農業と科学 平成25年7月
本号の内容
§苗箱まかせ育苗箱全量施肥の普及に向けた取り組み
—九州南部編—
ジェイカムアグリ株式会社 九州南部支店
郡司掛 則昭
§人間の健康とミネラル
・・・亜鉛補充療法で治癒できる病気は多い
東京農業大学
客員教授 渡辺 和彦
ジェイカムアグリ株式会社 九州南部支店
郡司掛 則昭
九州地域において米は野菜に次ぐ産出額を誇る重要な農産物である。主要な経営形態は恵まれた気象条件を活かした野菜や麦類などとの複合経営である。このため米作りと他作物生産の農繁期における農作業の競合は日常的な問題となっており,省力生産技術を希求する声は強い。
施肥技術も例外ではなく,古くから慣行的に行われている基肥-追肥の分施体系に代わって追肥分を基肥施用時に一度に施肥する,いわゆる全量基肥施肥法の普及が進んでいる。これは,LPコートなど肥効調節型肥料の開発が後押しとなり,作型や地域にあった被覆尿素入り複合肥料が開発,販売された結果に他ならない。
百箱まかせはLPコートの一種であるが, これを利用する育苗箱全量施肥は,施肥時期が播種目と同時であること施肥位置が本田ではなく育苗箱であることが全量基肥施肥と異なっており,より一層省力的な施肥が可能な技術として注目を浴びている。
ここでは,苗箱まかせによる育苗箱全量施肥法を全国的に普及させるために2010年度から弊社が実施している苗箱まかせ推進プロジェクト活動のうち,九州南部(熊本県,宮崎県,鹿児島県)における取り組み内容の活動成果について紹介する。
苗箱まかせによる育苗箱全量施肥法は,前佐藤健社長1)が紹介しているように,省力性,収量および品質の安定性などが高く評価されており日本各地において普及が拡大している施肥技術であるが,先行しているのは秋田県や青森県などの東北地方で,九州地方での普及はこれからである。苗箱まかせを速やかに普及させるためには,まず施肥の仕方やメリット等を農家やJA担当者に周知してもらうことが肝心である。そこで,試験展示圃※1と実証展示圃※2を核として施肥作業から始まり,定期的な巡回や生育調査(写真1),坪刈りや収穫物調査,現地検討会および成績検討会(写真2)までを農家やJA担当者などの関係者と連携した取り組みを通して,苗箱施肥技術を正しく理解しスピーディーに習得してもらうシナリオを用意した。

※1:試験展示圃は,苗箱まかせ施肥は慣行施肥と比べて生育,収量などがどの程度異なるのかについて基礎データを得るために設けた栽培圃場をいう。
※2:実証展示圃は,農家が実践している栽培の中で,苗箱まかせ施肥技術を農家自らが実証し,技術適用の良否判定を行うために設けた栽培圃場をいう。
熊本県内に2011年は8ヶ所,2012年は7ヶ所の水田に苗箱まかせ区と慣行施肥区を設定し,主力品種である「ヒノヒカリ」を栽培した(表1)。施肥設計は選定した農家の慣行窒素施肥量から減肥して苗箱まかせを育苗箱施肥した。試験規模は10a~30a程度の圃場一筆を原則1試験区とし,近隣の圃場に同規模の慣行施肥区を設けた。慣行施肥区の施肥法や水管理,病害虫管理等については当該のJA栽培暦に準じた。
両年とも収穫適期に1区当たり20~40株の坪刈り調査と2012年には1区当たり2~3株ずつの抜き取り調査を行った。玄米品質は食味分析計および穀粒判別器を用いて調べた。また2012年栽培終了後の作土について土壌化学性を分析した。

