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第540号 2003(H15).04発行

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歴史の中の肥料
チリ硝石物語3

京都大学名誉教授
高橋 英一

チリ硝石産業の隆盛と衰退
ペル一政府の硝石産業固有化の波紋
(1868~1879)1)

 1868年8月13日イキケを地震と津波が襲った。これによって硝石の輸出が一時途絶えたため,ヨーロッパ市場で硝石が高騰した。さらにその後,普仏戦争(1870~1871)が起こったことも,硝石の需要を高めたと思われる。この高値は1872年まで続いた。

 一方この間,1871年7月に最初の硝石鉄道が,タラパカ地方の硝石産地の一つラノリアとイキケ港の間に開通した。これによって畜力依存の原始的な輸送からようやく脱するとともに,工場の近代化,大型化も進み,硝石産業は急激に拡大した。

 そのため労働力の需要が高まり,多数のチリ人労働者がタラパカ地方に流入し,イキケの人口の43%を占めるに至った。また硝石産業に参入したチリ資本はイギリスを抜き,ペルーに次いで第2位に躍進した。

 ところが1873年から始まった経済不況の影響で,ヨーロッパの硝石需要が低迷し,在庫過剰を招いた。その結果タラパカの硝石輸出は一時ほぼ停止し,企業はつぎつぎに倒産するという事態になったが,更に追い打ちをかけたのがペル一政府の行ったチリ硝石産業の国有化であった。

 タラパカの硝石生産業者は,輸出が始まった1830年以来,課税負担をほとんど免れていた。ペルーはそれ以前からグアノを輸出していたが,1840年頃からヨーロッパでグアノの需要が高まったことから,ペルーはグアノ資源を国有化し,これによって莫大な外貨を獲得するに至った。このため勃興期のタラパカの硝石産業に,政府は余り関心をもたなかった。

 しかし1869年以後,グアノ資源の枯渇化傾向が強まり,グアノ輸出の低迷が始まったため,政府はタラパカの硝石資源に注目するようになった。

 1873年1月ペル一政府は硝石輸出を一元的に管理する国家専売制をとろうとしたが,生産業者の反発にあい一旦無期延期した。しかし経済状況が更に悪化したため,1875年5月に硝石企業を強制収用,国有化を断行するに至った。そして収用補償として硝石公債を生産業者に与えたが,この硝石公債は,後にタラパカの硝石産業がヨーロッパ資本に支配される原因になった。

 当時のペルーには,チリの資本や労働力が自国領のタラパカヘ入ってくるのを快く思わない反チリ感情があり,政府も硝石に対するこれまでの自由放任政策が,チリを不当に利してきたという反省があった。そのため収用にあたって,チリ系企業の選択的排除が行われ,これはタラパカにおけるヨーロッパ資本(主としてイギリス系)の優位を助長することになった。

 一方1867年にタラパカの南のボリビア領アントフアガスタで大規模な鉱床が発見され,1870年頃からここにもチリ企業が進出してきた。そして70年代の終わり頃には,アントフアガスタの人口の85%をチリ人が占め,生産の殆どすべてを支配するに至った。

 更にまた,南方のチリ領タルタルにおいても,チリ人自身による硝石の開発が始まった。これらの結果ペル一政府が国有化を断行した1875年当時,全硝石生産の97%を占めていたタラパカのシェアは,1879年には66%に低下してしまった。

太平洋戦争とチリ内戦(1879~1891)2~4)

 自国領内のアントフアガスタの硝石資源を,わがもの顔に採掘するチリを苦々しく思っていたボリビアは,1873年2月にチリに対する鉱物資源防衛を内容とする秘密同盟条約をペルーと結んだ。

 1874年8月,ボリビアはアントフアガスタのチリおよびイギリス企業に対する輸出税を,今後25年間凍結することで合意したが,1878年12月に至って新たな課税を通告した。チリはこれを1874年の協定違反として抗議し,軍隊を派遣して圧力を加えた。しかし翌1879年2月24日ボリビアは増税の撤回を拒否,硝石会社(アントフアガスタ社)を接収するに及んで,チリ軍はアントフアガスタを占領した。

 3月1日ボリビアはチリに宣戦し,ボリビアと同盟を結んでいたペルーも4月5日チリに宣戦,同日チリもペルー,ボリビア両国に宣戦を布告,こうして5年にわたる太平洋戦争が始まった。

 チリ政府はアントフアガスタ社の権益を保全すると,同社にその代償として戦費調達のための課税を求めた。これはチリによる硝石産業への徴税の始まりである。

 チリ軍は更に北上して,1879年11月ペルー領のタラパカ地方を占領,同年12月26日夕ラパカから輸出される硝石に輸出税を徴収する軍令を発した。これに対してイギリスのギッブス商会等外資系企業は猛反発し,硝石の引き渡しを拒否したため,チリ政府は1880年2月28日夕ラパカ硝石会社(ギッブス商会)を接収した。

