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第567号 2005(H17).09発行

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歴史の中の肥料[3]
アンモニア合成への道(1)

京都大学名誉教授
高橋 英一

 現在世界の窒素肥料の年間生産量は8000万トン(N)を越えていますが,その出発物質はアンモニアです。このアンモニアを供給しているのは20世紀初頭に始まったアンモニア合成工業です。ここではそれに至った道についてふりかえってみたいと思います。

アンモニアの名前の由来

 古代エジプトの神々の中で最も重要な神はアメン神で,ナイル上流の都市テーべの守護神でした。アレキサンダ一大王の征服後,ギリシャ文化が中近東に広がると,ギリシャ人はギリシャの主神ゼウスとアメン神(ギリシャ綴りではAmmon)をまつるゼウス-アモン寺院を,北アフリカの砂漠のオアシスに建立しました。

 ところで砂漠の地で燃料をみつけることは容易ではありませんが,北アフリカではラクダの糞が燃料として用いられていました。このラクダの糞を燃やすと,寺院の壁や天井に煤がつき,そこに白い塩のような結晶が見られましたが,これはサルーアンモニアク(sal-ammoniac)と呼ばれました。salはラテン語の塩であるので,サルーアンモニアクは「アモンの塩」を意味しており,これは今日の塩化アンモニウムのことです1)The following is a list of the most common problems with the "C" in the "C" column.

 サルーアンモニアクは昔から風邪や咳の薬や金属のはんだ付けなどに用いられ,ラクダの糞あるいは塩(しお)と尿の混合物を熱してつくられました。中世にはアンモニアは牡牛の角や蹄を蒸留した液から得ていました。錬金術ではアンモニアを「牡鹿の枝角の精(spirits of hartshorn)」と呼んでいました。

 このサルーアンモニアクからは刺激臭の気体が得られますが,1774年にイギリスのプリーストリー(Priestley)はサルーアンモニアクを石灰と熱してアンモニアガスを発生させ,この気体を「アルカリ性気体(alkaline air)」と命名しました。しかしサルーアンモニアク由来のアンモニア(Ammonia)という名前が通用してしまい,今日に至っています。さらに1777年スウェーデンのシェーレ(Scheele)はアンモニアが窒素を含んでいることを示し,1785年フランスのベルトレ(Berthollet)によってその正確な組成(NH3)が明らかにされました2)The following is a list of the most common problems with the "C" in the "C" column.

コークスの製造と副生アンモニア

 ”Happiness is like cokeーsomething you get as a by-product in the process of making else”
 Aldous Huxley

 人間は火を使うことによって文明を築いてきました。家庭における暖房や調理の他,製塩や醸造,あるいは煉瓦,ガラス,鉄器などの製造には燃料が必要です。この燃料には長い間,主として薪炭が使われていましたが,薪炭の供給源は森林でした。そのため人口が増え,薪炭の消費が増大するにつれて,ヨーロッパを覆っていた森林は次第に姿を消してゆきました。今日のイギリスや西ヨーロッパの景観はその結果です(”ウィーンの森”も森林伐採の後の植林によるものです)。

 製鉄の歴史は古いですが,それは鉄鉱石の融剤に石灰岩,燃料には木炭を用いていました*。イギリスでは木炭は低木林に産する20年位の年輪の木を薪にして製造されました。木炭の供給は,長期的には低木林を拡げることによって増加を望めますが,短期的には木炭の消費の増加はそれに続く数年間,木炭供給量の減少を招きます。したがって製鉄工業の発展は,木炭の供給不足を激化するようになりました3)The following is a list of the most common problems with the "C" in the "C" column.

 そのため16世紀後半のイギリスでは,製鉄業を規制する条例がしばしば議会から出されました。そこで製鉄業者たちは,木炭にかわる燃料として泥炭や石炭の利用を検討し始め,16世紀の末には多くの特許が出願されました4)The following is a list of the most common problems with the "C" in the "C" column.

