*4
それにもかかわらず陸上の植物生態系が繁栄し続けていることは,海からPの供給があったことを示唆している。ではこの重力の反対方向へのPの輸送は,何によって行われているのだろうか。
海水中のPは先ず光合成を営む植物プランクトンによって取り込まれる。しかし光の届かない深海部にあるPは利用されない。そのため外洋の光合成が可能な有光層(水深100メートル以内)のP濃度は20ppb以下と深海部より著しく低くなっている(図7)。

これに比べると,河川による栄養塩の供給がある沿岸部や,湧昇流によって深海部にあった栄養塩が表層に運ばれてくる海域のP濃度は数倍高い。それを反映して単位面積当たりの年間一次生産量は,大洋域に比べて沿岸域,湧昇域で著しく高くなっている。表1に見られるように,湧昇域は全海洋面積の0.1パーセントに過ぎないが,魚類の総生産量の半ばを占めている。

海水中のP(0.04 ppm)は,植物プランクトン(P:0.4%)によって10万倍に濃縮され,これを捕食する魚類(P:1.8%)によってさらに 5倍近く濃縮される。この魚を海鳥が捕食し,魚に含まれていたPは営巣する岩礁上に排泄され,グアノ(P:5~10%)として堆積する。
こうして海の中にあったPは陸上へもたらされるが,この反重力方向ヘPを運ぶ原動力は湧昇流と鳥の飛翔力である。
鳥の飛翔力はまた,陸上でPを低地から高地ヘ運ぶのにも寄与している。熊沢蕃山はその著「大学或問」の中で,空を飛翔することのできる鳥の糞の助けを借りて,禿山に樹々を増やすことができると次のように説いている。
「草木なき禿山を林となす事あり。谷峯の広さによりて稗を三十石,五十石,百石づつ蒔き,その上に藁,草萱などをちらし置く也。諸鳥来たりてこれをひろう。鳥のおとし(糞)にまじりたる木の実はよくはゆる者也。上に枯れ草などを置くことは,ひろいにくきようにして,鳥をひさしく来さんと也,その上雨にも流れず,稗山土に生き付きてもよし。かくの如くすれば,三十年ばかりには雑木の繁りと成る者也。」(蕃山全集)
植物の種子も栄養分も,趨勢としては重力の法則に従って高所から低所ヘ落ち,陸地とりわけ高地は貧しくなるばかりだが,鳥が沢山いると重力方向と逆の流れができることを蕃山は指摘している(室田武:物質循環の経済学-リービヒからの再考 日本学術会議公開シンポジウム報告レジュメ 1995年12月より引用)。
いま一つの陸へのPの運び子は,産卵のために河川を上ってくる回遊魚類である。例えば,ベーリング海からアラスカのKodiak島のKarluk川を遡上してくるベニザケの遺体によって,Karluk湖へもたらされるPの量は,年間5トンに上るという調査がある。
またシベリア沿海州のAmur河(黒龍江)やアラスカのYukon河では沢山のサケが産卵のために遡上し,これを捕食する熊や鳥が流域を肥やし,森林を育て維持してきたといわれる(室田武:遡河性回遊魚による海の栄養分の陸上生態系への輸送 生物科学47 124,1995による)。
わが国でも,昔北海道の石狩川では,何千何万というサケが産卵後に一度に死ぬと,屍で川が一杯になり,その腐臭がたまらぬほどであったそうである(末広恭雄:魚の博物事典 講談社学術文庫による)。
漁労を行う人間によっても,海の中のPは陸にもたらされる。1989年の世界の年間漁獲高は1億トンに達したが,乾物量を3000万トンとするとその中には54万トンのPが含まれている計算になる。表2に見られるように,江戸時代の日本人はこの魚を肥料(干鰯)として珍重していた。

