農業と科学 平成21年6月
本号の内容
§水稲育苗箱全量施肥法における覆土表面増施
鳥取県農林総合研究所農業試験場
環境研究室
研究員 金川 健祐
§水稲ポット苗(成苗)に対する被覆肥料「マイク口口ングトータル201-100」の施用効果
北海道立中央農業試験場
水田・転作科
研究員 後藤 英次
§猪苗代湖水環境保全への農業分野からの取組み
①湖水環境の状況と取組み
福島県農業総合センタ一 生産環境部
環境・作物栄養科
科長 三浦 吉則
鳥取県農林総合研究所農業試験場
環境研究室
研究員 金川 健祐
水稲育苗箱全量施肥法は専用の被覆尿素肥料を用いて,一作分の窒素を育苗箱に施用し,本田施肥を省略する技術である。この施肥法は,移植作業と同時に窒素施肥作業が終了することや根の近傍に肥料があるために化成分施体系に比べて肥料効率が高く,面積当たりの窒素施用量を減らせることにより環境負荷軽減に寄与するといった特徴を持つ。
鳥取県では1997年に本技術が導入されて以降,大規模稲作農家を中心に普及が進み,2007年には約120haの圃場で利用されるようになった。しかし,育苗箱全量施肥法を用いると,中山間地や遅植えなどの条件で初期茎数を確保しにくいために,収量が減少するという問題がある。また,育苗箱全量施肥法の取り組みの多くが作業の制約上,苗箱1箱当たりの施肥量が同ーとなるため,圃場ごとに異なる地力を考慮した施肥量の加減が行われず,一部の圃場で収量減などを招いている問題もある。そこで,地力に応じた施肥量を調節する手段として溶出期間の短い被覆尿素肥料を移植直前に苗箱の覆土表面に施用する方法(以下,覆土表面増施)(図1)について検討した。

試験は鳥取市河原町北村(中山間地域)の灰色低地土圃場において2006年に実施した。地力の異なる2圃場(可給態窒素量23.4mg/100g,21.7mg/100g)は隣接しており,それぞれの圃場で覆土表面増施区(覆土表面増施),標準区(育苗箱全量施肥法)を設けた。試験を実施した2圃場の地力差については,試験前年度(2005年度)の慣行栽培(施肥量,水管理など両圃場の管理条件は同一)における稲体窒素吸収量,収量及び2006年度春の土壌中可給態窒素量で確認し,これらの数値が高かった圃場を地力中庸,地力の低かった圃場を地力低という表現とした(表1)。

両試験区とも床土内に苗箱まかせ(N400-100:25℃条件で80%溶出期間が100日)を1箱当たり630g施用し,覆土表面増施区にはさらに1箱あたり63gのLP40(25℃条件で80%溶出期間が40日)を,移植当日に覆土表面に均一に施用した。窒素量は慣行区で4.5kg/10a,覆土表面増施区で5.0kg/10aとした(表2)。

リン酸,カリ肥料については地域慣行の苦土重焼リン,PK化成(P2O5 11.0kg/10a,K2O 4.0kg/10a)を移植10日前に本に施用した。
供試品種はひとめぼれを供試し,移植は5月15日,収穫は9月4日に行った。また,両ほ場とも前年秋にわらを鋤込み,分解促進のための石灰を施用した(1処理3反復)。
図2は試験地の地温を基に苗箱まかせとLP40の期間窒素溶出量を推測したグラフである(チッソ旭社製溶出シミュレーションソフトによる)。試験を行った鳥取市北村は中山間地のため気温,水温が低く,苗箱まかせの累積溶出率は施用100日後で55%であった。また,苗箱の覆土表面に施用したLP40の期間溶出率は施用40日後で68%であった。期間窒素溶出量は,移植15日後(経過日数40日)から65日後(経過日数70日)まで覆土表面増施区が標準区より多く推移した。

また,覆土表面増施区の茎数・穂数は標準区に比べ多く推移した(図3)。

精玄米重量は地力低圃場において覆土表面増施区は標準区より約7%多く,地力中庸圃場の覆土表面増施区は標準区と同等であった。同様に,収穫期稲体窒素吸収量,総籾数についても地力低圃場では覆土表面増施区は標準区より多く,地力中庸圃場では覆土表面増施区と標準区は同等であった。また,品質については,圃場の地力差及び施肥法との関係は認められなかった(表3)。

