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第527号 2002(H14).02-03発行

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水田土壌の可給態ケイ酸評価法

静岡県農業試験場 土壌肥料部
技師 江本 勇治

1.はじめに

 ケイ酸が水稲の健全な生育及び安定収量の確保に大きく寄与することは広く知られている。これは葉身の直立化による受光態勢の改善,気孔開度の低下による過剰蒸散の抑制1),葉の老化に伴うクロロフィル含量減少の抑制1),同化葉面積の増加2)などに伴う光合成効率の向上,耐病虫害性の向上,根活性の向上などが大きな要因1)として考えられている。

 ところが,ケイ酸質資材は米増産時代である1960年代後半に全国で130万トン程度消費されていたが,1980年代前半には約65万トン程度となり,1990年代に入ると50万トンを切るまでに消費が落ち込み,施用量の大幅な減少がみられる3)。しかし,先にも述べたように水稲の健全な生育にはケイ酸質資材の施用が必要であり,特に日照不足4),極端な高・低温5)などの異常気象条件時にはその被害を軽減する効果が大きいことが明らかであり,従って,水稲にケイ酸質資材を施用することは,高品質な米の安定的な供給に必要不可欠であると考えられる。

 そこでケイ酸質資材を効率的に活用するために水稲に有効な土壌中のケイ酸(土壌可給態ケイ酸)を評価する方法が必要となるが,その方法として,酢酸緩衝液で抽出する今泉・吉田法6)が長年にわたり広く使われてきていた。しかし,この方法は適用範囲が狭いためケイ酸質資材を多施用した水田での利用が困難である。この改善策として水稲の栽培環境である湛水還元土壌から得られる水溶性ケイ酸に注目し,湛水保温条件で溶出してくるケイ酸を定量する湛水保温静置法7)が一般に用いられるようになった。

 この方法は,風乾細土10gを100ml容ポリエチレン製容器(以下,ポリビンとする)に計りとり,蒸留水60mlを加え,軽く振り混ぜて脱気し,密栓して40℃,1週間の保温静置培養後,表面水の水溶性ケイ酸を定量するものであるが,この方法では湛水静置培養期間が1週間必要になるため,現場の土壌診断で求められる迅速性および多検体の連続処理に適しにくく,これらの問題点を解消する簡便な評価方法の開発が望まれていた。こうした状況の下,簡便で迅速な土壌可給態ケイ酸の分析法が全農営農・技術センターおよび静岡県農業試験場(以下,静岡農試とする)により開発されたので報告する。

2.リン酸緩衝液抽出法による土壌可給態ケイ酸の評価

 リン酸緩衝液抽出法は土壌に吸着されているケイ酸をリン酸によって置換・抽出し,アスコルビン酸で還元し比色法により定量する方法であり,全農営農・技術センターの水落ら8)により開発された。この分析方法について現地ほ場の土壌診断への適用性を検討した。

1)試験方法

 静岡農試での水稲”コシヒカリ”を栽培する水田(本場加茂,本場三ヶ野,高冷地分場)において(表1),収穫跡地の土壌可給態ケイ酸含量および成熟期の稲体ケイ酸含量を測定し,土壌可給態ケイ酸含量と稲体ケイ酸含有率の関係を明らかにし,土壌診断への適用性を検討した。

 今回開発されたリン酸緩衝液抽出法(以下,PB1法とする)による土壌可給態ケイ酸含量の定量方法は以下のとおりである。風乾細土5gを100mlポリビンに計りとり,抽出液である0.02Mリン酸緩衝液を50ml加える。そのポリビンを40℃の恒温槽に入れ,0,30,60,120,180,240,300分ごとに振り混ぜ,5時間かけて抽出する。なお,振り混ぜはポリビンを10回上下逆にすることで行い,必要以上に激しく振り混ぜない。

 抽出後,ろ過(No.6)し,試験管にろ液1ml,蒸留水7ml,0.25M塩酸3ml,10%モリブデン酸アンモニウム溶液1.6ml,20%酒石酸溶液2ml,2%アスコルビン酸溶液4ml加え,10分以上静置する。静置後,5時間以内に波長810nmで吸光度を測定し,あらかじめ作成しておいた検量線と比較しケイ酸含量を測定する。また,操作を迅速化するために抽出時間を短縮したリン酸緩衝液抽出法(以下,PB2法とする)はPB1法の抽出操作のうち,抽出温度を80℃に,抽出時間を30分に,振り混ぜ回数を0,30分の2回に変更した方法である。なお,各水田の試験区は表1のとおりである。

2)試験結果

 土壌可給態ケイ酸含量の分析値は,従来法である酢酸緩衝液法ではケイ酸質資材施用区および黒ボク土区で分析値が高く(表2),土壌可給態ケイ酸含量と稲体ケイ酸含有率の間には高い相関関係は見られなかった。

 リン酸緩衝夜抽出法による土壌可給態ケイ酸含量の分析値は,灰色低地土区でPB1および2法とも分析値が高くなるにつれ稲体ケイ酸含有率も高まっているが,黒ボク土区ではPB1および2法の分析値ほど稲体ケイ酸含有率が高まっておらず(表2),PB1および2法による土壌可給態ケイ酸含量は稲体ケイ酸含有率を十分反映しているとは考えられなかった。そこで,黒ボク土を除き灰色低地土のみで土壌可給態ケイ酸含量と稲体ケイ酸含有率の関係を検討したところ,PB1および2法とも比較的高い相関関係(PB1:r2=0.80,PB2:r2=0.82)が見られた(図1,2)。このことから,灰色低地土においては,ケイ酸質資材施用の有無を問わず,PB1および2法はともに土壌可給態ケイ酸を評価する方法として有効であり,土壌診断への適用性があるものと考えられた。