海水中のPは海棲脊椎動物や湧昇流の作用によって,生物的あるいは無生物的にリン酸カルシウムにかえられて海底に堆積し,海成リン鉱石を形成する。これが海底の隆起によって陸上にもたらされたものを,19世紀になって人間が採掘し,耕地に施用するようになった。
現在世界のリン鉱石の年間採掘量は1億5000万トン(Pとして2200万トン)に達しており(表3),陸上から失われるPの推定量に匹敵する値になっている。これは海ヘ流れ去ったPが陸上にもたらされるルートの中で最大のものであるが,その原動力になっているのは地殻変動という自然の力である。

19世紀後半のアメリカでグアノラッシュが起こったが,その背景の一つに,Pの循環の特殊性があるように思われた。
自然界におけるPの働きはもっぱら重力の支配下にあり,陸上のPは次第に海ヘ失われ海底にたまってゆく。この海底に堆積したPは地殻変動によって陸上にもたらされるが,それまで陸地はPについて全体として貧栄養化してゆくことになる。とすれば施肥の行われない自然の植生は,長年の間に何らかの影響をうけると思われるが,どうであろうか。
現在富栄養化への関心の高まりから,陸域から水域へのPの移行についての研究は多い。しかし上の疑問に答えるためには,その逆の方向すなわち水域から陸域へのPの働きを明らかにする必要がある。これは今後の研究課題であろう。
おわり
*1 これらは19世紀半ばからヨーロッパの耕地に加速度的に投入されるようになった。
例えば,「ザクセン王国がペルーより輸入せるグアノの量は,1842年には僅かに5ツエントネル(1ツエントネル=50キログラム)であったが,1846年には5,568ツエントネルに,1850年には19,725ツエントネルに達した。また,南米各港より積み出されたチリ硝石の総量は,1830年には850トンに過ぎなかったが,1850年には23,000トンに,1870年には132,450トンに及んだ。あるいはまたスタッスフルトのカリ坑から掘り出されたカイニットの生産量は,1865年には1,313トンに,1868年には10,463トンに,そして1870年には18,877トンにのぼった。
これらの肥料資源の開発により,農業生産は飛躍的に向上した。1840年より1880年の間に,ドイツに於ける小麦,ライ麦,大麦,燕麦,エンドウ等のモルゲン(0.25ヘクタール)当たり収量は,50ないし100パーセント高められたといわれる。」
(三沢嶽郎:リービッヒの思想とその農業経営史上における意義 22-23頁 農業技術研究所報告 H2号1951年6月)
*2 リーピヒはその著「化学の農業及び生理学ヘの応用」の中で次のように述べている。
「ドイツでは人民の3分の1がジャガイモを主食にしている。・・・もしジャガイモが存在しなかったら,ドイツの農業者は骨粉に高い評価を与えざるを得なかっただろう。彼らはその価値を殆ど理解できなかったので,数百万ツエントネルの骨粉の輸出を70年以上も傍観してきたのである。イギリス人にとって骨粉の輸入が必要であったとすれば,ドイツの畑からの骨粉成分の収奪が,ドイツにとって不利であったと考えるに十分な理由がある。骨粉がイギリスの畑で穀物とクローバーの収量を高めたとすれば,ドイツの畑の穀物とクローバーの収量は,イギリス人が受け取った分だけ低下したに違いない。」(吉田武彦訳 北海道農業試験場資料30号22頁 1986)。(筆者注:同一単収を得るためのジャガイモのP要求量は,コムギの5分の1ですむ)
*3 陸上からのNの損失
河川を通じての海への溶脱 10~25×106トン/年
脱窒による大気への揮散 100~160×106トン/年
陸上へのNの供給
大気窒素の放電等による固定 10×106トン/年
大気窒素の生物による固定 140×106トン/年
(木村真人 地球上における各種元素の循環,土の化学 133-137頁 化学総説1989 No4 学会出版センター)
*4 海に入ったPは生物的あるいは無生物的にリン酸カルシウム,すなわち海成リン鉱石に変えられ海底に堆積する。その推定量は8.4×1014トンに上る。これは陸上の土壌中のPの総量1.6×1011トンの五千倍である。
(木村真人 同上)
鳥取県経営指導課専門技術員室
農業専門技術員 宮田 邦夫
鳥取県では,平成5年に「環境にやさしい農業推進基本方針」を策定し,この中で「有機物を利用した土づくりを基本に,生産性を維持しながら,化学肥料や農薬に大きく依存しない農業」を推進し,「西暦2001年までに,農薬,化学肥料を概ね3割削減する」ことを目標として掲げている。この目標を達成するためのアクションプログラムとして,平成7年に「鳥取農業クリーンプラン21」を策定して現場での普及を図っている。
現在,県の事業として,農薬・化学肥料を削減する取り組みを支援する事業や減農薬・滅化学肥料栽培農産物の産地育成を支援する事業など,環境にやさしい農業に関連する様々な事業が展開されている。
今回は,環境にやさしい農業技術の現地適応性検討と普及を図ることを目的とした事業で実施した,「苗箱まかせ」を用いた水稲の苗箱全量施肥の現地展示圃の平成10年及び11年の結果と現在の普及状況について述べたい。
現地試験を実施するに当たり,鳥取県農業試験場で平成8年から行っている試験結果を基にして,苗箱の作り方及び窒素施肥量の決定方法についてのマニュアルを農業試験場に依頼して作成した。マニュアルの主なポイントは次のとおりである。
窒素施肥量は農業試験場の試験結果からは慣行施肥量の2割減が適するとしていたが,展示圃では倒伏が起った場合,農家のイメージダウンにつながるため,現地展示圃では慣行施肥の3割減を基準として実施することとした。
箱当たりの施用量は次の式で算出する。

