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農業と科学 平成20年6月
本号の内容
§サトウキビの適正施肥量
沖縄県農業研究センタ一野菜花き班
主任研究員 久場 峯子
§肥効調節型肥料を用いた局所施肥がトマトの収量等に及ぼす影響
静岡県農林技術研究所 生産環境部
*小杉 徹 **中村 仁美
(*現 静岡県茶業研究センター **現 志太榛原農林事務所)
§白鳥神社と水田農業(追補)
-愛知県旧作手村(現新城市作手地区)の白鳥神社と水田稲作の関わりについて-
名古屋大学大学院生命農学研究科
浅川 晋 木村 眞人
農業環境技術研究所 小野 信一
沖縄県農業研究センタ一野菜花き班
主任研究員 久場 峯子
沖縄県の基幹作物であるサトウキビに対する施肥基準は,精力的な試験を経て1963年に初めて設定された。しかし,施肥養分の蓄積や地力レベルが考慮されておらず再考の余地があったため,表11)に示す沖縄県に分布する代表的土壌(島尻マージ,国頭マージ,ジャーガル)の施肥量試験に着手した。その後,施肥時期試験と現地調査による土壌・栄養診断の面的把握を経て施肥基準を改定した。以下にその経緯を中心に,サトウキビの適正施肥について述べる。

図1に示すように,窒素施用に対するサトウキビの反応は国頭マージで顕著にみられ,施肥履歴の浅い造成畑では増施するほど増収した。熟畑では慣行施肥量の50%減以上の施用が蔗茎収量に反映されることはなかった。島尻マージとジャーガルでは増施による効果はみられず,標準量施用が適当と考えられた。従って熟畑に関しては施肥量の改定は必要無かったが,国頭マージの造成畑に関しては10%増の40kg/10aヘ改定した。

その場合甘蔗糖度への影響が懸念されるので,施肥量と施肥時期を組み合わせた試験を行った。通常の最終追肥の時期である3月と,生育が加速される夏場までに梅雨期を挟み窒素流亡が考えられるため,梅雨明け止肥を検討した。
図2に示すように,国頭マージ造成畑における夏植えでは,60kg/10aのN多量施用は基準どおり3月に最終追肥をした場合,収量およびブリックスに有意な差はみられなかったが,7月まで遅延すると増収する反面,平均1ポイント(ブリックス値で1%)以上の低下を招いた。しかし後期多量追肥はブリックス低下を補って余りある増収のため,糖生産量では標準施肥に優る結果となった。

株出し栽培の場合は,収穫6ヶ月前の10kg/10a窒素施用はブリックスの低下を見ることなく増収したが,登熟初期のブリックス低下は避けられず(データ省略),潜在的な品質低下要因として注意する必要がある。
窒素吸収量と土壌窒素レベルを表2に示した。土壌全窒素含量はジャーガルと島尻マージの熟畑では約135mg/100gのレベルにあった。国頭マージ熟畑の全窒素は60mg/100g程度あり,熟畑の施用量の5割増施用(46kg/10a)を3作続けた造成畑では30mg/100gであった。造成当初の10mg/100gが春植1作毎に約7mgずつ増えた計算になるので,熟畑化には約8年を要するものと推測された。そこで7年目に熟畑の施用量に変えたところ増施との間に大きな収量差はなかった。よって造成畑扱いは6年程度と考えられる。

熟畑夏植における標準量施用時の吸収量と利用率は,平均それぞれ約20kg/10a,36%であった。この2数値と,地力窒素由来(窒素無施用区)の12kg/10aから算出される窒素施用量は約22kg/10aとなり,基準量改定の参考に用いた。
大田ら2)は栄養診断の結果から,夏植の多い宮古島や石垣島では生育後期に肥料切れを起こしていると推察している。これは標準量を施用しているにも関わらず分施回数が少ないためと考えられ,被覆肥料の使用を奨めている。
表3にリン酸の施肥基準設定試験結果と,現地調査における栄養診断・土壌診断結果をまとめた。

