§植物栄養学の先達たち-3-
ジャン・バプチスト・ブサンゴー
-圃場試験を創始したフランスの農芸化学者-
京都大学名誉教授
高橋 英一
§マット植物の生産及び利用技術
千葉県農業総合研究センタ一生産技術部
花き緑化研究室
柴田 忠裕
京都大学名誉教授
高橋 英一
前に触れたRussellの著書’Soil Conditions and Plant Growth’の扉には,農芸化学の創始者としてブサンゴーの肖像画(図3-1)が掲げてあります。ブサンゴーは多くの事典に紹介されていますが、岩波の「西洋人名辞典」(1981)には次のように簡潔に記されています。

「ジャン バプチスト ブサンゴー 1802年2月2日パリに生まれ,1887年5月12日パリに没す。フランスの農芸化学者。鉱山学校を出て南アメリカに行き,帰国後リヨン大学化学教授,後パリ大学農芸化学,分析学教授。自分の領地にフランス最初の農事試験場を創立し,植物は地中の窒素化合物を吸うことまた,大気中の炭酸ガスを同化することを証明し,農芸化学,植物生理学の基礎をつくった。」
ここではこれに沿って,彼の生涯を辿ってみたいと思います
1822年,サン・テチエンヌ鉱山学校を卒業したブサンゴーは南アメリカで鉱山技師として働きたいと望んでいましたが,当時パリに滞在していたアレキサンダー・フォン・フンボルト(Alexander von Humboldt 1769-1859)に会う幸運に恵まれました。
フンボルトは1799年から5年間にわたって赤道アメリカ(南米地域)を探検し,帰国後その膨大な調査記録をもとに,全三十数巻にのぼる「新大陸赤道旅行」を執筆中でした。このフンボルトとの出会いをブサンゴーは次のように語っています(文献3による)。
「彼は私の人となりを見ようとした。彼は多くのことを非常に巧みに語り,私は小学生が先生の話を聞くように,注意深くその話に耳を傾けた。彼は私が聞き上手であることを知って大いに気を良くし,すぐに私に友情を示してくれた。そしてこの友情は彼が生きている間,変わることがなかった。彼は自分がアメリカ大陸旅行で使った様々な科学機器を私にくれたが,それらは大変高価で,大いに役立つものばかりであった。好意はそれだけではなかった。フンボルトはこれらの機器の使い方をぜひ私に教えたいと考え,私達はそのため改めて会う日をきめた。当時彼は53才だったが,中背ながらがっしりとした体格で髪は白かった。」
さらにブサンゴーはフンボルトから,南アメリカのスペイン植民地独立運動の指導者サイモン・ボリバール(Simon Bolivar 1783-1830)への紹介状を貰いました。ボリバールは1805年にパリ留学中フンボルトに会い,その後独立運動に身を投じてからも,フンボルトと親交がありました。
ブサンゴーがフンボルトの紹介状を持って南アメリカに渡った1822年,ボリバールは故郷のヴェネズエラに続きエクワドルを解放中でしたが,ブサンゴーはその後6年間ボリバールの部隊に従い,アンデスの気候,植物,土壌を調べました。また火山から噴出するガスの分析を行ない,ペルーではグアノに出会い,これが多量の窒素を含んでいることを明らかにするなど多岐にわたる研究を行ないました。それとともに彼は,この解放軍に従軍中に触れた強い共和主義の気風を生涯持つことになりました。
1828年ブサンゴーは帰国しましたが,南米からフランスの学会誌に投稿を続けていた報文で彼はすっかり有名になっていました。彼は数年をリヨンで過ごし,1834年にはリヨン大学の化学の教授になりましたが,この頃から植物の栄養,とりわけ植物は炭素と窒素をどこから取り込んで,どのように利用しているのかという問題に取り組むようになりました。