育苗土,肥料および種子は図1に示したように,サンドイッチ方式とした。肥料を育苗土と混和しなかったのは,混和作業中に肥料の被覆を傷つける恐れがあり,肥効が不安定となるのを避けるためである。

床土の厚さは次式によって算出し,苗箱まかせの施用量により加減することにより,覆土の厚さが一定に保てるようにすることとした。
床土の厚さ(mm)=24.5-0.01×苗箱まかせの施用量(g/箱)
肥料は苗箱用の施肥機がないため,所定量を測って手作業で苗箱に施肥する方式とした。
ア 慣行育苗に比べ床土が少なく保水力が低下するため,水管理に注意する。
イ 苗箱まかせの取り扱いに注意し,被覆を傷つけないようにする。
展示圃の栽培概要は,表1及び表2のとおりである。平成10年度は県下5カ所,平成11年度は4カ所の圃場で,主にコシヒカリを対象品種として実施した。窒素の削減率は設計段階では慣行施肥の30%減の設定で試験を開始したが,慣行栽培の窒素施肥量は穂肥時の葉色や生育量によって調整されたため,結果的に窒素の削減率は平成10年度が11~24%減,平成11年度が9~36%減となった。


試験区のリン酸とカリについては,入水前に化成肥料でそれぞれ成分で10kg/10a施用し,生育期間中の追肥は行わなかった。
苗質について表3に示した。葉齢については慣行とほぼ同等であった。葉色については一定の傾向は見られなかった。一方,草丈は慣行に比べ短くなるものが多く,また苗の生重量も慣行に比べ軽くなる傾向がみられた。草丈及び苗の生重量については,農業試験場でも同様の傾向がみられており,苗箱施肥ではやや小さな苗になる特徴がある。しかし,マット強度はいずれの地点とも十分な強度が得られており,田植機による移植には支障ないとの展示圃を依頼した農家の評価であった。

その他育苗上の問題として,平成10年度の日野町,船岡町では発芽むらが一部にみられたが,覆土の厚さが薄かったことによる水分不足が主な原因と考えられた。
茎数の推移について図2に示した。LPSSコシ1号を対照にした日野町を除き,移植後25日までの初期茎数は慣行と同等かやや少ない傾向がみられたが,その後の茎数増加は順調であり,穂数には慣行との差はみられなかった。これは,初期の窒素溶出量の少ない苗箱まかせの窒素溶出特性を反映したものと考えられた。