 これに対しギッブス商会はイギリス大使を通じてチリ政府に圧力を加えた。その結果一律輸出税制度の導入ということで一応の妥結をみ,タラパカの情勢は次第に正常化していった。

 1880年11月チリはペルーを屈服させるため首都リマの攻撃を開始し,翌1881年1月チリ軍はリマを占領した。その後も2年間散発的なゲリラ戦が続いたが,1883年10月遂にペルーは降伏し,アンコン条約が締結され,これによってチリはペルーからタラパカ地方を獲得した。

 さらに1884年4月バルパライソでチリとボリビアの間で休戦協定が成立,ボリビアはチリにアントフアガスタ地方の領有を認め,15万平方キロの領土と,海への出口を失った(図1)。

 太平洋戦争は国民国家としての体制を整えていたチリの決定的勝利に終わった。これによってチリはタラパカ,アントフアガスタの硝石資源を獲得,チリの硝石生産は飛躍的に増大した。硝石ブームは1880年代から第一次世界大戦頃まで続き,チリはアルゼンチンおよびブラジルと並んで,南アメリカで最も富んだ国の一つになった。

 ペルーによって国有化されたタラパカの硝石資産に対して,チリ政府はこれを再び民間企業に返還し,国家介入を最小限にするという自由放任政策をとった。しかしそのためにチリの硝石産業は,イギリス資本の支配するところになった。

 すなわちペルーの敗北により,ペルー政府の発行した硝石証券は暴落し,投機筋の買い占めが始まったが,最も成功したのはイギリス人のノースであった。チリ政府は硝石証券を所有する者に硝石工場の権利(硝石の生産販売の自由)を認めたので,ノースはロンドン市場で硝石の株式会社をたちあげ,チリの硝石産業の資本独占を始めた。

 一方戦争によって手に入れた硝石資源を新たな産業の基軸にしたチリは,税収を専ら硝石の輸出税に依存するようになった。このような税は太平洋戦争以前にはなかったが,1882年になると税収の27%を賄うまでの一大収入源になり,更に1889年には45%と税収の半ば近くを占めるに至った。

 1886年大統領に就任したバルマセダは,この税収増を背景に積極的な公共事業投資を行うが,その配分を巡って議会との間に激しい対立が起こった。すなわち反大統領派は,地方への財政資金の配分が大統領派の影響力行使の手段になっており,選挙干渉であると強く非難した。

 一方タラパカ地方における外国資本(イギリスのノース系企業)の独占支配を排除しようとする,民族主義的立場に立つ大統領とノース系企業との対立も深まり,これに民主化(大統領権限の縮小)を要求する議会派勢力との対立が加わり,遂に内戦を招来するに至った。

 1891年1月,海軍将校のホルヘーモントによる反乱がおこった。約八ヶ月に及んだ内戦は大統領派の敗北に終わり,同年9月18日バルマセダは大統領を辞任し,アルゼンチン公使館に避難した彼はそこで自殺した。モントの勝利は,その後30年続く安定した議院内閣制時代の始まりとなった。

第一次世界大戦の勃発とその後5)

 チリ硝石の生産,輸出は図2にみられるように,第一次世界大戦直前まで上昇傾向を続け,1880年から1913年に至る30年余りの間に,22万トンから277万トンへと12倍もの成長を遂げた。

 硝石の輸出が全輸出に占める割合は,1880年31%→1890年55%→1900年66%→1910年78%と急激に比重を高め,第一次世界大戦前には輸出の8割を,単一品目の硝石で占めるという,異常な構造を呈するに至った。

 これによってチリ政府は潤沢な財政収入を得ることが可能になった。すなわち硝石輸出税の一般歳入に占める割合は,1880年に4.7%であったのが,1890年には48%と10倍以上に激増し,以後1929年の大恐慌が始まるまでの40年間,平均して一般歳入の半分を占め続けた。

 また硝石鉱山での雇用を求めて,チリ全土から労働者がこの硝石地帯に集まり,人口はこの間に2倍以上に増加した。

 1880年代前半の硝石産業の雇用は5,000人程度であったが,10年後の1890年には13,000人,1910年には43,000人,1924年には60,000人と大幅な伸びをみせた。これは製造業部門全体の雇用数の3割に近く,硝石産業は確実にチリの基幹産業になった。

