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§「米作日本一」における施肥 -2-
ホクレン農業協同組合連合会(JAグループ)
管理本部 役員室
農学博士 関矢 信一郎
§加賀能登の特産・伝統野菜(3)
石川県農業情報センター
主任農業専門技術員
今井 周一
§岩手県の野菜
-果菜類を中心として-
岩手県経済連
技術参与 高橋 慶一
§2001年本誌既刊総目次
ホクレン農業協同組合連合会(JAグループ)
管理本部 役員室
農学博士 関矢 信一郎
米作日本一表彰事業は,昭和24年から20年間続いた。この時期,我国の農業研究は水稲の多収穫について多くの成果を得た。施肥法においても,種々な方式が開発されたことは既に述べた通りである。全体の流れとしては,地力依存から施肥,基肥重点から分施重点へ,と見ることができよう。米作日本ーにおいても同様である。
以下,この具体的な事例を紹介する。表1に昭和29年,丹 民蔵氏,35年,工藤雄一氏,41年,渡辺重博氏(いずれも秋田県)の施肥法を掲げた。

工藤氏は県北の大館盆地,他の二氏は県南の横手盆地にあり,工藤氏は火山灰の影響を受けた土壌であるが,他の二氏は河川沖積土,丹氏は下層に黒泥層を挟んでいる。丹氏については後述するが,先代から地力培養がなされていた。
当年の10a当りの堆肥は丹,渡辺両氏はそれぞれ1.5t,1.2tであるが,工藤氏は2.25tと多い。堆肥の窒素含量を0.5%とすれば,それぞれ7.5,6.0,11.3kg/10 aとなって工藤氏が著しく多くなる。化学肥料では燐酸,加里は大差ないとみてよいが,窒素は丹氏8.6,工藤氏10.7,渡辺氏17.5kg/10a,前二氏は基肥のみ,渡辺氏は基肥が5.0kg/10aで残り12.3kg/10aはほぼ10日おき,8回の追肥となっている。
基肥の施肥法を比較すると,丹氏はまず21cm耕起し乾燥させた後,施肥・耕起を深さを変えて繰り返し,三段施肥の状態にしている。工藤氏は堆肥・珪カル施用後16cm耕起,次いで化学肥料のほぼ半量と施肥,23cm深の馬耕,乾燥後潅水,残りを施肥,テーラーの代かきを行なっている。その結果,全層と表層施肥となっている。これらに対し,渡辺氏は,堆肥・肥料の散布後17cmをロータリーで耕起し全層施肥としている。
この様に三氏は三段,二段,全層と異なる施肥法を行なっており,年次と共に耕深は浅く,耕起回数は少なくなって簡便化の方向が明らかである。
土壌中の化学肥料由来窒素濃度はそれぞれ,4.3,4.6,3.3mg/100gとなる。
この様に丹・工藤両氏の場合は根の伸長と共に窒素が供給され,また地温の上昇と共に土壌又は堆肥から無機化供給される窒素が長期間継続する。これに対し渡辺氏の圃場では早期に窒素が消失し不足分を追肥で供給することになる。しかも一度に多量の施用は過繁茂を招くとのおそれから少量ずつ8回に分けて施用している。
この三者は,当時の施肥の傾向を明瞭に示しており興味深いが,渡辺氏の様な多数回施肥については当時評価が分かれ,地力培養重視の意見も強かった。
ただ,渡辺氏の追肥は単肥が多い。これは当時化成肥料が普及している中で,生育時期に合せた単肥を使用している点は注目すべきである。渡辺氏の受賞時は経済の高度成長期で,稲作においても効率が求められた。トラクター導入による下層の圧密と浅耕化による根城の縮少,透水性の低下,堆肥施用・客土など耕土培養資材投与の減少,化学肥料多用など現在に続く傾向が明らかになった時代に当る。
表2に三氏の受賞年の水稲三要素吸収量を掲げた。燐酸,加里及び珪酸の吸収量はほぼ同量であるが,窒素は差が大きい。ほぼ施用量の順と一致するが,窒素の玄米生産能率は逆になっている。特に丹氏の75は著しく高く,地力依存型の特徴とされた。これに対し渡辺氏は49にすぎず,追肥,特に実肥によるものと推定される。