ブサンゴーは結婚した妻の持参金代わりの地所があるアルザスのベシェルブロン(Bechelbronn)で1834年から,一連の圃場試験を始めました。彼はド・ソシュールの定量的方法を取り入れ,収穫物と与えた肥料に含まれている炭素,水素,酸素,窒素,鉱物質を定量し,いろいろな輪作体系について養分のバランスシートを求めました。
そして作物が吸収した養分は,どれくらいが肥料から,どれくらいが肥料以外の土や雨などから由来したか,またそれが作物の種類によってどれくらい異なるかを調べました。その結果,輪作の種類によって作物が吸収する養分の量,特に窒素の量は著しく異なり,輪作の中にマメ科植物があると窒素の吸収量は施肥量を大幅に超えていました。その一例を示すと表3-1のようです。

またクローバのあとに栽培したコムギは生育が良く窒素を余計に吸収していたので,マメ科植物は大気中の窒素を利用し土壌にもたらしているのではないかとブサンゴーは考えました。後に彼はこれを実験室で確かめようとします。
1839年ブサンゴーはパリ大学の農芸化学および農業分析学の教授に就任しましたが,ここで彼は大気に含まれている炭酸ガスと窒素ガスを植物が利用できるか否かを明らかにする実験を行ないました。
前に紹介したようにすでにド・ソシュールは植物が光のもとで炭酸ガスを固定することを証明していましたが,それは数パーセントという大気中よりはるかに高い濃度の炭酸ガス中で行なったものでした。ブサンゴーは通常の大気中の希薄な炭酸ガスを果たして植物が利用しているのかを確かめるために,ブドウの枝を用いて次のような実験を行いました。
図3-2のような三つの口を持った大きなガラス球の下の口から,葉のついたブドウの枝を差し入れます。それは鉢に植えられたブドウの樹につながっているので,完全に自然の状態にあります。

一方側面に開けられた孔の一つには,球の中に入ってくる気体の量を測定する装置が取り付けてあり,側面のもう一つの孔には,球から出てゆく気体に含まれている炭酸ガスを吸収するための,苛性カリの小さな塊の入った細い管が取り付けてあります。そしてこの装置全体は,日の当たるところに置かれてあります。
大気中の炭酸ガス濃度と,実験期間中にガラス球中に入った大気の量と,球から出てゆく気体の炭酸ガスの量(苛性カリの重量の増加分)を測れば,ガラス球内のブドウの枝がどれだけの炭酸ガスを吸収したか分かります。実験の結果,ガラス球を出てゆく気体に炭酸ガスは殆ど含まれていませんでした。したがってブドウの枝は大気中の希薄な炭酸ガスを吸収利用していることが確認されました。
一方大気中に窒素ガスは80パーセントと炭酸ガスの2600倍も含まれています。ベシェルブロンの圃場試験の結果は,マメ科植物が土以外に大気から窒素を得ている可能性を示していたので,彼はそれを確かめようとして次のような実験を行いました。
彼は土の代わりに砕いた煉瓦の粉に肥料として灰だけを混ぜたものを用い,ガラス鐘内でインゲン,ハウチワマメ,コショウ,カラスムギを栽培しました。また念のために植物に供給する大気はアンモニアを吸収する酸の入った瓶を通したものを用いました。こうして窒素としては窒素ガスだけを植物に与える工夫をしました。
彼は実験を何度も繰り返しましたが,インゲンマメもハウチワマメも植物はすべて窒素欠乏になり,圃場試験と矛盾する結果に終わりました。そこで植物が自分で大気中の窒素を利用できないとしたら,土がこのような性質を持っているのではないかと考え,更に次のような実験を行いました。
彼は大きなガラス容器にいろいろな土を入れて密封し,容器内の空気と土に含まれている窒素の量をあらかじめ測定しておきました。これらの容器は11年間研究室に置かれた後開かれましたが,測定してみると土は空気から窒素を少しも吸収していませんでした。
ブサンゴーが死ぬ一年前の1886年,マメ科植物の根にある根粒の中にはバクテリアがいて,宿主から光合成産物を分けてもらって大気中の窒素ガスを固定し,宿主に供給していることが明らかになりました。