熊本県,宮崎県および、鹿児島県の水稲栽培農家(2011年は計32ヶ所,2012年は計40ヶ所)において実証展示圃を設置した(表2)。水稲品種は,熊本県および鹿児島県でともに4品種,宮崎県で2品種であった。施肥設計は,試験展示固と同様に慣行窒素施肥量から減肥して苗箱まかせを施肥した。定期的な巡回調査によって生育状況を確認するとともに,生産農家に対して育苗,生育・収量ならびに普及性に関する聞き取り調査を行った。なお,耕種概要は各JAの品種別栽培暦に準じた。

水稲ヒノヒカリ栽培地域に配置した試験展示圃における苗箱まかせの施肥量は2011年では苗箱まかせN400-120で各地域の慣行窒素施肥量から7~31%の減肥であった(表1)。2012年ではN400-120とN400-100を用いた苗箱まかせの窒素減肥率は前年よりやや高く14~47%であった。
育苗日数は2011年で18日から35日,2012年で25日から31日と年次でやや違いが見られた。これは播種日(施肥日)が早いほど育苗する時期がやや低温で経過するので苗の生育が遅れ育苗日数が長くなるためと考えられた。
10a当たりの水稲収量は,2011年では慣行施肥の421~561kg(平均495kg)に比べて,苗箱まかせ区は415~663kg(平均556kg)と12%程度高く,窒素施肥量を平均19%程度減肥したにも関わらず収量への影響は全く認められなかった(図
1)。2012年では,平均減肥率が25%と前年度よりも高かったにも関わらず,苗箱まかせ区の10a当たり平均収量は536kgと慣行施肥区の550kgと大きな差はなかった(表3)。収量構成要素では,2011年はデータ不足で比較することはできないが,2012年では苗箱まかせ区は千粒重および登熟歩合がやや高いことが認められた。


玄米品質では,アミロース含量,タンパク質含量は苗箱まかせ区と慣行施肥区で栽培年次によらず差はなく,食味値もほぼ同じであった(表4)。外観品質では,Aランクの標本数が2011年は慣行施肥区,2012年は苗箱まかせ区で多いなど栽培年次による変動はあるが,施肥法による差は小さいと考えられた。また2012年産米について実施した九州農政局による検査等級でも外観品質には施肥法による差は見られなかった(表3)。

跡地土壌の化学性では,pHやECはほとんど変わらなかった(表5)。可給態リン酸,交換性カリウムはともに慣行施肥と同等かあるいはそれ以上の値であり,苗箱まかせN400シリーズには含まれていないリン酸およびカリウムの土壌中濃度の低下は2作程度の作付けでは起こりにくいと考えられた。

以上の結果から,水稲ヒノヒカリに対する苗箱まかせ施肥は慣行施肥量から2割程度減肥しても慣行栽培と同等の収量品質が達成できる施肥法であると推察される。
実証展示圃では,地域の品種や作型などを考慮して実際の農家による実証栽培を行った。品種ではヒノヒカリが最も多く,窒素減肥率は熊本県では苗箱まかせN400-100あるいはN400-120で10~20%,鹿児島県ではN400-100で22~24%と地域によって異なる傾向が認められた(表2)。また,鹿児島,宮崎両県のコシヒカリでは,苗箱まかせN400-60タイプで20~40%の窒素減肥率であった。その他では,早期の品種でN400-60タイプ中生から晩生の品種でN400-100~N400-120タイプが主に使用され,窒素減肥率は8~35%であった。
表6に示した農家アンケートの結果では,生育収量は2011年に実証した32件の農家のうち18件と56%,2012年では40件の農家のうち30件と75%が慣行施肥と同等かあるいはそれ以上という回答であった。
苗箱まかせ施肥の普及性に関しては,「普及性有り」と回答した農家が2011年は59%,2012年は25%と「普及性無し」のそれぞれ28%,8%を大きく超えており,実証した農家の多くが「今後も使っていきたい」との意向を示した。一方,「普及性無しJ と回答した理由としては「苗が徒長しやすい」「根張りが弱い」など育苗に関する問題が主な指摘内容であった。なお,同様の指摘は「普及性有り」とした農家からも寄せられていた。

