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第523号 2001(H13).10発行

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緩効性被覆肥料を用いた
中晩柑に対する施肥合理化技術

愛媛県立果樹試験場 生産環境室
主任研究員 石川 啓

Introduction.

 カンキツ栽培において施肥管理に費やす作業時間は意外と少なく,温州ミカンでは年間10a当たり約8時間であり,全作業時間の僅か約4%を占めるに過ぎない(農水省果実生産費報告)。しかし,労働負担の面からみれば,傾斜地カンキツ園におけるこの施肥管理は最も労働強度の強い作業の一つである。特に,イヨカン等に代表される中晩柑は施肥量が多く,年間4~5回に分施されるため,生産者の高齢化や労働力不足が進む中で,大きな負担となっている。

 また,これまで果樹の施肥は,主に収量の増大と品質の向上を考慮して決定されてきた。このため,例えば,極端な多肥は土壌の化学性悪化や根部の濃度障害,あるいは温州ミカンでは品質低下等の弊害をもたらす要因として,常に樹体を中心とした視点でとらえられることが多かった。しかし,現在,環境への関心は非常に高まりつつあり,カンキツ生産現場においても園内からの溶脱窒素による環境への負荷増大が懸念されている。

 これらのことから,今後の施肥は,収量や品質を低下させないことを前提に,施肥回数や施肥量を低減できる方法を検討する必要があり,同時に樹体のみならず環境へも十分に配慮することが重要である。そこで今回は前報(本誌平成11年12月号)に引き続き,平成10年度から12年度まで行った試験結果を中心に,当場における緩効性被覆肥料を利用した省力的で環境に優しい施肥法への取り組みについて紹介する。

試験の概要

 供試品種として,本県の特産中晩柑である宮内伊予柑を用いた。試験区の肥料は緩効性被覆肥料の中の被覆燐硝安加里(N:14%)を供試し,リニア型の40日溶出タイプとシグモイド型(初期溶出抑制型)のS100日溶出タイプを等量混合して同時に施肥した。これはシグモイド型を混合して施用することにより,1回の施肥で2回分の効果を狙ったものである。

 施用時期は表1のように3月上旬(春肥と夏肥の効果期待)及び8月下旬(初秋肥と晩秋肥の効果期待)の年2回とし,施肥回数低減の可能性について検討した。対照区は有機配合肥料(N:9%)を用いて,愛媛県基準に従い,年間4回施用とし,窒素32kg/10a/年とした。また,被覆肥料は肥効が緩やかであるという特徴を持つため,利用率の向上が期待できることから,窒素量を県基準の約80%とした被覆肥料B区を設け,施肥量低減の影響を調査した。

土壌中の無機態窒素含量への影響

 土壌中の無機態窒素は,果樹の根が直接吸収できる形の窒素のことであり,その含量は降雨や根による吸収,あるいは地力窒素の影響を受けるが,施用した肥料の効果を類推する一つの目安となる。図1は各試験区の土壌を2カ年に渡って経時的に調査した結果を示している。

 まず,対照の有機配合肥料区について見てみると,年次間差は見られるが,年間4回行う施肥直後に窒素含量の増加が認められている。

 これに対して被覆肥料A区の場合は,両年ともに春季(3・4月)と秋季(9月)に増加がみられ,これはリニア型肥料によるものと考えられた。また,11年は判然としないが,10年の夏季(7月)における増加は春季に施用したシグモイド型肥料に由来するものと思われた。一方,施用量を80%とした被覆肥料B区については,含量は全体的にやや少なく推移したが,増減パターンはA区と類似していた。

 このように,シグモイド型のものについては若干効果に不明な点もあるが,被覆肥料を使った年2回施用は,対照の年4回施用と比較的類似した窒素の増減を示すことが明らかとなった。

樹体・果実品質に及ぼす影響

 施肥肥料成分の樹体による吸収をみるため,葉中窒素含量を調査した。窒素含量の推移については,いずれの処理区も開花後から夏季にかけて含量が高まり,秋季にピークを迎える類似したパターンを示した。葉中窒素含量が最も安定する9月葉を用いて含量の高低を比較すると,僅かの差ではあるが有機配合区が高く,次いで被覆肥料A区の順となり,B区がやや低かった(図2)。葉中リン含量は,年次差はみられるものの,処理区間に一定の傾向は認められなかった。カリ含量は若干被覆肥料B区が低い傾向にあった。