 しかし限られた天然資源であるチリ硝石に対する急速な需要増大は,早くも19世紀の末有識者に資源枯渇の危惧を抱かせた。その中でも有名なのは,1898年9月にブリストルで聞かれたイギリス学術協会で,会長のクルックスが行った次のような要旨の演説である。

 「世界のコムギ栽培地の地力は消耗しつつあり,耕地面積の拡大にも限度があるのでこのままでは近い将来コムギは不足するだろう。これを回避するためには適当な窒素肥料を施して,コムギの平均収量を引き上げる必要がある。一方チリ硝石の前途は決して楽観すべきものでなく,有限なチリの鉱床は近い将来掘り尽くされるだろう。このようなときわれわれがもっとも注目すべきは,無限にある空中の遊離窒素である。この窒素を植物が吸収できるような物質に変え,肥料にすることはわれわれ科学者の双肩にかかる重大かつ緊急の課題である。」

 このクルックスの演説に触発されて*,空中窒素の工業的固定の研究がヨーロッパ諸国で急速に進展した。まず1905年に石灰窒素がドイツで,ついで1907年には電弧法による硝酸肥料(硝酸カルシウム)がノルウェーでつくられた(ノルウェー硝石)。そして1909年に空気から分離した窒素ガスに水素ガスを直接化合させる合成アンモニア法がドイツで発明され,1913年最初のアンモニア合成工場がライン河畔のルードウィヒスハーフエンに建設された。

 この三つの工業的窒素固定法の中,合成アンモニア法は第一次世界大戦を契機に最も発展を遂げた。チリ硝石はこの合成アンモニアの競合を強く受けることになるが,1920年代はまだ高い需要を維持していた。しかし世界恐慌とそれに続く世界貿易の崩壊は,チリ硝石産業に大打撃を与えた。

 そこでチリ政府は1934年にChilean Nitrate and Iodine Sales Corporation(チリ硝石およびヨード販売公社)を設立した。そして硝石とその精製過程の副産物であるヨードの生産販売をコントロールすると共に,世界カルテルに加入することにより,輸出を伸ばすことに成功した。

 第二次世界大戦が終了した1940年代後半に市場が好転に向かうと,チリ硝石産業もある程度の回復をみた(1948~1953年の平均年生産量は157万トン)。一方チリはチリ硝石産業の副産物であるヨードの世界最大の供給国になった。

産業革命の申し子としてのチリ硝石

 18世紀後半イギリスで始まった産業革命は19世紀にはヨーロッパ大陸に広がった。その結果農産物の生産が対応できない程の人口の激増(ヨーロッパの人口は19世紀中に2倍以上になる)と土木業,鉱山業の著しい発展が起こった。

 前者は肥料とくに窒素肥料の,後者は火薬,爆薬の需要増加を招来し,両者は共通して合窒素無機化合物の供給不足という事態を引き起こした。

 これに対し窒素肥料には,製鉄原料のコークス製造の際に発生するアンモニアを硫酸に吸収させた「副生硫安」が先ず利用され,ついでチリ硝石が輸入されて不足を補うようになった。

 一方火薬には硝石(硝酸カリウム),硫黄,木炭からつくられる黒色火薬が古くから用いられていたが,原料の中で硝石の入手が最も限定要因になっていた。このようなときチリ硝石(硝酸ナトリウム)の豊富な鉱床が発見されたため,これを肥料だけでなく火薬原料にも利用しようとするようになった。しかし硝酸ナトリウムの爆発力は硝酸カリウムに劣るので,これをカリウム塩に変える必要があった。

 ところが19世紀の中頃,ニトロセルロース**(1845),ニトログリセリン***(1847) が発明され,これらを原料とした強力な火薬があいついで製造された。すなわち綿火薬やダイナマイト****(1867)である。

 これらは黒色火薬に対し無煙火薬とよばれるが,これに必要なのは硝酸である。硝酸は硝石あるいはチリ硝石を硫酸で処理して得られるが,2Na(K) NO3+H2SO4=Na(K)2SO4+2HNO3 この場合硝石より豊富なチリ硝石が適している。硝酸は後に合成アンモニアを酸化してつくられるようになるが,合成アンモニアの工業化に成功したドイツでも,第一次世界大戦開始当時は大部分がチリ硝石からつくられていた。

 チリ硝石は19世紀における農業と鉱工業の両面にわたる重要資源であった。それはまた平和な時(食料生産)も戦時(戦力としての爆薬)も,共に必要かくべからざるものであった。

 有限な天然資源であるチリ硝石に対する加速度的な需要の増加は資源枯渇の危機感を招き,空中窒素の固定という革命的な工業技術を20世紀に誕生させた。その橋渡しをしたチリ硝石は,まさに産業革命の申し子的存在であったといえよう。