この様な地力依存-基肥重点型と追肥重点型の生産能率の差は,当時から注目され,施肥法の評価に用いられた。
米作日本一受賞の後も出品を続け,入賞する農家もあるが,多くは出品もしていない。昭和29年,技術賞を得た丹氏の圃場については30年から東北農試が断続的に調査している。以下,この調査によって丹氏圃場の水稲作のその後を紹介する。
丹氏の稲作の特徴は後述する様な徹底した地力培養によるもので,地力依存型の典型として高く評価されていた。30年代もしばらくは900kg水準を保っていたが,東北農試の調査によると昭和36年で750kg,40年で700kg水準となった。
一方,秋田県平鹿郡の収量水準は昭和30年で433kg/10a,40年で488kg/10aで,丹氏との差は450kgから200kgとなっている。
丹氏の圃場は秋田県横手盆地のほぼ中央部にあり,雄物川水系の皆瀬川の南北に長い河岸段丘の低位面にある。当時東北地方で輩出した多収穫水田もこの様な地形面の上にあった。
丹氏はこの圃場に明治末期から昭和初期迄のほぼ30年間,流水客土により毎年5mm程度の山土を客入し,その後灌漑水路の泥砂を毎年2t/10a程投入している。一方,大正年間から5間間隔に暗渠を設けていて,昭和27年には泥砂を45t/10a入れ,30cmの天地返しを行なっている。従って,作土及びその直下層は客入された土壌による造成土とみることが出来る。
土性は0~55cmはLiC,その下はHCであったが,班鉄に富み構造も発達していて透水性は良と推定された。作土部分の全炭素は3.5%,C/N比は13で肥沃度は高い土壌であることを示していた。
昭和29,30年頃の多収穫はこの土壌の土に成立していたのである。
その後間もなく泥砂の客入はできなくなり,昭和38年から3年間,毎年7.5t/10aの山土が入れられた。
昭和42年に行なった土壌調査によれば,30年に30cmあった作土は二層に分かれており,土性は粗くなって田面が9cmほど高くなっていた。根の伸長は明らかに浅くなっており,減水深は2~3cmから3~4cmと多くなっていた。
理科学性の変化を見ると,
①粘土含量は30年では25%以上あったが,20%程度となった。これは粗粒質の客土によるものであろう。
②全炭素は3.5%から2.7%となり,肥沃度は低下したものと推定される。これも客土と泥砂投入の中止,分解の促進によるものであろう。堆肥施用量も1.5tから1tとなっている。
③粘土及び有機物の減少により塩基置換容量は低下している。
水稲の多収穫は立地条件とそれに適応した栽培法を両輪として成り立っている。
昭和30年と41年の栽培法を表3に示した。

先ず苗代様式であるが,水苗代から保護折吏苗代となっている。これによって健苗育成が容易になるが,初期生育が旺盛になり過繁茂となることがある。
次に耕起と基肥施用についてみると,30年ではすべて馬耕によっていて,18cmの荒起し後2週間程土壌を乾燥させて10a当り堆肥1.5tを散布,15cm再耕,1週おいて肥料施用後三耕,15日後に小割して混合,潅水・代かき,化成肥料施用後再び代かきをしている。つまり3回の耕起と2回の代かきにより18cmの作土層の下部から堆肥-有機質肥料-化成肥料の三段施用を行なっている。作土の最下層には大きな土塊が残り,最上部では丁寧な代かきがなされているにも拘らず,適切な透水性が保たれる工夫がなされている。施肥量の合計は有機質を入れるとN-P2O5-K2Oで8.4-13.6-11.2kg/10aとなる。
一方,41年では耕転機が導入されていて,耕起-施肥-代かきは著しく簡便化されている。すなわち,5月に入ってから12cmの耕起,10日後に堆肥・熔燐・珪カルを施用して再耕,NK化成を施用して代かきをしている。施用量は8.4-11.9-11.2kg/10aで30年とほぼ同量である。NK化成は表層施用である。
この両年の差は大きい。まず耕起から入水迄30年では35日,41年では15日,当然乾燥の程度は異なり,乾土効果として発現する無機態窒素量に差が生じる。また,耕深は18cmと12cm,6cmの差は大きく,肥料の分布も一方は生育に合せた全層,他は表層のみとなる。これは窒素の供給パターンに差が生じ,特に生育後期の供給量が異なってくる。
この外の栽培法では移植期がやや早くなり粗植になったことと,出穂後の落水が早くなったことが目立つ。水管理その他には大差ない様である。
昭和30年の収量900kg/10a水準と41年の700kg/10aの水準の差は土づくりと施肥法の差によるものと推定される。しかし,この41年の施肥法は当時の標準的なものであり,平鹿郡平均500kgとの差はそれまでの土づくりの蓄積と適切な水管理によると見るべきであろう。
昭和42年迄の調査で収量水準が30年に比べ200kg/10aも低下したのは土壌の窒素供給能の低下,浅耕化,それに伴なう施肥法の変化により,生育中後期の窒素供給量が低下したことによると推定された。収量構成要素でみると一株穂数の低下から㎡あたりの籾数が4万台から3万台になって,これがそのまま収量差になっている(表4)。