以上の結果から,地力窒素が不足する圃場では,移植当日に施肥窒素量の1割のLP40を覆土表面に増施することで,生育初期の窒素溶出量が増加するため首箱まかせの溶出による窒素不足を補い初期茎数が増加する。その結果,穂数と籾数が増加し,品質を下げることなく収量が増加することがわかった。
本技術は移植前に覆土表面に被覆尿素肥料を施用するため,苗箱の運搬時や田植機への積込み作業時の傾きや揺れによって覆土表面に施用した肥料が落下することが心配される。そこで,肥料を覆土表面に施用した苗箱において,移送等苗箱の取扱い時に生じる損失について検討した。
肥料を覆土表面に施用した後,苗箱を傾けて,肥料がこぼれる量を測定した。施用量2水準,潅水の有無,傾斜角度は苗箱の長辺を軸とし,45°,90°,反転の状態に順次手で傾けた。角度を変える毎に落下した肥料を回収,1週間自然乾燥後計量した。
現場の路面状況を考慮し,苗箱には20°の傾斜をつけて2箱ずつ衣装ケース内に収めた。走行1時間前に潅水を行い,軽トラックの荷台に積んでロープで固定し,試験場内と近辺道路を40~45km/時で約1km走行した。落下した肥料を回収,1週間自然乾燥後計量した
傾け試験の結果は覆土表面に施用した肥料の量を140g/箱とし,90°に傾けたものは潅水無しで0.6%しか肥料が落下せず,覆土表面に施用する量を2倍の280g/箱にしても1.0%しか落下しなかった。また,覆土表面に施用した後に潅水を行うことによって肥料の落下量は減少した(表4)。

走行試験の結果は覆土表面に施用した量を140g/箱としたものは0.06%しか肥料が落下せず,覆土表面に施用した量を2倍の280g/箱にしても0.19%しか落下しなかった(表5)。

育苗箱全量施肥法におけるひとめぼれ栽培において,苗箱中の肥料では窒素が不足する圃場では,移植当日に育苗箱の覆土表面に不足分を増施することで品質を維持したまま収量が増加することがわかった。この技術は地力の異なる圃場を抱える大規模農家や集落営農組織などの低収圃場に活用し安定生産をはかることができる。また,本技術を使用する際の留意点として覆土表面増施法の利用は,前年までの生育をみて周辺圃場と比較して,葉色が薄い,生育量,穂数,一穂籾数,収量が少なく,倒伏程度が軽度であるような施肥窒素量が不足していると考えられる圃場に実施する。
一方でこの技術は生産者に多忙な移植時に施肥を行う作業を強いることになる。LP40を覆土表面へ施用しても移植3日前なら苗質に影響しないことを確認しており,ある程度の面積をまとめて施用することで若干の労力の軽減も可能である。
また,覆土表面施用後に,苗箱を傾けたり,移動したりすることがあるが,施用後に潅水をすることにより,90°傾けたとしても落下する量は施用量の1%以下に抑えられるので,苗の取扱いには注意を要するが実用に耐え得ると考えている。
1)金川健祐ら:水稲育苗箱全量施肥における表面増施が収量および品質に及ぼす影響
2007年度日本土壌肥料学会要旨
北海道立中央農業試験場
水田・転作科
研究員 後藤 英次
寒冷で生育期間の短い北海道の水稲栽培において,収量・品質を安定化させるために,初期生育向上と生育安定化は重要である。その具体的な技術として,北海道では「苗の成苗化」と「全層施肥と側条施肥の組み合わせ」が推奨されてきた。育苗期間が35日~40日と長い「成苗」は,生育を進め,出穂を早めることで十分な登熟期間を確保できる。根の近傍(苗横3cm、深さ3~5cmの作条)に肥料が高濃度に存在する「側条施肥」は,移植後から速やかに吸収できる。
また近年では,箱マット苗における緩効性肥料の施用効果が全国各所で報告されており,北海道内でもー部で普及段階に入っている。育苗箱施肥は,育苗期間の養分吸収を促進するとともに,移植株内に肥料を有することにより,移植直後の根伸長が不十分な時期から吸収が期待できることから,初期生育向上に有効な技術である。ただし,成苗ポット苗の場合,通常の緩効性肥料では粒径が大きいため,ポット毎に均一施肥することが困難であった。これに対して,主に園芸作物の育苗に用いられてきた被覆肥料「マイクロロングトータル」は,微粒サイズ(粒径1.0~1.5mm・約350粒/g)のポリオレフィン系樹脂被覆肥料であり,成苗用ポットへの均一施用が期待された。そこで本試験では,「マイクロロングトータル201-100」(溶出はリニア型,土壌温度25℃-100日間の窒素溶出率80%)の育苗箱施肥が,水稲苗および移植後の生育,収量に及ぼす影響を検討したので,その結果を以下に記す。
本試験は,北海道中央部に位置する岩見沢市にある,北海道立中央農業試験場岩見沢試験地の水稲育苗畑および水田圃場において実施した。使用された水稲育苗畑の土壌型は灰色低地土,水田圃場は2006~2007がグライ低地土,2008年が泥炭土であり,その化学性を表1に示した。供試品種は「ほしのゆめ」を用い,育苗様式は(株)みのる産業製のポット448育苗箱(448穴)を用いた成苗とした。