 次に,収量についてであるが,3カ年の累計収量は,被覆肥料を用いた区の方が有機配合区より若干少なくなっており,A区は有機配合区に比べ約7%,B区は約3%少なかった(図3)。ただし,供試樹間のバラツキが大きいため,統計的にみると有意差は認められなかった。

 1果平均重は,いずれの区も連年300g前後となり,大部分が収益性の高い2L級以上の大果となった。処理区間内で比較すると,平成11年産は被覆肥料B区が最も大きく,次いで被覆肥料A区,有機配合区の順となった(表2)。

 収穫果の果実外観をみると,果皮の着色程度,果皮の紅の濃さ(a値)及び果皮の粗滑等,肥料の影響が反映され易い項目は,いずれも有意な差が認められなかった(表2)。

 果実品質は,被覆肥料B区が有機配合肥料区に比べ,果皮の厚さがやや厚く,果肉歩合が若干低い年がみられた。しかし,果実の美味しさを決定する最大の要因である糖度とクエン酸含量については,処理区間に差がみられなかった(表3)。

 これらのことから,被覆肥料を用いた年2回施肥法は,樹体・収量・果実品質等から総合的に考えると,概ね対照に近い肥効があると思われる。また,施肥量を20%減じたB区もA区とほぼ同等の結果が得られた。ただし,葉中窒素や果実品質において差異がみられた項目については,さらに詳細な調査を実施する予定である。

被覆肥料の窒素溶出について

 被覆肥料は施用する地域の地温のデータがあれば,予め成分の時期別溶出率を推定することが可能であり,作物ごとに最適な銘柄を選択することができる。しかし,これは肥料が土壌と混和されていることを前提にしたものであるため,同じ銘柄の肥料であっても,施用方法によって溶出速度がかなり異なる場合がある。

 これまでの試験事例から,肥料からの窒素溶出速度は,土壌と混和した状態ものに比べ地表面施用(地面にバラ撒いただけの状態)のものは,概ね溶出が遅くなることが知られている。また,同じ肥料でも地表面施用の場合は年次間差がみられる。

 嘗てのミカン園では,施肥後に除草を兼ねた中耕を行うことが多かったが,現在は農家の高齢化や労働力不足等から,施肥後の中耕はほとんど行われていない。このことが本肥料を利用する上での最大の問題点であり,どんな銘柄の肥料を選ぶか,あるいはどのようにして溶出を安定させるか,について検討する必要がある。ここでは平成10年から被覆燐硝安加里を用いて行ってきた,窒素溶出試験の事例を簡単に紹介したい。

 まず,施用方法の違いが窒素溶出に及ぼす影響を見てみよう。図4のように,リニア型の40日タイプのものは,やや年次間差はみられるものの,施用方法の違いによる溶出速度の差は比較的少ない。問題はシグモイド型の溶出期間が長いものであり,例えば100日夕イプの肥料であれば,施用4カ月後の累積溶出率を比較すると,地中に埋設したものが約75%であったのに対し,地表面施用で裸地条件下に置いたものは約50%の溶出率に留まった。

 一方,地表面施用後,雑草を刈り払って肥料の上に敷いた場合は,地中埋設と裸地状態のほぼ中間的な溶出がみられた(図5)。このように,施用方法によって溶出速度にはかなり差が認められるが,地表面施用でも敷き草のように肥料を覆う物があれば,ある程度溶出率の向上を図ることができると思われる。また,現場のカンキツ園では,清耕裸地の期間は比較的短く,繁茂した雑草を除草剤で枯死させる方法をとることが多い。このため,草量は少ないが枯死した草で肥料をある程度覆うことができるので,現場での窒素溶出率は図5の裸地状態のものよりは高まると考えられる。

 次に,施用方法を同ーとして,肥料の銘柄の差をみると,当然のことであるが図6のように70日タイプの方が100日タイプより溶出が速い傾向がみられた。

 このようにして,地表面施用を前提として適した銘柄を探索したところ,シグモイド型のものでは,3月上旬に施用して夏肥の効果を期待するには,現在のところ100日や140日タイプより70日タイプの方が望ましいと思われる。問題は8月下旬に施用して晩秋肥の効果を狙うものであるが,70日タイプはこの時期に施用すると溶出開始期が速すぎる傾向にあり,100日タイプは逆に溶出率が低く,銘柄の選定に苦慮しているところである。被覆燐硝安加里の70日と100日タイプの中間的な溶出率(シグモイド型80日あるいは90日タイプ)
の出現が待たれる。

