§技術相談問答のよもやま話(1)
独立行政法人 農業技術研究機構
野菜茶業研究所 研究技術情報官
農学博士 中島 武彦
§我国の稲作施肥の変遷(2)
-明治中期-
ホクレン農業協同組合連合会(JAグループ)
管理本部 役員室
農学博士 関矢 信一郎
§うめ園における施肥の省力化と環境保全
福井県園芸試験場 営農環境研究グループ
(現 福井農林総合事務所 農業普及部 農業普及課)
技師 長谷 光展
§地形・地目連鎖系における窒素動態と窒素流出負荷の低減(3)
静岡県農業試験場 海岸砂地分場
主任研究員 宮地 直道
(現 独立行政法人 農業技術研究機構
野菜茶業研究所 葉根菜研究部 土壌肥料研究室長)
独立行政法人 農業技術研究機構
野菜茶業研究所 研究技術情報官
農学博士 中島 武彦
昭和48年に農林省野菜試験場が設立され,本場(津市)では電話による問い合わせは交換手によって数名の専門家にだけ配信する体制をとった。これは外部との接触を重視する上層部が,誤情報の提供や回答の遅延,タライマワシを防ぐための対応策であった。専門家には野菜育種の芦沢室長,栽培生理の高橋室長,花きの川田室長らが当り,難問にテキパキと答えておられたのを思い出すことができる。その後は先輩達の相次ぐ退官で回答は湿りがちとなったが,平成3年に研郊支術情報官(以後は情報官)が設置され広報業務やコンピュータの世話係に加え,問い合わせも対応する部署となった。
設置当初は茶業試験場との合体によって守備範囲は広くなったものの,問い合わせは比較的回答しやすかったと思われる。それは,回答に準備した資料やメモがわずかに残されており,その内容から伺い知ることができるからである。筆者は平成8年に情報官となったが,その夏に有名なO157騒動が突発している。また,その頃はマスコミによる「野菜や緑茶に関する健康情報」も数多く報道されたと記憶している。これらによって消費者の目は急速に肥え,問い合わせ内容は難しく,かつ広域化しつつある。
本題に入る前に,情報官が技術相談問答集(Q&A)を作成するに至ったエピソードから話さなければならない。就任早々にある宗教家から以下のような電話があった。『私は法華経を信奉し,朝夕に南無妙法蓮華経と唱えている。野菜のホウレンソウは法蓮草,牧草のレンゲは蓮華と書くが,その原点を知りたい』と言う内容であった。これだけなら何の問題もないが,それに続く言葉は今も脳裏に焼き付いている。それは『この質問は東京の本省から始まって次々とタライマワシされ,すでに5つ目であるが,いつかは答えてもらえると思って関東から電話をしている。間もなく5時になる。公務員は5時になれば帰れるので,あんたも家に帰りたいだろうが,この老人のせめてもの願いを聞き届けて欲しい』であった。
「帰りたいだろうが・・・」は余計な話だが,レンゲについては草地試験場に情報があると思う,ホウレンソウは当方で絶対に答えると約束して電話を切った。切った瞬間に『しまった!』と思わず叫んでいた。相手の名前と電話番号を控えることを忘れたことに気付いたからである。回答はわずか数時間で準備することができ,相手からの連絡を待つことにした。しかし,その後はなしのつぶてのまま5年間が経過している。情報官は待ち焦がれているが,老人は5箇所も立て続けに電話していたため,相手先が分からなくなったのかも知れない。
さて,準備した回答は以下のとおりである。ホウレンソウの語源は中国にあり,法蓮草は当て字に過ぎない。ホウレンソウは古い参考書を見ると菠薐草とあり,菠薐はペルシャ国を指している。現在も中国ではホウレンソウを菠菜と記述し,イスラム教徒の往来によって中国にもたらされたこともわかっている。つまり,ペルシャの野菜・菠薐菜(今の北京語でポーリンツァイと発音)は中国を経由して我が国に持ち込まれ,導入時の呼び名が訛ってホウレンソウとなったのであろう。野菜にはジャガイモはジャカルタ,カボチャはカンボジア等に由来する例もある。なお,奈良市北部には法蓮町があり,ホウレンソウに縁があると言う専門家もおられるが,町名の語源は周辺の地形に由来すると言う説もあるためにここでは採用しないことにした。
その後は,問い合わせ(質問)者の連絡先を確かめるよう心がけている。しかし,中にはタライマワシで不愛想になった,遺伝子組み換え(バイテク)への抗議,単なる冷やかしもあり,これらの御仁は姓名や電話番号を知らせようとはしない。そんな1例を紹介したい。
それは,ゴルギルと言うエジプトの野菜の種子を入手しようと農水省に電話したところ当試験場を紹介されたらしい。出先機関に厄介払いされたと勘違いしたためか,または公務員は滅私奉公すべきと言う先入観によるか,かなりぞんざいな口調だった。「調べてから回答したいので,名前や電話番号を知らせて欲しい」と申し出たところ,予期せぬ返事が返ってきた。それは『電話番号は知らせたくない。数日後に電話する,それまでに回答を用意して置くように』であったからである。
情報官は他にも職務があり,Q&Aだけに時間を割くことはできない,また多くの専門家からの情報を基盤に可能な限り正確な回答を出したい,そのためには長時間を要すこともあると理解を求めた。また,回答を提供しても誤りがあれば訂正したいので,電話番号かFax番号を再度尋ねたが,その返事も意外であった。『本庁では姓名も言わずに情報を得たのに,どうして出先機関に連絡先を教えねばならないか?』と半ば怒った口調となり,その後は双方とも無言のまま数分が経過し,相手は一方的に電話を切ってしまった。
早速,聞いたこともないゴルギルについて育種の専門家に連絡したり,インターネット検索を試みたが,関連情報はまったく得られなかった。幸運なことにエジプトに近いパレスチナ国のハゼム氏が当試験場の種苗工学研究室で研修を受けておられた。たどたどしい英語で尋ねたところ『エジプトやパレスチナにはゴルギルは無いが,ガルギールと言う野菜なら有るヨ』と言う返事であった。
早速,ガルギールについてインターネット検索をすると岩手県の衣川村や岩手県園芸試験場のWebがヒットした。栄養分が豊富な葉野菜であり,これから特産品として普及させたいとのコメントが記載されていた。特産にするのであれば種子の販売はあり得ないと判断し,種子の入手先が他にあるかと調査した。幸運は重なるもので,エジプトと共同研究している研究者がその種子をわずかに保管していると言う情報も得た。その後,ゴルギルの叔父さんからは電話は無いが,音沙汰が無いと気になるもので電話をしてきた経緯を推測したりしている。推測1は衣川村に種子を依頼したところ断られた近在の農家かも知れない,推測2は誤った質問で困らせてやろうとする冷やかしかも。もし,電話が掛かってきたらどんな会話になるか楽しみにしている。
本題に戻すことにしたい。Q&Aは野菜・茶業試験場にどんな質問があり,どう答えたかをデータベースとして残すものである。内容は研究者等が「そんなの常識だヨ」と言う項目は削除し,「なるほど知っていると役に立つ,そんなの知らなかった」と言う項目を集めるようにしている。データベースは図1に示すごとく,質問文は約50字,回答文は約70字,それに世話になった情報提供者の所属・氏名などからなる。