試験処理には,①マイクロロング施用量0g/箱(以下ML0区),②マイクロロング施用量40g/箱(以下ML40区),③マイクロロング施用50g/箱(以下ML50区)を設けた。培土には「くみあい成苗培土H」,覆土には「くみあい粒状覆土」を用いた。置床には,育苗化成258を用いて窒素25g/㎡相当を全層施肥した。置床設置後,出芽するまでの5~10日程度はシルバーポリ被覆を行い,その後は慣行に準じて育苗管理を行った。
播種作業では,施肥装置として(株)みのる産業製の施薬装置(施薬ロールD装着)を用い,苗箱に設定量のマイクロロングが入るように調整した。施肥装置は,播種装置と覆土の間に設置し(写真1), (培土充填)-(鎮圧)-(籾播種)-(マイクロロング施肥)-(覆土)の手順で作業した。

したがって,「マイクロロング」は播種された籾の頂上に,籾と接触するように施肥されることになる(写真2)。

播種作業時の計測・観察では,育苗箱毎の施肥量は比較的安定しており,箱内における施肥の明らかな偏りも認められなかった。
シルバー被覆を剥いだ出芽時の観察では,全体的に出芽のムラ・不良は認められなかったが,各年ともマイクロロング施用の場合に,0.5~1日程度の出芽の遅れが見られた。その後は各年の天候に応じて苗の生育は進行・遅延するものの,試験処理が生育の進行に及ぼす影響は判然としなかった。ただし,2葉展開の頃からマイクロロング施用区で葉色が濃い印象であった。
育苗終了時の苗質に関しては,苗立ち本数・第一鞘高・葉数に有意な差が認められず, 目視による明瞭な差異も無かった(写真3)。

草丈・分げつ・地上部乾物重は,マイクロロング施用により増加する傾向にあり,この傾向は3ヵ年を通じて概ね認められた(表2)。

詳細に数値を見ると,全般的に葉数は若干少ないが,これは本試験を行った3ヵ年の育苗期間の天候が不順であり,遅延傾向にあった(育苗期間の作況:並~劣る)ためと考えられる。その他の項目(苗立ち本数・草丈・乾物重など)は成苗の用件を満たしており本田移植と活着に問題はなかった。また,マイクロロング施用量の違い(ML40区,ML50区)の影響は判然としなかった。
苗の地上部無機成分含有率は,ML50区≧ML40区>対照区の順となり,マイクロロング施用により明らかに増加した(表3)。

窒素含有率は2007年と2008年の含有率が低かったために,平均値では栄養診断基準値を満たさなかったが,リン酸とカリウム含有率は基準値以上であった。また,各無機成分吸収量は含有率とほぼ同様の傾向であった。施肥量別の養分吸収については,ML50区でML40区より若干勝るものの,その差は小さく,苗の栄養条件はほぼ同等と判断した。
養分吸収で特に重要である窒素の溶出・吸収についても,若干検討を行った。先に述べたように,本肥料の育苗期間の溶出はリニア型であり,土壌温度25℃-100日間の条件において,窒素溶出率80%に達するとされる。4月上旬とはいえ育苗ハウス内の温度は高く,置床直後のシルバーシート被覆下の地温は,平均地温で10~20°程度,最高地温では30℃~35°まで上昇する事例が多かった(図1)。

