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第506号 2000(H12).04発行

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北海道の豊かな自然環境と調和した
農業生産を展開するために

北海道農業試験場
副場長 前田 要

1.はじめに

 北海道農業の幕開けは,明治2年(1869)の開拓使庁設置に伴う屯田兵による農耕地の開墾に始まりました。その後多くの拓殖事業を経て本格的な農業生産が展開され,戦後は国内の食料生産基地としてその重要性がますます高まっています。

 国内で最も耕地面積の広い北海道には重粘土・火山性土・泥炭土などが多く分布しており,これまで各種土層改良の施工や土壌改良資材の投与によって,これら特殊土壌の理化学性の欠陥を是正し,生産力向上の基盤を築いてきた経緯があります。

 しかし,近年の地球規模の環境悪化が問われるなかで,我が国においても農業生産場面における環境負荷軽減の立場から,環境にやさしい農業を推進するため平成11年7月に農業環境3法案(①家畜排泄物管理・利用法案,②肥料取締改正法案,③持続的農業促進法案)が成立しました。

 このような背景から,今後農業生産場面においては農薬・化学肥料の節減や家畜糞尿の農耕地への適正還元など,持続的生産可能で環境負荷の少ない環境保全型農業への取り組みに本腰を入れなければならない時代になっています。

 一方,人々の生活が豊かになるにつれて,農業・農村に求められるものも多様化しつつあり,農耕地とそれを取り巻く自然環境の評価も従来のようにただ単なる作物生産の場だけではなく,周辺の自然環境と調和した潤いと安らぎに満ちた農村景観を形成する一般住民の重要な憩いの場としても考えられるようになってきました。

 北海道はわが国最大の食料生産基地であると同時に,気象環境をはじめ恵み多き豊かな川・平坦地・丘陵地・山岳地が連鎖した他の都府県とは異なる特徴ある農村空間を創出しています。

 この恵まれた自然環境と多面的な景観を形成する地形連鎖を利用した環境負荷の少ない新たな土地利用計画と基盤整備・環境整備指標並びに営農的な栽培技術体系を策定することが,今我々に求められている地球環境にやさしいクリーン農業(環境保全型農業)を実施するうえで欠くことのできない要素ではないでしょうか。

 ここでは,現在北海道で取り組んでいる環境と調和した持続的な農業生産を展開するための生産基盤造成法や多面的な農村環境整備手法について述べてみます。

2.新しい視点からの生産基盤造成法

 人々の求める物の利用目的はその時代時代の社会的な背景によって変化します。土地改良や土づくりの目的も,古い時代から新しい時代に移り変わるにしたがって食料増産を重視した環境軽視の立場から,自然環境との調和を図りながら高品質・安全性を目指した考え方に変わってきています。すなわち,農業基盤整備の主たる目的も,「生きるための食料確保」から「物の豊かさ」,さらには「心の豊かさ」,「環境との共存」へと変化してきています。

1)クリーン農業定着に向けた土づくり

 北海道の土地基盤整備は,これまで土壌の物理性及化学性の改善に重点がおかれていました。しかし,農薬や化学肥料を減じたクリーン農業を推進するためには,良質な有機物施用による土壌生物活性化とそれによる根圏環境改善を目指した質の高い基盤整備工法の開発に取り組むべきです。

 また,土壌生物活性化のための有機物資材の適切な施用技術の確立は高品質・高栄養農産物の生産にとって重要ですが,その効果発現の基本は生産基盤整備の良否にかかっていると言っても過言ではありません。

 すなわち,作物の初期生育や生育進度は根圏域の温度環境(地温)・養分濃度・微生物フロー等の影響によって支配される面が強く,土壌中に豊富にある養水分も作物が必要な時にスムーズに供給できなければ宝のもちぐされで意昧をなしません。

 そのためには,土壌の透排水性が良好で圃場表面の過剰水を速やかに排除する機能を備えており,かつ土壌が膨軟で通気性に勝れていることが必須条件です。さらに,根圏域に生息する有機微生物フロー等の活動が活発で,しかもバランスよく保たれて作物根の伸長が活力に富んでおり,フザリュウム等有害微生物群を駆逐する能力を備えていることが理想的です。