これまでに収集した件数は図2に示すごとく,平成8年度の183件に始まり,その後は年を経るごとに急増して平成12年11月までに約1600 件を数えた。情報官が即答する場合もあるが,難問になると情報提供者から入手した情報を基盤に情報官がとりまとめて回答している。情報提供をお願いしている専門家は当試験場の職員のみならず,大学教官や他の国公立試験場の研究者,普及機関の職員,種苗会社の担当者など広範囲にわたる。また一方では,正解と思われる回答が得られるまで最適の情報提供者も捜索している。

回答までには幾多の障壁もあった。外部の専門家への連絡も大変である。留守や圃場に出かけた後では連絡も難しく,電話を取り次いでいただく方には良い感情をもってもらえないことが多い。2年目からは質問文をパソコンに打ち込んで電子メールで複数の専門家へ配布する方式を採ることにした。この方式は,受信者が留守でも届き,仕事を中断させることもなく,Faxのように誰かに見られたり,途中で紛失するようなこともなく,通信費も安く,多人数に瞬時に配布できる特長を有している。また,情報官が不在であっても情報提供者は回答などの情報を入力し,返信するだけで済むのである。
質問から回答までのフローは図3に示したが,電子メール化によって情報収集は格段に便利になったと言える。当時は電子メールに登録した専門家が少なかった。今から思うと笑い話になるが,パソコンに質問文を入力しても適当な情報提供者がいなくて発信できない,メールを送った後で開くようにと電話で念を押すこともあったのである。