造成畑における無施用での減収開始が島尻マージおよび国頭マージでは初作であったのに対し,ジャーガルでは試験実施期間中の5作では施肥反応は見られなかった。図3の施肥反応曲線から,造成畑の最初の作付けに必要なP2O5施用量は,国頭マージで80kg/10a,島尻マージで20kg/10aと考えられる。これらの値は同時に熟畑での施肥の上限値,すなわちこれ以上のリン酸を毎作施用する必要は無いという値である。島尻マージの場合はポット試験結果で根域が限られたため,若干高目の値になったものと思われる。ジャーガルでは無施用でも構わないとも言える。熟畑においては,試験実施期間中の国頭マージの4作および島尻マージの5作では施用効果を確認するに至らなかった。品質に及ぼす施肥量の影響は特にみられなかった。

国頭マージ造成畑における初作時の80kg/10a施用で,有効態P2O5含量が0.01mg/100gから11.5mg/100gへ増加した。久場1)はこの初作時80kg/10a施用で少なくとも3作の間,リン酸の無効化がみられないとしている。そこで2作目以降のリン酸施肥管理については,蓄積を図る意味で20kg/10a施用を4~5作続け,その後は熟畑の施肥量に移行することが推奨される。
熟畑における有効態P2O5含量は,4~5作のリン酸無施用により国頭マージで約3mg/100g減少し,島尻マージでは変化がなく,ジャーガルでは僅かに減少する程度であった。一方標準量施用(20~50kg/10a)では,供試土壌全てで蓄積の傾向にあった。よって現行のリン酸施用量は多いと考えられ,熟畑におけるリン酸の施用量は,サトウキビによる吸収で持ち出される量を補充する程度(多くて8kg/10a)で十分と推察される。金城3)はさらに検討を加え,最もリン酸含量の低い国頭マージにおける熟畑でも4~5kg/10aまで減肥可能としている。
大田ら2)は栄養診断および土壌診断の結果,ほとんどの圃場でリン酸の蓄積が進み,葉中P2O5濃度も多~過剰の範囲にあると報告している。更に図4から土壌中リン酸が多いと植物体中濃度も高まり,甘蔗糖度低下を誘発する傾向にあることが示唆される。低コスト化と環境負荷軽減の面からもリン酸の減肥は必要と判断される。

表4にカリの施肥基準設定試験結果と,現地調査における栄養診断・土壌診断結果をまとめた。

カリの施肥反応(図5)はリン酸よりさらに鈍く,交換性カリウムの最も少ない国頭マージ造成畑でも4作の間施用効果がみられなかった。ジャーガルにおいては9作無カリ栽培が可能であった。勿論熟畑においても施肥反応は見られなかった。品質面ではカリ施用がブリックスの増加に寄与することは無く,むしろ多量施用による低下が見られ,このことはフィリッピンで無施用が糖歩留まりが高い4)ことと一致する。

カリ無施用下の交換性カリウム含量は,国頭マージと島尻マージでは僅かに減少し,ジャーガルでは増加した。標準量施用では,造成畑・熟畑とも増加した。土壌中カリは非交換性から交換性への移行も考えられるので,ジャーガルでは無カリ栽培を検討する余地がある。サトウキビのカリ吸収量は贅沢吸収が考えられるため,国頭マージ造成畑において施肥反応の見られなかった最後の作における値20kg/10aを基本にするのが適当と考えられる。
リン酸と同様に,農家圃場のほとんどが土壌診断基準値を満たしており,カリ施用の必要はないものと推察される。栄養診断結果も国頭マージおよび島尻マージ地域で約90%が”多~過剰”,ジャーガル地域で100%が”過剰”となった2)。さらに交換性カリウム含量の高い圃場のサトウキビほど,カリ含有率が高く甘蔗糖度は低い傾向にあることが明らかになった(図6)。特に,早期高糖性品種として普及しているNiF8はその傾向が強く,カリ減肥が必要と判断される。