そこで900kg/10a水準への回復を目指し昭和43年,表3の栽培計画を立てた。従来の様な地力培養は単年では困難であり,また今後も実行不可能として追肥を行なうこととした。
しかし,トラクターによる深耕,土壌の乾燥,施肥法の改善は当時では可能として取り入れた。すなわち,堆肥,熔燐,珪カルを耕起前に散布し,18cm迄プラウ耕を行なった。化成肥料を施用後再耕,過石・NK化成施用後代かきと30年に近づけた。一方,最高分けつ期と穂揃い10日前に1.5kg/10aの化成肥料を追肥として施用した。
この結果表4も示す様に900kg水準に近い収量を得た。収量構成要素は昭和29年に近づいたが,千粒重が20g台にとどまり900kg/10aに及ばなかった。
窒素の吸収パターンは全体に多めではあるが,30年に近く,41年の前期に多く後期に少ないパターンとは異なっている(図)。

窒素の玄米生産能率は54.7で昭和29年の74.5に比べ著しく低く,追肥重点の渡辺氏に近い。
この様に土壌の窒素供給能が推定できれば,比較的単純な栽培法の改良によってかなりの高収穫が可能であることが立証できた。これはこの時期に盛んとなった後期追肥方式と通じ,更に後の窒素吸収パターンに合せた追肥法となっていく。
石川県農業情報センター
主任農業専門技術員
今井 周一
この時代も県外から人々の往来によって齎された野菜が多い。新しいものとしてトマト,キャベツなどの西洋野菜は,明治7~18年に至る間,日本政府によって外国から種子を輸入し,栽培が奨励された。これらの野菜が明治,大正まで県下に広く栽培が普及した陰には,全国屈指の歴史ある県立松任農業高校(現県立翠星高校),明治10年に金沢に設置された農事講習所ゆかりの人たちの活躍がある。また,明治35年に開設された石川県農事前験場の地道な研究活動の成果がある。
江戸時代は,田んぼに水を溜めておく田井にセリが自生もしくは栽培されていた。明治に入ってから弓取郷の上安江・下安江の水田に栽培され,その後,諸江の柿本庄左右衛門が安江より諸江の方が水質がよく,こんこんと湧き出る豊富な水量に気づきセリを栽培したのが始まりと云われている。


諸江のセリは明治初期から栽培されており,諸江自慢の特産品で,昭和に入ってからさらに生産が伸びた。昭和30~50年頃が盛んで県内生産量の100%を占めるだけでなく,県外各地へも広く販売された。諸江地区にセリが良くできたのは,付近の浅野川の伏流水により清潔なかんがい水(湧き水)がセリの栽培に適していたからである。昭和40年頃から湧き水の量が減り,深い井戸を掘って電気で水をくみ上げて栽培している。
産地と収穫期:金沢市諸江地区/11月~3月下旬
旬:秋冬
農業恐慌を乗り切るために明治21年ごろ山島村(現松任市山島)の米田喜助氏が淡路島より持ち帰った種子を同村の松田藤兵衛氏が栽培したのが始まりであるといわれている。

4たびの試作から水田裏作の作物として定着したのは,明治42,3年ごろ金田喜太郎氏を中心とした青年達によってであると伝えられている。「ふるさと 里のいぶき」(平成5年7月)に農業恐慌による不景気から抜けだすために,山島村では山島青年産業更生組合を組織し,タマネギの共同栽培と共同販売,肥料共同購入などを行っている。昭和7年におけるこの地域の作付面積は5.4ha(能美,石川,羽昨,鹿島郡が大きく,県下で41ha,石川県統計書)であると書かれている。
このように水稲単作経営の中に裏作として定着したものの,昭和12年の日中戦争,16年の太平洋戦争勃発によってタマネギ栽培の中心であった青年達が戦場にかり出されたことから完全に栽培が途絶えることになった。戦後,タマネギ栽培は復活したものの,自給野菜的性格が強い。現在,松任市山島地区では苗の生産販売が行われているが,販売用として栽培されているのは河北潟干拓地だけである。
産地と収穫期:河北潟干拓地/6月上旬~下旬
旬:初夏
ナスは中国より直接に,あるいは朝鮮半島を経由して日本に齎されたが,それが全国各地に土着して,それぞれの地方の環境や好みによって,独特の地方種を生み出している。特に丸ナスは,北支,朝鮮を経て北陸に伝わったとされている。ヘタ紫ナス(丸ナス)の来歴は不明であるが,明治22年頃,市内の近郊野菜産地(有松,泉地方)に栽培されていた「小木」と呼ばれる系統から見い出されたものと伝えられている。