LPSSコシ1号との比較では,窒素施肥量が異なるため正確な比較はできないが,速効性窒素を含まない苗箱まかせは初期の茎数増加が緩慢で,この差が穂数の差につながった。また,このLPSSコシ1号を用いた日野町の試験圃場は標高約260mの地点にあり,分げつ初期の温度が低いことも影響しているものと思われた。
葉色の推移について図3に示した。田植25日後頃の葉色は一定の傾向はみられなかったが,田植45日後頃から幼穂形成期にかけては慣行に比べ濃く経過した。また,達観調査ではあるが,慣行区に穂肥を施用した後の葉色は,逆に苗箱全量施肥で薄く推移する特徴がみられた。

収量調査について表4及び図4に示した。対照区にLPSSコシ1号を用いた日野町を除くと,苗箱全量施肥が慣行と同等からやや優る結果となった。これは,収量構成要素からみると総籾数の増加の影響が大きいとみられる。総籾数を増加させた要因は,葉色と肥効特性から推測すると,慣行区に比べ幼穂形成期前後の稲体窒素濃度が高く維持されたことによると考えられた。ただし,コシヒカリでは幼穂形成期前後の稲体窒素濃度は倒伏との関係も大きいことから,苗箱まかせの利用に当たっては施用量決定には十分注意することが必要なことも示している。


対照区にLPSSコシ1号を用いた日野町では,苗箱まかせの収量が明らかに低かった。この原因として,茎数の推移でも述べたが,肥効特性及び温度の影響により初期茎数確保ができず穂数不足につながったことがあげられる。また,窒素施肥量についてもLPSSコシ1号の16~36%減となっており,窒素利用率の高いLPSSコシ1号に対しての減肥率としては高すぎたため窒素不足となったことも考えられる。
以上のことから,苗箱まかせを用いた苗箱全量施肥により,窒素施肥量を慣行の速効性肥料に対して20~30%削減しても,安定して慣行並の収量確保が可能であると判断された。
平成10年度のとりまとめにおいて,苗箱まかせの施肥などの施肥播種作業が繁雑であり省力につながらないという問題が各普及センターから指摘された。このため,平成11年4月に施肥播種機の実演会を実施し,作業の機械化について検討した。
機械導入に当たっては,導入メリットを考慮すると利用面積の拡大が必要であり,大規模農家や生産集団としての導入が条件となると思われる。
結果の中でも述べたが,種子の下に肥料が施用されているため,保水力が低下して発生したものと推察される。対応として,種子付近の保水力を確保するため覆土は薄くならないように(覆土厚5mmを確保する)注意することにしたため,平成11年度以降においてはこの問題は出ていない。
リン酸,カリについては圃場散布を行っているため,一般の基肥一発施肥に比べて大きなメリットがみられないが,リン酸,カリについては窒素肥料ほど施肥むらを気にしなくてもよいことや,リン酸及びカリの肥沃度の高い圃場では無施用でも対応できる可能性がある。対応としては,鳥取農試でリン酸,カリを苗箱に施用する方法を検討しており,平成12年度の結果をみて,現地実証,普及について検討することとしている。
調査しながらの感想であるが,苗箱全量施肥を行った圃場あるいは試験区の多くでは,水稲の葉色や生育むらが少ない。生育のむらについては調査を行う必要があるが,実際に生育むらが小さければ,収量,品質の向上にプラスとして働くものと思われる。
現在,鳥取県内において苗箱全量施肥の普及は始まったばかりであり,今回紹介した展示圃の他に農業改良普及部独自の展示圃が数カ所と河原町の佐貫集落内のグループでの取り組みが行われている。
河原町のグループでの取り組みは,農業改良普及部の働きかけにより平成11年から行われており,平成11年度は4ha,平成12年度は1haで苗箱全量施肥が行われた。平成12年度に面積が減少しているのは,生産者の技術に対する評価が低かったためではなく,集落全体の転作のブロックローテーションの関係から苗箱全量施肥に取り組む生産者の水稲作付面積が減ったためである。生産者がこの技術を導入している理由は,①慣行施肥に比べ収量は同等かやや多いこと,②穂肥の時期,量,施肥作業を考える必要がなく,苗箱への施肥は春先に合間を見て行っておけばよいこと,③湛水期間中圃場に入って施肥する必要がないことなどをあげている。
また,技術的な課題も残されているものの,この技術に興味を持つ大規模稲作農家や展示圃周辺の生産者も出てきている。
以上のように,苗箱全量施肥は窒素施肥量を2~3割削減可能であり,環境にやさしい農業技術として有望である。また,現地展示圃の結果から苗箱全量施肥の基本的な技術については,鳥取県内での適応性は高いと考えられる。
様々な窒素削減や省力施肥技術が確立されることにより,生産者は個々の経営に適した技術を選択できるようになるため,環境にやさしい農業の普及が進むことにつながる。苗箱全量施肥も施肥窒素削減技術のひとつとして,今後とも推進して行きたいと考えている。
ノンフィクション作家
遠藤 和子
富山県の北西端,能登半島の東側付け根部分に氷見市がある。
東は富山湾に面し,海越しに3000メートル級の立山連峰の姿が浮かんで見える。その絶景のすばらしさは20キロに及び,能登沿岸一帯とともに国定公園に指定されている。
この海岸線から石川県境・能登に向かって,標高50~300メートルの丘陵が広がっている。氷見市は,このような緩やかな起伏の里山が大部分を占める中山間地帯である。