以上の結果から,苗箱まかせの育苗箱全量施肥は品種や作型に関わらず農家レベルでも十分普及が期待できる施肥法であると判断される。しかし,普及拡大を目指すためには育苗時の苗の徒長防止と根張りの安定化が喫緊の課題である。これに関しては育苗培土の特性2)3)や育苗管理法の改良(松森,未発表)などに関する試験が公的試験研究機関において現在実施されており,有効技術の作出は近いと思われる。
苗箱まかせ推進プロジェクトとして,試験展示圃および実証展示圃を設置し,関係農家とJA担当者ならびに弊社担当者による生育調査,坪刈りや脱穀調整などの収量調査の実施,試験研究機関の専門家を交えた現地検討会や試験成績検討会の開催,さらには弊社担当者による全国規模でのプロジェクト推進会議の開催など,当初描いたシナリオに沿って活動した結果,苗箱まかせの育苗箱全量施肥は
(1)早期~晩期までの広い作型に適応できる。
(2)慣行施肥に比べて窒素施肥量を削減できる。
(3)窒素減肥しでも慣行施肥と同等以上の収量となる。
(4)肥料コストを削減できる。
(5)本田への施肥が省略できる。
という特徴をもつことが明らかとなった。
このような活動が功を奏したこともあって九州南部地域における苗箱まかせの販売実績にも増加が認められるなど(図2),農家やJA担当者の苗箱まかせ施肥に対する関心は徐々に高くなっており,今後の拡販が期待されている。

以上述べてきた苗箱まかせ推進プロジェクトの活動は,九州南部地域において苗箱まかせの普及に一応寄与していると考えられるが,これをより加速させるためには,新聞等マスコミを使った苗箱まかせ施肥技術の農家への宣伝・啓蒙に力を入れるとともに,苗箱まかせ利用農家に対する日頃の技術支援が不可欠である。支援の内容としては,苗箱まかせ施肥のノウハウを教授することは勿論であるが,暖かいが故に問題となっている育苗時の苗徒長防止と根張り促進について効果的な技術を早急に開発し,暖地でも容易に健苗育成ができる施肥技術へとバージョンアップし技術支援に繋げていくことが重要である。
1)佐藤健:「苗箱まかせ」の開発のねらいと普及について,
農業と科学,2013年1月号,8~14
2)山村望:究極の省力施肥法「水稲育苗箱全量施肥」における上手な育苗とは?,
グリーンレポート,第526号,16~17(2013)
3)内山亜希:「苗箱まかせ」施用時の育苗培土窒素量が首質に及ぼす影響,
農業と科学,2013年3月号,5~8
東京農業大学
客員教授 渡辺 和彦
食べることに不自由していない現在の日本で,多くの日本人が亜鉛不足で,亜鉛補充療法でほとんど治癒できる病気が現実に多くあることを筆者が知ったのは「日本微量元素学会誌」(倉津隆平ら,2005)の論文から始まっている。
極端な食欲不振で,ほとんど食事もせず,寝たきりで褥瘡(じょくそう:床ずれ)もひどく,倉津先生が声をかけても返事もしない89歳のおばあさんが,亜鉛投与でお元気になられた。「いまにも死にそうなおばあさんが亜鉛でお元気になられ,褥瘡も治ってしまわれた」との実話は村のうわさになり,村が費用を出し,倉津先生達が調査をした結果が図1である。学会誌に掲載された1431名もの健康な人々の血液中亜鉛値の測定に驚き,筆者は倉津先生に連絡をとり,多くのデータをいただき,学習させていただいた。