明治22年頃から栽培され現在も作られている。昭和の初期に現在の産地,金城地区(野田台地),崎浦地区(小立野台地),米丸地区,三馬地区で栽培されるようになった。このヘタ紫ナスは,一名小立野ナス(小立野台地),大桑ナス(野田台地)ともいわれ,最近では丸ナスの名称で広く市民に親しまれている。
「ヘタ紫ナス」は短卵形の小ナスである。その名のとおりヘタの下まで紫色になり,そのうえ色やつやがよく,日持ちがよい。皮が薄くて,果肉が柔らかく甘みがあるのが特徴である。
草型は横繁性で,分枝はやや多く多収性であるが,干ばつに弱い傾向がある。現在では,「加賀へた紫」で市販されている。
産地と収穫期:金沢市崎浦地区/6月上旬~10月下旬
旬:初夏~初秋
皮が薄くて,果肉が柔らかく甘みがあるので宿潰(ぬか漬けのことで7月~9月頃まで漬ける)などの漬物として,また煮くずれしにくいので煮物用として重宝がられている。
金沢の郷土料理として,なすのオランダ煮,なすの素麺かけの煮物は,蔕紫ナスがあってこそ生まれた料理である。他になすと素麺のおつゆ,つる豆となすの煮物,なすの芥子漬けなどがある。
トマトは,古く(江戸時代)から唐なすびや珊瑚茄(さんごなすび)などと呼ばれ,明治の初めには蕃柿(あかなす)や蕃茄(あかなす)と呼ばれた。その後,蕃茄(とまと),昭和に入ってから蕃茄(トマトー,トマト)と呼ばれ,現在ではトマトが一般的な呼び名となっている。
日本にはいつ頃から導入されたかはわかっていないが,本格的に導入されたのは明治に入ってからだとされている。石川県では,石川県農事試験場(明治35年設立)が設立当初からトマトの品種比較試験の実施や全国屈指の歴史を持つ松任農業高校(明治9年創立,現翠星高校)の卒業生が明治39年に七尾市で栽培したとの伝え話があることから,本県での栽培は明治後半からであろう。

大正3年の石川県統計書に蕃茄(1.9ha)の記録があることから,大正時代がトマト栽培の走りであると思われる。本格的に栽培されたのは昭和6年からである。戦後,需要の増加とともに金沢市(米丸,三馬,金城地区),石川郡(松任市,野々市町)を中心に県下に広く栽培が伸びてきた。栽培も露地栽培から施設栽培(昭和37~38年)に変わっている。施設も当初の竹幌式ビニールハウス・ファイロンハウスから現在のパイプハウス・ガラス温室に変わっている。
産地と収穫期:
半促成栽培
加賀市,小松市,松任市,野々市町,河北潟干拓地,珠洲市,内浦町/5月中旬~7月下旬
雨よけ夏秋栽培
吉野谷村,河北潟干拓地/7月中旬~9月下旬
抑制栽培
小松市,松任市,金沢市,河北潟干拓地/8月下旬~11月下旬
旬:夏
「石川県園芸要鑑」(大正5年)に明治7年から18年に至る間,政府は外国からキャベツなどの西洋野菜の種苗を輸入し,各県にそれを頒布して奨励した。県内でも同11年,12年頃から試みられたが「市人の風味になれずして,需要少なき」とそのころの記録が書かれている。しかし,明治38年の日露戦争がきっかけとなって急激に栽培面積が増えた。