* 鈴木梅太郎も,1908年(明治41年)刊行の著書「改訂肥料学原理」(成美堂書店)の中で次のように述べている。
 「智利硝石の主なる供源地は南米智利国北部二州に亘れる大平原にして其商品として初めて輸出されたるはニウトン氏の説に寄れば1830年にして当時の輸出額は8,348頓なりしが漸次其産額を増加し1906年の輸出額は実に1,600,000頓の多きに達せり而して右の内74%は肥料として消費され全体に於いて硝石の消費額は絶えず増進しつつあるを以て早晩其供源の耗尽するに至るべし実際Valparaiso税関のCollectorなるFransisco Valdes Vergera氏の計算報告する所に依れば其耗尽の期余り遠き将来にあらざるが知し即ち私有鉱区硝石の残額は1903年に於いて約35,000,000頓にして同年智利国政府所有に係る鉱区硝石残額は30,000,000頓なりとす而して氏の計算に依れば私有鉱区硝石の採掘し尽くさるるは1923年の終わりなるべく政府所有鉱区硝石も此より後15年以内に耗尽せらるべし」
 因みに同書に掲載されている智利硝石輸出増加一覧表によれば1840年から1903年までの64年間の輸出総量は25,947,944頓に上っている。

** 別名硝酸セルロースあるいは綿火薬。セルロースのエステル化の程度(硝化度)によって用途も異なる。硝化度は製品の窒素%によって示されるが,窒素12%以上のものは綿火薬として用いられる(11.5%はフィルム,11%はセルロイド製品になる)。

*** 水分の少ないグリセリンを殆ど水を含まぬ混酸(50%HNO3+50% H2SO4)で処理,反応後混酸(廃酸)は下方に沈殿し,ニトログリセリンは上方に分離する。

**** ノーベルは1846年に雷管を発明し,ニトログリセリンの起爆方法を確立した。しかし液体のニトログリセリンは衝撃に非常に敏感で、爆発事故が多発したので,これを防止するために珪藻土にニトログリセリンをしみ込ませたダイナマイトを発明した。

参考文献

1)岡本哲史:ペルー領タラパカの硝石産業 1868-1879年,エコノミクス(九州産業大学)4巻1号 143-203(1999)

2)岡本哲史:チリ硝石企業の衰退と外資支配の確立-1879-1891年 (1),エコノミクス(九州産業大学)4巻2号 57-88(1999)

3)岡本哲史:チリ硝石企業の衰退と外資支配の確立-1879-1891年(2),エコノミクス(九州産業大学)4巻3-4号 157-217(2000)

4)世界の歴史17:アメリカ大陸の明暗,267 河出書房新社(1996)

5)岡本哲史:19世紀末大不況期以後のチリ経済と硝石産業,商経論叢(九州産業大学)35巻1号 155-198(1994)

 

 

茶に対するあさひVポーラスの
芽出し肥としての施用効果

静岡県茶業試験場 土壌肥料研究所
副主任 中村 茂和

1 はじめに

 静岡県における茶園面積は20,800haであり,全国比41.5%を占める一大茶産地である。また,静岡県内における茶業は,総農家数の46.9%,耕地面積では26.7%を占め,茶は静岡県農業の基幹作物である。茶の施肥に関しては,品質の向上を目指すあまり,本来茶樹の養分吸収量を大きく上回る施肥量が茶園に施され,このことが茶園土壌の理化学性を悪化させ,結果的に施肥効率の大幅な低下や施肥由来の環境負荷を招いてきた。そのため,本県の施肥量について定めた土壌肥料ハンドブックを平成14年3月に改定し,今までの年間窒素施肥量の上限値であった66kg/10aを環境ヘ与える負荷等を考慮し,54kg/10aとした。

 環境に配慮した持続可能な茶栽培を推進していく上で重要となるのが,施肥効率の向上である。施肥効率を向上させるためには施肥量の低減が先決であると同時に,施用する肥料の特性を考慮し,茶の品質安定化を図っていくことも重要である。茶の芽出し肥については,一番茶の高品質化を目指して硫安などの速効性肥料が施用されている。

 あさひVポーラス672(以下,ポーラスとする)は,資材の特性上,水に溶けやすいために,土壌ヘ浸透しやすいとされ,茶園における芽出し肥としての効果が期待される。そこで今回,本資材の芽出し肥としての効果を確認することを目的に2つの試験を行ったので報告する。

2 材料および方法

 場内の’やぶきた’成木園(昭和61年定植)を供試した。供試茶園の土壌は,牧之原台地茶園で代表的な洪積層の赤黄色土壌である。処理開始前における土壌の化学性については,表1に示したとおりである。今回報告する2つの試験は全て同一茶園で行ったものである。