以上の結果を基に改定されたサトウキビの基準施肥量を表5にあげた。

窒素については施用量の大きな改定はなかったが,夏植の最終追肥時期を梅雨明けまで遅らせることの有利性を反映し,被覆肥料利用を前提とした施肥基準となった。これは,梅雨明け時のサトウキビは草丈が高く施肥機が使えないため,3月止肥でも夏季まで肥効を確保するための策である。被覆尿素は価格的に決して安くは無いが,同様に原料費の高いリン酸を大幅に減肥(旧基準量の25~70%減)したので,低価格化が可能であり,現在流通体制を整えつつある。カリについても減肥され,無カリ栽培の検討がなされている。
なお本文は,日本土壌肥料学会九州支部編2004年度福岡大会記念誌”九州・沖縄の農業と土壌肥料”掲載の”サトウキビの適正施肥量”を加筆再編したものである。
1)久場峯子:沖縄の農地の実態と土壌管理-土壌化学性とサトウキビ畑における施肥管理-
ペドロジスト,37(2),56-66(1993)
2)大田守也他:沖縄県におけるサトウキビの栄養診断と土壌診断
日作九支報,66,56-59(2000)
3)金城紀一郎:沖縄本島北部地域の国頭マージにおけるリン酸減肥によるサトウキビ作低コスト施肥法試験
蔗作研究会,(2001)
4)Wang Chawn Chaw:TAIWAN SUGAR,7/8,167-171(1976)
静岡県農林技術研究所 生産環境部
*小杉 徹 **中村 仁美
(*現 静岡県茶業研究センター **現 志太榛原農林事務所)
トマト栽培は,追肥の回数が多い作物である。本圃への施肥が不要となれば,省力化が期待できる。一方,地下水・河川や湖沼等での硝酸性窒素による汚染の原因は,肥料であると考えられる事例が見受けられる。そのため,施肥削減による環境負荷軽減が社会的要請となっている。
そこで筆者らは,肥効調節型肥料利用による局所施肥に注目し,基肥・追肥不要の鉢内施肥等様々なトマト局所施肥法の検討を行ってきた。以下に報告する。
試験区の構成は表1のとおりである。初年度の平成14年度から3年間スーパーロング424-140日タイプを用いて窒素16kg/10aを混合する鉢内施肥を試みた。また,平成14年度には,スーパーロング424-180日タイプを用いて窒素16kg/10aの鉢内施肥区と,鉢内施肥を8kg,条施肥を8kg施用する鉢内・条施肥併用区を設けた。平成16~17年には,窒素14kg/10a,窒素12kg/10aの鉢内施肥を試みた。また,平成17年には14kg/10aの肥料を,ポット内の下方に層状に施肥する14kg鉢内層状施肥区を設けた。慣行区は,基肥窒素8kg,追肥4回,合計窒素20kg/10a施肥した。平成18年度には定植時の植え穴に施用する植え穴施肥を現地農家で実施した。なお,試験した局所施肥の形態は図1に示した。


本栽培は,7月中旬は種,8月上旬斜め合わせ接ぎ(平成14年度は呼び接ぎ),8月中旬鉢上げ及び育苗鉢内全量施肥,定植9月上旬,6段摘心とし,1月下旬に栽培を終了した。品種は穂木”ハウス桃太郎”,台木”がんばる根”を用いた。培土は,与作N15(1リットル当たりN150mg,P1500mg,K150mg)である。本圃栽培はガラス温室で白黒マルチを敷いて行った。畝間120cm,畝幅80cm,株間40cmの1条植えとし,灌水水は灌水チューブで株元を中心に灌水した。本圃での栽培は洪積土と沖積土で行った。
現地試験は8月下旬定植,7段摘心で行った。
育苗時の生育状況を表2に,育苗期終了時の作物体窒素含有率と培土の電気伝導率を表3に示した。鉢内施肥区は慣行区に比べ,地上部重,草丈,葉数ともに優れて徒長気味となり,葉色も 濃くなった。根重は,慣行区と同程度だった。また慣行区は着花の遅れが目立った。作物体の窒素含有率は鉢内施肥区で高かった。また,培土の電気伝導度は,鉢内施肥区で非常に高く,また鉢内施肥量の多い区ほど高かった。肥料がすでに溶出していると推察されたが,濃度障害は認められなかった。なお,本栽培は6段で摘芯するため(施肥後約4ヶ月半栽培),肥効が約半年続くと考えられる16kg鉢内施肥(180日)区は本圃へ定植しなかった。