 今後北海道においては,ゼロ・エミッション(廃棄物ゼロ)の立場から,各々の地域で容易に得られる各種資材を有効に活用した省資源型農業循環システムをそれぞれの地域において体系化する必要があります。

 なお,図1には参考までにクリーン農業に向けて必要な生物機能を図った新しい視点からの生産基盤の造成手法・土づくりの要点について示しました。

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 図にも示しましたように,環境に配慮したクリーンな農業生産を展開するためには基盤整備と併せて営農面でのきめ細かい配慮が重要であり,特に施肥法の改善面では環境にやさしくて省力・施肥効率の高い被覆肥料の利用など肥料の形態面についても積極的に取り組む必要があります。

2)高品質・良食味を目指した土地基盤整備

 近年の新食料管理法の導入やコメの関税化移行に伴うコメ流通自由化・産地間競争の激化,あるいは生産者米価の大幅な下落等によって,おいしいコメとまずいコメの需要・供給バランスが大幅に崩れています。

 従来,泥炭地水田における客土の意義は,地耐力増強・耕土補給が土地改良事業の基本メニューとされていました。しかし,北海道の石狩・空知支庁管内に広く分布する泥炭土水田地帯では食味向上を目的とした肥培客土的観点からの客土が注目されています。

 そこで,泥炭土における客土の質及び材質が米の食味に及ぼす影響について検討した結果を図2に示しました。

 それをみると,無客土の玄米蛋白含有率は9%以上で高い価を示していますが,客土によって水稲の窒素吸収過剰が抑制され,蛋白含有率は明らかに低下しています。とくに,材質が砂壌土(SL)で客土量が30cmでは6.5%にまで低下しており,この値は他の土壌はもとより,他府県産米と比較してもかなり低いランクに位置するなど食味の著しい向上がみられております。

 この要因としては,客土材中に豊富に含まれる珪酸や加里といった水稲籾の登熟性に関与する無機成分が,登熟能力の増大と玄米の充実度向上に効果的に関与しているものと考えられます。

 これらの試験結果に基づいて判断すれば,従来客土材質の選定に当たっては粘土含量を基準としてきましたが,今後は以下に示す新しい視点からの整理が求められます。

①現在の水田は全般に透排水性が不良となっているので,田畑輪換等も考慮すると客土資材の土性は細粒質より粗粒質の方が適切です。
②また,客土に含まれる可給態珪酸含量によって食味の評価が異なりますので,客土材の選定に当たっては粘土含量よりも可給態珪酸等を主体とした指標値も策定する必要があります。

 次に,畑作地帯における客土の面について触れてみます。

 道東の網走支庁管内の畑作地帯では,近年土地改良事業の一環として地域内に分布する火山灰(軽石流堆積物)の客土が積極的に行われています。

 この客上の目的は,土壌の物理性(砕土性・透排水性)改善の他に,馬鈴薯の外観品質改善の効果が期待されています。その理由は,管内に広く分布する火山灰土(表層腐植質黒ボク土)で生産される馬鈴薯の肌(表皮)は黒色で,市場での評価は今一つです。ところが,その土壌に軽石流堆積物を客土すると,いも肌が白色に改善されるなど,消費者からの人気回復に一役買っています。

 以上述べたように,近年生産者から求められている客土の内容も従来の土壌理化学性の改善と作物の生育・収量の向上の他に,生産物の内部・外部品質のレベルアップ等極めて幅広いものに変わってきています。

3.持続性の高い透排水性改善技術の開発

 北海道に分布する水田26万haの約88%,畑地91万haの44%が排水不良地で,排水対策が必要です。また,近年までに排水対策が必要な土壌で各種排水対策が実施された面積は水田で約40%,畑地63%で,とくに水田での排水整備が遅れています。

 平成5年度,北海道は100年に一度の大冷害を受けましたが,現地での被害実態調査によると水田及び畑地とも冷害による被害を助長した圃場環境要因として透排水性不良に起因する内容の事例が圧倒的に多く得られました。