3.リン酸緩衝液抽出法の迅速および簡便法の検討

 PB1および2法が灰色低地土で土壌可給態ケイ酸を評価する方法として有効であることが示唆されたが,PB1法は抽出時間が5時間かかり,迅速性と多検体の連続処理を必要とする現場の土壌診断には適しにくく,また,PB1および2法とも抽出温度が40ないし80℃で,恒温槽などを使用しないと温度を一定に保ちにくく,現場の土壌診断で活用する際の問題点になることが予想される。この問題点を解消するため抽出時間および抽出温度をさらに変更し,土壌可給態ケイ酸の評価法としての有効性を検討した。

1)試験方法

 抽出法のうち,抽出温度を恒温槽などを用いなくても比較的一定に保つことが容易であると判断される100℃に上げ,抽出時間を10分に短縮し,抽出中に行う振り混ぜを0,10分後の2回に変更した方法(以下,PB3法とする)で収穫跡地の土壌可給態ケイ酸含量と稲体ケイ酸含有率の関係を検討した。試験場所は静岡農試本場加茂水田で,供試品種はコシヒカリである。試験区の構成は表3のとおりである。

2)試験結果

 PB3法による土壌可給態ケイ酸の分析値はケイ酸質資材施用量が多くなるにつれ高くなり,稲体ケイ酸含有率も施用量が多くなるにつれ高まっており,PB3法による土壌可給態ケイ酸含量と稲体ケイ酸含有率の関係を検討したところ,高い相関関係(PB3:r2=0.95)が見られた(図3)。

 このことから,PB3法は灰色低地土において土壌可給態ケイ酸評価法として有効であり,また,抽出温度は一定に保つことが容易であると判断される100℃であるため恒温槽などの装置を必要とせず,抽出時間も10分と短い。このことから,迅速かつ多検体の連続処理を必要とする現場の上壌診断に適していると考えられるので,普及性の高い分析法であると思われる。

4.まとめと今後の課題

 リン酸緩衝液抽出による土壌可給態ケイ酸の分析法はPB1(抽出温度40℃,抽出時間5時間),PB2(抽出温度80℃,抽出時間30分),PB3(抽出温度100℃,抽出時間10分)とも静岡県中西部地域に広く分布している灰色低地土において,ケイ酸質資材施用の有無を問わず,土壌可給態ケイ酸の評価法として有効である。特に,PB3法は抽出温度が恒温槽などを用いなくても一定に保つことが容易であると判断される100℃で,抽出時間も10分と短いため,現場の土壌診断への普及性が高いと思われる。

 しかし,この分析方法は灰色低地土以外の土壌群への適用性が明らかになっていないため,今後,灰色低地土以外の土壌群への適用が可能であるかどうか,また,コシヒカリ以外の品種への適用が可能であるかどうか検討する必要がある。

 さらに,今回開発された分析方法が土壌診断に利用されるためには,さまざまな環境条件,栄養条件,土壌条件で栽培された水稲とその土壌の分析データを数多く蓄積し,水田土壌の改善基準値を設定することが重要であり,そのことによりケイ酸質資材の利用が促進され,高品質で安定多収の水稲栽培が期待されるものと考えられる。

引用文献

1)東江栄・縣和一・窪田文武・Kaufman, P.B.:水稲の光合成・乾物生産に対するケイ酸の生理的役割,日作紀,61,200~206(1992)

2)高橋英一:稲学大成(第2巻),p321~331,農文協,東京(1990)

3)住田弘一:多様な水稲栽培方式における水田土壌肥料研究の現状と方向1.水田土壌における養分動態研究の進歩 その3-ケイ酸-,土肥誌,67(4),435~439(1996)

4)岡本嘉:しゃ光下の水稲生育におよぼすケイ酸の影響,日作紀,39,748~752(1970)

5)岡本嘉:水稲におけるケイ酸の生理学的研究(第9報),日作紀,38,734~751(1969)

6)土壌養分測定法委員会編:土壌養分分析法,養賢堂,p278~280(1970)

7)土壌機能モニタリング調査のための土壌,水質及び植物体分析法,財団法人日本土壌協会,p81~84(2001)

8)水落勁美・茂角正延・橘田安正・松本彦也:リン酸バッファー抽出による可給態ケイ酸の測定,土肥要旨集,42,185(1996)

 

 

「米作日本一」以降の多収研究

ホクレン農業協同組合連合会(JAグループ)
管理本部 役員室
農学博士 関矢 信一郎

 農業技術開発の根底には収量水準の向上があり,試験研究もこれを意識して行なわれている。しかし,我国においては昭和45年の水稲生産調整開始以降,水稲の目標とする研究は肩身が狭くなっている。以下では「米作日本一」以降ほぼ20年間の研究・調査の結果をいくつか紹介したい。

水稲の収量限界向上に関する研究

 米の自給がほぼ達成された昭和30年代後半,水稲収量の伸びが停滞した。農水省は昭和41年から4年間全国の地域農試を総動員して「水稲収量限界向上に関する研究」を行なった。その中で各地域における多収の可能性とその栽培法を検討した。この研究が終了した翌年から生産調整が始まったのは皮肉であるが,研究成果はその後の研究に活用されている。

高収水稲の形態・機能の特徴

 高収水稲が備えている形態や機能上の特徴は後述する様に地域性があるが,共通しているものもあることが明らかになった。

①高収水稲の形態は,早播き,早植え,密植などによる初期の生育量の確保によって作られる。
②高収水稲の形態は上位葉が短かく,直立型で施肥により受光態勢が劣化しにくい品種により形成されやすい。
③稈が太く比較的短稈で耐倒伏性の強い稲から作られる。
④700~800kg/10aの収量は㎡当りの穂数が400,籾数が3.5~4.5×104,登熟歩合80%で達成される。
⑤出穂期のLAIは5~8程度である。
⑥下位葉の枯上りが少ない。
⑦地下部の老化が少ない。