1)芽出し肥と新芽の生育との関係

試験構成は,表2に示したとおりであり,試験期間は2000年から2001年までの2年間である。なお,試験結果については,永年生作物であることを考慮し,2001年におけるデータを用いた。2001年における施肥日は3月13日,4月2日,4月16日であった。芽だし肥の種類は,ポーラス(N-P2O5-K2O:16(アンモニア態窒素13.5,硝酸態窒素2.5)-7-12)の他に硫安を用い,参考として施肥を全く行わない無施肥区も設けた。芽出しの施肥量について,1年目は窒素成分で8.0kg/10aとし,2年目は10kg/10aとした。また,芽出し肥以外の施肥は行わなかった。

 処理区の規模は,1区7.2㎡とし,3反復とした。調査項目は,収穫時に枠摘み(20×20cm)調査を行い,新芽の窒素含有率についても調査した。窒素含有率の測定は,N. C-ANALYZER(NC-900,(株)住化分析センター)を用いた。また,深さ0~20cmの土壌を採取し,無機態窒素を分析した。窒素分析はブレムナー蒸留法を用いた。

2)芽出し肥と土壌中無機態窒素の消長

 試験構成は表3に示したとおりであり,試験期聞は2002年のみである。ポーラス及び硫安を窒素成分で10a当たり10kgN,30kgNを2002年4月1日に施肥した区及び無施肥区を設けた。処理区の規模は,1区7.2㎡とし,3反復とした。調査項目は,所定の期日に深さ0~20cmの上層と20~40cmの下層土壌を採取し,無機態窒素を分析した。窒素分析は,ブレムナー蒸留法を用いた。

3 結果及び考察

1)芽出し肥と新芽の生育との関係

 表4に2001年における一,二番茶の新芽重の結果を示した。一番茶では施肥時期や窒素施用形態による差は認められなかった。二番茶については一番茶同様,施肥時期による差は認められず,無施肥区が他の処理区に比べ低い値を示したが,ポーラスと硫安区については同等であった。このことから,施肥時期や窒素施用形態の違いが新芽重ヘ与える影響は少ないと推察された。

 2001年における一二番茶の窒素含有率について調べた結果を表5に示した。一番茶における窒素施用形態による影響は,無施肥区が他の処理区に比べ低い値を示したが,ポーラス区と硫安区との差は認められなかった。これは二番茶についても同様の傾向を示した。

 施肥時期による影響は,3月13日に施肥した処理区が,それ以降に施肥した処理区に比べ高い値を示した。しかし,二番茶については,4月16日に施肥した処理区がそれ以前に施肥した処理区に比べ高い値を示した。小西ら1)は,アンモニア態窒素を茶樹の施肥期である秋期,冬期,早春期,春期に与え,吸収された窒素の一番茶新芽への移行などについて検討し,早春施用の窒素は他の施周期に比較して,茶樹の一番茶新芽の生育に大きく貢献することを認めている。今回の試験結果では施肥時期の違いがあり,今後の検討を要するが,芽出し肥の早目の施用は一番茶新芽の窒素含有率を高める可能性が示唆されたが,二番茶に対しては,逆に遅目の施用が二番茶新芽の窒素含有率を高める傾向にあるのではないかと推察された。

 また,図1に施肥時期が3月中旬における一番茶収穫期前後の土壌中無機態窒素の結果を示した。調査年により相違はあるが,ポーラス区は硫安区と同等若しくは硫安区に比べ高い値を示す傾向であり,芽出し肥の早期施用による肥効は,収穫期前後まで持続していたと考えられた。

2)芽出し肥と土壌中無機態窒棄の消長

 図2に採取した土壌中無機態窒素の結果を示した。施肥量が10kg/10aの場合,ポーラス区の上層における無機態窒素は施肥後,約5.3~9.1mg/100g風乾土,下層では約1.3~2.6mg/100g風乾土で推移し,硫安区についても同様に上層が下層よりも高い値を示す傾向であった。向笠ら2)は施用窒素の土壌中における消長について調査し,土壌中のアンモニア態窒素は深さ15cmまでの上層に多いことを認めている。このことは,本試験においてもほぼ同様の傾向を示していた。さらに施肥量が30kg/10aの場合,ポーラス区の下層における無機態窒素は施肥後,約3.7~6.5mg/100g風乾土で推移しており,施肥量が多い処理区ほど下層土壌ヘ移動する傾向であった。このことは硫安区においても同様の傾向を示した。