 水田・畑地での透排水性不良要因の解析結果では,自然立地条件に加え大型作業機械の踏圧で作土直下に形成された圧密な硬磐層が,作土から下層土への水の移動(排水)を困難にしている場合が最も多いことが明らかにされています。また,作土の土壌構造が過湿条件下での作業機械導入によって練り返されて泥状化し,破壊されている等の実態も認められています。

 このような透排水性不良な圃場の排水対策として,表面停滞水の迅速な排除と圃場全体の地下水位を下げること,並びに下層土の圧密層を破砕することが必要です。

 従来,暗渠に使用されている埋設疎水材は水田では籾殻が主体ですが,畑地では極端に少なく一部で麦稈被覆材が使用されている程度です。

 しかし,近年北海道では地域資源の有効活用や低コストでより持続性の高い排水効果を求めて,カラマツチップ材・火山灰軽石・ほたての貝殻・砕石・びり砂利等の利用がみられています。

 例えば,上川支庁管内の富良野地区では,平成5年の大冷害時に暗渠疎水材の籾殻の入手が困難となり,その代替資材として試験的にカラマツチップ材を使用しました。

 試験場が中心となって,道内の水田・畑地・草地において排水効果や作物の生育に及ぼす影響について検討した結果,カラマツチップ材は籾殻に比べて粗大間隙が多く,透水性も良く圧縮性にも強いことが明らかになりました。また,図3から明らかなように,暗渠からの排水量及び圃場の乾きも籾殻より勝っており,かつ耐久性・持続性にも勝れていることが確認されております。

 ちなみに,この施工法は生産者からの評価が高く,富良野地域における普及実績面積は,平成8年までに既に384haが実地されており,さらに11年までには741haの実地面積が計画されております。

4.生態系に配慮した農村環境整備

 大気・河川が汚れ,緑少ない都市空間の雑踏の中で日々あくせくして生活する人々にとって,農村地帯の澄み渡った青空のもとで,無限に連なる川・丘陵地・山々や農耕地をパッチワーク上に覆う多彩な作物,そして草原(放牧草地)をのんびりと食べ歩く家畜の群れ等情緒豊かな風景をバックに展開される田園風景は,自然環境をモチーフとした素晴らしい農村景観を形成しており,そこはまた人々に潤いと安らぎをもたらす貴重な憩いの場ともなっています。

 例えば,農村の水辺空間の保全は,生物資源の維持・増殖などの目的の他に,都会には無い価値の創造として保険休養機能などがあります。この機能の計量計算は22,565億円ともいわれ,農村の多面的機能の中の洪水防止機能と並んで最も高い評価額となっています。

 北海道では生態系に配慮した排水路の整備計画手法の確立を図るための基礎資料を得るため,
①生物にとって重要な河畔林の水温抑制効果,
②整備前の生物の生息と整備後の年経過と生物の生息環境要因の関係,
③植生の比較による造成法の検討,
④農業用としての排水路機能の経年変化
 等について追跡調査を行なっています。

 その結果,5ヶ年の追跡調査の結果から,
①河畔林の伐採により水温が上昇すること,
②自然石を用いた排水路では,淵におけるアメマスの生息密度が瀬の4~6倍高いこと,
③河床の粗砂の部分にカワシンジュガイが多いこと,
④河畔の植生は整備後は帰化植物を中心に遷移すること
 等が明らかにされました。

 なお,写真1には施工前と施工後の排水路の様子を示しました。

 北海道の農村景観を代表する広大な畑作丘陵地帯は,一方で土壌流亡の深刻な被害で悩まされている地域でもあります。この土壌浸食というものは,営農上多大な損害を与えるのみならず,近年の環境保全の高まりから,水系への環境負荷など生態系に与える影響が問題となっております。

 水食を防止する手段としては,工事段階の水食防止施工法と営農面での水食防止対策があり,両者を組合せることによって効果的な水食防止が可能となります。

 営農上の改善対策として,栽培管理面では等高線栽培・草生栽培・マルチング等によって圃場を裸地にしない事が基本です。また,圃場管理面ではトラクタ一等による土壌踏圧から圃場を改良して浸透・保水し易い圃場を作り,地表流の発生をいかに抑制するかが大きな課題です。さらに,発生した地表流をいかに分散してーヶ所に集中させないようにするかが被害軽減の鍵となります。

