§北海道における施肥(1)
(財)北農会
会長 関矢 信一郎
§水生作物:(5)
深水(池沼)栽培作物
ジザニア・水生植物研究会
会長 三枝 正彦
(財)北農会
会長 関矢 信一郎
北海道の先住民は狩猟民族で,そもそも農耕はしていなかったとされている。従って本道における農耕は本土からの和人によって初められたことになる。
和人は古くから交易などで来道していたが,長く滞在したのには平安時代の阿部比羅夫の遠征隊や鎌倉時代の流人などがいる。彼等は自給の必要があり,何らかの農耕を行った筈である。
北海道においても旅行記や調査報告など種々な史料が残っている。これらの中で農耕にかかわる事項については,山本正編の「近世蝦夷地農作物年長」,「近世蝦夷地農作物地名別集成」に整理されている。
以下,主としてこれによって本道の江戸時代の農業の概要を見ることにする。
ただ,これらの史料はある時期,ある地点での見聞が多く,継続性や広がりについては限界がある。本道の史料の特徴であろう。
江戸時代に入り,松前氏が蝦夷地を支配することになった。松前氏は,交易所を設け,ここで先住民との交易を通じて統治し,定住しての開拓は函館地方を除き,殆んど行なわなかった。
松前から50キロ東方の函館地方は,気象条件もよく農業が定着した。元禄期には稲作が始まり,中断はあったものの,明治迄続いた。他の作物も東北地方のものは殆んど成育し,たばこ,あさ,あいなどの工芸作物やりんご,なしなどもあった。
穀類は江戸期以前から,粟・稗・黍・麦などがあり,これらは海岸の夷人集落で作られていた。天明8年(1788)の史料には「エゾ地自己の食事ほどには稗・粟を作る」とあり,米以外は自給できたと推定される。
安政3~4年(1856・7)ほぼ全道を踏破した松浦武四郎は殆んどの集落で何らかの農耕を見ており,その大部分は夷人としている。
幕末,ロシアの南下に備えるため,幕府は蝦夷地を2度にわたり直轄地とし,東北諸藩に分治させた。各藩は陣屋を設け家臣や百姓を移住させた。ここでは稗・粟・麦などの穀物や野菜,更には馬鈴薯も作られた。これとは別に,幕府は函館地方の直轄地に御手作場として農場を設け,農耕を開始した。これは道南や石狩にも設けられ,これらの中には明治に入ってからの開拓の処点となったものもある。
一方,東北諸藩の陣屋は,維新時に殆んどが国許に帰り,消失した。
さて,これらの農耕の中で,施肥が行われたであろうか。
いずれも新墾地では,施肥は不要であろう。開墾後,年次がたてば地力が低下し,収量は落ちる様になる。史料の中にも3年で中止,などの記録を散見する。収量が低下すれば,新しい土地を耕すことも,焼畑方式によって地力回復を計ることも可能であったと思われる。
一方で,天明3年(1783)の史料に,「地味豊かにして,糞いらず」の記載がある。この糞はおそらく人ぷん尿の肥料を意味すると思われる。江戸時代には人ぷん尿を肥料にする技術が定着しているので,蝦夷地でも行なわれたのであろう。
江戸時代,本道は我国最大の肥料供給地であった。魚粕である。しかし,これが使われたとは考えにくい。高価な交易品であり,効果もこれに見合うとは思えないからである。
明治になって,北海道の開拓は本格化するが,移住の方式は時期により種々である。
戊辰戦争で敗者となった諸藩は禄高を大幅に減らされ,本道への移住に再生の道を求めた。尾張徳川(八雲),奥羽伊達(伊達・当別),会津松平(余市)などがそれである。また廃藩置県後,士族の授産としての移住,長州毛利(仁木),加賀前田(共和・手稲),安芸浅野(北広島),などもあった。これらは士族移民と位置づけられている。
この後,明治6年から屯田兵村の設立が始まる。札幌(琴似・山鼻)から石狩川をさかのぼる形で明治32年迄,37村落が成立した。これには士族ばかりでなく平民も参加している。
これと平行して,民間の企業的な開拓団体の移住がある。晩成社,赤心社,北越殖民社などである。これらの多くは岡県又は同地域からの移民で,その後長く農法を含め”お国振り”を残すことになる。これらはいずれも家族経営を基礎とした。
その一方で,明治20年頃から華族による大農場経営も試みられたが,いずれも成功せず,小作経営となった。
移住は明治・大正と続くが,全体としてみれば,前期は官主導の士族,後期は民間主導の平民とみることができよう。
農家一戸当りの面積は当初,3~5町歩であったが,明治20年以降は原則として100間×150間の5町歩で,散村型の集落となった。
開墾は立木を倒し,根を掘り起すことから始まったが,初期は切株の間に穴を掘る様にして種を蒔いた。馬耕が出来る様になるのは,かなり後のことである。
作物は自給用の粟・稗・黍・麦・豆類・馬鈴薯・野菜などで,種子は道庁の配布の他,故郷から持参したものもあった。稲作は可能であったが,開拓使や道庁は消極的で,水田が拡がるのは明治20年代後半からである。畑作は後に亜麻・燕麦・豆類・ビートなどの換金作物に替っていく。
開拓の初期は地力があり,無肥料で相当の収量があったが,まもなく地力は低下する。これは,道庁も知っていて,明治19年から発行されている”移住者案内”に営農上の注意として「厩肥の施用を怠たらぬ様」としている。