 木下ら3)は茶園と野菜畑における窒素の下方への動きについて比較検討した結果,茶園では硫安によるアンモニア態窒素の下方への移行性を認めており,今回の試験結果についてもほぼ同様の傾向を示唆していると考えられた。また,土壌を採取した2002年5月4日,5月16日,6月20日における処理開始以降の積算降水量は,それそやれ64.5mm,157.5mm,352.5mmであり,降水量による土壌中無機態窒素の値の変動はみられなかった。

 窒素施用形態による違いについては,先の試験結果同様,ポーラス区が硫安区に比べ上層および下層土壌において高い無機態窒素の値を示す傾向にあった。さらに施肥量が30kg/10aでは,その傾向が顕著であった。これは資材の特性によるものかどうかは不明であり,今後の検討を要する。

 以上のことから,芽出し肥の施用時期については,今後の検討を要するものの,早期施用が一番茶新芽の窒素含有率を高める傾向にあることが認められた。また,窒素施用形態については,無施肥区が他の処理区に比べ,低い窒素含有率を示したが,ポーラス区と硫安区では明らかな差はなかった。一方,新芽重については,施肥時期や窒素施用形態による影響は小さいものと考えられた。

 芽出し肥施用後の土壌中無機態窒素は,上層が下層に比べて高い値を示す傾向にあった。また,窒素施用形態については,ポーラス区は硫安区に比べ高い無機態窒素の値を示す傾向にあり,資材の特性によるものかについては今後の検討を要する。

4 まとめ

 茶の生産性は一番茶の収量や品質によるところが大きく,茶栽培における芽出し肥は,一番茶の品質向上を目的として,速効性窒素質肥料が慣行的に使用されている。また,本試験で供試したあさひVポーラス672は水に溶けやすい資材であることから,茶園における芽出し肥としての効果について調査した。

1)ポーラス及び硫安による芽出し肥の早期施用は一番茶新芽の窒素含有率を高める可能性が示唆され,ポーラスと硫安による窒素施用形態による差はないことから,ポーラスの芽出し肥としての効果が確認された。

2)芽出し肥施用後の土壌中無機態窒素は,調査期間中,上層が下層に比べて高い値を示す傾向にあった。

3)土壌中無機態窒素は,ポーラスが硫安に比べ高い値を示す傾向にあった。

 最後に本試験を実施するに当ってはチッソ旭肥料株式会社・岡田長久氏にご協力を頂いた。ここに記して深く感謝の意を表す。

5 引用文献

1)小西茂毅・太田充・岩瀬文夫:茶樹における窒素の吸収利用に関する研究,Ⅰ.茶樹各施肥期に吸収された窒素の新芽への寄与,土肥誌,49,221~225(1978)

3)向笠芳郎・小川茂・河原崎邦男:窒素肥料の施用後における土壌中のアンモニア態窒素と硝酸態窒素の消長,茶研報,40,37~42(1973)

3)木下忠孝・辻正樹:土壌並びに肥料の違いが窒素の移行に及ぼす影響,茶研報,92(別冊),136~137(2001)

 

 

肥料と切手よもやま話(7)

越野 正義

リン鉱石資源の耐周年数

 19世紀の前半,ヨーロッパでリン酸肥料として使われていたのはもっぱら骨粉だった。イギリス人はワーテルローの戦場の死体まで掘り出していると非難されるほどであった。この骨粉の肥効を高めようと硫酸処理が各地で試みられていたが,工業化に成功したのは1843年のローズ(イギリス)である。彼は1856年にはノルウェーから輸入したリン鉱石を原料として始めたが,それ以降リン酸肥料の原料はほとんどがリン鉱石となった。

 リン鉱石は露天掘りと地下採鉱がある。鉱石が表土に近い場合には前者が有利であり,フロリダなどで行われている。はじめは人力,畜力で採掘していたが,次第に機械化が進んで大規模化している。この切手はナウルリン鉱石採掘の今昔を示している。

 持続型農業においてはリン鉱石の耐周年数が話題になる。世界のリン鉱石資源について最新のアメリカ地質調査所(USGS,2002)の推定では,埋蔵量120億t,埋蔵基礎量470億tである(基礎量とは現在の技術では経済的に採掘できない資源)。

 この埋蔵量の推定は情報の出所により大きな違いがあるが,同じUSGSでも2年前に比較して大きく増加した。特に中国における埋蔵量は2倍,基礎量は8倍以上に増加した。この基礎資源の採掘技術が進んで可能になると中国は世界第2位,リン酸資源の21%を占めることになる。

 埋蔵量が増えたからといって喜んでばかりはいられない。現在の生産量で割ると埋蔵量は90年,基礎量は350年ほどで枯渇する。その後どうするのか。リンのリサイクリングを高めるしかない。