 現在,地表面管理の違いが溶出率に及ぼす影響の検討を開始しており,まだ単年度の成績ではあるが,ナギナタガヤやべントグラスの生草が茂っている草生栽培条件下に施用したところ,地表面施用でも地中埋設に比較的近い溶出がみられた(図7)。これは生草が繁茂している場合,地表面が高湿度に保たれることが一因であろうと考えられる。本県の一部産地では雑草管理の省力化や土壌改良効果を狙ってナギナタガヤによる草生栽培が広がりつつあるため,草生条件下に適した被覆肥料の利用法や銘柄の選定について,今後さらに調査する必要があると考えている。

環境負荷低成効果について

 現在,硝酸性及び亜硝酸性窒素による地下水汚染が注目されており,その原因として農業分野では施肥の影響が懸念されている。土壌に施用された窒素は作物が根から吸収するが,すべてが吸収されるわけではなく,残りは土壌中に留まったり,溶脱して流れ去ってしまう。この溶脱された窒素が地下水汚染の一因になると考えられる。

 被覆肥料は成分の溶出が緩やかであるという特徴を持つため,作物による吸収(利用)率の向上や多雨による急激な溶脱を低減できる可能性がある。そこで,当場では前述の試験とは別に窒素溶脱についての試験を実施している。

 図8は当場のライシメーターを用いて実施した試験結果であるが,施肥窒素の溶脱率は,化成肥料が最も高く,次いで有機配合肥料の順となり,被覆肥料(肥効調節型肥料)が最も低かった。ただし,この試験ではいずれの区も既往の試験結果に比べ溶脱率がかなり低くなった。このことについては,ライシメーターに植栽されていたカンキツ樹が20年生と大きく,地下部に細根が密生していたためと思われる。

 また,現地イヨカン園での実証試験(40日タイプとシグモイド型100日タイプの混用施用・3月上旬及び8月下旬施肥・施肥量は対照区の80%)においても,地表下1mの深さ(イヨカンの根域以下)の土壌溶液中の硝酸性窒素濃度は,施肥量が80%であったことを考慮しても対照区に比べ低レベルで推移した(図9)。

 これらのことから,被覆肥料の利用は環境負荷低減に寄与できる可能性があると考えられる。

Conclusion

 以上のように,緩効性被覆肥料は施肥作業の省力化や施肥量低減,あるいは環境負荷軽減を図る上で,有力な味方になると思われる。

 本肥料の利用法については前述のように,まだまだ解決すべき問題点も残されているが,当場のみならず他府県の試腕碁所においても本肥料を用いた研究が積極的に実施されており,今後の成果が期待される。

 なお,本肥料を効果的に利用することを考えると,やはり基本的には士づくりが重要であり,いかに溶出が穏やかな被覆肥料と言えども,溶出した窒素を吸収するための細根が少なく,分布が狭ければ,利用率の大幅な向上は期待できない。また,土壌に腐植が少なくCECが低い場合も,保肥力が弱くなり窒素は溶脱され易くなる。したがって,土づくりを実施した上で,本肥料を利用すれば相乗効果が期待できると思われる。

 

 

我国の稲作施肥の変遷(6)
-増産から調整ヘ-

ホクレン農業協同組合連合会(JAグループ)
管理本部 役員室
農学博士 関矢 信一郎

急変する水稲の生産環境

 明治以来,一貫して増産路線をとって来た我国稲作の生産環境は,昭和30年代後半以降,目まぐるしく変化することになる。

 昭和36年の農業基本法は,折からの経済の高度成長と相まって農村及び生産様式を一変させた。この中で米の収量の伸びは一旦停滞する。これは従来の生産技術の限界を示すものとされたが,全国的な「米づくり運動」などもあって昭和41年には1,400万tと史上最高の水準に達した。以来,米消費量の低下と共に過剰が生じ,昭和45年からは作付制限(減反)による生産調整が行われ,現在に至っている。

 食管制度下の米余りによって生産側には量より質への転換,安全性の追求,低価格が要求され,更に貿易の自由化の圧力かけられるようになった。

 水田はもともと環境保全的機能が高いとされていたが,地域温暖化ガスの一つであるメタンの発生や移植時の河川への肥料の流出が問題視されている。

 この様な背景を持つ,昭和40年代からの30年間の水稲施肥を取り上げる。

 なお,この期間の技術の進歩として,以下のものが挙げられよう。
○圃場整備の進展による作業の効率化
○良食味品種の普及
○トラクター・田植機・コンバイン収穫機・ヘリコプタ一散布など一連の機械化による労働生産性向上
○肥料・農業など資材の性能向上と低価格化
○カントリーエレベーターなど調整施設の整備
 など