開拓使は北海道の農業として北米型の有畜大規模畑作を想定しており,施肥については特別の配慮はしていない。家畜からの厩肥に期待していたものと思われる。しかし,これは実現せず,1~2頭の馬からの厩肥に依存することになる。
地力低下にあたっての対応を江別市野幌の記録によってみることにする。
この集落は新潟県中越地方からの団体移民で,明治23年の入植である。一戸当りの面積は5町歩,半分が自作地,残りは土地会社の小作地である。
明治28年,この集落の農談会で次の申合せをしている。
①開墾後5年を経た耕地に過燐酸肥料を施すこと,施用量は土地の状況による
②過石は土地の栄養を吸収しすぎるおそれがあるので,必ず堆肥を併用すること
③堆肥は馬糞,踏草を要するので,一頭以上の馬を飼うこと
しかし,集落の全戸が直ちにこれを実行したのではなさそうで,過燐酸の施用は10年目頃からである。厩肥については今更の感があるが,多忙や効果の見えにくいこともあって,手抜きの農家もあった様である。
いずれにせよ,15年を経た頃には地力の枯渇に慌てたらしく,39年には堆肥作りの講習会を聞き,江別の肥料商からの過燐酸購入量が急増している。
また,札幌農学校の南次郎教授の講演会で,集落の代表が地力回復についての質問をしている。
南教授の答は「地力の回復には農場肥料以外にない。馬一頭で3~4千貫の堆肥ができる。3町5反ならば充分である。ただ,輪作の小豆,燕麦には大量には要らない。大・小麦ならば3年に1回でよい」
これを基に施用成分量を推定してみる。
堆肥4千貫,成分をそれぞれ0.5%とすれば3.5町歩ならば,各成分2.1kg/反,充分とは言えない。
5町歩ならなお更である。
開拓使は,これを補うため緑肥をすすめているが必ずしも拡まっていない様である。
過燐酸の使用は札幌でも明治30年代後半には急増していて,後に全道に拡がっていく。
以下,いくつかの記録をたどってみる。
十勝の池田町に明治38年に入植した農家の日記によれば,当初は厩肥だけだったものが,大正2年から過燐酸を使いはじめている。これも入植8年目で,地力低下のほ場が出はじめていると推定される。8町歩経営の畑作農家で,燕麦・豆類が主な作目である。魚粕などの記録は未だ出て来ない。
筆者の現役時代の同僚で,道東の美幌町出身の研究員は「子供の頃,肥料と言えば過燐酸のことだった」と言っていた。彼の生家は大正末期の入植で畑作農家,「子供の頃」は昭和10年代である。入植後15年程度であろうか,既に硫安などが出まわっていた頃も過燐酸が肥料の主役だった。
明治39年9月の殖民公報に,札幌近郊の村々における施肥実態調査の結果が登載されている。
この頃は未だ農業試験場の施肥試験の成績が普及に至っておらず,農家の経験によるものと思われるので,要点をあげる。
まず,肥料施用の方法及び考え方として,
①過燐酸に木灰,藁灰を混入して施用するものあり
②麦類種子を水又は薄い人糞尿に浸漬して過燐酸と混ぜ,つつみ肥として施用するものあり
③過燐酸は如何なる作物に施用しても,人糞尿と同様な肥効ありと考えるものあり
④新鮮な人糞尿を施用又は貯蔵中風雨・光線にさらすものが多きこと
⑤大豆粕・油粕など稲苗仕立て時の使用は害あることあり
⑥稲苗仕立てには人糞尿の単用が良好
⑦過燐酸の4,5年の連用後は,土壌凝結して多少耕起の困難となるのみならず,土壌も瘠薄に至るとの説あり。水田は特に然り
次に各村から数例づつ44例を表にして掲げている。次表は,過燐酸に注目してまとめたものである。

これらの村々は明治10~20年代の入植なので,開墾後15~25年程度であろうか。地力枯渇対策が読みとれる例である。
ジザニア・水生植物研究会
会長 三枝 正彦
古来,池や沼に自生していたヒシやハス,ジュンサイなどは,地域の人が季節の旬を味わう貴重な食物として地域ごとに利用してきた。その後,品種改良され本格的な作物として利用され,近年では米の生産過剰に伴い,貴重な水田転作物として導入され,地域特産物として流通している。しかしながら,水田転作物としてこれら深水性作物を導入すると,肥沃な作土や耕盤が失われ,また地耐力が弱くなり,再び水稲を栽培することは難しい。それゆえ,これら作物の導入に当たっては将来的に水田に戻すことを考えず,池沼として利用していくことを念頭におく必要がある。
ハス属は従来スイレン科(Nymphaeaceae)に分類されていたが,種子に周乳を持たない点,花粉の形態が異なる点から独立のハス科(Nelumbonaceae)とする意見が現在では一般的といわれる(伊藤ら1989)。ハスは水生作物の中では知名度が高く,観賞用,食用,薬用として古くから利用されてきたので,多くの解説書,栽培書があり,詳述する紙面も十分にないので,概説と筆者の現地調査に基づく観察や最近の町興しの紹介,及び栽培法について簡潔に紹介する。なお,本項では南川(2004)に従い,植物全体をハスとし,これを花バスと食用バスに区分する。