電子メールの問い合せを最初に送信されたのは,平成10年2月であり,農業共済新聞のS記者である。内容は「漢方薬や健康食品として話題になっている寒さに弱いウコンを関東以北でも栽培することが可能か?」であった。花き部の平田上席研究官から「ショウガの仲間で暑さを好み,寒くなると枯死する。冬寒い地方では地上部が枯れた時点で畑から掘り出して土間に貯蔵する。暖かくなって植えれば北海道でも栽培できる」と言う情報が返信されてきた。その情報を質問者に貼付するだけで回答を完了することができた。
電子メールは部門別の専門家に転送ボタンをクリックするだけである。遅くとも数日で回答に役立つ情報が電話のような騒然とした交信もなく,別の業務を遂行している間にも送られて来るのである。平成9年度はたった1件であったが,次年度には58件,さらにその翌年には158件と急増し,平成12年度は何と全体の7割に達している。
12年度のQ&Aは600件を大幅に超え,対応時間が増えたように見えるが,むしろ短くなっている。これは有用情報の入手技術が向上したこともあるが,電子メールの増加が大いに貢献している。電子メールは部門別の専門家に「担当者各位,以下のメールが送られてきました。各位には回答または情報提供をお願いいたします。直接回答される場合は情報官にも同報でお知らせください」と言うテンプレートを付けて転送し,その中の1名または数名から情報が提供されると,その情報提供者には礼状を返信し,かつ質問者に対しては「専門家から以下の回答がありましたので,お知らせします」と言う文章の下に提供された情報を貼付して返信するだけである。
(次号に続く)
ホクレン農業協同組合連合会(JAグループ)
管理本部 役員室
農学博士 関矢 信一郎
明治時代の農業技術は,江戸時代以来の小農制の上に新しい社会制度と近代農法によって形づくられていった。この明治農法と言われるものは,次の図式で示されている。

この農法の社会的・経済的背景としては,明治初期,特に西南の役以降の米需要の拡大と米価の高騰による農家側の生産意欲の向上があげられる(表1)。

このため,多収穫が要求され,品種の選択と多肥,これを可能にするため深耕,馬耕,更に乾田化とつながる。また,農村では人手が豊富で,種籾の処理や耕起から収穫・調整に至る栽培管理の集約化も可能となった。
以下に技術要因のいくつかについて見よう。
幕末頃から水稲品種の全国的な比較が行なわれ,明治時代を通じて整理・統一されていく。この過程は,前回にも触れた老農によって指導され,種苗交換会などによって全国規模で波及した。
近代的な育種は明治20年代から公式に開始されたが,成果は後のこととなる。当時は民間における品種の選抜が主流で,後に各地の試験場も加わることになる。
代表的な品種としては,西日本・東海地方の「神力」,東北地方の「亀の尾」があげられ,関東の「関取」,北陸の「大場」なども有力品種であった。
明治の始めから水田に使われ初めた魚肥は北海道からの鰊粕の供給が急増した結果,明治20年頃から大量に施用される様になった。また,日清戦争前後からは中国産の大豆粕が輸入され,明治30年代には魚肥よりも使用量が多くなった。一方,人造肥料として19世紀末から国内生産が始まった過燐酸石灰の使用も明治30年代から急増した。これらはいずれも購入肥料であるが,多収品種に対応して高収量を確保し,多肥化につながった。
多肥による多収栽培には深耕が必要とされるが,従来の入手による耕起には限界がある。明治初年の犂の改良は畜耕による深耕を可能にした。畜耕,特に馬耕には乾田が好ましく,従来の周年湛水方式から冬期の排水,田植期水入方式によって乾田化が図られた。後の耕地整理や暗渠排水はこれを更に進めることとなった。もっとも,馬耕による深耕の普及は一部に限られていたとの指摘もある。
苗代の薄播き,短冊苗代,正条植え,中耕除草などの管理技術が一通り完成した明治36年,農商務省はこれらを14項目に整理し,統一的督励事項「稲作要綱」として各県に通達した。
明治26~28年に設立された農事試験場は本場(東京)と9支場(畿内・大阪,東奥・宮城,北陸・石川,山陽・広島,四国・徳島,九州・熊本,東海・愛知,陸羽・秋田,山陰・島根)から成り,各種の肥料試験を開始した。
肥料学の知識は,明治初期の洋書の翻訳によって広まっていたが,明治16年来日したオスカル・ケルネルが試験を開始してから実用化された。明治22年に,稲作1反歩に施すべき養分の最適量として窒素-2貫500匁,燐酸-3貫500匁とし加里についてはふれていない。また彼等は全国13ヶ所の施肥実態から,窒素はほぼ適量であるが,燐酸は著しく少ないとしている。
明治36年の「稲作要綱」の14項目のうち,第5は苗代,第7は肥料となっている。
以下この概要を紹介する。
苗代の施肥にあたっては,まず床土をよく耕起し,施肥後よく土壌と混和する。なるべく分解の速いものが望ましい。肥効が遅いと苗の生育が悪くなるばかりでなく,後に本田とした場合に稲の生育に悪影響が出る。多肥は稲を軟弱にするので少肥につとめる。追肥は砂質土以外は不用などとしている。
具体的な例として農事試験場の本支場の施肥量を揚げている(表2)。