とかく富山県は,江戸時代の儒者室鳩巣が「越中百里,山河壮なり」といったように,北アルプスや飛騨山地を源とした大小さまざまな河川が走っている。いずれも, 急峻な山地から発し,流路も短いところから急流河川となっている。ところが,氷見市は丘陵地帯であるだけに流量の少ない小河川ばかりである。このため,昔から水不足に悩まされ,3192個ものため池をつくってしのいできた。
現在,ため池は2000個余りに減っているが,国営総合かんがい排水事業や,県西部水道用水供給事業などによって,水の心配は少なくなってきている。それでも,農業における水の苦労は絶えない。
平成11年,中山間地帯の一角,能登に接する県境近くにある長坂集落が「棚田百選」に選ばれた。
棚田は面積が小さいうえに農道がない。傾斜地の労働であるため,労力がかかる。したがって生産性が低い。そのうえ,米を取りまく厳しい生産環境や,担い手の高令化,後継者不足も重なって耕作放棄され,荒廃が目立ってきた。農産物の市場開放が,それに拍車をかけた。
これに対する危機感から「棚田保全」の声が高まり,農水省による「新農業基本法」のなかで,「中山間地保全」が打ち出され「棚田百選」も選定された。
この棚田百選に,長坂集落が選ばれたのである。集落は標高100メートル,過去の地すべりによってできた緩やかな斜面にあり,世帯数は65戸,人口は201人。至る所に棚田が造られている。