 現在,他の研究機関(道立林業試験場・道立水産孵化場)と共同で,土壌浸食が魚・水生昆虫等に及ぼす影響や,圃場から水系に到る途中の過程において,河畔林がもたらすその緩衝機能の評価も行っています。

 一方,現在全国各地で農村を流れる川の水質悪化が問題となっています。河川に入る環境負荷分を減らすためには汚染源の改善や環境保全型の農業を進めることが必要です。しかし,それでも流失してくるものは農村の系内で浄化処理し,下流への影響を最小限に抑えなければなりません。

 これからの農村地域の環境保全は農業生産者のみに課せられるべきではなく,間接的に享受する都市住民も積極的に参加できる仕組みが重要です。

 その一例として空知支庁管内栗山町における住民参加による水質浄化試験について紹介します。ここでは,道営水質保全対策事業の一環として,地形・植生と土地利用を活用した近自然的工法を取り入れた水質浄化施設を設置し,地域の人々が積極的に参加したきれいな川づくりに取り組んでいます。

 この施設の概略図は図4に示すように,
①植生浄化ゾーン・・・水田跡地にヨシなどを植えて,ここに排水路の汚濁水を流し浄化を図る。
②排水路浄化ゾーン・・・排水路を玉石を用いたふとん籠などにより回収し,その上を水が流れることにより浄化を図る,
③礫間浄化ゾーン・・・4つの部屋に別れたコンクリートのプールに礫や煉瓦くずなどを充填し,その中に水を通して浄化を図る
 等3つの機能を備えており,中でも植生浄化ゾーンが取り組みのメーンになっています。

 現在,小学校においてこの場所を活用した環境教育がカリキュラムのなかに取り入れられ,田植えや水質の勉強,生物観察等現地での生きた教育が実践されています。また,地域住民のなかで自然環境に関心のあるグループは,浄化のための植物の栽培計画や今後の進め方を模索し,試験場は水質浄化能力の解析を,行政は側面からの支援体制を固めるなど全体的な取り組みに発展しつつあります。

 まだ緒についたばかりですが,この取り組みは農村の自然環境を素材とした地域住民の結び付けを核とした農村の環境保全及び活性化を図るための一つのモデルでもあり,今後の発展が期待されております。

5.終わりにかえて

 過去の歴史が物語っているように,人類の豊かな生活・文明の発達は,すべて温暖な地域の川べりにゆったりと横たわる肥沃な母なる大地がその源でした。

 自然環境と調和して生命を営んでいた古代人にとって,清らかな空気・水資源と温暖な気候条件に浴し,かつ食料の安定供給が維持された恵み多き豊かな大地が人類の生命を育む最大の必要条件でした。

 しかし今,地球規模での生活環境の悪化や食料の持続的生産が危惧されるなかで,人々は過去の経済性ならびに生産性優先に起因した無制限な開発・自然生態系の破壊等によって損なわれてきた地球環境悪化への強い反省から,その復元に向けての取り組みを積極的に開始つつあります。

 私たちは地球環境はもとより,作物生産の場としての農耕地・農村環境はすべて後世代の子孫から借り受けていることをしっかりと認識すべきです。

 自然生態系や環境との調和を図った持続性のある農村環境整備・土地基盤整備・土づくりによるクリーンな農業生産を展開し,美しい農村空間の創出と自然環境の保全,農耕地の肥沃度を維持・向上させて次の世代に引き渡すのが,私たちに与えられた義務ではないでしょうか。

 

 

全量基肥の植溝施肥がタマネギの
生育・収量に及ぼす影響

佐賀県農業試験場
技師 甲斐田 健史

1.はじめに

 佐賀県のタマネギ栽培は,露地作目の主力で作付面積は2,000ha以上あり,生産量は約10万tで全国シェアの約8%を占め府県産一位の生産量を誇っている。出荷向けは,生食向けが約91%,加工向けが約9%で,出荷先は,京浜42%,九州31%,以下東北,京阪神,北海道と続く。作型は,秋まき栽培の超極早生(トンネル),極早生,早生,中生,晩生となっている。このなかで,中生,晩生は貯蔵向けの露地栽培で全作付面積の60%以上を占め,今後も作付増を推進する予定である。