 この様な形態と機能を持つ品種の選択と,これに適合する栽培技術で実行されたのが高収水稲である。

高収水稲の地域性

 表1に高収水稲の地域性を示した。

 収量水準は700~900kg/10a,当時の平均収量の180%程度とした。この水準の収量を可能とする品種が各地域において揃っていた訳ではないが,具備すべき特性は示されている。地域性を見ると穂数・籾数など収量構成要素は北ほど高く,全量・稈長,LAIなどは南ほど多くなっている。

 栄養条件では,各地域とも葉身窒素濃度が高く経過し,生育後期でも2.5%以上となっている。

 窒素吸収パターンも同様で,出穂後に20~30%吸収されている。収穫時の吸収量は800kg/10aレベルで13~20kg,北は少なく南で多くなっている。これは窒素の生産効率が南ほど低いことを示すが,従来の数値に比べると両者の差は小さくなっている。

施肥法

 昭和30年代後半から後期栄養が重視され,所謂後期追肥が取り入れられたことについてはすでに述べた,このプロジェクトの中でも,後期栄養・後期追肥の解析が行なわれた。すなわち,基肥を減らし,穂揃期頃迄追肥を続けることにより,登熟性の向上が可能であることを理論的に裏付けた。基肥の減量は無効分けつを制御し,過繁茂を防止すると共に,下位節間の伸長を妨げる。穂肥の施用法として過繁茂を防ぎつつ一穂籾数を増加させる時期と量とが検討された。

 減数分裂期(出穂約10日前)以降の追肥は葉身の窒素栄養を確保し,登熟性の向上に有効であることが認められた。一方,当時一部で行なわれていた出穂後の追肥の効果は認められない場合が多かった。

 玄米100kg当りの三要素要求量を,窒素-リン酸-カリで,2-1-3.3kgとすれば,800kgでは16-8-26.4kgとなる。土壌から8kgの窒素が供給されるとし,利用率50%とすれば16kgの施用が必要となる。この3分の2から2分の1を基肥とし,残りを2~4回に分けて施用するのが標準的である。

 表2に各地域の基本型を示した。

 施肥と表裏である上づくりには,米作日本一におけるような多労を前提とするものは少なく,稲わらと珪カル・熔リンの施用が堆肥に代っている。

多収事例の収集

 農水省は超低コスト生産の一環として超多収を想定するプロジェクトを行なった。この中で水稲多収事例を収集している。以下にその事例を紹介する。

東北地域

 東北農試は東北地域の国公立農試における700kg/10a以上の多収例を昭和51年から60年迄について収集した。

 事例数は402,そのうち800kg/10a以上は225であった。

 特徴をまとめてみると(表3),
①品種はアキヒカリが多く,キヨニシキ,ササニシキ,トヨニシキの事例がある。800kg以上では,モミ・ワラ比1.3,㎡当り穂数500,一穂籾数90,㎡当り籾数4.7×104,登熟歩合82%,千粒重22.2gである。

②窒素吸収量は収穫時19kg/10a,幼形期10.1,出穂期14.9kgである。また,葉身の窒素濃度は幼形期2.09%,出穂期1.46%であった。

③900kg以上では,籾数が多くなり,登熟性が低下する。窒素吸収量は著しく多くなり,窒素の生産効率は更に低下する。

④土壌型は各農試圃場でグライ土,灰色低地土,黒ボク土が多い。いずれも稲わら全量かそれに相当する堆肥が施用され,土壌診断に基づいて土壌改良資材が投入されている。

⑤施肥法の代表的なものを表4に示した。また表5に農家や現地実証試験の結果を示した。

北陸地域

 北陸農試では昭和62年,普及所へのアンケート調査によって多収事例を収集した。ここでは,コシヒカリ540kg/10a以上の186例が集められたが,このうち660kg以上の14例についてまとめてみる。

①北陸地域に分布する殆んどの土壌型から出現し,作土の土性にも一定の特徴は認められない。耕深は12~18cm,平均15cmであるが9cm以下,19cm以上の例もある。

②有機物施用は稲わら全量還元が多く,堆肥は殆んど施用されていない。珪カルなどの土壌改良材はほぼ毎年施用されている。透水性・水持ちはほぼ中庸である。本暗渠,補助暗渠は無い方が多い。

③施肥法としては,基肥0~7kg/10a,追肥2~4kgの例が多く,根付肥はほぼ半数の事例で施用されている。つなぎ肥以降は葉色診断により,時期や回数を調整している。穂肥は1~3回,2,3回の事例が多く,1回1~2kgである。実肥もほぼ半数の事例において1~2kgを1回施用している。

④水管理(中干し)はほぼ全ての事例で実施されており,溝切りも同様である。

 北陸農試ではこの調査を基にいくつかの農家について追跡調査を行なった。表6に施肥体系を示した。

 農家間の差は大きいが,B農家を除けば11~15kgの窒素を5~9回に分けて施用しており,実肥も2~3回と多い。いずれも葉色診断に基づいて施用しており,これは葉色診断が多肥をもたらす側面のあることを示している。