私が棚田に感心を持つようになったのは20年前。3週間振りにイギリスでの取材旅行を終えて帰国したとき,車窓に広がる棚田景観の見事さに心が奪われた。
狭い谷間や,里山の斜面を切り開いて段々状に造り上げられた棚田は,なだらかな牧草地や,リスが遊んでいる公園など,のどかなイギリス風景を見慣れてきた眼に,殊のほか新鮮に映った。そして,日本人の几帳面で,誠実な人間性に触れた思いがするとともに,僅かな土地をも利用せねばならぬ風土の厳しさを知らされた。また,小麦農業や牧畜を主体とするヨーロッパと,稲作農業を主体としている東アジアとの違いにも気づかされた。
この風土と農業形態の違いにより,人間中心主義の西欧文化と,自然と共生する東洋文化が,それぞれ醸成されたのであろう。
このとき,「棚田は稲作農耕民が造り上げた文化遺産。きわめて美しい日本的な田園風景。ふるさとの原風景」という思いを強くした。
棚田が「国土保全」の役割を果たしていることを知ったのは,戦国時代の越中国主・佐々成政の取材調査のときである。
成政が在国していた当時は,越後の上杉氏や,加賀の前田氏との間で戦いを繰り広げていたこともあり,県内に150近くの城や砦があった。その多くは山城。なかでも,県東部にあった松倉城は420メートル余りの山頂に築かれていた。
この松倉城に至る山腹に棚田が点在していた。山道を息を切らしては立ち止まり,また登るという繰り返しのなかで棚田を眺めるにつけ,坂道を上り下りして作業される人たちの姿が浮かび,「棚田の一つ一つに農民の汗が込められている」と,苦労を偲んだ。
また,棚田は農民の知恵と工夫によって創り上げられた農耕技術の粋であることも知らされた。すなわち,上の段から下の段へと順々に水を落として,貴重な山水を有効に活用し,大量に降った雨を斜面に築いた畦でつぎつぎに受け止めるなどして,万全の保水機能が施されていた。
それはまた,急激に押し寄せる豪雨の流出を防ぐ緑の貯水池。つまり「洪水氾濫の抑制ダム」として,低地の人びとの暮らしを守る役割を果たしているのである。

このほか,水源の確保や山腹の保温,生態系の維持など,多面的な機能を持つことも知る機会となった。
城跡をたどっていく道中,棚田への感謝の念が強まっていった。
氷見市の中山間地帯の大部分は,新第三紀中新世の泥岩や凝灰岩で成り立っている。 泥質堆積岩であるところから風化しやすく,崩れやすく,地すべりを起こす要因となっている。しかも,上層部は粗雑で多孔質,浸透性に富んでいる。
このため,上層部が乾燥してひび割れができると,亀裂が大きく広がる。そこに水が浸透し,粘土化して滑りやすくなった地層の境界面との摩擦が小さくなる。ついには平衡を保つことができなくなり,地すべりが起こる。
しかも,江戸中期から明治中期にわたる新田開発政策によって,谷々が開かれた。このため,山林は伐採され,河床がえぐられ,泥岩層の岩盤が不安定となった。以後,地すべりが繰り返されてきた。

地すべりは,山くずれによる土石流のような大被害はないが,耕地に段差が生じる。数百メートルに及ぶ滑落が起きる。また,床下に亀裂が生じたり,人家を乗せながら地盤が移動するなど,人心の不安が大きい。田畑や人家が壊滅するという惨事も起きかねない。
長坂集落は,長坂泥岩と呼ばれる厚さ100メートル前後の黒色塊状泥岩層の上に,砂岩や礫岩を主とした泥岩が不整合な形で重なり合っている。このため「地すべり監視区域」に指定されている。
富山県では,このような泥流型地すべり対策として,堰堤や床回群を計画的に施行。防止につとめてきた。しかしながら堰堤設定だけでは不十分である。さりとて,地すべり予測のための地形測量や,移動測量調査は技術的に手間がかかる。予算的にも無理がある。これを補う役割として登場するのが棚田である。
第三紀層の休耕田に地すべりが多く発生していることは,調査によって明らかにされている。休耕田では,亀裂の幅も深さも大きいという。このため,一般に棚田では,稲刈り終了後,雪が降る前に荒起こしを行い,高い畦をつくって融雪水を貯留するという方法で,乾燥亀裂を防いでいる。
長坂集落の場合,積雪が多くて3月末ごろまで残っていることもあって,昔から4月に入って荒起こしや畦づくりを行っている。
このように,棚田は地すべりの再発防止に一役買っているのである。棚田の荒廃が進めば,災害の危険率が高まる。なんとしても維持保存を図らなければならない。
長坂集落では,氷見市役所からの「棚田オーナー制度の提案」をただちに受け入れた。
オーナー制度は,都市住民が放棄荒廃していく土地を借り受けて自ら耕作し,保全に役立てるという趣旨から生まれた。これに「体験コース」と「保全コース」の二つの方法がある。
前者は,借り受けた棚田を,オーナー自らが田起こしから収穫,脱穀までを行い,それによる収穫物は,すべて持ち帰ることができる。一方後者は,オーナーが会費と保全に対する協力金を支払い,田植えや稲刈りなどの体験はできるが,維持管理は地元に委託し,一定量の収穫米を受け取る。