植物学上のハスは北アメリカ原産のキバナハス(N.pentapetala)と東洋原産のハス(N.nucifera)に大別される。キバナハスは北米南部や南米の一部に分布し,黄色の花をつけ,観賞用に栽培される。アメリカインディアンは地下茎を食用とし,種子も食べている。日本へは大正末期に輸入され,観賞用とし,また東洋産のハスとの交配育種も行われている。食用バスはレンコンという言葉を用い,肥大茎をれんこんとする。そして,農学的利用の立場から東洋系のハス中でも食用バス,レンコンを中心に述べることにする。
ハス(蓮)はレンコン(蓮根)とも呼ばれ,ラテン名はNelumbo nucifera Gaertn:英名はLotus(スイレンも含む総称),East lndian Lotus,一部ではハスはインド原産とも言われるが,一般には中国原産との説が有力である。ハスは池や沼や,水田などで栽培される多年生の水草で,仏事の花,鑑賞用,食用,漢方薬として,日本人にもなじみの深い作物である。また沖積湿地の多い,バングラディシュの国花でもある。花言葉は雄弁,平穏,神秘と真実である。このハスは長い間に,地下茎の肥大性の強い食用バス群と肥大性の弱い花バス群に分化したとされている(図1,図2左は宮城県長沼の観賞用花バス)(南川2004)。


中国では紀元前300年頃から利用されたとされ,特に揚子江流域は栽培が多く,品種も多く発達した。我が国でも花バスは仏教伝来以前の「雄略帝朝記」(457-479)に記述があり,その後も観賞用として栽培されてきた。また,1951年に千葉県検見川町の泥炭層から発見されたハスの種は,故大賀一郎博士によって2000年前のハスと判定された。この種子は栽培に成功して,開花し,「大賀ハス」としてその淡紅色の花弁の条線がはっきりしない素朴さと歴史の古さに関心が集まり,我が国各地のみならず,ブラジル,サン・ペルナルド市でも栽培されている(農林水産省熱帯農業研究センター1983)。しかし,大賀ハスは同じ池に異なるハスが存在すると容易に受粉交雑し,純粋種でなくなることが蓮文化研究会で指摘されている。1971年に秋田県千秋公園の大手門前に植えられた「大賀ハス」も,既に純粋種でないことが同研究会から指摘され,秋田市は「大賀ハス」の看板を撤去した(河北新報:2002年4月27日記事)。
ハスを食用として栽培した記録としては「農業全書」(1697)があるが,鎌倉時代に道元(1225)が中国から導入し,その後中国の食用品種が栽培の主流となったといわれる。また現在のような集約栽培様式がとられたのは大正初期からといわれる(南川2004)。
ハスは春から初夏にかけては,細い地下茎が泥の中を細長く伸長するが,夏から秋にかけて,先端より2-4節にかけて,節間がつまり,節がくびれて肥大し,れんこんとなる。れんこんの横断面は真ん中に1個,そのまわりに9個の大型の通気孔と多数の小型の通気孔がある。この孔の形状や数は品種や土質によっても変化する。れんこんの孔を見ると「先が見通せる」ことから,縁起物として慶事には不可欠な食材である。葉は,種れんこんの頂節から3節および新地下茎の1節からは,細ながく曲がりやすい葉柄を持つ水面に浮かぶ小さな葉(浮葉)が展開し,その後の節からは葉柄の長い大きな立葉(本葉)が展開する。大きな立葉があることがスイレンと異なる。その点から見ると,オニバスは立葉がなく,ハスの仲間ではなくスイレンの仲間である。
ハスの開花がみられるのは6月中旬から3ヶ月ほどであるが,小さい花蕾が水面に現れてから開花までは約20日前後かかる。坂本(1977)によれば,ハスの開花の1日目は,早朝4,5時から開花が始まり,8時頃には閉じ始め,2日目は深夜に始まり,朝7-9時で満開となり,閉花は正午,3日目は深夜から開花が始まるが9時ごろまでに皿型となり,完全に閉じずお椀形のまま,4日目になると,東洋産ハスは午後には花弁が散る。
東洋産ハスの花の色といえば,花バス,食用バスとも,桃色あるいは紅色をイメージするが,土浦市で見られる最近の食用バスは、図2右のような白色が主体である。土浦地域農業改良普及センターの栽培マニュアルによれば,栽培48種のうち44種が白であり,中でも栽の64%を占める中晩生種はほぼ100%が白色である。
ハスは花弁が散った花托は成長し,あしなが蜂の巣のような形となるので,別名「はちす」とも呼ばれる。ハスは「はちす」から由来するとも言われる。その後,種子が成長し,直径1cm前後,長さ1-2cmになる。種子は長い間休眠状態を維持することが可能で,2千年後に埋土種子の発芽に成功したのが前述の「大賀ハス」である。
レンコンは全国各地に見られ,多くの品種が栽培されている。南川(2004)によれば1958年の経済栽培限界は新潟-栃木-茨城を結ぶ線より西側といわれた。しかしながら,2004年の2月11日に放映されたNHKの「昼時日本列島」によれば,宮城県若柳町畑岡地区佐藤優氏の転作レンコンが北限のレンコン栽培であり「寒いので実が引き締まり,肉が厚く,鉄分の多い美味しいレンコンがとれる」との事であった。レンコン栽培にも地球温暖化の影響が表われているのであろうか?