明治38年,短期間だったが,6千人を超すロシア人捕虜が金沢にやってきて,各所に分散収容され,食事にキャベツが大いに使われた。これがきっかけとなって,明治末から大正にかけて,金沢キャベツがロシア(ウラジオストク)に輸出されたという記録がある。当時のキャベツ栽培地である金沢市泉が丘,三馬,米丸,金城,崎浦地区が主産地であった。
その後,各地にキャベツ栽培が普及し,富来町(昭和45年~),河北潟干拓地(昭和56年~),内浦町(昭和20年~),松任市(昭和30年~)などでキャベツ産地が出来ている。
産地と収穫期:
春どり:松任市,金沢市,河北潟干拓地/5月~6月
初夏どり:松任市,金沢市,河北潟干拓地/6月~7月
夏秋どり:松任市,河北潟干拓地/
秋冬どり:松任市,金沢市,河北潟干拓地,内浦町/10~12月
旬:春・秋冬
岩手県経済連
技術参与 高橋 慶一
東西122km,南北189km,その面積153万haは,北海道に次ぐとか,四国4県に匹敵するとか云われるが,耕地面積は約11%にしか過ぎない。
気象条件も変化に富み,2mを越す豪雪地帯もあれば,三陸海岸の宮城県境の地では,「びわ」や「ゆず」も露地で結実するなど,北関東から南北海道並の気象条件である。しかし,概して云えば寒冷の地であり,野菜で云えば露地の耕作期間は7~8か月である。
野菜の生産は夏秋期が主体で,夏季冷涼の立地を活かした生産にその特徴があり(図1),その大半を出荷している京浜市場の7~9月期におけるシェアの高いものが多い(表1)。


野菜の栽培面積は,他県と同様に年々減少し(図2),現在11,500ha(平成12年)で,品目別に見ても減少率の高いもの,低いものがあるが,ほぼ同様の傾向である。このような中にあって,キャベツは県および経済連の強力な生産振興対策の推進もあって増加の傾向にあり,輸入野菜で問題となっているねぎも増加している。

栽培面積の多いものは,ほうれんそう,だいこん,キャベツ,スイートコーン,レタス等,出荷量の多いものは,キャベツ,だいこん,きゅうり,トマト,レタスである。
一方系統の販売状況は,出荷量はここ数年85,000t以上で経過しているが,経済不況による需要の低下と輸入野菜等の影響もあって,単価が伸びず,販売額は減少の傾向を続けている(図3)。

このような現状をふまえ,野菜生産の維持・拡大にむけて,県および経済連は,県が策定した「いわて純情野菜振興指針」に基づいて
①市場競争力と信頼性の向上による産地力の強化
②環境に配慮した持続的農業の推進と安全,安心な野菜の供給
③地域特性を生かした他品目産地の確立と野菜主業型農家の育成
④いわて純情ブランドによる販売促進
を基本目標として諸施策をすすめている。
ところで,本県から系統出荷される農畜産物には,「純情」のブランド名が付けられているが,産地間競争に打ち勝つインパクトの強い販売戦略が必要と昭和62年に「いわて純情野菜」として販売したのがきっかけである。後にこのブランド名は「純情産地いわて」産として,農畜産物販売戦略に大きな効果を発揮している。
県ではブランド名ばかりでなく,いわて農業の純情度として
(1)産地のバックグランドとして,本県の農畜産物が全国に比較して,きれいな水と大気,自然豊かな大地で生産されていることを数値で示し,
(2)環境に優しい生産技術等の導入の現状と今後の目標について示した(表2)。

表のうち環境にやさしい施肥技術とは,ロングLP等の肥効調節型肥料,有機質肥料,側条施肥(水稲)等を示している。
さて,本県ではきゅうり,トマト,ピーマン,キャベツ,ほうれんそう,レタス,ねぎ,えだまめ,スイートコーン,だいこんの10品目を重点品目として推進している。
本県は冷涼地であり,ほうれんそう,レタス,キャベツの産地としても知られているが,経済連の取扱い額からいうと,果菜類の販売額が葉菜類を上回っている。
総販売額に対する果菜買類の販売額の割合は年による多少の変動があるが,50%を越え,中でもきゅうりの販売額が大きい。葉菜類は40%前後である。果菜類の主要な品目は,きゅうり,トマト,ピーマンである。県南部になすの産地があるが,販売額は2億円程度と少ない。
生産地は,盛岡市やその周辺の県中央部や県南部に多いが,きゅうり,ピーマンでは,県北部にもまとまった産地がある。
本県のきゅうりの県外出荷が始まったのは,昭和42年頃からである。
この時期は,従来からの節成性の黒いぼきゅうりから現在の白いぼきゅうりに代わった時期で,パイプ支柱によるネット栽培が始まった時期である。
栽培面積の推移は図4の通りであるが,昭和50年の867haを最高に多少の変動はあるが,年々減少の一途をたどり,現在は434haと最高年の1/2まで減少している。

一方出荷量は,経済連扱い分で15,000t(平成12年)であるが(図5),経済連が系統出荷分の面積を独自に調査している結果から,10a当りの出荷量を算出してみると年々向上している。このことから面積減による出荷量の減少はみられるものの,10a当り収量の向上によって,ある程度の出荷量の減少を補っていて,面積減ほどの出荷量減にはなっていない。