収量限界を越えて -後期重点施肥-

 昭和30年代後半の収量増の停滞は,戦後確立した全層基肥-穂肥体系の限界を示すものとされている。この体系では,穂肥は出穂前25日に1.5~2.0kg/10a程度で,収量増に伴う増肥分は主として基肥にまわされていた。このため初期生育は促進されたが,その結果生育前半の過繁茂と出穂後の倒伏が多くなり,登熟不良や千粒重の低下を招くようになった。この傾向は西南暖地では早くから認められていたが,寒冷地でも昭和30年代の保護苗代の普及による初期生育の促進と共に過繁茂が問題となった。

 過繁茂は稲体の栄養過多が受光態勢の悪化を通じて収量減をもたらすもので,収量の制限要因が養分不足から稲体の群落構成の欠陥に移行したものとされた。この視点に基づき,昭和30年代後半から多くの試験研究が行われた。

 群落構造の改善は,品種改良と施肥を中心とする栽培法の両面から行われた。施肥の面では,水稲の全生育期間を通じての栄養生理の立場から,登熟期の光合成能維持のための窒素供給-後期栄養の確保の重要性が指摘された。具体的には実肥で,籾数の形成にかかわる穂肥に対し,籾を充実させる子実のための追肥と位置付けられるものである。したがって,一定の籾数が確保されているのが前提で,それ以下では効果は期待できないことになる。

 実肥は古くから一部で行われていたようであるが,収量水準が低く,また生育後期に必要な窒素が土壌や施用した有機質肥料から供給されている時代では,その効果は一般的でなかったものと思われる。

 後に後期重点施肥法といわれる穂肥以後の追肥は,昭和40年代を通じて普及し,施肥標準にも実肥が取り上げられるようになった。一時は収穫直前まで施用する極端な例もあったが,山形農試などの検討により出穂後10~20日以降では効果のないことが明らかとなり,穂ぞろい期が施用時期の中心となっている。

後期重点施肥法の実例

 昭和30年代後半から40年代にかけ多くの後期重点施肥法が提案された。その中で県の施肥標準に取り上げられたものをいくつか以下にあげる。

止葉期追肥

 北海道では,冷害防止のため全量の80%を基肥に,残りを冷害の危険性を見極めた上で,穂肥として施こす分施法が標準となっている。しかし,籾数が確保されている場合には,出穂のほぼ10日前の止葉抽出期の追肥は,冷害回避と登熟向上の双方に有効であることが認められ,多収技術となっている。

長野方式

 育苗技術の向上により低温下での初期生育が確保できるようになると,①過繁茂を防止するため分げつ確保に最低限の基肥(4~8kg/10a)
②有効茎確保,1穂籾数増,登熟性向上のため,出穂前25~18日の基肥とほぼ同量(4~6kg/10a,量が多い場合には2回に分ける)の穂肥
③必要があれば実肥も施用する。これは基肥と追肥をほぼ同じ量にするのが特徴である。
 この結果,700kg/10aレベルの高収が可能となった。この考え方は,東北地方など寒冷地にも共通している。

佐賀方式(後期重点施肥法)

 西南暖地では早くから基肥少肥,追肥重点の施肥法が一般的であったが,短稈の多収品種の出現により,施肥法が再検討された。
 佐賀県では,
①分げつ確保のための最小限の基肥(5~6kg/10a)
②分げつ促進,栄養凋落防止の(ラグ期対策)ため出穂前50~55日のつな
ぎ肥(2kg/10a)
③穂数,籾数の確保と登熱性向上のための多量の穂肥(5kg/10a),登熟性向上のための実肥(1~2kg/10a)
 の体系を確立した。
 この方式はラグ期対策の中間追肥が特徴である。ラグ期(lag-phase)は最高分げつ期から幼穂形成期の間で,この期の生育停滞は栄養生長期の長い西南暖地特有のものとされていたが,移植期が早くなるにつれ,関東地方でも注目される様になった。

山形方式(区分施肥法)