 タマネギ栽培の現在の課題としては,生産者の高齢化,後継者不足,重労働等による作付意欲の減退を抑えるための対策が最も重要視されているが,その対策としては,機械化による省力化や栽培方法の改善,低コスト化等が考えられる。現在までのところ,機械化栽培技術の進展により大規模専作農家(3~5ha)が増加してきている。

 しかし,機械化栽培に必要な機械(播種機,定植機,防除機,施肥機,耕うん機,畝立機,中耕・培土機,収穫機,堆肥散布機,ローダ一等)を購入,管理する経費が多く必要となってきている。そこで,タマネギ栽培の栽培法を改良することで低コスト化を図る方法として全量基肥の植溝施肥について減肥と施肥作業の省力化を目的として検討し,タマネギの生育,収量等に関して若干の成果を得たので紹介する。

2.材料及び方法

 供試品種は’さつき’,試験区は表1,2のように①全量基肥・植溝施肥100%(1996年のみ),②全量基肥・植溝施肥80%,③対照医(基肥,追肥2回,速効性肥料)とした。

 全量基肥・植溝施肥については図1のように窒素とカリは40日溶出タイプのLP40と塩加コート40を移植溝に施用し,リン酸は作畝前に全面施用し土壌混和した。対照区については,窒素,リン酸,カリ化成肥料を全面施用し土壌混和後作畝し,追肥1回目は1月上旬に窒素,カリ化成肥料を10a当たり9.6kg,7.2kg表層施用後土入れし,追肥2回目は3月上旬に窒素,カリ化成肥料を10a当たり6.4kg,4.8kg表層施用後土入れした。

 播種期は1996年9月24日,1998年9月28日,移植期は1996年11月27日,1998年11月26日とした。施肥は移植当日に行い,N:P:K=25.0:27.1:17.4kg/10a(対照区,基肥N:P:K=9.0:27.1:5.4kg/10a)とした。栽植様式は畝幅1.45m,株間10cm,4条とした。調査は,生育(1月26日,2月23日,4月1日,4月27日,収穫時),収穫株率,格外品率,規格別個数割合,収量,地温,肥料溶出量等について行った。

3.結果及び考察

1)全量基肥の植溝施肥は,窒素施用量を対照(25kg/10a)の100%とすると第3表のように収穫株率が77.5%と対照より10ポイント低く,格外品率では欠株が12.0%,格外が7.0%と対照の2倍近い値となった。この原因は肥料当たりと考えられた。一方,全量基肥の植溝施肥80%施用は,表3,4のように収穫株率が対照とほぼ同レベルで欠株率も同レベルであった。このことから,全量基肥の植溝施肥の窒素施用量は対照の80%である20kg/10a程度が適すると考えられた。

2)全量基肥の植溝施肥の80%施用は,表5のように1月26日調査から2月23日調査までは,草丈,葉数ともに対照とほぼ同程度で,4月1日調査で草丈がやや優れ,4月27日調査で草丈,葉数ともにやや劣る傾向がみられ,収穫時調査では草丈,葉数ともにやや優れる生育経過を示した。観察調査であるが,4月中旬頃より肥料切れの症状であると思われる葉色の変化がみられた。

 また,表4のように抽苔率が4.5%と対照より高い値となった。このことから,4月中旬以前より生育量に対して養分の供給量が足りず,4月中旬以降に肥料切れの状態となり草丈,葉数の展開を抑制し,抽苔の発育を促したものと考えられた。収穫時の生育の逆転については4月下旬以降の温度上昇や降雨等により肥料の溶出量が増加したものと考えられた。

3)図2はタマネギのGIの経過をみたグラフである。GIとは生育指数表示法でタマネギでは草丈×葉数で表わされる。先に述べたように4月27日調査時に全量基肥の植溝施肥80%施用のGIが対照より劣ったが,他の調査日では優れている。