彼がベシェルブロンで行った圃場試験では,マメ科植物の根粒中で根粒菌が窒素固定をしていました。しかしパリの研究室で行った検証実験では,一つは根粒菌が不在であり,今一つはマメ科植物が不在でした。この実験は窒素ガスの固定がマメ科植物と根粒菌の共同作業で行われることを,図らずも傍証したといえます。
ブサンゴーは圃場試験によって,植物のあるものは大気中の窒素ガスを利用しているに違いないと考えました。そしてそれを実験で確かめようとして,植物に与える窒素を窒素ガスだけにする工夫をしました。それは不幸にして微生物(窒素固定バクテリア)を除去することになり,証明することは出来ませんでした。
しかし彼は植物栄養の研究を,実験室だけでなく圃場でも行う必要があると考え,先ず圃場という自然の中で植物自身に語らせ,それを実験室で人為的な手段を用いて考察するという手法を始めて試みた人でした。この手法は後にイギリスのローズ(John Bennet Lawes)に引き継がれ,更に発展させられます。
彼はまた食物中の窒素の量やいろいろなコムギ品種のグルテン含量を調べ,食物の栄養価を体重の減少を防ぐために必要な量から決める方法を創案した人としても知られています。このようなところから彼は農芸化学の創始者といわれています。
ブサンゴーが85年の生涯を送った19世紀のフランスはまさに激動の時代でした。表3-2に見られるように,彼が生まれたときのフランスは大革命後の「第一共和政」からナポレオンの「第一帝政」に移り,ナポレオンの失脚後はブルボン家のルイ18世,シャルル10世の「復古王政」,オルレアン家のルイ・フイリップの「七月王政」に戻り,更にナポレオンの甥のルイ・ボナパルトによる「第二共和政」と「第二帝政」を経て,彼の晩年には再び「第三共和政」になるという目まぐるしい変化をした時代でした。

1848年の2月革命で王政から共和政になったとき,共和主義者として信頼が厚かったブサンゴーは,国民議会ついで上院の代議員に選ばれました。しかしルイ・ボナパルトがナポレオン3世として帝政を再開するや迫害を受けることになります。
革命家ボリバールの支持者で、あり共和主義者であったブサンゴーは皇帝となったルイ・ボナパルトにとって好ましくない人物でした。彼はブサンゴーを上院から,ついで学問の世界からも追い出そうとします。
ブサンゴーはパリのいくつかの学術機関で講義をしていましたが,つぎつぎに講座を奪われ,最後には美術工芸学院(Conservatory of Arts and Craft)だけになります。彼は死ぬまでここで講義を続けました。
1870年フランスは普仏戦争に敗れ,ナポレオン3世は退位して再び共和政になりますが,アルザス・ローレンはプロシャヘ割譲されます。そのため,ブサンゴーは三十数年にわたって圃場試験を続けていたベシェルブロンの農場を失うことになります。以後彼に残されたのはパリの研究室だけでした。
この19世紀におけるブサンゴーの生涯は,先に紹介した16世紀のフランスを生きたパリシーの生涯を思い起こさせます。二人とも長い激動の時代を信を曲げることなく生き続け,多くの業績を残しました。そこに人間としての偉大さを感じさせられます。
1.岩波西洋人名辞典(1981)1189頁
2.Encyclopedia Americana(1968)vol 4,p356
3.ピエール・ガスカール著,沖田吉穂訳:探検博物学者フンボルト 白水社(1990)
4.チミリヤーゼフ著,石井友幸ほか訳:植物の生活 たたら書房(1967)
5.ミ・エ・イヴイン著,藤川健治訳編:光合成の謎 現代教養文庫(1973)
千葉県農業総合研究センタ一生産技術部
花き緑化研究室
柴田 忠裕