 山形県は穂肥発祥の地とされているが,昭和30年代から篤農家技術として出穂後の追肥が行われていた。しかし,増収効果には変動が大きく,一般的ではなかった。山形農試はこれを統括的に試験し,新しい施肥方式を示した。
 すなわち,
①分げつ確保,過繁茂防止のため基肥抑制
②分げつ促進のため移植後7日目の早期追肥
③有効茎確保,1穂粒数の増加のための出穂32日前のつなぎ肥
④登熟性向上のための穂ばらみ期(出穂5~10日前),穂揃い期の追肥,
 と多数回の追肥を行なうものである。
 基肥は4~5kg/10a,追肥は1回2kg以下,合計13kg程度となる。この施肥方式はそれぞれの追肥の持つ意義を明らかにし,状況に応じた対応が可能になることから,他の県にも波及した。

深層追肥

 青森農試で昭和30年代後半に開発されたもので,基肥を全量の3分の1程度とし,残りを出穂前の30~35日頃,団子肥料として作土の深層(鋤床層直上)に施用するものである。初期生育は著しく抑制されるが,有効茎歩合が高まり籾数が増えて増収する,従来,初期生育促進に重点を置いていた寒冷地で開発された技術として注目された。

 戦後,水稲に対する窒素施用量を化学肥料でみると図1に示す様に昭和60年迄増加している。特に40年代の伸びが著しい。これは後期追肥技術の普及によるものと思われる。基肥と追肥の割合も昭和30年代の80-20から50-50程度となった。当然追肥回数も増加する。

 図2は後期追肥の体系が完成した昭和50年代後半の各県施肥標準によって基肥窒素の割合と追肥回数を示したものである。南に行くほど基肥の割合が低下し,追肥回数が多くなっているのを読みとることができる。

生産調整と施肥 -良食味米への転換-

 昭和45年からの米の生産調整は,稲作に大きな影響を及ぼした。施肥にかかわるものとしては,コシヒカリ・ササニシキなどの良食味米の作付増がある。ほかには昭和50年代に普及した機械移植,コンバイン収穫,作土の浅層化など,施肥にかかわる技術の変化があった。

 施肥法に及ぼす影響を整理すると
(1)良食味品種は倒伏しやすいので基肥減肥の必要がある。
(2)田植機に用いられる稚苗や中苗は活着がよく,茎数確保が容易で基肥減肥が可能である。
(3)コンバイン収穫により,生わらが残留するが,これは生育を不安定にするおそれがあり,連用により後期の窒素供給を増加させる。
(4)浅耕下では,作土中の養分濃度が高まるので,吸収が早くなり,肥切れも早くなる。
(5)移植時の田面水の排除は,河川|への肥料流出を増加させる。
 などとなるが,いずれも基肥減,追肥増の方向をとるものである。

 このような状況においては,昭和40年代に確立した後期重点施肥法の適応性は高く,50年代を通じ,基本的な差はない。また,昭和50年代には収量水準や品種に応じた水稲の窒素吸収パターンと土壌の窒素供給能に合わせた窒素供給法が定着したが,これも追肥回数を増加させた。

 いくつかの県の施肥標準の例を表1に示した。

 なお,近年生育後期の窒素吸収が食味を低下させるとして,実肥の施用は少なくなっているようである。

 従来,生産者は施肥標準を上まわって施用しているとされていたが,良食味米生産を目指している現在では標準か或いはそれ以下になっているものと思われる。

 戦後,化学肥料の施用量は昭和60年迄,増加を続けた(図1)。窒素でみるとこの頃の11kg/10aをピークに急速に減少し平成8年には昭和30年代の水準となった。この間,収量水準は400kg/10aから500kg/10aとなり,窒素の玄米生産効率は向上している。特に平成に入ってからの施肥効率の向上は著しい。これは新しい形態の肥料の開発,施肥法の改良などによると考えられるが,更に解析する必要があろう。

 農水省の米の生産費調査の資料によって肥料の形態を推定した数値を図3に示した。昭和に入ってから化学肥料は単肥から配合肥料,更に化成肥料と変化した。当初,化成肥料は単肥に比べ割高であったが,昭和30年代から価格が低下し急速に増え,現在では大半を占めるに至った。特に成分の合計が30%以上の高度化成は4分の3となっている。

 成分でみると,平成8年は昭和45年に比べ,窒素は87%,加里は89%となったが,燐酸はこれらよりやや多い93%である。この低下は単肥及び普通化成の減少によるものである。ただ,燐酸は土壌改良資材として単肥でも施用されており,この分が低下を下支えしているものと思われる。