レンコンの全国の栽培面積は約4,600haであり,また生産量は平成15年の茨城県農林水産統計年報によれば,全国で72,800トンであり,県別では茨城が27,900トンでダントツの1位であり,次いで徳島(10,700トン),愛知(5,710トン),山口(5,030トン),佐賀(4,300 トン),新潟(2,690 トン)の順である。茨城県では土浦市が9,660 トンで第1位であり,次いで霞ヶ浦町(6,440 トン),玉里村(2,630トン),桜川村(1,480トン)である。
またこの10年間の東京市場の1kg当たり平均卸売り価格は394円である。一方,生産量は多くはないが,古くからのレンコンの特産地がある。鍬堀りの「加賀レンコン」は加賀野菜の代表として,人気があり,もっちりした肉質,しゃっきりとした歯ざわりで,天ぷらにすれ味の良さが,蓮蒸しにすればつなぎのいらない粘りの強さがわかるという(http://www.kanazawa-ya.com/xrenkon.html)。
また,熊本市高砂地区では,高砂蓮根部会副会長中村仁士氏によれば,温暖な地の利に加えて,ハウス栽培をすることで,どこよりも早い5月から新蓮根の出荷が可能であり,お盆前には大部分の出荷が終わってしまうとの事である。高砂蓮根の特徴は抜きん出た早出しと,生でもしゃきしやきと食べられることという。熊本はまた「からし蓮根」の発祥の地でもある。
熊本名物「からし蓮根」は藤田千恵子(2004)氏によれば江戸末期に,肥後藩の当主細川忠利公の病弱な体を心配した玄宅和尚が,お城の濠に自生する薬効高い蓮根に目をつけ常食を進言したが「どぶの中のものなど」と却下されたという。そこで,城内で料理のアイデアを募ったところ,賄い方の1人,森平五郎が蓮根の穴に味噌と辛子を詰め,衣を付けて揚げた「からし蓮根」を提言した。細川公はこの「からし蓮根」が大層美味であり,また蓮根の切り口(図3参照)が,細川家の家紋”九曜”に似ていてめでたいと喜んで召し上がり,健康になられたとの事である。森平五郎の開発した「森からし蓮根」は,現在18代目の森久裕氏に受け継がれ,熊本市内に立派な暖簾を掲げて早朝から営業している。四国産の和からしと地元産の味噌に,クチナシの実で黄色い衣の色づけをし,見事なハーモニーをかもし出し,ピリッとした辛味としゃきっとした歯ざわりは食欲増進間違いなしである。残暑厳しき土肥福岡大会(2004)の合間に訪れた熊本レンコンの旅,は名物「馬刺し」と「からし蓮根」で大いに元気づけられた。

レンコンの栽培法は気象や土壌型,用途などによっても異なるが,本項では日本一の産地,土浦地域に合ったレンコン栽培マニュアル(土浦地域農業改良普及センター2002)を中心に紹介する。レンコンの栽培には露地,ハウストンネル栽培があるが,1999年度の土浦地域では露地が1,640ha ,ハウスが10.86ha,トンネルが5haである。
露地栽培では,定植準備として,水持ちの良い圃場を選び,pH(H2O)6,10a当たり,窒素(石灰窒素:腐敗病対策)はNとして10kg,リン酸を15kg,カリ40kg,苦土60kg,石灰350kgを施す。また完熟堆肥1tを施用する。定植は10a当たり250-300株(畦幅270-300cm×株間100-120cm,1株2芽)とし,早生では4月上,下旬,普通種は4月下旬~5月下旬に移植する。定植時の田面水は10cm位とし,その後は3-4cmに保つようにする。除草剤処理は6月中旬以降,一回行う。
レンコンの生育を見ながら追肥を行うが1回目は6月中旬,2回目は7月中旬で,8kgずつ行う。収穫はレンコンの周りの赤シブを取り除くために,9月収穫では7日前,10月収穫では20日前,11月収穫では30日前にカラ刈りを籠車輪あるいは鎌,草刈機で行い,地下茎と空気の遮断を行う。掘り取りはポンプを利用した水堀りか(図4参照),自動掘り取り機で行う。収穫したれんこんは,図4のような雪ソリを使い圃場外に運び出す。

ハウス栽培では2月下旬~3月中旬(地温>15℃)に腐敗病に強い品種を,生育期間が短いので密植栽培,10アール当たり600株(畦幅150cm,株間100cm)とする。栽培管理は基本的には露地栽培と同じだが,気温40℃以上が数日続くと生育が止まるので,温度管理に気をつける。収穫は5月下旬頃より可能となるが,肥大を確かめて行う。高温多湿でカッパン病が発生しやすいので植え付け1ヶ月前の石灰窒素撒布やトップジンMで防除する。
トンネル栽培では定植を3月下旬~4月上旬に10アール当たり617株(畦幅270cm×株間60cm)で行う。立葉がビニールについたら穴を開け外に出す。5月下旬~6月上旬にトンネルを除去する。その他の栽培管理はハウス栽培とほぼ同じである。