収量調査結果を表4,表5に示した。洪積土及び沖積土ともにトマトの収量は,鉢内施肥区は定植時徒長気味だったため,収穫が10月から始まったが,最終的な収量及び個数に慣行区と差は認められなかった。


以上の結果,いずれの鉢内施肥区も,慣行区の間に収量の差が認められなかったことから,本圃での施肥を省略することができる可能性が見いだされた。しかし,苗が徒長する傾向が認められたことから,育苗期の管理方法等について工夫が必要と考えられた。また,条施肥を併用しでも鉢内施肥区との間に収量の差が認められなかったことと,本試験の栽培期間が施肥後4ヶ月半であること等から,以後肥料はシグモイド型140日タイプを鉢内施肥することとした。
平成14年度の試験において,鉢内施肥区は育苗中に苗が徒長したことから,接ぎ木方法を育苗日数が長くなる呼び接ぎから,斜め合わせ接ぎに変更した。
育苗終了時における苗の生育と培土の電気伝導度を表6に示した。鉢内施肥区は慣行区と比較して,地上部重,草丈ともに優れたが平成14年度のような極端な徒長は認められなかった。また根重,着花節位に差は認められなかった。培土の電気伝導度は鉢内施肥区で高く,肥料がすでに溶出していると推定されたが,電気伝導度は平成14年度の約1/3に抑えられた。

トマト収量と窒素利用率を表7に示した。洪積土,沖積土ともに,収量,個数ともに慣行区と同等,もしくはそれ以上の収量が得られた。16kg鉢内施肥区では,見かけの窒素利用率が100%を超えていた。

以上の結果,本試験においても16kg鉢内施肥により慣行区と同等かそれ以上の収量を確保することができた。また,接ぎ木方法を斜め合わせ接ぎに変更することにより,鉢内施肥による苗の徒長を抑えることができた。
平成16年度は,16kg鉢内施肥に加え,14kg鉢内施肥区,12kg鉢内施肥区の減肥区を設けた。
収量調査の結果を表8,表9に示した。いずれの鉢内施肥区においても慣行区と差が認められなかった。


以上の結果,慣行の施肥量を2割~4割削減することが可能であると考えられた。
鉢内施肥は,肥料を鉢内に混合する作業がやや煩雑である。そこで肥料と培土を混合する作業を省力化するため,ポット下方に層状施肥する14kg鉢内層状施肥区を設けた。16kg鉢内施肥区は複数年行って問題がないことが確認できたことで設けなかった。また前年度も行った,14kg鉢内施肥区と12kg鉢内施肥区を再び設けた。
収量調査結果を表10,表11に示した。14kg区,12kg区の1株あたりの個数,総収量は,沖積土および洪積土ともに,慣行区と差がなかった。また,洪積土では,14kg鉢内層状施肥区も慣行区並みの収量を確保することができた。


平成16年度,17年度の試験結果から,慣行の施肥量の3割~4割の削減が可能であると考えられた。また,14kg鉢内層状施肥区において慣行並みの収量が得られたことから,肥料と培土を混合する煩雑さを低減することができた。
以上の結果を基に,現地試験を実施した。現地試験は,定植時の植え穴にエコロング(リニア型140日タイプ)を15.1kg/10a施肥する植え穴施肥を行った。収量の調査は,農協への出荷データーを基に集計したため,取り遅れたものや庭先販売したものは含まれていない。また参考区は,試験圃場とは別の管理が異なる農家圃場である。栽培日数から考えてやや長めの140日タイプのものを用いたため,初期の生育が抑えられ,追肥を行う必要があったが,初期以降の生育は順調であり農家の反応も好意的であった。現地試験させていただいた農家では,今年度も植穴施肥を活用している。植え穴施肥は,植え穴に肥料を匙で量って入れるだけの単純作業であるため,経験のない者にもできる。そのため,雇用労力の活用が可能となり,規模拡大にも活用できる施肥方法であると考えられる。