 収量水準は660~720kg/10a で必ずしも高くないがアンケート調査とほぼ一致している。なお米質は実肥の影響もあり,B農家を除きやや低い。

 最後に高収県長野の事例を挙げて置く。県南のこの地区では例年コシヒカリ800kg/10aの収量を上げているが,この年は苗質が不良で初期生育が劣り,穂数不足から低収に終った。構成要素は㎡当り穂数392,籾数3.8×104,登熟歩合88.5%で760kg/10aであった。ここでの施肥法は多量の窒素の3分の1を基肥とし,残りを穂ばらみ期に施用するのが特徴である。

 上記の二地域は従来から多収地域とされていた。今回の多収事例を昭和40年前半に実施された「水稲収量限界向上に関する研究」において取りまとめられた地域毎の多収条件と対比してみると
①収量水準はほぼ目標値に達している。
②収量構成要素もほぼ目標値に近い。
③品種は交替しているが,特に多収品種だけではない。
④土づくりはむしろ後退している。
⑤施肥法は全量が増え,後期重点の多回数施肥が行なわれている。

「超多収品種の開発」

 「超多収」プロジェクトでは高収の外国品種及び本プロジェクトで育成したジャポニカ-インディカ(日印)交雑種を供試し,各地域農試で栽培試験を行なった。表7に昭和56年から63年迄の各年次における最高収量を掲げた。

 平均でみると北海道・東北地域では外国品種が最高収量とならないのに対し,関東以南の地域では外国品種が高位を占めており,北陸地域では育成品種が高収を上げている。これは,暖地では,外国品種の導入で高収が可能であるに対し,寒冷地では日印交雑の品種が必要であることを示している。また,従来観察されていた収量水準の東高西低は日本品種栽培下での傾向とみるべきであろう。

 日本品種・外国品種を通じ,早植え,密植,多肥が多収稲の共通条件とされている。

 外国品種は日本品種に比べ,出穂前の乾物生産量が多く,最終乾物量はさほど大きくならない。しかし,穂への移行率が高くこれにより高収となっている。養分吸収量はいずれも増加するが,窒素に比べリン酸・カリの増加が著しい。このようなことから,施肥法としては基肥を減らさず,穂肥を分けて施用している。表8に各地域の代表的な施肥体系を示した。

 いずれも当時の基肥及び追肥のそれぞれに増肥したもので体系としては大差ない。ただ,農研センターの例では,18Kg/10aの全量基肥で800kg/10a水準の収量を示す品種もあった。なお,各地域農試ほ場の土壌はグライ土か灰色低地土で,稲わら全量還元の外には特別な土壌改良はしていない。

 超多収品種はそれぞれの特性を生かせるほ場で適切な肥培管理を行なえば,1t/10a以上の高収は可能と思われるが,低コスト生産を目標とするプロジェクトのため,実証はされていない。

緩効性肥料による多収穫

 前述した多収穫事例の中に緩効性肥料により,基肥のみ又は追肥回数削減の例が含まれている。現在では緩効性肥料の使用は慣行となっているが,多収穫における先駆的な事例として紹介する。

 表9は山形農試の現地試験の例で,一度の緩効性肥料の追肥と2~4回追肥の慣行追肥との比較である。25例中22例で平均4%増収した,表はそのうち700kg/10a水準の6例である。

 農研センターでは緩効性肥料の基肥のみによる多収の可能性を検討し,外国品種ではあるが800kg/10a水準の収量を得た。結果を表10に示した。また窒素の吸収パターンの緩効性肥料区と硫安分施区の類似性を図1に示した。表10の収量構成・決定要素にも両区の類似性が示されている。

 

 

変動する立山の雪

立山カルデラ砂防博物館 学芸課
主任学芸員 飯田 肇

1.はじめに

 富山県は,水が豊富なことで有名だ。その水の源をたどると,3000メートルの標高を持つ北アルプス立山連峰の雪にたどり着く(写真1)。立山の年降水量は6000mm以上と推定されるが,そのうち半分近くを雪が占めている。立山の雪は,その標高により量が大きく変化する。図1に1990~91年冬期の標高別積雪深分布を示す(矢吹,1992)。平野部の富山市(標高9m)では,最大積雪深は50cm程度で積雪期間も3ヶ月程度だが,室堂平(標高2450m)では,最大積雪探は8mを超し積雪期間は何と9ヶ月にも達している。付近の吹きだまりではさらに積雪が増し,雪の大谷では除雪した雪の壁の高さが20mに達することもあり,訪れた人を驚かせている(写真2)。まさに世界でも有数の豪雪地帯である。

 これらの膨大な量の雪は,春先から初夏に融解し下流に住む私たちにとって貴重な水資源となる。しかしながら,厳しい自然条件で観測が困難なため,立山の雪の実態については未だ不明な点が多い。さらに,近年地球温暖化が叫ばれているが,その影響により北陸地方では降積雪特性が激変している。平野部で積雪が極端に減少しているのだ。しかし,立山等の山岳地域でどんな影響が現れているかはよくわかっていない。

 そこで,山岳地域の雪の変動傾向について調べるために,立山で積雪量や積雪内部構造の年々変動を観測し平野部での結果と比較した。この種の高山地域での観測例は日本では数少なく,基礎環境情報として重要だと思われるのでここに概要を紹介する。

2.立山の積雪変動

 立山室堂平において,冬期に積雪量や積雪内部構造の観測を継続的に実施した。

2-1.積雪量の変動

 立山室堂平と富山市における1975年より2000年までのー冬期間の最大積雪深の経年変化を図2に示す。室堂平の記録は立山黒部観光株式会社により,富山市の記録は富山地方気象台により観測されたデータを使用した。