レンコンは水生作物なので,速効性肥料では流亡や脱窒によって利用率が低下するが,葉が水面を覆い尽くし追肥が困難である。そこでレンコン専用肥料は,速効性肥料に有機肥料を配合したものや緩効性肥料を用いることがある。新潟県見附市におけるレンコン用試験では基肥に被覆尿素を含むレンコン300を用いると,追肥をしなくとも穴の小さい,充実度の高い良品が増収するという(現地試験報告)。肥効調節型肥料の接触施用は水稲栽培において,環境負荷軽減,低コスト,省力,多収,高品質栽培が実証されており,レンコンにおいても有効な方法と思われる。
H14年度日本食品標準成分表によれば,れんこんには可食部100g当たり,美容に良く,抗酸化作用のあるビタミンCがレモンに匹敵する48mg,貧血に利く鉄分は,トマトの2.5倍の0.5mg,尿素の代謝に関係し腎臓の負担を軽くするカリウムは,ニンジンの1.6倍の440mg,便通,消化促進作用のある食物繊維がキャベツの1.1倍の2gが含まれている。また抗酸化機能で知られるポリフェノールは野菜の中ではトップクラスで,部位によっては100-200mg含まれる。加えて,切り口が糸を引く粘りは複合タンパク質のムチンで胃壁を保護する機能がある。また,造血作用のあるビタミンB12や消炎や止血作用のあるタンニン,免疫力向上のレクチンが含まれている。
このようにレンコンには有効成分が多量に含まれ,古来中国では漢方薬として,れんこんのみならず,茎,根,葉,花弁,花托,果実,幼芽などすべての部位を,薬膳料理の素材としている(日本農業新聞2001年12月23日記事)。
また,東北大学東洋医学研究会によれば,漢方では花は「蓮房」といい,婦人の出血に,葉は「荷葉」といい夏の下痢に,根は「ぐう節」といい肺や腸からの出血止めに有効と言われる。また「参苓白じゅつ散(じんりょうばくじゅつさん)」や「啓脾湯(けいひとう)」は胃腸の消化吸収を助け,健胃,食欲増進に効果的であり,「清心蓮子飲(せいしんれんしいん)」は糖尿病の治療薬として注目され,口の渇き,イライラ,残尿感のある場合に有効と言われる。
また,昔かられんこんは風邪の予防と咳止め,血液の浄化と造血作用,整腸作用などがあるとされてきた。数年前,国際肥料学会で北京を訪れた際,市内のスーパーマーケットで買った喉飴,「蜜煉蓮ぐう糖」は,蜂蜜とれんこんジュースを主体とするもので,缶にはレンコンの絵が大きく書かれていた。独特の甘さと香りで日本の喉飴のようには飲みやすくはないが,何となく薬効があるやに思われた。
レンコンは美味しいだけでなく,薬効が高いので,食材としても重要視され,さまざまなレシピが考案されている。しかしながら,れんこんも部位によって,旨み成分や物理性が微妙に異なるので,料理によって図5のように使い分けると一層美味しくなると思われる。坂本の著書(1977)を中心に代表的食材としてのレンコンの使い方をあげると次のとおりである。ハス料理一式例:蓮団子・白みそ汁,松露揚げ,茶そば・とろろ,蓮めし,蓮なます,蓮豆腐,ふくろ蓮,長寿蓮,蓮むし,蓮酒,蓮根チップ・蓮の実唐揚げ,蓮茶,またこの他にも,蓮根甘納豆,蓮根煎餅,糖蓮子,蓮根羹,蓮根粉,蓮根の佃煮,蓮根のもち米むし,からし蓮根,炒め酢蓮根,蓮根の磯部上げ,サラダ,酢バス,蓮根はさみ揚げなど多数,もちろん本場中国の中華料理にも,レンコンの酢豚やチンジャオロース,レンコン餃子,肉まん,シュウマイ,八宝菜など数え切れない料理がある。

一昨年,土浦を訪れた時,「れんこん料理フェア2004,11.1-30」を,全市をあげて行っていた。協賛店舗は17にも及びどこの屈で昼食をとろうかと迷ったが,結局空腹もあって,土浦駅前商店街の天ぷら「八起」にとびこんだ。注文した冷やし蓮根麺天ぷらセット,サーモンと蓮根のカルパッチョ,蓮根の変わり揚げはいずれも見事で,写真を撮ってから賞味した。秋晴れの下,日本一のレンコン産地,れんこんの掘り取り風景,素晴らしいれんこん選別場,それに美味しいれんこん料理を賞味でき,大満足の水郷の旅であった。
レンコン料理についてはれんこん問屋「榎清」が「レンコン料理いろいろ」の小冊子を作っており,またホームページ(http://www.enosei.co.jp/)で料理法,レンコン知識,栄養分などを紹介している。
この他にもレンコンや花バスは我々の日常に仏事や文化として密接に関わっているが,仏事や花バス鑑賞会,蓮根研究会,ハス文化などについては,坂本(1977)が詳細に紹介している。またレンコンの栽培法の詳細は南川(2004)を参照されたい。
●藤田千恵子:城下町生まれの辛子蓮根,SKYWARD,9,102-111(2004)
●南川勝次:レンコン,野菜園芸大百科 第2版 特産野菜70種 農文協,pp225-266,(2004)