 なお,各都道府県の水稲施肥標準は必要に応じ改訂されている。現行の標準については,現在全農で収集・とりまとめの作業が進行中と聞いている。いずれ公開されると思われるが,その成果を期待してこの稿を終ることとする。

References

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2)安藤広太郎 稲作要綱 大日本農会(明治36年)

3)鈴木冨治 米と稲 丸山舎(大正6年)

4)門田亀一 最近肥料施用法 有隣堂書房(大正10年)

5)永井威三郎 日本稲作講座 養賢堂(大正14年)

6)斉藤義一郎 多収稲作法 成美堂(昭和4年)

7)松木五楼 綜合肥料学 朝倉書店(昭和14年)

8)松木五楼 水稲の肥培 明文堂(昭和18年)

9)農林省営農改善課 農家の施肥量に関する調査(昭和27年)

10)農林省研究部 施肥改善合理化指針確立に関する調査研究成績(昭和29年)

11)農林省研究部 施肥改善調査成績(昭和34年)

12)日本硫安工業会 水稲の追肥に関する土壌肥料研究集録(昭和42年)

13)農業発達史調査会編 日本農業発達史2 中央公論社(昭和53年)

14)村山登 収穫漸減法則の克服 養賢堂(昭和55年)

15)黒川計 日本における明治以降の土壌肥料考(上・中・下) 同書刊行会(昭和57年)

16)土屋又三郎 農業図絵(日本農書全集27) 農文協(昭和58年)

17)農林省農産課監修 日本の稲作 地球社(昭和59年)

18)深谷克巳 日本の歴史9 中央公論社(昭和63年)

19)岡光夫 日本農業技術史 ミネルヴァ書店(昭和63年)

20)五十嵐憲蔵 第一次~第二次大戦期の稲作技術,戦後の稲作技術(農業技術大系・作物編1,イネ) 農文協(平成2年)

21)山田龍雄 明治時代の稲作技術(農業技術大系・作物編1,イネ) 農文協(平成2年)

22)農水省農林水産技術会議 昭和農業技術発達史2 事務局編 農文協(平成5年)

23)〃〃1 農文協(平成7年)

24)農水省統計調査部 作物統計(昭和31~平成10年)

25)農水省肥料機械課監修 ポケット肥料ハンドブック(昭和58年~平成11年)

26)全農肥料農薬部 施肥診断技術者ハンドブック(平成11年)

 

 

加賀能登の特産・伝統野菜(1)

石川県農業情報センター
主任農業専門技術員
今井 周一

 石川の加賀・能登は,江戸時代から野菜作りの盛んなところで,独特の野菜を生み出してきた。これらの野菜が明治,大正,昭和の戦前まで県下に広く栽培が普及した陰には,全国屈指の歴史ある県立松任農業高校(現県立翠星高校),明治10年に金沢に設置された農事講習所ゆかりの人たちの活躍がある。また,明治35年に開設された石川県農事試験場の地道な研究活動の成果もある。さらに戦後,生産技術,経営と生活の改善を目的とした農業改良普及事業によって産地が次々と誕生するなど,野菜産地の育成強化が図られ,現在に至っている。産地化について,農業改良普及事業とともに忘れてはならないのは農協の活動がある。

 これら県内産の野菜は,古くから県民の食生活になじんで生産を地道に支えてきたものもあるが,嗜好の変化から斜陽化の道をたどった野菜もある。このような中で,石川県の気候・風土に育まれ,現在も栽培されている主な野菜を藩政,明治・大正,昭和・平成の三時代にまとめたのでここに紹介する。

Ⅰ 藩政時代

 加賀・能登は,今から500年前は,北陸路の一寒村に過ぎなかったが,天正11年(1583),前田利家(初代加賀藩主)が能登七尾の小丸城から金沢城に入城して以来,14代,約300年間の歴史が続いて発展してきたのである。

 特に百万石の大消費地を抱えた加賀は,江戸時代から野菜作りの盛んなところで,30種あまりの野菜が栽培されていた。代表的なものにスイカ,ダイコン,カブ,レンコン,クワイ,ネギなどがある。これら野菜は京都,大阪,尾張などから人々の往来によってもたらされたものが多い。