出芽してシルバーを剥いだ後は,平均気温20°以下で概ね推移したが,日中は30℃程度まで上昇する日も多かった。したがって,育苗期間の窒素溶出率は,成分保証される溶出曲線(25℃)から15~20%程度と予想される。
これに対して,本試験の育苗終了時までの肥料窒素残存率を検討した。調査にあたっては,供試肥料が微粒かつポット内施用のため埋設や回収が困難であるので,ポット内の土壌全体を硫酸分解し,これにより得られるアンモニア態窒素の残量(ML施用区-対照区)によって算出した。本肥料はアンモニア態窒素と硝酸態窒素が等量含まれ,溶出速度は同等と仮定すると,得られたマイクロロングの窒素残存率は,20~25%程度と推定された。これは予想される窒素溶出と比較して同等~若干多い。高温履歴のある場合に高温側に寄った溶出パターンを示す可能性もあるため,今さらに検討が必要と考えられる。
また,苗による窒素吸収量から見た育苗期間の窒素利用率は,ML40区で平均8.3%,ML50区で平均10.2%であった(図2)。

水稲育苗では潅水量が多いため,溶出窒素の一部が下層に流亡した可能性がある。以上の結果から,本肥料の育苗期間における窒素溶出や苗による窒素吸収はあまり大きくなく,大半は本田移植後に溶出・利用されたと考える。
ただし,窒素溶出量が少ないといっても,育苗箱内の培土は1.2kg/箱程度,2.6g/穴程度と非常に少ないことから,種子近傍ではECの上昇に伴う生育抑制,具体的に肥料焼けも懸念される。また,2006年の育苗期間において乾燥しやすかった縁苗部分でスポット的に葉先の枯れが観察された(写真4)。

本試験期間では,各年ともマイクロロング施用により0.5~1日程度出芽が遅れている。土壌分析値を見るとpHの低下は小さいものの,ECは明らかに上昇していたことから,EC上昇による出芽遅延の可能性も否定できない(表4)。

過去の報告等では1.5~2mS/cm以上での出芽抑制や1.0mS/cm以上の生育抑制が指摘されている。本試験期間では1.0mS/cm以上の事例は無く,出芽揃いや苗立ち本数等において大きな差が認められないことから,実用上の大きな障害とはならないと判断するが,育苗上の注意点として,育苗期間中の灌水ムラ,特に置床周縁部の乾燥に注意し,適切な水分管理に努めるべきと考える。
本田移植後の生育に関しては,移植後2週間頃の茎葉乾物重および根乾物重が,ML50区>ML40区>対照区の順に多く,根近傍の養分濃度が高いことにより,活着及び生育が促進されたと思われる(図3)。

その後の生育期節(出穂や成熟)に処理区間で明瞭な差はなかった。幼穂形成期の茎数の3ヵ年平均値は対照区比で,ML40区が109,ML50区が118と明らかに多く,穂数は対照区比で,ML40区が107,ML50区が108と増加した(図4)。