詳しくは筆者の図書「ミネラルの働きと人間の健康」(渡辺和彦,2011)に記載している。結論だけを紹介すると,①高齢者に多い,褥瘡(じょくそう:床ずれ)が亜鉛補充療法で治癒する。②多くの医師が(医師だけでなく私たちも)考えている以上に亜鉛欠乏人口は多い。③亜鉛で治癒するのは褥瘡だけではない。食欲不振,舌痛症,各種皮膚障害などと多彩である。④午前と午後と採血時間が異なると血清亜鉛値が異なる。午前は高く,午後は低い。一定時間の採血が必要である。
私は図書を執筆するにあたり,医学書もいくらか読み参考にさせていただいた。その内の一冊に「亜鉛欠乏の臨床」(宮田學,2009)がある。そこに記載されている「亜鉛を十分補給することが元気で長生きするための必須条件」そして「亜鉛は不老と長寿の必須微量元素と言っても過言ではない」との魅力的なお言葉を図書に引用し,記載させていただいた。そこで,できあがった図書を宮田先生に送付した。すると,すぐに先生からお電話をいただき,2010年4月1日に設立された「近畿亜鉛栄養治療研究会」への入会や,先生が現在在職中の草津総合病院での「亜鉛に関する勉強会」への出席も勧めて下さった。
その後,それらの勉強会に出席し,私にとっては新たな知見を多く得た。その一つが,アトピーも治癒する亜鉛の力である。日本はスエーデンに次いで世界で2番目にアトピー患者さんが多い(西岡清,2010)。多くの国民が因っているアトピー性皮膚炎が亜鉛で治癒することは有沢祥子先生が,すでに2冊の本(有沢祥子, 2001,2002)を出版され公表されている。ミネラルに関することなので,私も購入し同書は手元にあるのだが,ちらちら読んだだけであった。
今から考えたら有沢先生に非常に失礼だったのだが,多くの読者も同じだと思う。その理由は3点ある。
1点は亜鉛でアトピーが治ること自体が信じられなかった。
2点目は,学術書ではなく,患者さんの体験談が多く,内容の重大さにもかかわらず,本の装丁も軽い。
3点目は,亜鉛サプリメントの広告もでている。亜鉛サプリメントを売るなどおかしな本と私は感じてしまっていた。
この3点目は結果的には,私の大きな判断ミスで,有沢先生には深くお詫びをしたい。有沢先生の涙の出るようなご苦労が,当時の私は全くわかっていなかったのである。
今年3月,岐阜県白川町の有機農業団体「有機ハートネット」で「ミネラルと人間の健康」をテーマに講演をさせていただいた。最近の私のミネラルに関する講演会では,亜鉛による褥瘡治療の事例だけでなく,アトピ一治療法についても詳しく説明している。そして,講演の中ではいつも「有沢先生の図書は,古本で購入できますから是非読んで下さい。はじめ100円程度だったのが,今では数百円になっていますよ」。「アトピーについては有沢祥子先生の治療を受けなさい。インターネットで予約できますよ」と言っている。
講演後の懇親会で知ったのだが,有機農業とミネラルの健康作用に関心があり,名古屋からわざわざ白川町まで聴講に来られた女性がいた。その方は,数年前,子供さんのアトピーで困られていた。当時いろんな皮膚科を受診され,有沢先生の診療所も受診された。「有沢先生の所は確か美容外科中心でしたよ・・それに,特に亜鉛のお話はなかったように思います・・」と,言われた。有沢祥子先生は名古屋市の2カ所,星ケ丘皮膚科と七つ星皮膚科で診療をなさっておられる。アトピーだけではない。皮膚科全体でなので,一般皮膚科だけでなく美容皮膚科もやっておられる。その方の赤ちゃんは,亜鉛でなく,アトピー症状は原因食と判定された卵と牛乳の食事制限ですみやかに治癒したそうだ。