 (財 日本肥糧検定協会 参与)

 

 

ホウレンソウに対するDd入りLP肥料の効果

熊本県農業研究センター
農産園芸研究所 土壌肥料部
主任技師 三牧 奈美

1 はじめに

 ホウレンソウは栄養価(ビタミン,鉄分など)のとても高い野菜ですが,子供にとっては,大人の味でえぐみが残っていたりして決しておいしいと感じられない野菜かもしれません。

 とは言っても,やはりホウレンソウは緑黄色野菜の代表格の野菜の一つです。おいしくいただきたいと思うのですが・・・・。そういえば,つい先日,輸入冷凍ホウレンソウから残留農薬が検出されたという話題がありました。ホウレンソウは冬野菜といわれるくらいで,九州では夏の栽培は難しく,1年中日本産ホウレンソウを食べられるというわけにはいきませんね。

 消費者に求められるホウレンソウは,可食部の葉色が濃く,葉肉が厚いもので,さらに,健康と関係する色素やビタミン類,カルシウムや鉄分などのミネラルを多く含みアクの少ないものです。「よりおいしく」,「より安全な」「アクの少ない」ホウレンソウが食べたいという要望に応えるべく,「アク」の原因の一つであるシュウ酸塩に注目しました。

2 「アク」の原因と考えられるもの-シュウ酸塩-

 一般に,アクが強いと感じる野菜は,ゆでこぼしや木灰汁に浸漬したりしてアクを取り除いて食べています。ホウレンソウも,おひたし等で食べればアクはほとんど感じなくおいしくいただけます。「アク」の原因として考えられるものは,シュウ酸塩が主なものです。シュウ酸はミネラルであるカルシウムやマグネシウムと結合して難溶性塩を形成し,これが進むと尿路結石を引き起こすことがあるといわれています。ただし,結石になるほどホウレンソウを食べようと思ったら,相当な量(1~1.5kg)を毎日食べないといけませんが・・・・。

 そのほかにも,食味やアクとはあまり関係ないようですがホウレンソウには硝酸塩が多く含まれています。硝酸塩は体内に多く摂取するとメトヘモグロビン血症を引き起こす原因になるといわれています。安全性の点からも少しでも硝酸含量の少ないホウレンソウを提供したいと考えています。

3 Dd(硝酸化成抑制剤)入りLP肥料のホウレンソウに対する効果

(1)ホウレンソウの生育特性

 一般に野菜は土壌中の硝酸態窒素を好んで吸収する傾向にあり,土壌中に硝酸が多いと吸収され葉の中に貯蔵されます。ホウレンソウは好硝酸性作物の代表的な野菜であり,特に葉柄に多く集積されます。ホウレンソウの硝酸塩濃度が高まる原因として,40日~50日で収穫が可能なため年5~6作の連作が行われており,土壌中の肥料成分の集積が起こりやすいことも強く関係していると思われます。熊本県内の雨よけホウレンソウ栽培地帯の養分実態諸調査を行ってみると,連作とともに土壌EC,硝酸態窒素,交換性陽イオン,可給態リン酸が上昇することが確認されており,連作5年未満の土壌の平均を1とした場合,連作5年以上の土壌の平均は,ECで2.9倍,硝酸態窒素では約4倍近く多くなっており,従来の施肥法を改善する必要があるといえます(図1)。

(2)硝酸化成抑制剤の利用

 ホウレンソウ中のシュウ酸塩量を少なくする栽培法がいくつかあります。水耕栽培では,生育後半に肥料分を与えず水だけで育てたり,肥料も硝酸態でなく,アンモニア態にするとシュウ酸は生成されにくくなります。土耕栽培では,普通の化学肥料では,一気にアンモニア態の窒素が溶出し土壌中の微生物に硝酸化され,その硝酸をホウレンソウが吸収しシュウ酸の生成が容易になる。その点緩効性肥料を使うと,ゆっくりとアンモニアが溶出されるので,土壌中の肥料は少なくなりホウレンソウは,アンモニアが微生物の働きによって硝酸に変わる前にアンモニア態の窒素のまま吸収し,シュウ酸が生成しにくくなることがわかっています。

 これらのことを踏まえてもっと積極的に土壌微生物による硝酸化成を抑制しようというのが今回のDd入りLP肥料の利用のポイントです。Dd(ジシアンジアミド)とは硝酸化成抑制剤の一つで,土壌中のアンモニア態窒素を硝酸態窒素に変える微生物の運動を制限して硝酸化成を抑える効果があります。