最終的な精玄米収量は対照区の3ヵ年平均524kg/10aに対して,ML40区が103,ML50区が105と増加した(表5)。

精玄米収量の増加要因としては,不稔歩合や1穂籾数,千粒重には一定の傾向が認められなかったことから,茎数および穂数増加に伴う総籾数増加によるものと考えられる。タンパク質含有率に関しては,3ヵ年とも処理区で差が認められなかった。マイクロロング施肥量の影響に関しては,3ヵ年平均でML50区がML40区を若干上回っていたが,単年度別では同等であった年次(2007年)もあり,移植後の気象条件により変動することも予想されるため,ほぼ同等であったと判断する。
以上の結果から,水稲育苗(成苗)における被覆肥料「マイクロロングトータル201-100」の施用は,苗質の向上と,特に初期生育が不良な地帯における本田移植後の初期生育促進の観点から,有効である。施肥量については,本試験の範囲内では差が判然としなかったため,40g/箱~50g/箱が適当と考える。
ただし,本試験のように播種同時施肥を行うためには,現行の成苗ポット播種機に施薬装置((株)みのる産業社製品)とオプション販売の施薬ロールD の装着に若干の初期投資(価格は12~13万円程度)が必要となる。本方式のコストを勘案して,導入の検討を願いたい。本肥料の場合,播種同時施肥以外でも,事前に培土と混和して用いることも可能であり,この場合は特殊な装備は必要ないが,混和の手聞が増える。また,混和後の保管期間が長い場合には保管中の肥料成分溶出も予想されるので,その場合には準備と使用期間等について検証が必要であろう。
さらに,蛇足となるが「マイクロロングトータル201」には100日タイプの他に40日タイプ,70日タイプが販売されている。育苗時の肥料供給の観点からは,溶出期間の短いtタイプが有効とも考えうるが,筆者が過去に70日タイプを用いた場合,出芽不良と肥料焼けによる葉先枯れが観察された。いくつかの予備試験と調査の結果,水稲育苗用としては100日タイプが有効であり,溶出期間の短いタイプを用いるべきでないことを付け加えておく。
福島県農業総合センタ一 生産環境部
環境・作物栄養科
科長 三浦 吉則
猪苗代湖は福島県のほぼ中央に位置し,面積が103k㎡と日本で4番目に広い湖であり,磐梯朝日国立公園に属し風光明媚な自然景観を有している。さらに,湖の平均水深は約50mであることから貯水量は約54億トンと膨大な水量を持っており,かんがい水や水道用の水源などに利用されている。このように猪百代湖は県民の心や生活に欠くことのできない大きな拠所となっている。
湖の水質は大きな特徴を持っており,湖北にある磐梯山や安達太良山などの火山からの硫酸を多量に含む酸性水が長瀬川を通じて流入し,pH5前後を保ってきており酸栄養湖に分類されている。猪苗代湖のような大型の酸栄養湖は世界的にも大変珍しく,日本では他に北海道の屈斜路湖と2つだけのようである。この特殊な水質は,環境悪化の原因となる水中の有機性汚濁成分やリンなどを,酸性水中の鉄やアルミニウムイオンが付着・沈殿させる自然の浄化システムとして機能し,湖水環境の保全を担ってきた。
猪苗代湖は環境省の水質コンクールでは2002年から2005年まで日本一の水質の栄冠を誇った。ちなみに,2002年の湖沼の水質(COD)ベスト5を表1に示した。猪苗代湖を筆頭に本県では5位までに5つがランクされている。3位の磐梯五色沼や5位の小野川湖は猪苗代湖と同様の磐梯朝日国立公園に属しており,これら湖沼群は福島県がうつくしい環境に恵まれていることのシンボル的存在である。

図1に湖心のpHの推移を示した。近年,猪苗代湖の湖水のpHが急速に上昇し中性化する傾向がみられるようになった。1990年代前半まではpH5程度だったが,徐々に酸性度が弱まり,2006年は6.5にまで上昇している。猪苗代湖の中性化が進むと汚濁成分が沈まなくなったり,湖水の生物環境が変わり湖底に沈んでいた有機性物質の活性化が起こって,水質を急激に悪化させる可能性が指摘されている。莫大な湖水量を考慮するとこのスピードでpH上昇が起こるのは,たいへんな湖水環境の変化である。

pHの上昇以外にも1993年ごろから湖岸付近で黒色浮遊物(黒色のすす状浮遊物で成分によりほとんどが植物の腐敗物であることがわかっている)の発生が見られたり,1997年にはアオコを構成する植物プランクトンが初めて確認されるなど湖水環境の悪化が懸念される現象が確認されるようになった。
裏磐梯湖沼群についても,1980年後半に入り,富栄養化が進行した湖沼で見られる藍藻類のクロオコックス,ミクロキィスティスなどが桧原湖,小野川湖,秋元湖及び曽原湖の4湖に出現した。1989年には小野川湖や秋元湖でペリディニウムによる淡水赤潮の発生が確認されている。このように猪苗代湖のみならず裏磐梯での湖沼においても水質悪化の兆候がみられている。
図2に猪苗代湖北岸の地形変化を示した。猪苗代湖最北部の湖岸線をみると,1968年ではほぼストレートであったものが,1991年では小刻みな凹凸が目立つようになった。このあたりではヨシやアシの群生地の広がりがみられている。また,地図中央よりやや右下の長瀬川河口の三角州付近では,1991年の地図において陸地面積の拡大が確認できる。これは,河川や人工的に造成された排水路から供給される土砂によって,猪苗代湖が逐次埋め立てられたと推察している。