 ここで特に注目されるのは,1986年以後の平野部での少雪傾向である。図より14冬期間,最大積雪深が75cm以下の年が続いている。ところが,室堂平の値をみると,同様の傾向はみられず,むしろ1989年,1991年,1993年,1996年,2000年のように最大積雪深が極端に多い年も見うけられる。また,そのような年にはさまれ,1988年のように極端に最大積雪深が少ない年も見うけられ,年々変動が激しいのが近年の特徴となっている。平野部で豪雪であった1981年(56豪雪)にみられるような,平野部でも山岳地域でも最大積雪深が多い傾向は,近年ほとんどみられない。

 この原因については,冬期間の気候の変化が考えられる。図3に,富山地方気象台により調べられた富山市における冬期間(11月~3月)の降水量と降雪量(1日間に積もった新雪の深さを冬期間にわたり積算した値)の経年変化を示す。

 1987年以後の降雪量にみられる顕著な少雪傾向は,降水量変動にはみられない。つまり,降水としては平年並みに降っているのだが,平野部では降水が雪としては降れないことがわかる。これには,冬期間の気温の上昇が関係していると推定される。

 そこで,山岳地域でも平野部でも雪の多かった1980~81年の冬期と,反対に平野部では極端な少雪だったが山岳地域では多雪だった1988~89年の冬期における融解高度の季節変化の推定を試みたので図4に示す。

 一般に地上気温が2℃の時に降水が雪となる縮率は50%とされているので,富山市での旬平均気温に0.6℃/100mの気温減率をかけ,各時期に2℃の気温域がどの標高にあるのかを推定した。図中の点線は,旬平均気温の平年値より推定した2℃線の平年値である。

 これより,豪雪であった1980~81年冬期では,12月中旬~3月上旬まで2℃線は標高0m以下にあり,平野部でも十分に雪が降れたことがわかる。

 一方,平野部で暖冬少雪であった1988~89年冬期では,2℃線は1~2月の厳冬期でも標高300~600m付近で変動している。これより低い高度では雨が降る確率が高くなっていたと考えられる。しかし,これより高い山岳地域では,気温が上がっても降水は雪として維持され,そのため図2にみられるように最大積雪深が大きな値となったと考えられる。これより,厳冬期の北アルプスでも低標高城では雨が降る頻度が高くなっていることが予想される。

2-2.積雪内部構造の変動

 室堂平の積雪の内部構造を調べるため,最大積雪深の時期である3月下旬に積雪断面観測を行った。この観測は,8mに及ぶ積雪を地面まで掘り下げて雪の断面を作り,層位,密度,雪温,化学成分分析用試料,粒子分析用試料の採取等を行うものだ。写真3に観測の様子を示す。

 1973年~1996年の間の室堂平における積雪内部構造を図5にまとめて示す(飯田他,1997)。1973年の観測は,中川他(1976)により実施された。図中ICは積雪層中の氷板,DLは黄砂等の汚れ層である。

 まず,1973年の層位図をみると,●印で示す層厚100cm以上にもおよぶ顕著なしまり雪層が数層みられる。この層は,顕著な冬型の気圧配置が続き一降雪期(数日間)で形成されたと考えられる層で,均一で融解層を含まない。積雪層位から推定する限り,1973年の冬期は冬型が卓越持続したと考えられる。1985年の層位でも,同様の傾向がみられる。

 一方,1989年以降の年の層位をみると,顕著なしまり雪層は全積雪層を通して1~2層である。むしろ,○印の融解再凍結を繰り返して形成されるざらめ雪層や,氷板,汚れ層が小刻みに分布している傾向が読みとれる。

 このような変化の原因として冬期間の気温の上昇があげられるが,その背景には気候型の変化が考えられる。冬期間に降水をもたらす代表的な天気図型には,西高東低の冬型と温帯低気圧型がある。これらの出現頻度が近年逆転し,冬型による降雪とともに低気圧型の降雪の占める割合が増加していることが指摘されている(横山他,1990)。

3.近年の雪氷災害

 これまで述べてきたように,立山山岳地域の積雪は,その量,質ともに,近年の気候変動とともに大きく変化している。それに伴い,この山城で発生する雪氷災害の形態にも,変化の兆候が現れている。以下に,いくつかの事例を紹介する。

 近年,立山周辺では,1991年に大日平,1996年に称名滝周辺,1997年に剣岳池ノ谷等で大規模表層雪崩が発生し,人や建物に大きな被害が及んでいる(写真4)。中には,樹齢120年を越す大木の幹をのきなみへし折って流下した雪崩もみられた(写真5)。近年の渦暖化以前には発生していなかった雪崩である。

 大規模乾雪表層雪崩(ホウ雪崩)の発生には,積雪内の弱層が強く関与している。近年の温暖化により,図5にみられるように積雪内部構造が複雑化し,積雪内にざらめ雪層や氷板等の層構造が多くみられるようになった。ざらめ雪層や氷板の存在から冬期間でも融解が頻繁に起きていることが示唆される。積雪表面近くで融解が起きると0℃の雪層ができ,放射冷却等の条件が整えばこの上に積もった新雪層中で大きな温度勾配が生じやすくなる。このため雪崩の弱層となるしもざらめ雪層が成長する。近年の温暖化が,弱層形成にむしろ有利に働いているのだ。

 さらに,2000年の冬期は特徴的な天候が続いたため,積雪層中に不連続層が生じ,雪崩や雪庇崩壊による遭難が多発した。12月にある程度の積雪が生じた後,従来は一番積雪が増す寒冷期である1月上中旬に好天が続き,積雪がほとんど増さなかったのだ。この時期に表面の積雪は変態して脆い雪層を形成した。その後,2月中下旬になってから強い冬型の気圧配置が連続して,1月の弱層の上に一気に多量の積雪が形成された。そのため,大変不安定な積雪が広範囲に分布した危険な状態であったと思われる。