トマト育苗鉢内に施肥する鉢内施肥により,本圃における,基肥・追肥施用が不要になる上,施肥窒素量の4割削減が可能となった。一連の取組みを通して,土耕栽培における局所施肥技術の重要性を改めて認識することができた。
肥効調節型肥料のみならず,常に新しい肥料が開発され,また改良されつつある今,それらに応じた施肥方法の提案が今後ますます必要となると考えている。
●三枝正彦 2004.
循環型農業と最大効率最少汚染農業.化学と生物.23~28
●小杉徹・中村仁美・若津秀幸 2007.
肥効調節型肥料を用いたトマト育苗鉢内全量施肥.土肥誌78.207-211
●成果情報 2006.
肥効調節型肥料のトマト鉢内層状施肥による施肥量削減と省力化.静岡農試土壌肥料に関する試験成績書.資料No2077.81-82
名古屋大学大学院生命農学研究科
浅川 晋 木村 眞人
農業環境技術研究所 小野 信一
前稿1)では,大分県九重町の千町無田における黒ボク土水田の開拓と朝日長者伝説について土壌肥料学的な考察が加えられた。すなわち,千町無田のような高冷地の黒ボク士水田におけるリン酸供給源として,白鳥を含む渡り鳥の糞の重要性が推察された。朝日長者伝説にある「弓矢の的にした鏡餅が白鳥になり飛び去った」とは,渡り鳥が多く飛来し糞によりリン酸を供給したため米がよく獲れる千町の美田が広がっていたが,食用として鳥を乱獲したため,渡り鳥の飛来が激減し水稲のリン酸欠乏が顕著になったことを意味していると考えられた。白鳥が飛び去ったとされる場所には白鳥を神と崇め祀られている白鳥神社がある。白鳥神社は大分県九重町の千町無田のほか全国に120社あり,旧国名別では一国当たり平均3社程度の分布であるが,三河と美濃だけは例外でそれぞれ30および13社ある2) 。中でも東三河の旧作手村(現愛知県新城市作手地区)には11社と集中し,全国で最も多い(写真1~3)。



本稿では前稿の追補として,作手における白鳥神社と水田稲作の関わりを千町無田における考察と比較しながら,渡り鳥の糞によるリン酸供給について,芦野が行った考察2)を中心に土壌肥料学的な話題を紹介したい。
作手は愛知県東部の東三河地方の山間部に位置し,旧村域の面積は117㎢で,その9割が森林であり,水田面積は約500haである。中央部(約7,000ha)は平均標高550m,周囲を600~700m級の山々に固まれた隆起準平原で,「作手高原」と呼ばれている。作手地区中央部と南東側に接する豊川流域の東三河平野に位置する新城市との間は,直線距離で、約12kmであるが標高差は500mあり,平均勾配は50%[パーミル](0.5/10)と衝立状の隔離地形を成している。この地形が特異な気象条件を作り,年平均気温は12.5℃,年間降水量は2,300mmで,特に夏季に低温多雨である。さらに,地表下2~6mに厚さ0.7~2.0mの粘土層が分布し,水の透過が妨げられる。このような条件のため,現在では平坦部は一面の水田地帯(写真4)であるが,かつては泥炭が堆積した湿原が広がっていた3)。現在点在して残る作手の湿原群は,地下水の涵養により植生が維持される低層湿原と,雨水のみによりミズゴケを主体とする植生が維持される高層湿原の性質を併せ持つ中間湿原であり,環境省により日本の重要湿地500の一つとして選定され,保全活動が行われている。