●伊藤元己ら:Nelumbo,ハス属,世界有用植物事典(堀田満他編),pp708-710,平凡社,東京(1989)
●農林水産省熱帯農業研究センター:13.ハス,ブラジルの野菜,熱帯農業技術叢書第18号,pp37-40(1983)
●坂本祐二:蓮,ものと人間の文化史21,pp1-73,法政大学出版会,1977
●土浦地域農業改良普及センター:土浦地域に合ったレンコン品種,施肥技術の確立,土浦地域に合ったレンコン栽培技術マニュアル,pp1-26,
ジュンサイ(じゅん菜),Brasenia schreberi Gmel:Water-Shield(英)
古名で沼縄(ぬなわ)ともよび古事記や万葉集に記載されている日本原産野菜の1つである。茎がトコロのつるに似るところからミズドコロともよばれる(土崎1995,2004)。
アジア,アメリカ,アフリカ,オーストラリアなどの温帯域に広く分布し,我が国では北海道から九州までの自然池沼や灌漑用溜池に群生する浮葉性の多年生水草である(図6)。茎や葉柄,新芽などが粘質物に覆われ,葉身は広楕円形で水面に浮き,夏に暗紅色の小さな花が水面上に咲く(図7)。


自然の池沼のジュンサイは水深1-3mに自生しているが,近年水質悪化,池沼の老朽化,埋め立てが進行し群生地が減少している。それゆえ,自生のジュンサイが減少し,米の生産調整もあってジュンサイ田の造成による栽培ものや中国からの輸入ものが増えている。
栽培は昭和45年に秋田県山本町の農家笹村一郎氏によって,水田55aをジュンサイ田に改造し植え付けたことによるといわれる(土崎, 1995,2004)。1989-1990年に行われたアンケート調査によれば,全国の採取面積は624ha(ジュンサイ田289ha,自生沼335ha),採取量は1093t(ジュンサイ田952t,自生沼141t)であり,秋田県が全国採取面積の66%,採取量の87%を占め,そのうち山本郡が県内採取面積の68%,採取量の84%を占める全国一の生産地である。
中でも能代市に隣接する逆川地区は素波里ダムに集まった白神山地の清水を使い,良質のジュンサイを栽培している。また山本町では国道7号線沿いに「ジュンサイの館」を建設し,町の特産物として売り出している。ジュンサイ生産量は秋田についで青森,山形,福島,北海道の順であり,現在では北日本が主産地といえる。
土崎(2004)によると,秋田県では,苗の植え付けは,地下茎15-20cmの長さに根分けしたものを用いて春に行う。植え付け本数は10a当たり800-1000本が基準で,圃場の縦方向に苗間隔1.2mをあけて植える。土中深は5-6cm,植え付け水深は15cmとする(土崎2004)。植え付け後,2-3週間で新根が発生し,成長が始まる。水深は植え付け20-30日後に30cm,その後は成長に応じて深水とし,最終的には50-70cmとする。冬季は凍結やカモ類の食害を回避するために水深50cm を維持する。
水温が4-5月に10℃を超えると茎葉の成長が始まり,6月以降15℃を越えると成長が旺盛となる。採取の最盛期は水温が20-25℃であるが,30℃を超えると,雑草の繁茂,水質汚濁,病害虫の発生などが起こる。それゆえ,夏季の高温障害を回避するために,かけ流しや地下水の補給が行われる。またジュンサイは水田除草剤に敏感なので基本的には手取り除草とする。マダラミズメイガやネクイハムシなどの害虫による食害は,品質や収穫量に大きく影響するので殺虫剤を年5-6回散布する。施肥は土壌や水利栽培管理によっても異なるが,造成時に10a当たり,ダイズ油粕100kgあるいは化成肥料(N-P-K)10-60kg を施し,その後,毎年ダイズ油粕50kg,あるいは化成肥料10-40kg を施用する。
収穫は植え付け後,3年目に試験的に行い,4年目から本格的に行う。収穫はヌルといわれる粘質物に包まれた未開葉の幼葉(図6参照)を,5月中旬~6月上旬の一番芽,6月中旬~7月下旬の2番芽(最盛期),8~9月の3番芽として箱舟に乗って行う(図6)。
山本町志度橋の阿部正子さん宅では箱舟による摘み取り体験が可能であり,山本町では毎年7月上旬にジュンサイ祭りを行っている。しかし10月以降は苦味がでるので収穫しない。ジュンサイの全国的な10a当たり平均採取量は,自生沼で約42kg,ジュンサイ田で330kgである(土崎,1995)。また,ジュンサイ田では採取ローテーションをうまくすることによって,高収量を維持することが可能であり,山本町志度橋の精農家阿部隆一氏は1976-1985年までの10年間に602-979kg,平均805kgの採取量を記録している。山本町における平均採取量は400kg程度で,1995度のジュンサイの買取価格は,kgあたり最高時で3000円,最低時で500円であった(山本町農林課2004)。山本町におけるジュンサイの加工は昭和11年頃,兵庫県明石市からきた久後栄治氏によって,ビン詰め加工が始まり,「森岳じゅんさい」として商品化され,全国的に市場開拓が行われた。