 実際,3月に入ってから,5日に大日岳で大規模な雪庇の崩落事故があり2名が死亡し,また15日に日照岳でも1名が雪庇の崩落により死亡した。さらに,3月27日に笠ケ岳で観測史上最大級の大規模な表層雪崩が発生し2名が死亡した。これらの事故は,上記のこの冬独特の積雪の不安定さが要因となっていると考えられる。

 これまで乾雪表層雪崩や雪庇の崩落について述べてきたが,立山近隣の黒部峡谷では標高が1000m前後と低いために,冬期でも雨が降る頻度が増している。このため,本来なら融雪期に発生する融雪地すべりや雪泥流が冬期に発生している。1992年3月1日に黒部峡谷仙人ダム付近で,雪崩のデブリが黒部川を堰き止めて作った雪ダムが決壊して大規殺な雪泥流となって流下し,死傷者2名,発電施設破損の大被害をもたらした例がみられる。

4.おわりに

 以上に述べたように,立山等の山岳地域の積雪は,水資源として下流域にとって重要な役割を果たしている。温暖化により山岳地域の積雪特性が変化すると,その影響は河川|への流出時期や流出量の変化として現れ,水循環にも大きな変化が生じるであろう。地球温暖化の影響評価の必要性が叫ばれている昨今,その実態をより深く理解するためには,山岳地域での積雪や気象のモニタリング調査を継続しデータを蓄積することが必要不可欠である。

 さらに,立山で積雪や気象観測を継続することは,冬期モンスーンにより大陸から運ばれてきた浮遊物が最初に落下する地域であることから,大気のバックグラウンド状態のモニタリングにも大変適している。

 かつて大伴家持が眺め詠った立山の白雪は,激動する気候変動をのぞく窓となり,今も私たちに語りかけを続けてくれる。

文献

●飯田肇,瀬古勝基,矢吹裕伯,長田和雄,幸島司郎(1997)立山室堂平における近年の積雪変動について,積雪中の個体不純物の動的な組成,光学特性変動の研究,101-113.

●中川正之,川田邦夫,阿部俊夫,清水弘,秋田谷英次(1976)雪氷,38,1-8.

●矢吹伯裕(1992)北アルプス立山山城の積雪分布とその変動,名古屋大学大学院理学研究科修士論文.

●横山正紀,森永由紀,安成哲三,飯田肇,川田邦夫(1990)立山室堂の降雪の気候学的解析-1988~89年度観測結果報告-,日本最古の化石氷体(北アルプス内蔵助沢)の構造と形成に関する研究,94-107.

 

 

加賀能登の特産・伝統野菜(5)

石川県農業情報センター
主任農業専門技術員
今井 周一

Ⅲ 昭和・平成時代

 昭和の初めは,国際的に第一次世界大戦とロシア革命,国内的には米騒動,関東大震災や農業恐怖とそれに続く第二次世界大戦と敗戦。このようにめまぐるしく変転した昭和は,敗戦と国土の荒廃という中で第一歩を踏み出した。農村の復興を背景に新しい技術の開発からプラスチック被覆資材,肥料,農薬の出現から施設化や作型の分化,そして栽培の省力化が進んできた。また,かん水施設の出現から不毛の地である砂丘地の野菜づくりが発展してきた。

 一方,昭和の初めは民間による育種が盛んで,金沢節成キュウリ,三谷キュウリ,加賀白菜,打木源助ダイコン,打木赤皮甘栗南瓜,金沢太キュウリ,白花フジ豆など多くの野菜が生み出された。

 昭和の中頃から現在,米の生産調整と兼業化,農村の都市化と過疎化の進む中,道路網の整備等で新たな野菜の産地が定着してきた。

1.打木源助(源助ダイコン)

来歴

 源助ダイコンは,金沢市打木町の篤農家故松本佐一郎氏によって育成されたものである。松本氏は,昭和7年に愛知県の井上源助氏が宮重系統の中から早生種で生育の旺盛な切太系の固定したものを導入し,在来の練馬系打木ダイコンとの自然交雑によってできたものを毎年選抜し,昭和17に今日の源助ダイコンに育て上げたものである。

栽培の歴史

 源助ダイコンは,昭和26年からスイカ・カボチャの後作として導入された。昭和33年にかん水施設(スプリンクラー施設)の導入によって,本格的に栽培されるようになった。昭和35年には源助ダイコンの共販取扱高は3000トンに達している。

 源助ダイコンは,ずんぐりとした円筒形で,肉質が柔らかく肌がきれいなことから,天下一品と関西市場で評価され,石川県の特産物として不動の地位を築いた。しかし,長年栽培されてきたが,長形のF1品種の出現や出荷時期などの問題もあって,25年ほど前には約250haあった栽培面積が,今ではおおよそ3haに減少している。

品種の特性

 根部の形状は根径8cm,根長22~25cmの短円筒形で尻のつまりがよい。生育が旺盛で,ウイルス病や萎黄病にかかりにくいがス入りや空洞症が発生しやすい。

 現在,種子は石川源助大根,MK-石川源助2号,改良打木源劫大根で市販されてる。

栽培の特徴

 播種の適期は短く,8月下旬前後で,8月上~中旬での播種では高温防止とウイルス病回避のため寒冷紗トンネル栽培が必要となる。

 播種の適期は,普通栽培で8月20日~27日である。遅まき栽培の限界は9月10日頃である。収穫は播種後55~60日目で,このころが肥大もよくス入りも少ない。

主な産地と旬

 産地と収穣期:金沢市安原地区,珠洲市/10月下旬12月上旬

 旬:仲秋~晩秋

2.打木赤皮甘栗(打木赤皮甘栗かぼちゃ)