作手の地名の由来は二つ考えられている。一つは「津の久手」であり,湿地を意味する「久手(くて)」 地名の一種と考えられる。「久手」は「湫」の字を当てることも多く,「長久手」,「大久手」,「猪ノ湫」,「長湫」,「鳴湫」など愛知には広く分布する地名である。なお,千町無田の「無田(むた)」も湿地を意味する地名であり,「牟田」の字を当てることが一般的である。「大牟田」,「西牟田」,「八丁牟田」,「蘭牟田」,「草牟田」など九州には多い。もう一つは荘園時代の土地保有に関する権利の名称である「作手権」に由来を求める説である。この権利の内容は国や荘園領主に対して年貢を納入することを条件に認められた農民の耕作権や請作権であると考えられている4)。これには作手に伝わる米福長者伝説の関連が考えられ,5項で紹介したい。
これらの作手の湿原は弥生時代中期頃から徐々に水田化されたと考えられている3,4)。古代に開拓された水田は上に述べたように,高冷地,泥炭土壌の湿田であったため,低温・還元条件により水稲に対するリン酸の肥効が顕著であったと考えられる。湿原が最も大規模に開発され水田化されたのは昭和30年代後半から40年代前半にかけての土地基盤整備事業以降であり,愛知県農業試験場(当時)による開拓地地力保全対策調査成績書(昭和38年度)5)には,作手の泥炭湿地を開拓した水田土壌の分析データが報告されている。それによると,リン酸吸収係数が2,000程度,有効態リン酸がほとんどないとされており,リン酸欠乏土壌であることが明白であり,古代の開拓水田も同様であったことが容易に想像できる。千町無田が黒ボク土地帯,作手が泥炭土壌という違いはあるものの高冷地の湿田であり,リン酸欠乏が問題となる点は共通である。
このような条件下では,鳥の糞に多く含まれるリン酸が水稲に対し顕著な肥効を示すと考えられる。開拓された水田や湿地には白鳥など(ハクチョウに限らず白色の鳥を意味していると考えられる6))の多くの渡り鳥が飛来し糞を残した。そのような,白鳥が多く飛来した水田で米の収穫が多かったため,人々が白鳥に感謝し,神と崇めて豊作の永続を祈念したのが白鳥神社の始まりと考えられている2)The following is a list of the most common problems with the "C" in the "C" column.
作手に鎮座する11社の白鳥神社はいずれも河川により造られた小規模な平野部の周縁の微高地に位置しており,神社周辺は古代の水田開拓に適した地形であったと考えられる。白鳥の飛来に由来する様々な地名(作手にある「白鳥」もその一つである)が作手を含む中部日本で南北を結ぶ直線上に位置していることから,それらの地にはかつて白鳥が多く飛来したと推定されている6)(旧作手村の歴史民俗資料館の展示パネルに詳しく示されている)。これらのことから,作手に点在する白鳥神社の周辺には白鳥を含む渡り鳥が多く飛来し,その糞に含まれるリン酸の肥効により米の収穫の豊かな水田が広がっていたという想像も成り立つであろう。
このような仮説に基づいて,作手の清岳市場地区にある村社白鳥神社(写真3)の近傍の水田を対象に,作土下の泥炭層のリン酸について興味深い調査と考察が行われているので,次項に紹介したい。
村社白鳥神社のすぐ脇には,豊川と矢作川の源流部がつながった平地の中の分水点7,8)(写真5)があり,平坦な地形が広がる作手の中心部である。ここは,かつて東海地方最大の湿原であった大野原湿原の中心地であった。