単収向上は,品種の開発や栽培技術水準の向上によるところが大きいが,きゅうり栽培農家の減少が続くなかで,多収をあげている優秀な農家が栽培を続けていることも一因と考えられる。
きゅうりは,経済連の野菜販売額の中で常にトップの座を占めている(平成10年のみほうれんそう)重要品目であるが,栽培面積の拡大は極めて困難な状況にあり,逆に果菜類の中でも最も減少率が高い。
経済連でも育苗センターを設置し,苗の供給を行ない,ある程度以上の規模拡大農家への補助制度,県とともにヘルパー制度の実施への補助など諸対策を行なっている。
栽培は図6のような作型で行なわれているが,最も多いのは露地普通栽培(通称夏秋きゅうり栽培)である。しかし,ブルームレス台木の導入が始まってから,夏秋とはいいながら8月一杯で終り,夏きゅうりになっている例が多くなっている。

品種については,露地普通栽培では「南極1号」,「パイロット2号」が主力であるが,最近はうどんこ病,べと病の抵抗性の品種「夏ばやし」等の省費,省力型の品種の栽培が多くなってきている。
最近は自家育苗を行う農家が少なくなり,農協や経済連育苗センターからの供給量が多くなってきている。経済連育苗センターの平成12年の苗供給量は約16万本,いち早くロボット接木機を導入し,セル苗で供給している。
施肥量は,夏秋どり栽培で10a当り窒素,カリが40kg,リン酸30kgが県の基準(目標収量8t)である。基肥一発型肥料(最近は環境にやさしい肥料)として,ロング野菜1号(ロング100日タイプ80%,速効性肥料20%※,BB肥料)が多く使われているが,100日タイプから140日タイプに変える動きもある。多収農家では栽培中期から後期には追肥が行われ,液肥注入機による追肥の動きもある。最近の傾向としてぼかし肥料,なたね粕,米ぬか等の有機質肥料の施用が多くなってきている。
※N成分
出荷は7~9月の夏秋期が主体で,全出荷量の約90%がこの時期に集中しており,特に8月は40%強の出荷で,市場からは常に長期の平準化出荷を要望されている。
栽培上の問題点としては,夏秋栽培での後半までの草勢維持対策及び近年増加傾向にあるウイルス病以外の急性萎凋症の原因究明が急がれている。
本県のピーマン栽培は歴史が浅く,販売用として栽培されるようになったのは,昭和45年頃からである。栽培面積が100haを越えたのは昭和53年。
その後昭和55~57年と続いた冷害を契機に,全県的にパイプハウスの導入がはかられ,栽培面積が増加し続けた。特に県南の胆沢町が大型の選果,包装施設を設置し,モデル産地のようになったことも各地にピーマン産地ができる契機となった。
平成元年には286haになり,その後増減を繰返し,平成5年の冷害を機に再び増加した。しかし,平成7年の289haを最高に,他の果菜類と同様に減少が続いているが,減少の程度は小さい。
この原因は,きゅうり,トマトに比較して栽培が容易で,収穫に労力を要するが軽量で,選別や包装機が整備されている所では,収穫後の省力化がはかられることから,ある程度栽培面積の減少に歯止めがかかっているためと思われる。
本県のピーマンが,夏秋生産が主体であるが,7~9月に限ってみると,京浜市場への出荷が茨城県に次いで2位の位置にあり,その占有率は30%前後である。昨年はこれまでにない安値で,系統販売額は20億円を下回ったが,ここ数年20億円以上の販売額である(図7)。

作型は図8の通りであるが,露地栽培が多く,ハウス栽培は35%程度,トンネル栽培はごく一部であるがやや増加の傾向にある。

本県は前述のように冷涼の気象条件にあり,秋期の気温低下が早く,栽培期間が制約され,特に露地栽培では気象変動による低収や品質低下がしばしば発生することから,ハウス,トンネル栽培の推進をはかり,作期の前進化をすすめている。
品種は「京ゆたか」が主体であるが,一部に春秋の低温期に発生する黒変果の少ない「京ゆたか7」が栽培されている。
ロング肥料が,本県で最も早く導入されたのは,ピーマンの露地栽培である。当時はBB肥料でも取扱いがなかったので,ロング肥料と燐硝安加里1号の組合わせで施用された。
現在は,ハウス栽培でBB肥料のロング180日タイプ80%+速効性肥料20%※の配合で, 「ロング野菜肥料3号」を,露地栽培では140日タイプの「ロング野菜2号」が多く施用されている。
※N成分
栽培上の問題点としては,2~3年前からミカンキイロアザミウマの侵入が始まっており,またここ数年来TMV-Pの発生が多くなっている。
TMV-Pの抵抗性品種も開発されているようだが,本県では未だ実用化されておらず,土壌消毒剤の臭化メチル使用の全面禁止が間近いことからその耐策が急務である。
果菜類では,きゅうり,ピーマンに次ぐ主要品目で,販売額も系統販売の中では3~4位を占めている。
栽培面積は,昭和46年の481ha を最高に減少を続け,その中で増減をしながら,平成に入って4年の306haまで回復し,その後また減少を続け,昨年の面積は264haである(図9)。