もちろん,アトピ一治療に原因食の食事制限が最も効果的で,それを差し置いてまで私も亜鉛補充療法の有効性を強調するつもりはない。有沢祥子先生も同じと思う。
私の講演を聴いて受診に行かれた成人のアトピー性皮膚炎患者さんの血液中の亜鉛検査も有沢祥子先生はされない。アトピーでの亜鉛測定は保険適用されないため,患者さんの自己負担金が大きくなるためである。有沢先生は亜鉛欠乏状態は保険適用で検査可能なALP(アルカリホスファターゼ)の測定値で代用されている。ALPはリン酸化合物を分解する酵素で亜鉛を活性中心にもち亜鉛が低値になるとALP値も低値になるためである。
先生は大学病院時代から亜鉛の研究をされており,「アトピーの患者さんを亜鉛で救ってあげよう」と開院されたそうだ。ところが,アトピー患者さんへの血液亜鉛分析のみならず,亜鉛投与は保険審査で通らないのだ。私の家内が眼科診療所の開業医のため,少しは理解できるのだが,保険審査でアトピー性皮膚炎患者さんへの血液中の亜鉛検査や亜鉛投与は不要と審査されるとその部分の医療費が支払われない。不服申請は手間と時間がかかる。先生の落胆,診療所開設当初のご苦労は非常に大きかったと私は思う。そこで,有沢先生はご自分で亜鉛と微量の銅,マグネシウムを含むサプリメントを考案され,ご自分の会社「有限会社星の夢」で患者さんに購入していただいている。そのため,先生の図書には,サプリメントとしての亜鉛が紹介されていたのだ。
なぜ,海外でアトピー性皮膚炎症治療に亜鉛が使われないのかも重要な問題である。有沢祥子(2011)先生によると,現在までに経口的に亜鉛を用いた試みはEwingら(1991)の報告のみで,彼らは硫酸亜鉛185.4mg(亜鉛として42.2mg)を経口投与し8週間後に判定し,症状の改善はなかったとされている。有沢先生は,欧米では健常者の亜鉛値の平均が112μg/dLであり,日本人の86μg/dLに比して潜在的亜鉛欠乏状態がないためと考えられている。筆者もアメリカで数人の知人に聞いたのだが,欧米ではほとんどの方が亜鉛を含むミネラルをサプリメントで摂取されている。日本人全体が亜鉛不足であることが関係しているかもしれない。そうするとこれは農業問題である。
薬効上,亜鉛欠乏症の病名で,亜鉛補充療法が保険適用できるのは2013年現在,長野県と長崎県だけである。亜鉛を含むプロマック(一般名:ポラプレジンク)は,胃潰瘍の薬として全国的に保険適用でき,亜鉛を含む一般的な医薬品は,胃潰瘍に適用されているプロマックだけで,それも一日の使用量が亜鉛換算34mgだけである。最近,長野県や長崎県で亜鉛欠乏症に対しては2倍の68mgまでが認められるようになった。それ以外の県では,亜鉛欠乏症の正式な保険適応薬はない。胃潰瘍という病名でプロマックを処方できるが,その量も亜鉛換算34mgまでと決まっている。2011年9月26日公表の保険支払基金の「審査上認める適応外使用80例」によると,やっと味覚障害でのプロマックなどの使用も認められた。お医者さんは亜鉛の効果を聴いて知っていても,今までは胃潰瘍以外では亜鉛を含むお薬は使いにくい。高齢者の味覚障害は多い。
なお,アトピー性皮膚炎に対する亜鉛の効果は,筆者自身も確認している。兵庫県立農業大学校の学生が私の勧めで有沢先生の本を読み, 自己責任で1日30mgの亜鉛補充で2か月で痒みが減り,4か月で皮膚症状もほとんど回復した(写真1)。本人も驚いている。なお,有沢祥子先生の最近の治療は亜鉛ではない。弱いステロイド剤やビタミン類と糖質過剰を予防する食事指導である。