独特のぬめりとつるりとしたのどごしは,初夏の味覚として賞美され,古来「ぬなわ」は夏の季語とされてきた。汁のみ,三杯酢,酢味噌和え,卵豆腐ジュンサイ和え,わさび醤油,そばつゆの具,砂糖漬け,ジュンサイ鍋(鳥鍋),天ぷらなどとして,生ジュンサイ,袋詰め,瓶詰めのジュンサイが使われる(川崎1988,土崎2004)。
ジュンサイの成分は生重あたりで98.2%が水分であり,乾物あたりでは粗灰分24.8%,粗脂肪3.7%,粗タンパク18.15%,糖質26.2%,粗繊維1.4%である。粘質物(ヌメリ)は水によく溶け,ゲル状を呈するがアルコール,エーテルなどの有機溶剤に不溶である。また,粘質物の水溶液は微アルカリ性を示す(山本町農林課2004 )。粘質物の糖組成はD-ガラクトース32-40%,D-ガラクロン酸19-29%,L-フコース13-16%,D-マンノース10-14%,L-ラムノース6-9%,D-キシロース2-7%,L-アラビノース2-3%,D-グルコース1%である(土崎,1995,2004)。また,粘質物は約5%のタンパク質を含むが,その構成アミノ酸はセリン,アラニン,ロイシン,バリン,アスパラギン酸,スレオニン,プローリンである。ジュンサイの薬効としては,中国医薬では茎葉や果実が抗癌作用や解熱,解毒,胃弱や腫れを治すとされている。
●伊藤元己・松本伸子:Braseniaジュンサイ属,世界有用植物事典(堀田満他編),pp163,平凡社,東京(1989)
●川勝隆男:14・ジュンサイ,野菜園芸大事典(西貞夫編),養賢堂,pp1354-1356 (1988)
●土崎哲男:秋田のジュンサイ-ジュンサイ田造成と栽培管理の実際-秋田魁新報社,pp1-294 ,(1995)
●土崎哲男:ジュンサイ,野菜園芸大百科 第2版 特産野菜70種 農文協,pp131-143,(2004)
●山本町農林課:山本町じゅんさい資料編,pp1-8(2004)
ヒシ(菱),Trapa bicornis LINN.(=Trapa natans LINN.)Water chestnut,Water caltrop(英):ラテン名のbicornisは二角の,natansは葉が浮くという意味であり,英名のWater chestnutは果実の硬い殻の外観が栗に似ており,また栗のように澱粉を利用することに由来,Water caltropはラテン語のcalcitrapa鉄菱の縮小型と言われる(農林水産熱帯農業研究センター1980)。菱は果実の形状でヒシ,オニビシ,ヒメビシ,トウビシなどに区分される。
またヒシは果実がやや大きく赤色をおびる”赤ビシ”と赤みをおびない”青ビシ”に区別され,”赤ビシ”の方が美味で多収といわれる。ヨーロッパ,アジア,アフリカ東部など世界各地に野生しており,主としてその果実が,時には茎葉が食用とされる。中国やインドシナ半島では栽培されている(岡本ら1989)。
我が国では全国各地の池や沼に自生し,子供のおやつや農家の間食として古くから利用されてきたが,市販されることは少なかった。筆者も小,中学生の頃は,夏休みになると,故郷伊豆韮山町(現伊豆の国市)の城池で泳ぎ,まだ若草色のヒシの実の未熟化を裂き,素朴な甘い果実を食したものである。反面その地下茎は大変危険で、池を泳いで横断する途中に足に絡み,命を落とした友もあり,遊泳禁止になった苦い経験を持っている。

またヒシの実の懐かしい思い出は多くの人が持っており,宮城県鹿島台町のNPO法人「シナイモツゴ郷の会」では希少生物コイ科の淡水魚シナイモツゴの保護と共に,ヒシの水質浄化作用や健康食品としての価値に注目し,休耕田5.5haで栽培を始めた(河北新報2005年12月11日記事)。
ヒシは一年生の水草で,水底で越冬した菱形の果実の頂端部から4-5月頃発芽し,泥中に根を張ると共に,水面に向かって,細長い茎を伸ばし5月下旬頃より水面に菱形の浮葉が互いにロゼットをなして放射状に出る。長い葉柄の中ほどは膨らんで浮き袋となっている。7月頃,若い葉の葉腋からでる柄の先に4弁の白い花がつく。果実は硬質の閉果で種子には胚乳がなく,一個の大きな子葉と一個の鱗片状の子葉とがあり,子葉には生で約20%のデンプンが貯蔵されている(岡本ら1989,中島1988,2004)。