大野原湿原は1963~67年の水田開発で消滅したが,最深部で4mもの泥炭が堆積しており,その調査研究のため大野原湿原研究会が1985年に組織され,1995年までの間に6回の研究発表会と4編の報告集により様々な研究成果が報告された。その中で,安島らは村社白鳥神社近傍の水田で深さ380cmまでコアーにより採取された泥炭層中のリン酸含量を層位別に測定し,北海道の泥炭の平均値よりも含量が高いことを明らかにしている9)。さらに,渡辺は泥炭層の化学成分の含有量分布を調査し,村社白鳥神社を中心として同心円上にアルミニウムとリン酸が減少することを明らかにし,白鳥神社周辺に鳥の群生地があったことの例証ではないかと考察している10)。これらの事実から白鳥神社周辺に渡り鳥が多く飛来したと直ちに結論づけることはできないが,千町無田で行われた考察にさらに科学的な解析が加わり,古代への夢が広がる実に興味深い結果ではないだろうか。
作手にも米福長者という長者伝説がある。米福長者は三河国の三大長者の一人で,現在の長者平地区(写真4の付近)に大きな屋敷を構え,下人や周辺の農民を使って作手の湿原を開拓して,千町無田の朝日長者伝説と同様に美田を造り上げ,米作りを行ったとされている。米福長者は農業技術者であっただけでなく,2項に述べた「作手権」を利用して下人や周辺の農民に公田や自分の水田を請作させ,さらには屋敷内で鍛冶・酒の醸造を行い,酒・農産物や馬を売る市を作った優れた経営者であったとされる4)。出土品が確認されている屋敷跡といわれている場所があるとともに,長者平の近くには市場という地名(写真3の付近)があり,伝説との関わりが考えられている。なお,米福長者は次第に衰えたのであるが,朝日長者とは異なり没落の原因は不明であり,武士に貸した大金が返ってこなかったなどの説があるのみで,白鳥や餅との関係は明らかではない。しかし,ともに高冷地の湿原に美田を開いており,リン酸欠乏を克服し豊かな米の収穫を得ていたことを伺わせる内容を含む点は,両伝説に共通であり,興味深い。
海鳥の糞に由来するグアノはリン酸肥料の原料として重要なリン鉱石の一つであり,現在も人間は農業生産で烏からリン酸供給の大きな恩恵を受けているといえよう。古代に白鳥を神と崇め祀った人々は本稿で述べたようなメカニズムは分からずとも,米の収穫を通じて人間の生命を守り支える白鳥に深い感謝と畏敬の念を持っていたであろう。前稿と本稿で紹介した白鳥神社にまつわる話は,文明とテクノロジーが高度に発達し,人間もまた地球上の生態系を構成する生物の一員でしかなく,他の様々な生物に支えられて生きていること,すなわち謙虚さと感謝の念を忘れかけている現代人への古代からの警告として筆者はあらためて捉え直したのであるが,いかがであろうか。
名古屋大学大学院生命農学研究科渡辺彰准教授および愛知県農業総合試験場環境基盤研究部瀧勝俊主任研究員は貴重な資料をご提供下さいました。記して両氏に感謝申し上げます。
1)小野信一:千町無田(大分県九重町)の黒ボク土水田開拓史に思う,
農業と科学,585,12-14.2007
2)芦野泉:作手白鳥神社と初期農耕,
東アジアの古代文化,47,121-131,1986
3)権田昭一郎:作手村における湿原の概要とその変遷,
大野原湿原研究会報告集Ⅱ,9-19,1991
4)矢頭一起:湿原に学ぶ,大野原湿原研究会報告集Ⅳ,ⅱ,1995
5)愛知県農業試験場:昭和38年度開拓地地力保全対策調査成績書,1964
6)芦野泉:白鳥の古代史,新人物往来社,東京,1994
7)籠瀬良明:生き別れにも似た二つの巴川 作手高原,
堀淳一・山口恵一郎・籠瀬良明編「地図の風景 愛知・岐阜」,pp.42-47,そしえて,東京,1981
8)堀淳一:頭のつながった双子の川-矢作川と豊川の水中分水界-(愛知県南設楽郡作手村),
誰でも行ける意外な水源・不思議な分水ドラマを秘めた川たち,pp.197-201,東京書籍,東京,1996
9)安島馨・新井重光・鍬塚昭三:泥炭層のリン酸分布,
大野原湿原研究会報告集Ⅰ,40-41,1989
10)渡辺栄次:湿原における物質の流入と流出,
大野原湿原研究会報告集Ⅳ,65-75,1995