これによると,畿内を除けば人糞尿とワラ灰が共通し,5ヶ所で過燐酸石灰が使用されている。綿実粕は窒素及び燐酸源として使われている。
本田の施肥については,土質により異なるとしていて,窒素は如何なる土壌でも不可欠であるが,燐酸と加里は施用しなくてもよい場合がある。また,厩肥や稲わらは排水不良田では肥効が少ないなどとした上で,地域別の三要素の適量をあげている(表3)。

一方,肥料の質に基づく差にもふれ,有機質肥料には種類により分解に難易があり,肥効が異なるので施肥量を加減する必要があるとして肥効比較の例をあげている(表4)。

燐酸については,可溶性燐酸の多少で肥効に差があり,過燐酸石灰,重過燐酸石灰が有利としている。
この様に農事試験場での試験結果を解説し,本・支場の稲作における肥料の種類と量を示している(表5)。これは苗代の場合と同様,当時のそれぞれの地域の慣行に近いものと思われる。

更に施肥上の注意として,
①堆肥・厩肥・生草・乾草・木葉等の様に分解の遅いものは本田耕起前に施用し鋤き込む。
②排水不良田や寒冷地では,全量元肥とし移植前に施用する。
③排水のよい砂壌土や壌土では,二・三回に分け,七月下旬迄に施用する。おくれると遅れ穂が生じ,米質を低下させる。
④石灰の多量施用は米質を落す。生草・乾草を多量に施き込む場合は,反当り20~30貫施用する。
表5を見ると,窒素肥料としては下肥が5ヶ所で使われており,東奥では下肥と堆厩肥の自給肥料だけである。大豆粕が6ヶ所,魚肥が2ヶ所で,この時期では大豆粕が多くなっている。一方,レンゲは山陰のみである。
燐酸肥料としては過燐酸石灰7ヶ所,骨粉1ヶ所で畿内・四国では特にない。
加里はワラ灰が3ヶ所のみで,苗代とは対照的である。燐酸・加里共に不用の場合のあることが,試験の結果で明らかになった為であろう。
砂壌土の山陽,腐植質埴土の陸羽を除けば,窒素はほぼ2貫,燐酸1~1.5貫,加里0.5~1.5貫となる。ケルネルの調査に比べれば燐酸・加里でやや多めとなっている。
なお有機質肥料の三要素含量の当時の分析値の例を表6に示しておく。