肥料の開発や販売をされている(株)原田アグロビジネスの原田徹さんは,私の講演を聴き,3歳から23歳の現在まで永年アトピーで困っておられた次女を有沢先生に診察していただき,1か月でほとんど治癒したと感謝の文章と共に写真が昨日(4月28日)送付されてきた(写真2)。多くのアトピーで困っている患者さんにこの事実を伝え,啓蒙してほしいと記されている。

ただし,お電話でお聴きし,処方箋を送付していただくと,このときも当然だが,有沢先生は亜鉛を処方されていない。亜鉛は保険診療では薬として出せないのである。そのことが理解できない原田さんは,有沢先生が忘れられたのかと思い,娘さんには市販のサプリメントを購入し,1日亜鉛を16mg補足し,処方されたビタミン剤などの服用で1か月で治癒された。20年近く悩んでおられたのが1か月で治癒し,亜鉛とビタミンの効果に驚くと共に,喜んでおられる。
有沢先生は,亜鉛の話は私から聴いているはずで,患者さんはすでにサプリメントで亜鉛を補充されていると考えられている。あるいは,有沢先生は,現在の保険審査機関の考えの元では,亜鉛補充は皮膚科医師の仕事でなく,栄養学の問題と考えられているかもしれない。
長野県の篠ノ井総合病院リウマチ膠原病科の小野静一(2005)のリウマチ患者への亜鉛投与も興味深い。リウマチの患者さんは一般に健常者に比べて血清亜鉛値は低いのだが,皮膚はセロハンのように薄く関節注射でも感染症にかかりやすい。しかも精神的にも不安定で下痢や腹痛を訴える方も多い。そのような患者さんへの亜鉛補充療症例を図2に示す。
患者さんは69歳の女性で,関節リウマチ発症から1年で全身痛を訴えて受診にこられた。初診時の血清亜鉛値は62μg/dLと低値のため,ポラプレジンク150mg/日(1日亜鉛量約34mg)の投与を開始,術前1週間前の亜鉛値は84μg/dLと上昇。精神的不安定は安定へと改善。人工膝関節置換と骨移植の手術を施行。術後1週目の亜鉛値は70μg/dLと低値であり,術後の回復に多くの亜鉛を要していることが考えられた。術後1ヵ月で亜鉛値は77μg/dLまで回復。筆者が驚いたのは手術後3ヵ月後より仕事に復帰されていることである。

小野静ー先生は,患者さんに手術を予定しており,少しでも腹痛や下痢などの自覚症状のある場合は,亜鉛欠乏症を早期に改善させ,亜鉛値80μg/dL以上の長期的維持を目標とされている。自覚症状改善がQOL(クオリティ・オブ・ライフ:生活の質)を高め,さらには術後のリハビリテーションに対するモチベーションも高める。小野先生は「亜鉛は患者さんのために必須」と言われている。私は小野先生のこのお言葉が大好きである。
亜鉛は比較的過剰障害の出にくい元素であるが,過剰摂取を継続すると銅欠乏を生じることが知られている。そこで,小野静一先生は長野県と長崎県で亜鉛欠乏症に対するポラプレジンク2g(亜鉛68mg)/日投与が許可されたので,血清亜鉛値80μg/dL未満の慢性疼痛性疾患に6か月間,ポラプレジンク1g(亜鉛34mg),1.5g(亜鉛46mg),2g(亜鉛68mg)の投与による血清亜鉛値の増加,銅値の低下,痛み等の自覚症状の改善程度をみるために無作為に封筒法で調査をされている。その結果が図3である。