1.スイカ

来歴

 スイカは,「耕稼春秋」(宝永4年1707)に金沢市近郊の御供田村(現金沢市神田)の十村に栽培されていた野菜の一つとして記述されている。しかも詳細に「当藩では,かつてスイカを作っていなかったが,寛文6,7年頃(1666年頃)から作るようになった」と書かれている。このことからスイカの来歴は非常に古い。

(1)砂丘地スイカ

 「石川県園芸要鑑」(大正5年)によると,石川スイカの発祥の地は,現在の小松市日末・佐美・松崎地区一帯と河北郡高松町・七塚町・宇ノ気町一帯の砂丘地である。当時は日末のスイカ・高松のスイカとして販売されていたと書かれている。

 栽培起源は明治29年,日末の中田新介氏が名古屋から種子を移入したのが始まりとされ,その後,年を追って栽培面積が増加している。それは,当時の石川県統計資料からも伺える。当時のスイカ栽培面積は明治41年に53.2ha,大正4年は88.1haと記録されている。産地としては,能美郡(現在の小松市日末一帯)が最も多く,次いで河北郡,羽昨郡,石川郡となっているが,現在は金沢市が最も多く,次いで羽昨市,河北郡宇ノ気町,加賀市となっている。

(2)赤土スイカ

 赤土スイカの発祥地は,羽昨市柴垣,滝谷地区と志賀町である。栽培の起源はおおよそ昭和27~28年頃である。その後,年々栽培面積が増加し,昭和36年には48haに達している。スイカは,砂質土から粘質土まで栽培が可能で,そのうえ荒土にも適していることから,この地区では昭和40年~50年にかけてパイロット事業による農地造成が増え,その造成畑にスイカが栽培されるようになった。現在では,赤土スイカとして羽昨市,志賀町はもちろんのこと,鳳至郡穴水町,珠州郡内浦町,珠洲市まで、栽培が広がっている。

(3)河北潟干拓地スイカ

 河北潟干拓地は昭和38年に着工し,23年間の歳月をかけ昭和60年に事業が完了した。干拓地での営農は昭和54年9月から順次,一時使用が開始された。しかし,干拓地特有の重粘質土壌に対処するため,最初の3カ年間を目途に,大麦,大豆を主体に土づくりを行い,4年目の昭和58年からスイカを導入した。

栽培の歴史

 砂丘地スイカは,昭和33年にスプリンクラーかん水の普及により栽培が盛んになり,特に昭和40年代後半に入って急速に産地化が進んだ。従来のキャップ栽培から昭和46年にビニールトンネルによる早熟栽培がはじまった。昭和52年にビニールハウス栽培,昭和54年に大型トンネル栽培,昭和57年に大型トンネル開放栽培などの作型が導入され,栽培の前進化が図られた。

 一方,スイカの共販は昭和43年から始まり,ハウス,大型トンネル,中・小型トンネルといった作型の分化によって出荷期に幅をもたせ,6月下旬~8月下旬にかけて切れ目ない出荷が行われている。

主な産地と旬

 産地と収穫期:加賀市,金沢市,宇ノ気町,羽昨市,志賀町,穴水町,珠洲市,内浦町,河北潟干拓地/6月下旬~8月中旬

 旬:夏

2.マクワウリ(甜瓜)

来歴

 マクワウリは,土屋又三郎の著わした「耕稼春秋」(宝永4年1707)に金沢市近郊で栽培されていた野菜の一つとしてミノウリの栽培が書かれている。加賀藩5代藩主前田綱紀(延宝4年1676)が産業の興隆を志し,農事の奨励に力を入れたことによりマクワウリが栽培され始めたものと思われる。また,「石川県園芸要鑑」(大正5年1916)にも加賀市黒崎の在来のマクワウリ(天保時代1845年頃加賀市黒崎の中谷長九郎の祖父が試作)が記述され,優秀な品と評されている。

栽培の歴史

 ミノウリは,菓子ウリとして江戸前期,明治,大正,昭和の戦前まで長きに渡って栽培されてきた。大々的に栽培されたのは,昭和初期である。昭和10年の統計資料に金沢を始めとして県下に広く栽培され,73haの栽培面積の記録がある。戦後,ミノウリからナシウリに変わり,金沢,松任市周辺に昭和57年頃まで栽培されていた。現在ではミノウリは加賀野菜保存懇話会のメンバーによって栽培され,ナシウリは金沢市観音堂,松任市中奥地区で7~8人の農家によって栽培が続けられている。