我国は飛躍的な経済成長を遂げたが,その反面,都市機能の一極集中化が進み,緑地が減少傾向にある。さらに,ビルの林立や全面的な舗装等によりコンクリートジャングルの様相を呈し,結果的にヒートアイランド現象等の発生や無機的で味気ない世界が広がってきた。しかし,その反動からか,潤いある都市生活が求められ,ヒートアイランド現象等の緩和やエネルギー効率の改善,環境共生或いは環境保全といった観点から,都市緑化の推進が主要な行政施策となってきた。しかし,都市における緑化スペースは限られており,ビルの屋上,ベランダ壁面等僅かな場所しか残されていない。今回紹介するマット植物は,都市緑化に威力を発揮する緑化素材である。
マット植物とは,「根域を薄層化し,マット状に仕立てた植物」で,緑化用の芝生と同様に,地面に張りつけて緑化する。低木や宿根草の中で,マットを形成する根がお互いに絡み合う植物が適している。張り付けるだけの簡単施工で,即完成型の緑化が可能である。さらに地上部が繁茂するため,飛来雑草種子の発芽が抑えられ,除草等の維持管理にかかる労力,コストが軽減できる。しかし,広い栽培面積や,安定した水利条件の確保が必要である。
現在タマリュウやセダム等数種類のマット植物が流通しているが,その規格はエクステリア用ウッドパネルのサイズに合わせたもの,作業効率を考慮し大型化したもの,既存の水稲育苗用トレイを流用し育成したもの,専用の栽培トレイで育成したもの等があり,そのサイズは,30cm角,30cm×60cm,28cm角,25cm角,50cm角,1m角,厚みも3~8cmと幅がある。また,プラスチックマットを芯に使い培地の保持を図ったものや,ロール芝等もマット植物の一種である。ただし,以下は25cm×25cm×4cm規格のものについて記載する。
土地造成に伴う長大法面や道路の延伸による法面緑化は,牧草類やワイルドフラワ一等を用いる種子吹き付け工法,芝草類の張り付け工法等が主流であるが,発芽不良,雑草との競合,播種植物の野生化,エロージョン(土砂流亡)の発生等の問題点が指摘されている。その点,マット植物による緑化は,耕転整地或いは客土した場所に張り付けるだけの簡単施工であり,張り付け即完成型の緑化が可能である。根が互いに絡み合っているため,エロージョンの防止効果も高い。
さらに地上部が繁茂しているため,飛来種子の発芽が抑えられ,除草等の維持管理が軽減できる。さらに,法面緑化以外にジグソーパズル方式で、組み合わせ自由なガーデニング素材としても使える。また,短期のイベント緑化や,軽量という利点を生かし,荷重制限がある屋上緑化やベランダ,テラス緑化に最適である。以下に実際の利用場面とメリットを筒条書きでまとめた。
1.約30~40kg/㎡と軽量であるため,特に強度補強がなされていない既存ビルの屋上緑化に有効である(マット植物単独の設置でも構わないが,保水素材と組合せると適応幅が広がる)。
2.設置イコール完成状態にあるため,短期間に緑化が完成し,施工期間の短縮による低コスト化が可能である。
3.定期的な防水層張り替え時の撤去,季節毎の模様替え等が容易である。
4.地上部が繁茂しており,飛来雑草種子が発芽できないため,除草費の低減が可能である。
5.栽培容器から抜き出し出荷するため,施工現場におけるゴミの発生がない。
6.施工時期を選ばない。
7.設置面積が広いため,倒伏し難く,安定した活着が期待できる。
8.屋上等に設置した場合,土量が少ないため,生育が抑制されローメンテで済む。
9.設置に特別の技術を要しない。
25×25×4cmのトレイが2枚連続したマット植物育成用プラスチックトレイに培地を満たす。発根が容易な植物は,そこに直接挿し木することも可能であるが,一般的にはセル成型トレイ等で予め繁殖した発根苗或いは株分け株を定植する。セル容量は,128,200穴程度が使いよいが,場合によっては400穴のものも使う。挿し木或いは定植密度は,基本的に25cm角のトレイで5×5本の計25本とするが,多いほどより短期間にマット化する。売れ残りのポット苗を利用した特殊な栽培方法もある。根鉢の半分程度を切り落としてマット植物育成トレイに定植する。定植密度は3号ポットの場合で4~5ポット,6号ポットの場合は1ポット程度とする。時期的には,2~3月がベストである。