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4)収穫時の生育は表6のとおりであるが,草丈,葉数,総重,球重,球径,球高,葉鞘径が植溝施肥が対照より優れた。これは,先にも述べたように温度上昇に伴い4月下旬以降に肥料の溶出が増加し,玉肥大期である5月以降にも茎葉からの養分移動だけでなく根部らの肥料吸収が行われていたと推察できる。

 対照の施肥では,玉肥大期にはタマネギは自身の茎葉の養分移動により玉肥大させるため,収穫時には葉先が黄化,枯れの症状となる。また,球重/総重,球高/球径,葉鞘径/球径の値は対照とほぼ同等であったが,このことは品種特性と考えられ,施肥法の違いにより品種特性を変えることはないことが認められた。

5)規格別個数割合,1球重,収量を示したのが表7であるが,規格別個数割合をみると,全量基肥の植溝施肥80%施用がL級率49.2%で対照より13.1ポイント高い値で,LM級率は88.0%で対照より11.7ポイント高い値となり,玉肥大の揃いが優れた。

 これは,植溝に施肥を行うことにより1株当たりの養分供給量が対照より均一であったためと考えられる。1球重は,植溝施肥が224gで対照より28g多く,収量は5658kg/10aで対照より約400kg多かった。収量比でみると約8ポイントの差であった。

6)LP40の窒素の累計溶出率は,地温データからの推計値と埋め込みサンプルデータからの実測値を図3に示したが,推計値と実測値を比較すると実測値が推計値より2月下旬で6.1%,4月上旬で14.0%,4月下旬で12.1%,5月下旬(収穫時)で9.5%低い値となった。このことから,地温データから推計する方法に何らかの不備があるのかそれともその他の環境要因(土壌,水分,気温等)が影響したのか今後検討すべきだと思われた。なお,5月下旬(収穫時)の累計溶出率は,推計値が94.7%,実測値が85.2%であった。

4.まとめ

 以上のことから,佐賀県において秋まき露地移植栽培では,全量基肥の植溝施肥は,LP40と塩加コート40を用いることにより作業の省力化と20%の施肥量の減量化が可能と思われた。

5.今後の課題

1)技術の普及のためには,肥効の確実性,安定性をもう一歩向上させる工夫と機械作業面では,既存の全自動移植機ヘ装着可能な植溝施肥機の開発が考えられる。

2)今後の技術開発としては,NPK配合の被覆肥料の植溝施肥法への適応性の検討,側条施肥の検討や側条施肥機の開発等が考えられ,各メーカーの研究開発にも期待したい。

 

 

越中富山売薬と農業
-<上>農閑期利用の薬売り-

作家 遠藤 和子

 「富山の薬売り」として知られる越中富山売薬は,310年近くの伝統を誇っている。

 「まず幾種類かの薬を預け置き,つぎに訪れたときには,服用された分のみの薬代金をいただき,服用されなかった薬は回収する。そして,改めて新しい薬を預け置く」

 この他利を先行した永代商法は,今日に至るまで変わりなく続けられている。

 一つの商法が業者と顧客との間で,何代にもわたって守り続けられ,引き継がれていることは,経済史上,類をみないのではなかろうか。

1.置き薬の始まり

 商いが始まったのは元禄4年(1691)前年富山藩(10万石)2代藩主・前田正甫が江戸城内で,にわかの腹痛に苦しむ大名に,手持ちの薬「反魂丹」を服用させた。すると,病いは立ちどころに治まった。この卓効に,居合わせた大名たちが自領内での領布を依頼。これが売薬廻商を実施するきっかけになったという。

 このころは,商品の生産や流通が盛んになって商業圏が拡大するという貨幣経済の伸長期に入っていた。越中富山売薬は,この機運に乗って全国に進出した。

 しかしながら,交通不便な時代の他国営業である。道中や,出向いた他国の山野で,山賊や盗賊に襲われる危険があった。しかも,辿り着いた旅先では,言語や風俗習慣の違いが壁となって立ちはだかっていた。その壁を突きくずしても,見知らぬ他国商人の薬を買ってくれるという保証はなかった。