出荷量は12,000t台,経済連扱いの販売額は17~18億円である。
作型はかつては露地栽培が主体であったが,平成3年頃からはほとんどパイプハウス栽培に切替えられている(図10)。この作型を雨よけ栽培としているが,屋根ビニールだけの本来の雨よけ栽培ではなく,パイプハウスを利用した無加温栽培である。

雨よけ栽培にはこのほかに,簡易雨よけ栽培と称して,幅1.2mの畦に,きゅうり支柱の幅を狭めたような高さ1.8m前後のパイプ支柱に,屋根部分だけを被覆した作型も一部にある。作期が遅いだけに7月中旬以降の収穫になり,雨よけ栽培後半の品質低下を補う形となる特徴があるが,気象条件に左右される不安定な面がある。
品種は,早い作型でハウス桃太郎,雨よけ栽培では桃太郎8が主体である。
育苗は,大半が農協育苗であるが,古い産地では連作で土壌病害が多発の傾向にあり,本会育苗センターから接木のセル苗で供給する量も年々増加している。
肥料は,ロング野菜2号(半促成栽培),ロング野菜3号(雨よけ栽培)施用例が多い。しかし,トマトの追肥で最も重要な時期とされる3段花房開花時だけは,ロング肥料を施用していても追肥を行なった方が良いようである。
最近「点滴潅水栽培(養液土耕栽培)」も行われはじめているが,その効果はかん水自動化による省力化は好評であるが,増収,品質向上といった面での評価は高くない。
栽培上の問題としては,連作障害である土壌病害,特に青枯病が多発の傾向にあり,菌密度の高い所では,抵抗性台木による軽減にも限界があることから,総合的な対策が必要と思われる。
ミニトマトも出荷量約1000t,販売額は5億円程度であるが,京浜市場における7~9月の占有率も20%を越え,福島県に次いで2位の地位を占めている。
<1月号>
§21世紀元年「知恵と工夫を」
チッソ旭肥料株式会社
副社長 柴田 勝
§歴史の中の肥料-グアノ物語4
京郁大学名誉教授
高橋 英一
§施設軟弱野菜の持続的安定生産のために
富山県農業技術センター
野菜花き試験場 野菜課
課長 松本 美枝子
§温州ミカンの葉面散布による窒素吸収
静岡県柑橘試験場 西遠分場
主任研究員 吉川 公規
<2月号>
§ネギの窒素全量基肥施用技術
富山県農業技術センタ一
野菜花き試験場 野菜課
主任研究員 西畑 秀次
§歴史の中の肥料-グアノ物語5
京都大学名誉教授
高橋 英一
§環境にやさしい農業の推進をめざした水稲苗箱全量施肥の現地適用
鳥取県経営指導課専門技術員室
農業専門技術員 宮田 邦夫
§棚田保全と人づくり
ノンフィクション作家
遠藤 和子
<3月号>
§被覆資材と緩効性肥料を利用した幼茶樹の省力栽培法
埼玉県農林総合研究センター特産支所
主任研究員 石川 巌
§「地力指数」のすすめ
=水稲の生育状況で地力窒素の発現量を知る=
富山県環境科学センタ一 生活環境課
副主幹研究員 岡山 清司
(前 富山県農業技術センター農業試験場 土壌肥料課)
§地力窒素を考慮した水稲コシヒカリの施肥診断法
静岡県西部農林事務所 湖西引佐分室
主任 神谷 径明
<4月号>
§被覆肥料を育苗培養土に混合したセル成型苗利用によるキャベツ栽培(前編)
千葉県農業試験場 北総営農技術指導所
東総野菜研究室
上席研究員 福地 信彦
§肥効調節型肥料を利用したセルリー施肥事例
静岡県西部農業改良普及センター
技術支援課
副主任 山来 実木夫
§肥料の形態を活用した砂栽培トマトの尻腐れ果発生聡戚対策
静岡県農業試験場 土壌肥料部
部長 金田 雄二
<5月号>
§被覆肥料を育苗培養土に混合したセル成型苗利用によるキャベツ栽培(後編)
千葉県農業試験場 北総営農技術指導所
東総野菜研究室
(現在 千葉県農業総合慨センタ一 野菜研究室)
上席研究員 福地 信彦
§我国の稲作施肥の変遷(1)