この要因の1つとして,基盤整備による影響が指摘される。図3に旧福島県農業試験場冷害試験地(猪苗代湖岸の猪苗代町に位置)で1959年に実施された基盤整備前後のほ場図を示した。基盤整備前は,素掘りの水路が縦横に交叉し,水田から排水路に出た土砂がそのまま猪苗代湖まで到達する状況にはなかったものと思われる。一方,基盤整備後においてはコンクリート製のU字溝によって水田と湖が直線的に結ばれ,猪苗代湖への土砂の流出量を増大させたものと考えられる。

現在,明治時代から1960年代にかけて実施された旧整備の10a区画をさらに大区画化する基盤整備が進められている。この基盤整備によって,用排水路の完全分離や基幹排水路の拡幅が行われ,猪苗代湖の埋め立てがさらに加速することが予想されるところである。
福島県はこれらのような水環境悪化の兆候を受けて,2002年に「福島県猪苗代湖及び裏磐梯湖沼群の水環境の保全に関する条例」を制定した。条例は豊かな水環境のシンボルである猪苗代湖及び裏磐梯地域の湖沼群の水質悪化を未然に防止し,美しいまま将来の世代に引き継いでいくことを目的にしている。湖水の水環境悪化を未然に防止するための条例化は国内では初めてで,制定された条例に基づき,水環境に関わる全ての分野で具体的目標を定め,水質保全のために積極的な推進を行っている。

図4は推進計画策定にあたって県が試算したものである。水質の基本的な指標であるCOD(化学的酸素要求量)や全窒素,全リンについて,系別に猪苗代湖に流入する汚濁負荷量の割合を示してある。それらによると,指標項目による傾向の違いはあるが人為的な分野からの汚濁割合が高く,生活系や観光系,産業系,とともに農業系からの負荷量もかなりの割合を占めていることがわかる。

農業分野においては,水環境条例抜粋に示したように,施肥の量や用水管理,稲わらなどの適正管理について配慮するよう求められている。
県の条例を受けて,農業系からの環境負荷物質の排出を削減する水環境に配慮した農業を積極的かつ早急に推進するため,2002年から5カ年計画で「猪苗代湖等湖沼水環境にやさしい農業推進事業」を実施した。
事業の内容としては,猪苗代湖岸に3,000ha以上広がっている水田を対象とし,
①水田からの水環境負荷物質の流出実態の把握,
②水田からの水環境負荷物質の流出軽減技術の確立,
③水環境にやさしい農業技術の普及推進
である。
②の流出軽減技術の確立については,現地への技術の速やかな導入を図るために湖岸地域の現地ほ場に実証ほを設置し,技術の検証・実証を行った。試験内容としては,側条施肥や肥効調節型肥料を利用した箱施肥による肥料使用量の削減や肥料養分の流出軽減,カバープランツによる農薬使用量の削減,浅水代かきや秋鋤込みによる稲わら等の有機物の河川や湖沼等への流出削減などの実言正を行った。
③の技術普及については,県の普及機関が主体となり,地元市町村や農業試験場と連携の下,地区単位ごとに座談会を開催し,猪苗代湖の水質の現状と実証によって得られた新たな軽減技術の地元農業者への普及啓発に努めた。
次稿では農業生態系からの水環境負荷物質の流出実態について紹介する。
●福島県農林水産部.2007
猪苗代湖等湖沼水環境にやさしい農業推進事業成績書
●佐藤紀男・横井直人・棚橋紺.2007
猪苗代の水田土壌と猪苗代湖北岸の近年における地形変化.土壌を愛し,土壌を守る.
p.137-139.日本ペドロジー学会編.博友社.東京