 加えて,商いに必要な原料薬の多くは漢薬。幕府の輸入規制のなかでの限られた高価な薬材で,薬はそれらの薬材を使って造った合わせ薬である。それを半年以上も見知らぬ他国の顧客に預けることは,資金面で大きな負担がかかった。たとえ預けたとしても,1年後に訪れたとき,河川氾濫や飢饉,大火,疫病の流行,逃散などで,顧客の家が消失したり,空き家になっているかも知れぬという不安定な要素を抱えていた。

 僅かな藩からの依頼であり,不安や迷いを抱きながらの出発であった。

 ところが,30年後の享保年間には33藩に及ぶ領内販売の許可を取得し,65年後の宝暦年間になると,販路は全国にわたった。そして「越中反魂丹売り」の名声は世にとどろき,幕末には,「越中富山といえば薬売り」といわれるまでに隆昌発展した(表1)。以後,明治,大正,昭和の時代を経て,今日もなお,根強い人気を保っている。

2.農閑期における兼業売薬

 販路が広がり,商いが順調に進展するにつれて,廻商する人手が不足してきた。そこで富山町の薬売りたちは,領内をはじめとして,富山藩に隣接する加賀藩領内の農山漁村の青年を雇って補うことにした。

 越中の国は積雪量が多いことから裏作ができず,米づくりの単一地帯であった。したがって,農閑期が長い。漁村も冬場は日本海が荒れて不漁となる。このため,冬期間における出稼ぎが習慣となっていた。

 農山漁村の若者たちにとって,売薬仕事は冬場の貴重な収入源であった。彼らは,富山町の薬売りたちの若い衆となって旅に出た。そして修業をすませて独立すると,商いをする場所(懸場)を開拓し,農作業に戻る以外は売薬仕事に打ち込んだ。

 今日,鹿児島県に出かけているU氏(富山市在住)の例をみると,理想的な兼業の姿が浮かんでくる。

 4月~10月   富山市で農業に従事する
 11月~翌年3月 鹿児島県指宿郡で,配置薬業の仕事に従事する。

 顧客も,江戸時代は農民が多く,定住している上に,収穫物による収入は冬場となる。したがって,薬代金の支払いは年末に集中する。

 農閑期に廻商しなければならない薬売りにとっては,打ってつけの仕事といえた。

3.兼業売薬の広がり

 副業目的に始まった兼業売薬であったが,越中富山売薬が隆昌期(幕末~明治期)に入ると,逆に本業となり,農業仕事の方が副業へと代わる。

 一つには,売薬仕事による収益が農業収入を上回っていたことがある。つぎに,農業は天候に大きく左右されるという不安定さがあった。売薬仕事も,同じように不安定な要素を抱えていたものの,顧客の多くは,薬が健康にかかわるものだけに,また次の薬の入用を求めて,薬代金の支払いをしてくれたことがある。

 なによりも,顧客との交わりから生まれた信頼関係の絆の強さが,薬売りの心をとらえていた。

 こうして,兼業売薬は広がり,射水売薬(小杉,大門地域)高岡売薬(高岡地域)新川売薬(滑川,高月,水橋,東岩瀬,新庄,上市などの地域)と呼ばれ,次第に,その数を増やしていった(図1)。

 このように,越中富山売薬は,富山町に居住する専業の薬売りと,農閑期を活用した兼業の薬売りとによって構成される産業形態をとった。

 このうち,専業売薬は「反魂丹役所」という統一された組織を持ち,有力商人ら(上縮)が中心となって,仲間の権益確保や相互共済,取り締りなどを行った。富山藩も側面的に保護し,援助を惜しまなかった。

 一方,兼業売薬は加賀藩領内に散在しているため,それぞれの地域で,富山専業売薬に似通った組織をつくっていたものの,取り締りは町会所や,十村(大庄屋)が仕切っていた。それだけに,藩の保護や援助を望むことができず,他国で問題が起きても,自力で解決するより方法がなかった。

 越中富山売薬は,異なった性格をもち,組織も別であった二つ層によって展開されながら,隆昌発展していった。そして今日,富山町の専業であった薬売りたちの多くは,産業の近代化に伴って金融や電力,印刷など,売薬から派生した産業に移り変わっている。一方,農閑期活用の薬売りたちは,農業との両立を続けている関係で,県内の配置薬業界で中心的な役割を担っている(図2)。