-江戸時代~明治初期-
ホクレン農業協同組合連合会(JAグループ)
管理本部 役員室
農学博士 関矢 信一郎
§玄米中の無機元素濃度-カドミウムーを定量分析するには
独立行政法人 農業技術研究機構
中央農業総合研究センター
北陸水田利用部 土壌管理研究室
主任研究官 中島 秀治
<6月号>
§技術相談問答のよもやま話(1)
独立行政法人 農業技術研究機構
野菜茶業研究所 研究技術情報官
農学博士 中島 武彦
§我国の稲作施肥の変遷(2)
-明治中期-
ホクレン農業協同組合連合会(JAグループ)
管理本部 役員室
農学博士 関矢 信一郎
§うめ園における施肥の省力化と環境保全
福井県園芸試験場 営農環境研究グループ
(現 福井農林総合事務所 農業普及部 農業普及課)
技師 長谷 光展
§地形・地目連鎖系における窒素動態と窒素流出負荷の低減(3)
静岡県農業試験場 海岸砂地分場
主任研究員 宮地 直道
(現 独立行政法人 農業技術研究機構
野菜茶業研究所 葉根菜研究部 土壌肥料研究室長)
<7月号>
§丘陵地ダイコンの施肥合理化
福井県農業試験場 生産環境部
地力保全研究グループ
坂東 義仁
§技術相談問答のよもやま話(2)
独立行政法人 農業技術研究機構
野菜茶業研究所 研究技術情報官
農学博士 中島 武彦
§我国の稲作施肥の変遷(3)
-明治後期~大正年間-
ホクレン農業協同組合連合会(JAグループ)
管理本部 役員室
農学博士 関矢 信一郎
§栄養診断に基づいたトマト・メロンの養液土耕栽培
愛知県農業総合試験場
豊橋農業技術センター 畑地土壌研究室
室長 山田良三
<8月号>
§ナガイモのマルチ栽培におけるスーパーNKロングの施用効果
十勝農業試験場 てん菜畑作園芸科
研究員 西田 忠志
§我国の稲作施肥の変遷(4)
-昭和初期-
ホクレン農業協同組合連合会(JAグループ)
管理本部 役員室
農学博士 関矢 信一郎
§8月咲き小ギクの開花期予測
石川県農業総合研究センター 育種栽培部
花き科長 西山 哲
石川県農林水産部 農産課 普及研究係
主任技師 吉住 隆司
(前 石川県農業総合研究センター 育種栽培部 花き科)
<9月号>
§ミカンの根中デンプンの簡易測定法
静岡県柑橘試験場
副主任 杉山 泰之
§我国の稲作施肥の変遷(5)
-戦後,昭和40年迄-
ホクレン農業協同組合連合会(JAグループ)
管理本部 役員室
農学博士 関矢 信一郎
§輪島の千枚田土壌とイネ作り
石川県農業短期大学教授
付属農場長(土壌環境科学)
長谷川 和久
<10月号>
§緩効性被覆肥料を用いた中晩柑に対する施肥合理化技術
愛媛県立果樹試験場 生産環境室
主任研究員 石川 啓
§我国の稲作施肥の変遷(6)
-増産から調整ヘ-
ホクレン農業協同組合連合会(JAグループ)
管理本部 役員室
農学博士 関矢 信一郎
§加賀能登の特産・伝統野菜(1)
石川県農業情報センター
主任農業専門技術員
今井 周一
<11月号>
§「米作日本一」における施肥 -1-
ホクレン農業協同組合連合会(JAグループ)
管理本部 役員室
農学博士 関矢 信一郎
§加賀能登の特産・伝統野菜(2)
石川県農業情報センター
主任農業専門技術員
今井 周一
§山間地域圃場整備団地への水稲育苗箱内三要素全量施肥・農薬施用技術の導入
中央農業総合研究センター
北陸水田利用部 土壌管理研究室
主任研究員 中島 秀治
<12月号>
§「米作日本一」における施肥 -2-
ホクレン農業協同組合連合会(JAグループ)
管理本部 役員室
農学博士 関矢 信一郎
§加賀能登の特産・伝統野菜(3)
石川県農業情報センター
主任農業専門技術員
今井 周一
§岩手県の野菜
-果菜類を中心として-
岩手県経済連
技術参与 高橋 慶一
§2001年本誌既刊総目次