血清亜鉛値は亜鉛投与量依存的に増加している。一方,血清銅は有意に低下している。血清鉄に有意な変化は認められない。図3には示していないが,痛みの推移はいずれの群でも亜鉛投与後有意な減少が認められた。その改善率は高用量群で優れていた。
図3の研究も含めて亜鉛を投与し続けた428症例の内で4例の血清銅値低下例が出ている。そこで,亜鉛と銅は同時に測定を行いその日のうちに低い銅値が出れば,即日ココアにポラプレジンクを加えた粉(ココア100gに対してポラプレジンク2gであると,亜鉛:銅=19.7:1)を1日25gくらいの摂取を勧めている。基準値下限に近づいた血清銅値の症例では,ポラプレジンクを夕方1錠に減量して1ヵ月間隔で亜鉛,銅値を経過観察することで値は安定したそうである(5訂増補食品成分表によると,ココア100gは3.8mgの銅を含む)。
痛みに亜鉛が効くことについては,現在フランスの著名な研究所(IGBMC)在籍の野崎千尋らが研究をしている(Nozaki et al. 2011)。論文は英文だが,著者自身の和訳をインターネットで読むことができる(ライフサイエンス新着論文レビュー,2011)。
痛覚の伝達には中枢神経のグリシンとグルタミン酸により活性化するNMDA受容体(カルシウムイオンチャンネルの一種)が働いている。亜鉛が存在する状況下では亜鉛がNMDA受容体の一部に結合することによって受容体の活性を抑制し痛みを緩和する(図4)。

野崎らはNMDA受容体の亜鉛結合部位のアミノ酸をーカ所変異させた。つまり亜鉛が結合できないNMDA受容体を持ったマウスを作製した。そのマウスは強い熱痛覚過敏を示すと同時に,野生型マウスとは全く異なる慢性疼痛の形成および維持状態を示した。このことは,NMDA受容体の活性化に対して亜鉛がブレーキとして働いていることを,個体レベルの実験で初めて示している。すなわち,亜鉛欠乏では,なぜ痛覚過敏になり,なぜ亜鉛に鎮痛効果があるのかを示した。野崎は,論文の最後に難治性疼痛ともいわれる慢性疼痛に対する亜鉛の臨床での利用に期待を示している。
野崎らの論文に出ている図は図4から亜鉛以外の結合サイトを除去したシンプルなものだが,筆者自身の勉強のためにも,詳しいものをここに示した。一般的にシグナル伝達はカルシウムが担っている場合が多い。マグネシウムは天然のカルシウム拾抗剤と言われているがマグネシウムの結合サイトもこの図には明記されている。マグネシウムも偏頭痛などの痛みを和らげる作用がある(渡辺和彦,2011)。
農産物生産には肥料・ミネラルは,欠かせない。土壌中にリンが多量に存在している現状の圃場では土壌中の亜鉛はリンと結合してしまい,農産物に吸収されにくい。亜鉛を葉面散布すると容易に農産物の亜鉛含有率を高めることができる。エーザイ生科研の中嶋常允(とどむ)先生は,亜鉛の人間への健康効果を20年以上も前からよくご存じであった。同社の葉面散布剤「メリットM」(1985年発売開始)には,他社の葉面散布剤に比較して驚くほど亜鉛含有率が高い(渡辺和彦,2004)。中嶋常允先生は2012年10月24日午前2時10分にお亡くなりになられた。享年93歳(満92歳)であった。謹んでご冥福をお祈りしたい。
●有沢祥子(2001)
亜鉛超健康法,KKベストセラーズ.
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アトピーが消えた亜鉛で治った,主婦の友社.
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リウマチ性疾患と亜鉛,近畿亜鉛栄養治療研究会,1,78-92.
●ライフサイエンス新着論文レビュー(2011)
http://first.lifesciencedb.jp/ archives/3215
(トップジャーナルに掲載された日本人を著者とする生命科学分野の論文について,論文の著者自身の執筆による日本語のレビューを,だれでも自由に閲覧・利用できるよう,いち早く公開している)
●田中千賀子・加藤隆一(2011)
NEW薬理学改訂6版,南江堂.
●渡辺和彦(2006)
最近目立つ野菜のミネラル不足は,こう補う(その6)人間も作物も亜鉛潜在欠乏に注意,ひろがる農業,第539号,9-12.
●渡辺和彦(2011)
ミネラルの働きと人間の健康,農文協.