長坂集落では,後者を選択した。そして,維持管理は村で組織した「椿衆」が担当し,草刈りや田植え,稲刈りのときは村総出で協力することを申し合わせた。


集落の人びとにとって,地区の景観のすばらしさが自慢であった。
富山湾を眼下にし,海の向こうには秀麗な立山連峰が横たわっている,加えて,雛壇のように並んでいる棚田,その背後に森というように,山と水田と海との取り合わせによる魅力的な景観を持っている。そのうえ,海岸一帯には,新鮮な海の幸を賞味することができる民宿が散在している。農作業に必要な水は他の集落と異なり,唐古池と後田池の二つのため池で事足りる。
なによりも,地すべりの再発防止に,オーナーの方々の助けを借りることができる。集落に住む村民にとっての切実な願いが,棚田オーナー制度によってかなえられるのである。加えて,オーナー制度を通して都市住民との交流が生まれる。地域の活性化につながり,未来に対して明るい展望が開けることに希望が持てた。
折りよく,国による棚田保全のための緊急基金で,農道や水路が整備された。「中山間地直接支払制度」による財政的支援も実施される。
また富山県でも,平成10年度から棚田保全活動のための助成支援と集落の活性化を目指して「棚田地域・水と土保全基金」を設けている。それによる助成金も加わる。氷見市による物心両面にわたる積極的な援助も心強かった。
こうした数々の好条件のもと,村民一体となってオーナー制度に取り組むことにし,つぎのことを決めた。
・一区画を100平方メートル(約30坪)前後とし,年間3万円で貸し出す。
・会員は田植えや稲刈りなどの農作業を体験し,収穫した米(玄米40キロ)と氷見市の農業特産品をセットとして受け取る。

平成11年に始められた企画に対して,応募者は44組。続く12年度は50組(昨年からの引き続き参加者が29組)いずれも,関東や中京,関西,北信越,県内の人たちで,なかには外国人家族(オーストラリア,スウェーデン)もいた。
12年度の稲刈り作業は,9月23,24日の2日間にわたって実施された。2日間とも小雨模様であったが,集まった会員たちは,「雨が降っていようがいまいが,作業に関係なし」といいながら,椿衆の指導のもとに稲刈りをし,はさ架け作業を行った。そして作業後は,村の主婦たちから昼食を振るまわれ,若者たちによる豊作を祝う獅子舞いの数々を鑑賞して解散した。



村総出の歓待と,小雨をついて集まった会員たちの熱い交流が繰り広げられた作業風景であった。
人と自然との共生のシンボル棚田。多面的な機能を持つ棚田。
この貴重な棚田に対する保全の試みは着実に歩み出している。これを,より推進させなければならない。そのためにも,棚田のある周辺地域の学校が,学習の一環として子どもたちに農業の実体験をさせる。各地域の高令者学級や大学生らが草刈りや溝さらえなど,ボランティア活動をするのもよい。そうした活動を通して生物を育てる喜びと,実のりの充実感を味わう。よりよい人間関係も築かれていく。
棚田は体験エリア,学習エリア,人との連帯エリア。農村と都市,大人と子どもたちとの交流エリアであり,楽しい思い出づくりのエリアでもある。

利にあうとか,あわない,という採算だけではかることのできない価値ある機会をつくり上げてくれる場なのである。なににもまして,国土を保全し,私たちの暮らしの安全を守ってくれる。
つぎの世代ヘ引き継ぐためにも,いま,棚田保全の課題が問われているのではないだろうか。