自生のヒシを採取して利用する場合が多いが,中部地方の長良川流域や佐賀平野あるいは前述の宮城県鹿島台町では栽培が行われている。佐賀平野で収穫販売が行われている用排水堀(クリーク)での栽培例(中島1988,2004)を見ると,完熟した果実を貯蔵し,翌春3-4月頃播種する。理想的には水深2-3m位で緩やかに水が流れ肥沃な泥土が30cm堆積している場所が良いという。また気候は5-6月が低めに推移し,9-10月がやや高めの年に高収量が得られる。特別な管理は行わないが,水路の強害雑草のホテイアオイなどを除去すると共に,葉を食害するヒシ
ムシの防除を行うことがある。また収穫作業は9月上旬より2-3週間隔で3-4回,「ハンギー」といわれる直径1m余のたらいに乗って行う。1日8時間当たりの収穫量は40L前後で,10a当たり収量は放任栽培のクリークでは800kg,集約的な水田では1600kg(大粒1300kg,小粒300kg)といわれる(中島1988)。
福岡県南部,筑後平野のほぼ中央に位置する大木町は町全体の16%がクリークで,「ハンギリ」によるヒシの実の収穫風景は秋の風物詩の1つとなっている(大木町のホームページ参照)。
近年水田転作で導入する場合は,直播も可能であるが水槽で育苗後,代掻き水田に移植すると効率が良い。施肥は基肥としてN,P2O5,K2Oでそれぞれ4-6kg/10aを施用する。通常追肥は必要ないが,葉色が淡く,生育不良の場合はNで5-6kgを施用する。基肥量が多すぎると開花時の成長が旺盛で開花,着果が劣る。生育後半まで徐々に溶出する肥効調節型肥料の導入も有効と思われる。植え付けは5月上旬から行い,植え付け本数は10a当たり330本,その後5月下旬では1000本,6月中旬では3000本と増加させる(中村1988)。
管理としては雑草防除が重要であり,常に流し込み深水(>15cm)とし,それでも発生する雑草は手取りとする。病害虫はジュンサイハムシと菌核病が知られているが,マイナ一作物で登録農薬が少ないので過度の施肥を控え,風とうしを良くし,逆に無農薬栽培として付加価値をあげる乙とも重要である。
4本の平行斜線でつくられる菱型文様は,世界各地で原始時代から見られ,編物地や織物,寺院の間仕切りに用いられてきた。その菱形デザインには菱を4等分した割菱で甲斐武田氏が用いた武田菱をはじめ,幸菱,繁菱,遠菱,入子菱,菱欅,鳥欅など多数が知られている(岡本ら1989)。また雛の節句の菱型の餅「菱餅」は,化け物から子供を守るために菱の実を使ったされる中国の故事に由来するといわれる。
このようにヒシは補助食としての役割の他に,日常の生活にしっかり根付いており,釧路の塘路湖のペカンペ(アイヌ語でヒシの実)祭りはヒシの収穫祭といわれ(http://kenko.int.kitami-it.ac.jp/sansai/hishi/),また更科源蔵の「アイヌ神話」には”菱の実採りの歌”が記録され,前述の鹿島台町にも民謡”菱取り唄”があるという。
その英名にみられる栗に似たヒシの素朴なほのかな甘さは,そのままおやつとするほかに,ヒシの実ご飯,チリソース和え,野菜サラダ,ヒシ焼き,苅でヒシ,ヒシきんとん,ヒシのチップス,茶碗蒸し,リゾット,ヒシ茶,ヒシ焼酎,薬膳酒などに使われる。果実の成分としては種類によっても異なるが水分7.6%,粗タンパク10.5%,粗脂肪0.7%,糖質77.6%,粗繊維1.1%,灰分2.5%である(中島1988,2004)。また果実には加水分解型タンニン,ステロース類,デンプン,ブドウ糖,たんぱく質,有機ゲルマニウムなどが含まれる。有効成分は不明であるが豊富に含まれる加水分解型タンニンは健胃整腸,二日酔いに有効とされている(http://kenko.int.kitami-it.ac.jp/sansai/hishi/)。
さらに古来からインドでは保健上冷性食品とされ,薬用上,胆汁異常,下痢に有効といわれ,一般には胃の薬とも考えられている(農林水産省熱帯農業研究センター1980)。また中国では果実を,熱さまし,滋養強壮などに用い,抗癌作用もあるとされている(岡本ら1989)。ヒシの実は食用以外にも,ロザリオ(数珠),ヒシ人形,ネックレス(イタリア)などの装飾品や民芸品にも加工されている。
●中島照次:8・ヒシ,野菜園芸大事典(西貞夫編),養賢堂,pp965-968,(1988)
●中村大四郎:ヒシ,農業技術体系,野菜編11,特産野菜・地方品種,農文協, pp特産野菜507-512,(1988)
●中村大四郎:ヒシ,野菜園芸大百科 第2版 特産野菜70種 農文協,pp281-286,(2004)
●農林水産省熱帯農業研究センター:21,ヒシ,熱帯の野菜,熱帯農業技術叢書第17号,pp95-99(1980)
●岡本素治ら:Trapa L. ヒシ属,世界有用植物事典(堀田満他編),pp1048-1049,平凡社,東京(1989)