水田に石灰を施用すること,一方で連用すれば地力が消耗することは江戸時代には知られていた。そこで各藩は石灰の使用を禁止していた様である。
江戸時代を通じ下肥の施用や草類の鋤込みが慣行化し,その結果土壌は酸性化していたものと思われる。石灰の施用はこの酸性の矯正の役割を果たしていたと考えられる。一方,土壌学的にみれば石灰の投入はアルカリ効果として土壌有機物の分解を促進する。この結果窒素無機化量が増え,その肥料効果によって増収し,連用されれば地力の減耗につながることになる。
明治になって各藩の規制が無くなり,石灰の施用が盛んとなった。これは水田を所有する地主側には問題で,小作契約の中で石灰の使用を禁止又は規制する場合があった。しかし,小作側の増収意欲は高く,明治30年代の調査では反当50~100貫,多いものは200貫に達していた。外人教師として在日していた土壌学者のフェスカは,欧米の10倍にあたるとしケルネルも明治24年に石灰の連用は米質を脆弱することを立証し,警告している。
明治31年,宮崎県は県令によって石灰の使用を禁止若しくは制限することにした。以降,熊本・石川・兵庫・佐賀・長崎・鹿児島等も同様な措置をとった。
もっとも,石灰の効果は知られており,酸性矯正の他,有機質肥料特に緑肥との併用は望ましいとされていた。
この石灰の使用については,草刈り場などの消滅により自給肥料の人手が困難となる一方で,購入肥料の高騰があり,止むを得ないとする見解もある。
明治27年頃から農事試験場の本・支場で広汎な石灰施用試験が行われた。この結果,連用しても減収にならないこと,米質にも悪影響はないことなどが明らかになった。
この成果を踏え,各県の石灰禁止令は明治41年迄に廃止された。
一方,明治30年代以降,中国大陸から安価な大豆粕が大量に輸入され,石灰の多量使用は解消していくことになる。
福井県園芸試験場 営農環境研究グループ
(現 福井農林総合事務所 農業普及部 農業普及課)
技師 長谷 光展
’ウメ’といえば,和歌山’紀州の梅’が有名ですが,福井県は最高の品質を誇る,梅干し用の’紅サシ’,梅酒用の’剣先’を送り出す名産地です。約570haのウメ園からは,年間約2000t(全国7位)の瑞々しい果実が生産されています。この「福井梅」の主産地は三方町で,三方五湖周辺の山の斜面に咲くウメの花と湖には多くの観光客も魅了され,春の三方五湖の主役にもなっています。
この,華やかなウメ園にも,高齢化,後継者不足に加え,ウメの一次加工(白干しウメ)による出荷作業が加わったことによって,ウメ栽培の省力化が強く望まれています。また,前述のように三方町のウメ園は三方五湖々畔に多いことから,施肥窒素の溶脱による環境負荷を抑える施肥技術の開発も望まれています。そこで,園芸試験場営農環境研究グループではコーティング肥料’ロンク®’の「持続的な肥効」を利用した2回施肥を確立するための試験を行っています。
その中でも,コーティング肥料を用いた場合に問題となる被膜の残骸が土壌中に残らない環境分解特性(自然環境下で,土壌中では微生物による生分解,土壊表面では自然光による光分解を受ける特性)を持った樹脂を被膜に用いた’エコロンク®’について,表層施肥が肥料中の窒素成分の溶出特性に及ぼす影響を検討しました。
前述した通り,エコロングは従来のロングとは異なり,コーティング樹脂に微生物,および光により分解される環境分解特性をもった樹脂を使用しています。そこで,これらのコーティング肥料の違いが窒素成分の溶出に及ぼす影響を検討しました。今回の試験では,エコロング424-140,ロング424-140を用いて,3月,7月の2回施肥,7月の1回施肥を行った場合の硝酸態窒素の溶脱時期および溶脱量を園芸試験場内のライシメータ一(写真1)を用いて調査しました。このライシメーターには1区画あたり1本の’紅サシ’,7年生(1995年11月より園試1号園にて養成した2年生苗木を1996年11月に移植)が植栽され,雑草は定期的に刈り取り,敷き草として用いました。年間の施肥窒素量は44g/㎡で,全量1回及び半量を2回に分けて表層施肥で行いました(表1)。


その結果,浸透水中の硝酸態窒素濃度は,1回施肥区ではエコロング,ロングともに施肥後28日目(’99.8/18)から113日目(’99.11/9)にかけて緩やかに上昇し7mg/Lとなりました。その後,148日目(’99.12/14)にかけて急激に上昇し最高濃度20mg/Lに達しました。2回施肥区は,施肥後161日目(’99.12/27)に最も高くなり,エコロング8.5mg/L,ロング4.5mg/Lとなりました(図1)。