(3)栽培試験の方法

 栽培試験は熊本県農業研究センター内のガラス及びビニルハウスで実施しました。土壌は,厚層多腐植質黒ボク土で,前作は果菜類です。

 試験区は,燐硝安加里を用いた標準施肥区,LP肥料を施肥したLP肥料区,これにDd を含むLP肥料区,ならびに重焼リン及び硫酸加里を用いた無窒素区としました。ホウレンソウの品種は地域と作型にあわせて選定しています。なお,11月まきはハウスを加温しました。選択したLP肥料はリニア型(L-)の溶出日数40日のものを主体とし,一部シグモイド型(S-)を施肥しました(表1)。

(4)ホウレンソウの収量に及ぼす影響

 ホウレンソウの地上部新鮮重は6月~7月の夏まき栽培では,高温期にあたり絶対収量は春・秋まきにくらべ半分から1/3と少なくなりましたが,春・秋まき栽培とも同程度の収量が得られました(図2)。

 統計処理を行ってみると,春まきホウレンソウでは,標準施肥区がLP肥料区に比較して高い収量が得られており,両者の差は統計的に有意でした。しかし,Dd入りLP肥料とそうでないLP肥料の間には統計的な差は認められません。一方秋まき栽培では,11月採りも1月採りでも標準施肥区との比較,あるいはLP肥料のDdの有無に関わらず統計的な差は認められません。

(5)ホウレンソウ中のシュウ酸塩および硝酸塩に及ぼす影響

 ホウレンソウは品種によって,シュウ酸塩および硝酸塩の濃度が変動することから,品種による成分変動を考慮して秋・春まき栽培に使用した「アトラス」についてのみ統計処理を行いました(表2)。これによると,Dd入りLP肥料を用いた試験区は,標準施肥区に比較してシュウ酸塩濃度が低くなり,その差も統計的に有意であることが認められました。これに対してDdを含まないLP肥料では標準施肥区に比較して確かにシュウ酸塩濃度が低くなりましたが,その差は有意ではありません。

 一方,硝酸塩については,シュウ酸塩の場合とほぼ同じの結果となり,これらのことからDd入りLP肥料は両成分をLP肥料のみの場合以上に低減する効果が高いことがわかります。

(6)Ddの効果

 Ddの有無によって認められる違いが何に起因するかを確認するために,12cmのポリ製育苗ポットにDd入りLP肥料と普通のLP肥料を施肥した場合にホウレンソウ栽培中の土壌に存在する無機態窒素の形態分析を行ってみました。試験は,温度による誤差を省くため,昼温25℃,夜温15℃に設定した温室内で実施しています。

 その結果を第3図に示しています。LP肥料の場合,硝酸態窒素は徐々に生成量が増えていますが,アンモニア態窒素は低いレベルのままで推移しています。一方,Dd入りLP肥料は明らかに硝酸態窒素に比較してアンモニア態窒素が多くなっています。

 このように,アンモニア態窒素が高いことがシュウ酸塩生成に影響するかどうかを調べるために,夏まき栽培で,硫安の追肥を行ってみると明らかに硫安を追肥した方がシュウ酸塩濃度を下げる効果があることが確認されました。(表3)

(7)減肥の検討

 熊本県の雨よけホウレンソウの栽培基準では,1作目N2.0kg/aで2作目以降は徐々に減らしています。このため,施肥基準量から20%減肥した場合の土壌養分実態について検討してみました。夏・秋の3作を連続栽培したあとの土壌中のEC,無機態窒素および収量等について表4に示しています。いずれの試験区もEC,無機態窒素量は増加しました。しかし,同じ肥料では,20%減肥した区のほうが,また,標準区よりもLP肥料やDd入りLP肥料区の方がその増加の程度は小さくなっています。収量および品質は,どの肥料においても20%減肥によって新鮮重はあまり低下しておらず,シュウ酸塩については減少する傾向が認められます。20%程度の減肥であれば,収量,品質に及ぼす影響は小さいと考えられます。

4 おわりに

 Dd入りLP肥料を施肥した場合,ホウレンソウの収量は寒い時期から暖かくなる春まき栽培では標準施肥より減少しましたが,他の作型では同等の収量が得られました。Ddがホウレンソウのシュウ酸塩および硝酸塩に及ぼす影響は高く,施肥された窒素肥料がアンモニア態として土壌中に長く存在することによって,明らかにホウレンソウ中のシュウ酸塩および硝酸塩濃度は減少しました。

 今回は,ホウレンソウの「アク」の主成分であるシュウ酸塩を減らすことを主目的としてDd入りLP肥料を使用しましたが,この肥料はホウレンソウに限らずもっと多くの品目や硝酸塩等が品質に影響するような栽培において幅広く応用できる肥料であると考えます。