来歴

 打木赤皮甘栗かぼちゃは,昭和8年,金沢市打木町の篤農家故松本佐一郎氏が福島県から赤皮栗(大正の5年頃,福島県会津で成立した品種で会津栗,甘栗とも呼ばれる。→西洋かぼちゃの走り)を導入し,着果性,色のよいものを選抜し,育成した。昭和18年頃にほぼ完成し,戦後発表された品種である。

栽培の歴史

 戦後,金沢市安原地区で打木赤皮甘栗かぼちゃの栽培が広まり,昭和27~28年頃から京阪市場で圧倒的な人気を博した。当時のかぼちゃとしては,果色が鮮やかで美しく,果肉が厚く,甘いことから金沢市の砂丘地はもちろん,関西・関東方面にも栽培が広まり,各地で好評を博した。その後,需要の減退から栽培は減り,現在ではわずかながら栽培され,金沢の料理の彩りとして親しまれている。

品種の特性

 形は円錐栗型で,果肉は厚く粘質で,しっとりとした味わいである。極早生で,着果もよく,食味も良好で果皮の朱色が鮮やかな品種である。1果重1.1kg位である。

おもな産地と旬

 産地と収穫期:金沢市打木町/6月中旬~7月中旬

 旬:夏

3.金沢太胡瓜(加賀太キュウリ)

来歴

 金沢太胡瓜は,昭和11年に金沢市久安町の篤農家米林利雄氏が仲買人から煮食用きゅうりの種子を200粒譲り受け,近在の野菜農家7人に分けて栽培したのが始まりである。その当時の太キュウリはウリに近く,三角形で黄味だったという。しかし,長い年月の間に,近在で栽培していた金沢節成りキュウリとの自然交雑によって,果径は三角形から丸味帯びた形に,果色は黄色から濃緑色へと変化し,現在の太きゅうりができあがったものである。

栽培の歴史

 昭和27年に栽培面積が3haに達したのを機に金沢市が名付親となって金沢太胡瓜と命名し,金沢特産の煮食用きゅうりとして世に出た。

 現在では,栽培法も当初の露地栽培からハウス栽培や温室栽培に変わり,産地も金沢市街地の三馬地区から昭和45年頃,近郊地区の打木地区に移動し,地元を始め京阪神市場ヘ加賀太きゅうりとして出荷されている。

品種の特性

 果長22~27cm,果径6~7cmの白いぼ太キュウリで,1果重が1kgにもなる。節成りにはならず,株当たりの収穫は10数果である。

栽培の特徴

 半促成栽培が主で,一部抑制栽培も行われている。整枝法は子づる2本仕立てとし,主枝は15~20節で摘心し,7節以上の側枝は1葉を残して摘心し,着果は2~3節に1果つけるようにする。

主な産地と旬

 産地と出荷時期:金沢安原地区・高松町(米林利栄)/5月上旬~11月下旬

 旬:初夏~盛夏

4.つる豆(だら豆)

来歴

 つる豆は当県で呼ばれている名であり,正式にはフジマメのことである。フジマメは「野菜種類・品種名考」(青葉 高著)によると,インド,東南アジア,中国などで広く栽培されている。日本への渡来については,平安時代の新撰字鏡(900年頃),本草和名(910年頃)などにフジマメがあり,渡来年代は古い。また隠元禅師が1650年頃中国から導入したという説もあり,近畿・関西方面を中心に栽培が多い。

 フジマメには地方名が多い。江戸時代の地方名を載せた物類称呼(1775)には,関西でインゲンマメ(隠元豆),伊勢でセンゴクマメ(千石豆)と呼ばれている。千石豆とは豊産を意味する名称で,岐阜・愛知両県ではマンゴクマメ(万石豆)と呼ばれている。このように収量が多いことから本県では「だら(馬鹿)豆」とも呼ばれている。また一説には,「だらでも(馬鹿でも)作れる」と云ったところからついた名らしい。

栽培の歴史

 本県でいつ頃から栽培されていたか,詳しいことはわかっていないが,昭和20年代頃と思われる。現在では金沢市山麓で露地裁培,小松市近郊でビニールハウスによる半促成栽培が行われている。

主な産地と旬

 産地と収穫期:
  金沢市花園地区/6月下旬~11月中旬
  松任市一木地区・小松市末佐美地区/4月下旬~7月中旬

 旬:初夏~初秋

5.ハクサイ(松任の秋冬ハクサイ)

来歴

 日本ヘハクサイが初めて渡来したのは慶長2年(1866),本格的栽培が試みられるようになったのは明治になってからのことで,中国から導入された野菜としては,比較的新しい経歴の野菜である。本県では,戦前から手取川扇状地帯の水稲単作地帯で栽培されていた。水田裏作としてのハクサイが,本格的に栽培されたのは昭和24年に入ってからである。

栽培の歴史

 ハクサイの本格的な栽培は昭和24年からである。昭和28年に練床育宙の普及に伴って急激に栽培面積が増大し,昭和29年には金沢市と石川郡の合計が県全体の42%になった。昭和28年から10年近く,木箱詰めのハクサイが北陸線松任駅(現在のJR松任駅)から20両編成の貨車で関西市場ヘ送られた光景は,金沢平野晩秋の風物詩となっていた。昭和38年代頃から農家の兼業化,価格の低迷,根こぶ病の発生などから栽培面積は減少し,現在では15haになっている。

品種の変遷

 導入当初は,藩政時代から続く金沢市の松下種苗が育成した「加賀白菜」を栽培。30年代後半から「長交耐病60日」が主流をなし,現在では「福宝60」,「大福75」,「黄ごころ」の3品種が栽培されている。