1日あたりの硝酸態窒素の溶脱量は1回施肥区に比べ,2回施肥区は約半量で推移しました(図2)。各区の硝酸態窒素の累積溶脱量は,345日目(’00.6/28)で1回施肥のエコロングは21.7g(施肥窒素量の50%),ロングは19.7g(同45%)でした。2回施肥では,エコロングは9.2g(同20%),ロングは6.0g(同14%)でした。施肥窒素量に対する溶脱割合は,1回施肥のエコロングで50%,ロングは45%,2回施肥のエコロングで20%,ロングで14%でした(図3)。


ライシメーターに施用したエコロングとロングにおけるコーティング樹脂の分解程度の違いを比較してみました。2000年8月18日(施肥後396日約13ヶ月後)にライシメーターよりコーティング肥料を取り出し,写真撮影と指触試験を行ってみました。
その結果,エコロングはロングに比べ,形状の変化では多くの粒で亀裂~部分欠落程度の崩壊が確認されました。また,表面には土壌,有機物の付着が見られ,赤色糸状菌菌糸の生育が確認されました(写真2~6)。また,指触試験からエコロングの被膜の分解が進んでいることがわかり(被膜樹脂を指ですりつぶしてみると,ロングはあまりこわれませんが,エコロングは容易にこわれてしまいました),表層施用条件下で,十分に「環境分解特性」を発揮していることが確認されました。





今回の試験で明らかになったことは,図1~3に見られるようにエコロングとロングとではライシメーターでの硝酸態窒素の測定試験からは,溶脱時期や溶脱量がほぼ同様の傾向を示しているといえます。このことから,コーティング樹脂の違いはあるが,その溶出特性は,ほとんど変わらないと考えられました。また,1回施肥では,浸透水の硝酸態窒素濃度が環境基準値の10mg/Lを超えてしまいますが,2回に分施することにより環境基準値内にすることが可能です。また,2回施肥では1回施肥に比べ施肥窒素量に対する溶脱割合が約半分に抑えられたことから,ウメへの利用率も高いことが推察されました。
溶出後のコーティング樹脂の分解程度は写真2~6に見られるようにエコロングとロングとでは明らかな違いがありました。また,溶出後の各々の被膜を指ですりつぶして見れば容易にわかることですが,エコロング®のほうがロング®に比べて非常にこわれやすくなっていました。
このことから自然環境に与える影響もはるかに小さくなると推察されました。
今後は,ウメの収量性の確認等を行い生産現場に広げていきたいと考えています。
静岡県農業試験場 海岸砂地分場
主任研究員 宮地 直道
(現 独立行政法人 農業技術研究機構
野菜茶業研究所 葉根菜研究部 土壌肥料研究室長)
静岡県の砂地地帯(農耕地面積3,338ha)は冬季の日射量が多く温暖で,早春の地温上昇が早く,土壌水分量を調整しやすいといった特徴から県内の主要な野菜生産地となっている。しかし,農業者の減少や高齢化に伴う省力化のため,砂地畑の施肥法の基本であった分施が必ずしも実施されず,高度化成肥料を中心とする元肥の多量施用が行われている。これにより溶脱窒素量が増加し地下水汚染が進行している恐れがあるがその実態は明らかではない。
このような砂地畑での窒素動態の実態を明らかにするために,冬季にニンジンをトンネル栽培し,春~秋にカンショ,サトイモ,スイカを栽培している砂地畑で,地表面下1.5~4.5mの地下水中の硝酸態窒素濃度の変動を3年間調べた。その結果,降水量の増加時期でトンネル除去後の時期にあたる3~4月には地下水層の上部で硝酸態窒素濃度が高まり,この高濃度域は見かけ上時間の経過とともに下層に移動した。特に地下水流の下流側の地点では広い高濃度域が認められた(図1)。