品種の特性
(1)ミノウリ(美濃瓜)

 美濃の真桑村(現岐阜県本巣郡真正町)に良質のものがとれ,地名にちなんで真桑瓜,美濃瓜と呼ばれたと伝えられている(耕稼春秋より)。なお,現在のマクワウリは明治年間に中国から入ってきたものと書かれている。

 ミノウリは果長15cm,径長6cm,黄緑に緑の縦縞の入ったウリで,果肉と種子の境が一番うまい。現在,種子は「加賀みの瓜」で市販されている。

(2)ナシウリ(梨瓜)

 一名白皮甜瓜とも呼ばれ,愛知県下で古くから栽培されていた品種といわれている。果梗部はいくらか細く下部は太く丸い。果皮は白いが周囲に多少浅い溝がある。熟するにしたがって淡黄色を帯びるのが特徴である。現在,種子は「加賀白丸梨瓜」で市販されている。

主な産地と旬

 産地と収穫期:金沢市/6月下旬~7月中旬

 旬:夏

3.ダイコン(蘿葡~大根)

栽培の歴史

 本県への来歴は明確ではないが,「耕稼春秋」(宝永4年1707)にダイコンが記載されている。このことからダイコンの栽培は,非常に古い。また栽培地は,能美郡,石川郡(現金沢市の一部含む),河北郡,羽昨郡,鳳至郡,珠洲郡(現珠洲市含む)に至る広い地域で栽培され,栽培面積も1512ha(大正4年の県統計書)と群を抜いて多い。

 「石川県園芸要鑑」(大正5年)によると,当時販売目的として栽培された地域として諸江(金沢市諸江町)の秋冬ダイコン,地黄煎町(金沢市泉が丘,長坂,泉野出一帯)の沢庵ダイコン,矢田郷(七尾市矢田,府中,古府一帯)の秋冬ダイコンが知られている。戦後,砂丘畑のかん水施設の導入によって栽培地は砂丘地に移行し,スイカの後作として定着している。

品種の変換

 品種は,「みの早生」,「宮重」,「聖護院」種から「在来種」(練馬系打木ダイコン)に代わり,昭和33年から地元篤農家故松本佐一郎氏によって育成された「源助ダイコン」が主流となり,関西に石川ダイコンの名声をとどろかせ,不動の地位を築いた。しかし,昭和52年頃から長形のF1の出現によって総太り系ダイコンに代わり,現在に至っている。

主な産地と旬

 産地と収穫期:加賀市,小松市,松任市,金沢市,宇ノ木町,河北潟干拓地,羽昨市/10月上~11月下旬

 旬:秋冬

4.カブ(金沢青カブ)

 金沢青蕪(カブ)は古くから栽培されている品種である。その名のとおり青首で,葉に毛茸はなく,根形は扁球形である。肉質はやや硬いが,香りと甘味が強い。このため,本県では郷土の正月料理である「かぶら寿し」の原料として欠くことのできない野菜になっている。

 詳細な来歴は不明であるが,「かぶら寿し」は加賀藩時代に現在の金石港の漁師が舟の安全と豊漁を祈る儀式に用いたものといわれ,金沢青蕪(カブ)は,その時代以前から栽培されていたのではないかとされている。

栽培の歴史

 金沢青カブが上記のとおり,いつ頃から栽培されていたかは詳しいことはわかっていない。

 金沢青カブは金沢市内の泉野,保古地区が主産地であったが,宅地化と連作障害(根こぶ病)によって産地が移動し,昭和36年頃から,金沢市近郊の石川郡,松任市で栽培されている。しかも,ほとんどが「かぶら寿し」用に加工業者と契約栽培されている。

品種の特性

 「金沢青蕪」は,青首丸カブで,葉柄は緑色で葉に毛茸がほとんどなく,根色は地上部が淡緑色,地下部は白色で,抽根性が極大である。根径は球形に近い楕円形で,直径が約10cm,根重500~600グラムの青首丸大カブである。

 石川県農業総合研究センターで平成2年に育成した「CR金沢青」がある。この品種は金沢青カブの味や肉質などの形質を維持したまま,根こぶ病に強い抵抗性を示す新品種で,かぶら寿しに加工しても変らぬ味である。現在,種子は「金沢青丸蕪」で市販されている。

主な産地と収穫期

 石川郡野々市町富奥地区,松任市/11~1月下旬(ただし,かぶら寿し用として)