加賀白菜の特徴

 大正11年に「加賀白菜」を完成した。葉が厚くて柔らかく,1個が4~6kgもある大型ハクサイが特徴である。

栽培の特徴

 稲刈り後の排水の良い水田を選び,耕起施肥後うね立てを行う。8月中旬~9月上旬に苗を定植し,10月下旬~11月下旬にかけて収穫する秋まき栽培である。

主な産地と旬

 産地と収穫期:松任市,河北潟干拓地,穴水町,内浦町/10月下旬~11月下旬

 旬:秋冬

あとがき

 加賀能登の特産・伝統野菜は,藩政時代から京都,大阪,尾張などから人々の往来や情報によってもたらされたものが7割,もともと自生していたものが2割,独自にあみ出された野菜は1割である。こうした野菜は,野や,海,川と豊かな自然に恵まれた加賀能登の各地に息づき,四季折々に栽培され食卓を飾ってきた。このように郷土の先人たちが育んできた野菜栽培を受け継ぎ,後世に伝えるとともにこれら野菜を生かした加賀能登の食文化を永く伝えたい。

 また,伝統野菜は資源として守らなければならない。昔から特定の地域だけで作られてきた独自の特徴を持った野菜で,すでに嗜好の変化から斜陽化の道をたどった野菜もある。「金沢節成キュウリ」,「三谷キュウリ」,「加賀一本太ネギ」,「加賀白菜」などの伝統野菜・地方品種の保存と伝統野菜の特徴や来歴,栽培状況,採集状況などの実態を把握し,後世に伝えなければならない。

取材協力

●金沢市農業センタ一,石川県農業総合研究センター(野菜科,砂丘地農業試験場,河北潟分場,能登分場),各農林総合事務所農業改良普及部,松下種苗店,JA全農石川県本部米穀園芸部営農推進課,JA金沢市園芸課,JA金沢市小坂支所

●普及員OB:新谷雄,田中喜博,赤池弘義,山口広,林勇雄

●農業者:中川健二郎(金沢市南森本),山根多喜次(金沢市泉野出),虎本修一(金沢市泉野出),柿本庄一郎(金沢市諸江中丁),東川澄雄(金沢市御所),徳田正二(金沢市加賀朝日牧),向井勝二(金沢市俵原),中田数夫(金沢市地代)

写真提供

石川県農政課,金沢市農業センター,石川県農業協同組合中央会,柴田書店,小松農林総合事務所農業改良普及部,石川農林総合事務所農業改良普及部,津幡農林総合事務所,羽昨農林総合事務所農業改良普及部,七尾農林総合事務所農業改良普及部,珠洲農林総合事務所農業改良普及部,松下種苗店

引用及び参考文献

●皇国地誌:明治9年

●石川県園芸要鑑:大正5年

●石川県統計書:明治35年~昭和20年

●耕稼春秋:(社)農山村文化協会 土屋又三郎著 昭和55年6月

●かなざわの農勢:昭和27年~平成11年

●石川の農林産物とむら(園芸・林業編):昭和63年3月

●ふるさと里のいぶき:石川県農村文化協会 中島康夫著 平成5年7月

●蔬菜園芸各論:野津沢三郎 薯 昭和31年9月

●蔬菜園芸圖編:篠原捨喜・富樫常治共著

●農業技術体系:特産野菜・地方品種

●野菜在来品種の系譜:青葉高著 昭和57年4月

●野菜種類・品種名考:農業技術協会 昭和61年8月

●加賀蓮根:田中喜男 昭和36年9月

●ふるさとの野菜たち:石川県農林水産部・JA石川経済連 平成10年

●おいも全書:平成3年3月

●森本のあゆみ:平成12年3月

●森本村回顧誌」昭和58年10月

●郷土の産物:石川県教職員組合文化部 昭和32年9月

●金沢北地域誌香我の譜:昭和58年10月

●石川県土地改良史:昭和61年3月

●金沢市史:平成元年

●五郎島町史:平成2年9月

●安原郷土史 内川の郷土史 富樫郷土史

●弓取郷土史 小坂郷土史 羽昨市史 富来町史

●高堂町史 中島町史 宇ノ気町史

●アブラナ類の地方品種と遺伝資源:砂丘地農業試験場 山辺守著 平成12年4月

●これからの加賀マルイモづくり:石川県農林水産部(久田隆著) 昭和49年1月

●ほくりくの特産物:北陸農政局統計情報部 昭和53年5月

●ほくりくの特産野菜:北陸野菜技術研究会 昭和60年6月

●食べてみまっし加賀野菜:社団法人石川農林統 計協会 平成8年3月

●いいね金沢加賀野菜:加賀野菜保存懇話会 平成12年8月

●青果物原産地表示定着事業表示優良事例集:(財)食品流通構造改善促進機構 平成12年3月

●金沢青果商百年:金沢青果食品商業協同組合 平成6年10月

●聞き書石川の食事:(社)農山村文化協会 昭和63年6月

●かが・のと・かなざわ四季の料理:北国新聞社 平成5年1月

●石川県災異史・昭和36年

参考パンフレット・新聞記事

●特産打木大根の栽培について:松本佐一郎著 昭和33年7月

●金沢の味(金沢特産野菜のおいしさを生かした料理法):金沢市

●食べてみまっし加賀野菜:金沢市

●加賀野菜おいしい味の話:金沢市農産物ブランド協会

●土からのメッセージ加賀野菜誌:昭和57年 北国新聞社連載記事(砺波和年,現テレビ金沢報道制作局長文責)

●ほくりくの野菜物語・平成6年 北国新聞社連載記事