4.数々の危機を乗り越える

 江戸時代265年間(1603~1868)を通観すると,バブル(高度成長期)と不況(低成長期))の大きな変動が3回も襲っている。しかも,全国的に,毎年のように河川氾濫が繰り返され,天候不順による飢饉や,疫病が発生している。これに,農民らの逃散が加わる(表2)。

 薬売りたちにとっては,その上に各藩による差し止め政策(営業停止)が重なった。各藩では,領域内の自給自足の保持と物価の調節に努めるとともに,領域内産業の保護育成をするなど,それぞれ独自の領域経済を実施していた。このため,正貨の領外流出に神経をとがらせ,他国商人らに対して差し止めを行ったのである。

 この差し止め政策は,他国営業をしている富山の薬売りたちによっての大きな脅威であった。

 ちなみに,薩摩藩では,富山の薬売りたちに対して,天明元年(1781)から明治5年(1852)に至る70年間に10回もの差し止めを命じている。

 そのたびに薬売りたちは,藩や役人たちが手に入れにくい高価な品を献上。ときには,密かに信州から煙硝を調達して献納している。また,文政12年(1827)には,差し止めの解除のための運動費として,組全体で1389両も支出している。それぞれの1年間における売り上げ高を提出したのである。

 このほかにも,薩摩藩が実施している密貿易を援助しようと,蝦夷松前から昆布を運んで献納し,幕末の寺田屋騒動や鳥羽伏見の戦いには,藩の助力者となって立ち働いた。

 このようにして,苦境を乗り越えてきた薬売りたちが存亡の危機にたたされたのが明治期。

 維新後,明治政府は国内産業の近代化とともに,東洋医学を西洋医学に切りかえた。なかでも「売薬はいかがわしいもの」として糾弾した。あまつさえ,売薬業だけに,営業税に加えて10%もの「売薬印紙税」(間接税)を課した。この酷税は,大正15年(1926)まで44年間にも及んだ。

 こうしたなかで薬売りたちは,製薬工場(広貫堂など)や,薬学校を設立したりして近代化を進め,再生を図った。これが以前にも増して発展への道につながった。

 薬売りたちが設立した広貫堂は,今日もなお,製薬会社として数々の薬を製剤している。また薬学校も,全国唯一の「和漢薬研究所」を備えた「国立富山医科薬科大学」として今日に至っている。

5.置き薬に込められたヒューマニズム

 薬売りたちが数々の危機を乗り越えることができたのは,商いの理念が確立していたことと,顧客の信頼感とによって,両者の間に太くて強い絆が結ぼれていたからである。

 時代を超えた理念と互いの信頼感が,何代にもわたって守り続けられ,育まれ,深められてきた結実に外ならない。

 仏教では,衆生に楽を与えることを「慈」苦を取り除くことを「悲」としている。

 戦前まで,薬売りたちは,それぞれ「懐中仏」と呼ばれる小さな仏を身につけていた。仏との同行に人の思いが安心感と勇気を与えたのであるが,同時に,仏の慈悲心にしたがいながら商いをすることを心がけた。

 この「仏の慈悲心にしたがいながら,薬でもって人々を救う」ことが使命感となり,商いの理念ともなった。

 だからこそ,家族と水盃を交わし,他国の山奥や離れ小島にまで命がけで出かけては,貧富の別なく薬を届けたのである。

 彼らの行為は「人々の健康を守るための菩薩行」といってよい。

 この理念は,製剤開放にもあらわれている。

 江戸時代,製剤技法は特定の家での秘事口伝とされ,他に洩れることを厳しく警戒した。これに対して越中富山売薬では,すべての薬売りたちに,製剤技法のすべてを惜しげもなく開放した。

 このことも,薬種商たちの「一人でも多くの人を救いたい」とする願いから発していた。

 こうした理念や願いを具体的に実践したのが「置き薬商法」である。

 「利他の立場に立った人間救済」
 つまりヒューマニズムの理念が,薬売りたちに時代の荒波や,数々の貿易摩擦を乗り越えさせ,明治政府による圧力をも撥ねのけさせた。

 それが顧客の厚い信頼を受け,今日までも命脈を保っているのである。

 (つづく)