表1に一例としてフッキソウの適正培地試験結果を示したが,赤土:ピートモス:粉状パーライト=2:1:1の混合土が優れており,他の植物もほぼ同様の結果を示したことから基本培地として選定した。

なお,直挿し以外のセル面定植や株分け等は,基本培地に若干堆肥を混入すると葉色や生育が良くなる傾向が見られた。
基肥は表2に示したとおり,180日タイプの緩効性被覆燐硝安加里(10-18-15)を培地1L当たり4g混入が最も効果的でかつ経済的であると判断した。ただし,栽培が長期にわたる木本類は,360日タイプの利用が効果的である。直挿しの場合も同様の施肥量とし,発根するまでミストや密閉条件下で管理する。直挿しやセル苗を定植後,発根或いは活着したらパイプハウス内や露地で管理し,植物によってはピンチや刈り込みを行う。

自根でマット化し難い植物は,表3に示したとおり,椰子繊維シート等補助的な資材を底面に敷くと強度が増しマット化が促進される。

マット植物生産のポイントは,秋から春にかけて繁殖し,春から夏にかけて旺盛に生育させる。生育旺盛なイワダレソウ等多くの草本類は,マット植物育成用トレイ直挿しで2~3カ月,タイム等のセル苗定植で3~6カ月程度と比較的早くマット化するが,コニファ一等木本類はセル苗定植でも1年程度を必要とする。計画的な生産体制の構築が必要である。
直挿しは欠株が生じることがあり,補植用苗が必要であるが,セル苗は活着や生育が良く,安定した生産が可能である。種子繁殖については,採種年や採種時期,種類・品種等によって発芽率や稔性に差があるため,播種量の把握が困難である。種子の状態を勘案し,適宜播種量を決める。表4は植物によるマット化形成程度を示したものである。崩壊率が10%未満,引張強度が10kgf以上,たわみ度が5cm未満の植物をマット化可能植物と位置づけた。

(1)施工場所に遮水シートを敷設する。
(2)泥の流出を抑え排水を効率的に行うため,遮水シート上に化学繊維シート(不織布,イリゲーションマット等)を敷設する。
(3)レンガボード,ブロック等で枠取りする。
(4)水分調節基盤材を数cm敷き詰める。人工地盤用培地の場合は予め吸水させる。
(5)元肥として緩効性化成肥料を施用する(3年持続タイプの場合,200~300g/㎡)。
(6)水分調節基盤材の上に防根シートを敷設する(絶対条件ではない)。
(7)マット植物を敷き詰め転圧する。
(8)灌水装置(タイマー,電磁弁,水中ポンプ,散水器具等)を設置する。
(9)頭上から散水し,浮いた培地や葉の汚れを洗浄する。
(10)完成。
水分調節基盤材としてはフェノール発泡樹脂,珪藻土焼成ブロック,人工地盤用軽量土壌等が考えられる。マット植物が屋上に運搬済みと仮定し,これらの基盤材を2㎡の人工地盤にセッテイングし,マット植物を全面に張りつけるまでに要した時間は,マット植物のみ区:6分10秒,フェノール発泡樹脂区:12分58秒,珪藻土焼成ブロック区:13分47秒,人工地盤用軽量土壌区:33分17秒であった。当然,マットのみ区が最も短時間に置床できたが,乾燥状態で袋つめされた軽量土壌は親水作業に時間と手間を要し最も時聞がかかった。他の2種は両者の中間的な時間で設置できた。
水分保持量はフェノール発泡樹脂が0.77g/cm3と最大,珪藻土焼成ブロックが0.21g/cm3,人工地盤用軽量土壌は0.54g/cm3であった。植物の生育は,水分保持量が多い基盤材ほど生育旺盛であり,葉色等の品質が高い傾向が認められた。
従って,培地が4cm厚と薄いマット植物は,水分調節用の基盤材を併用する方が安定した維持管理ができるものと考えられた。