また,窒素安定同位体比(δ15N値)より地下水中では顕著な脱窒が生じていると推定されている1)。一方,調査地域に隣接する暗渠施設での調査によれば,暗渠排水中の硝酸態窒素濃度もトンネル除去後の降雨時に高まる。この暗渠施設では年間施肥窒素量の21%(95kgNha-1)~41%(143kgNha-1)が暗渠を通じて系外に排出されると試算されている2)。
このように県内の砂地畑では,多量の余剰窒素が地下水中に付加されている恐れがある。一方,一部の砂地畑では台地から流出する茶園排水由来の河川水や砂地畑下の地下水を潅水利用している農家が多い。これらの河川水や地下水は硝酸態窒素濃度が高い場合がある。このような地帯では施肥窒素に加えて潅水由来の窒素が畑へと投入されていると想定され,これにより過剰施肥となっている可能性がある。そこで,簡易ライシメーターを用い,砂地のダイコン栽培において潅水中の窒素濃度を変えて収量や窒素収支との関係を調べ,窒素濃度の高い水を潅水利用することによる窒素施肥量の削減方法について検討した。
砂土を充填した木枠(内径54×48cm,高さ90cm)の底に涜霊水貯留タンクを設置した組立式簡易ライシメーターにダイコンを植え,窒素濃度の高い水を潅水してダイコンの生育や窒素収支を調べた。ダイコンの植栽面積は約0.26㎡で1試験区に2本栽培し,2反復で試験を行った。
窒素施肥量は化学合成緩効性肥料による8,16,24,48kgの4段階とし,潅水の種類(硝酸態窒素濃度)は水道水(0.3mgL-1程度),20mgL-1,河川水(30mgL-1程度),40mgL-1の4段階とした。なお,潅水は1回10mmとし,播種後1ヶ月は毎日,以後は一日間断を目安に行った。栽培期間中の潅水量は470mmであった。また,現地より採水した河川水中の硝酸態窒素濃度は栽培期間中の変動は少なく27.8mgL-1程度で,亜硝酸態窒素はなくアンモニウム態窒素は0.3mgL-1程度であった。
試験の結果,同一施肥星では潅水中の硝酸態窒素濃度が高いほど投入された窒素量(窒素施肥量+潅水中の窒素量)は多くなり,これに伴い根重も増加する傾向であった。このことから,潅水中の窒素はダイコンに十分利用されていると考えられる。収益性の高いLクラスのダイコンを生産するのに窒素成分をほとんど含まない水道水を潅水した場合は24kg10a-1の施肥量が必要だったが,硝酸態窒素濃度が20~40mgL-1の水を潅水した場合は,16kg10a-1の窒素施肥量で十分であった(図2)。

また,潅水から供給された窒素量のうち,ダイコンへの吸収量,ライシメーターからの排出量(溶脱量)を試算した。なお,推定土中残存量は投入された窒素量からダイコンへの吸収量,ライシメーターからの排出量を差し引いて求めた。試算の結果,潅水から供給された窒素量のうちダイコンヘ吸収利用された量は施肥量の多い48,24kg10a-1よりも施肥量の少ない16,8kg10a-1で多かった。しかし,施肥量が少ないとダイコンの生育が劣るため下層への窒素溶脱量が多くなる傾向があった。また,施肥量が多いとダイコンの生育が良く窒素溶脱量は少なくなるが,ダイコンヘ利用されない窒素が多くなった(図3)。

モデル試験で用いたのと同じ河川水(硝酸態窒素30mgL-1程度)を潅水として利用している現地ほ場でダイコンを栽培し,その生育状態を調査した。施肥は標準の農家慣行区を除き化学合成緩効性肥料の全量基肥とした。通常,現地における潅水は播種直後を除いてあまり行わず主に降雨によるが,ここでは普段より多めに潅水した。このため栽培期間中の潅水量は142mmとなった。
その結果,栽培期間中に潅水からは4.2kg10a-1の窒素が供給され,施肥量と合わせた投入窒素量は31.2~20.2kg10a-1となった。収穫物の階級発生率は投入された窒素量が少なくなるのにしたがいLクラス以上の比率が少なくなる傾向であったが,窒素施肥量16kg10a-1でも80%がLクラスとなり十分な収量が得られた(図4)。なお,聞き取り等の調査によると隣接する農家ほ場での平均根重は1.0kg程度,階級はLクラス以上が60~70%程度であった。

肥料成分が溶脱しやすい砂地では肥培管理法や作物の種類ごとに窒素溶脱量が大きく異なることが予想される。溶脱窒素量削減のための技術開発を進めるためには,まず,圃場や施設ごとに簡易に作物栽培時の窒素溶脱量を把握する必要がある。すでに様々な,埋設型ライシメーターが開発されている3)が,より安価で簡便に砂地における溶脱窒素量を把握するために,新たに埋設型の簡易ライシメーターを開発した。
このライシメーターは市販のポリコンテナを加工したもので,浸透水貯留タンク,バケット,採水,大気解放チューブなどからなる。このうちの浸透水貯留タンクとパケットはステンレス網と寒冷紗で仕切られ,ステンレス網はタンク中にある支柱に支えられている。また,採水はチューブから吸引して行う(図5)。

このライシメーターの採水能力を調べるため,バケットの側壁の高さを24,48,72cmとしたライシメーターをガラス室内に埋設し,潅水と採水を繰り返し行った。その結果,いずれの場合も採水量はバケット上端を地表面に出した対照の9割以上となり,砂地の施設栽培のように土壌水分がpF1.5以下と多湿な場合,バケットの側壁の高さは24cm以上あれば対照と同等の浸透水量の採取が可能であった。
このライシメーターをイチゴ栽培後作のハウスメロンのうねの直下に2基並べて埋設し,メロン栽培期間および栽培跡の潅水除塩時の溶脱窒素量をモニタリングした。その結果,メロン栽培期間中では21.9kg10a-1,メロン跡の潅水除塩時には2.8kg10a-1の窒素が溶脱し,一日あたりの溶脱量では潅水除塩中の方が栽培期間中の約10倍と多かった(表1)。今回は施設での試験結果を紹介したが,現在,露地畑でも本装置による窒素溶脱量のモニタリングを実施している。

これまで3回にわたり茶園および砂地畑からの窒素溶脱実態と,農地の系外への流出窒素量削減のための水田・休耕田の利用や砂地野菜栽培における潅水利用などについて述べた。静岡県のように古くから台地の湧水を下流の低地の農地で利用してきた地域では,新たに多大な資本投資を行い水質浄化施設を設置する前に,このような地形・地目連鎖系の有する水質浄化機能を評価して,その機能を積極的に利用するべきであろう。もちろん,現在と同程度の収量・品質を維持したまま,可能な限り投入窒素量を削減し,作物による窒素肥料の利用率を向上させることが第一である。しかし,例えば茶園下の下層土中には既に多量の窒素成分が蓄積され,今後も長期間にわたり余剰窒素の流出が続くことが予想される。また,気象条件を完全に予測することができない状態で,砂地畑での溶脱窒素量を皆無にするような施肥を行うことは極めて困難である。
したがって,現状では地形・地目連鎖系の有する窒素除去機能を積極的に活用するための技術開発や,各地域の特性に合わせた溶脱窒素量削減のための施肥法や作付体系の確立を図ることが重要である。そのためには,水田・休耕田の窒素除去能を高度に利用するための具体的な水管理方法の開発や,場合によれば水質浄化機能向上のための新たな圃場の基盤整備方法なども検討されるべきであろう。一方,砂地の施設栽培では近年養液栽培が盛んになり排液処理が新たな問題となっている。このような点源負荷に対応するためには,例えば硫黄酸化菌などを利用した新たな脱窒資材4)の活用なども検討されるべきであろう。
1)Toda, H., Mochizuki Y., Kawanishi T. and Kawashima H.:Denitrification in a shallow groundwater in a coastal agricultural area of Japan. Transactions of International workshop on nitrogen fertilization and the environment in east asian countries,22(2001)
2)望月康秀・戸田任重・川島博之:暗きょ排水組織を敷設した海岸砂地畑における窒素溶脱量の推定.土肥誌,71,512-519(2000)
3)尾崎保夫:簡易ライシメータ一法.水質保全のための農業環境モニタリングマニュアル,農業環境技術研究所(1999)
4)河田智明・増島博・谷田貝敦:硫黄酸化菌を利用したイチゴ高設栽培腐夜の窒素浄化.園芸学会雑誌,69,別冊2,344(2000)