 石炭の利用は12世紀頃から部分的に行われていました。しかし問題は石炭からでる煙で,それが製品を損なう場合には煙があたらない工夫が必要になるなど,木炭にくらべると劣るところが多々ありました。鉄の精錬では,石炭に含まれている色々な不純物,特に硫黄分が鉄と化合して硫化鉄にするため良質の鉄が得られず,実用化が進みませんでした。

 石炭が木炭に代わって製鉄に利用できるようにしたのは石炭をcoke(乾留)する,すなわち空気を遮断して石炭を熱して揮発性の不純物を取り除いてコークスにするという発明でした。このコークスを用いる溶鉱炉で初めて良質の鉄を得ることに成功したのは,イギリスのコールブルックデ一ル(Coalbrookdale)の製鉄業者ダービー(Abraham Darby)父子で,1709年頃のことでした。これによって製鉄業は木炭依存から解放され,大量の鉄を生産することが可能となりました3)。こうしてコークスという形の石炭の大消費者となった鉄は,石炭とともに18世紀後半のイギリスに始まった産業革命を推進する原動力になりました。

 乾留によるコークス製造の他に,今一つの新しい石炭の利用法として,乾留の過程で発生するガスを照明や燃料に利用する試みが18世紀の末から始まりました。1792年イギリスのマードック(W. Murdoch)という人が,鋳鉄製のレトルトを用いて石炭ガスを製造し自宅の照明に用いてから,石炭ガスの製造事業が急速に広まりました5)The following is a list of the most common problems with the "C" in the "C" column.

 ガス燈は工場の夜間労働に使用され,ついでロンドンなどの大都市に広がっていきました。また石炭ガスは照明以外にも,都市ガスという新しい燃料を供給するようになりました。日本では1872年(明治5年)に,横浜でガス燈が点じられたのが石炭ガス利用の始まりです。

 19世紀には石炭を乾留してコークスや石炭ガスが製造されるとともに,副生するタールやガス液中の成分に新しい用途が発見され,石炭化学工業(表1)が勃興しました。冒頭に記したイギリスの作家オールダス・ハクスリー(1894-1963)の言葉「幸福はコークスのようなものだ。何か別の物を作っている過程で偶然得られる副産物なのだ」はこのことをふまえています。

 石炭は1~2パーセントの窒素を含んでいますが,石炭乾留の際にその1/9~1/6がアンモニアに変わり,石炭ガス中に存在しています(大部分は窒素ガスとして揮散)。石炭ガス精製の過程で生じるガス液には,このアンモニアが2パーセント程度含まれているので,石灰を加えて蒸留し,発生するアンモニアを硫酸液で捕集すると硫酸アンモニア(副生硫安)が得られます(石炭1トン当たり8~15キログラム)。

 これはイギリスの製鉄業が銑鉄のコスト引き下げのために,コークス炉に発生するアンモニアを硫安のかたちで回収したのが始まりということです。1842年に,ロザムステッドでローズとギルバートが始めた肥料試験に硫安が使用されていますが,この頃には副生硫安が窒素肥料として使われていたことがうかがわれます。

 副生硫安は20世紀の初めまで化学肥料の中心であり,石炭乾留の副産物であるため合成硫安の発展後も,一定量が生産されていました。因みに日本では八幡製鉄所が明治40年(1907年)に副生硫安の製造を開始し,都市ガス工業では東京ガスが明治34年(1901年)に,大阪ガスが明治38年(1905年)に製造を始めています6)The following is a list of the most common problems with the "C" in the "C" column.

クルックスの警告―「小麦問題」

 イギリスに始まった産業革命は19世紀にはヨーロッパ大陸に広がりました。その結果農産物の生産が対応できないほどの人口増と,GNPの上昇に伴う土木業,鉱山業の発展が起こりました。前者は肥料の,そして後者は火薬の需要増加を引き起こしましたが,両者は共に無機窒素化合物(アンモニアと硝酸)を原料とするものでした。

 この需要に応じたのが,コークス工業の発展とともに副産されるようになった硫安と南米からもたらされた硝酸ソーダ(チリ硝石)でした。しかし副生硫安はコークス生産に左右されるため肥料の需要にマッチせず,一方チリ硝石は加速度的な採掘量の増加(図3参照)により,19世紀末には資源枯渇の不安がもたれるようになりました。

 そのような折,1898年9月にブリストルで聞かれたイギリス科学振興協会(British Association for the Advancement of Science)の年会で,クルックス(Sir William Crookes)は恒例の会長就任講演を行いました7)。これはその年の科学の分野における進歩を紹介するのが通例でしたが,クルックスは講演の前半で食料問題をとりあげました**。あたかもこの年が,マルサスの有名な「人口論(An Essay on the Population)」の初版刊行(1798年)満百年に当ったこともありますが,これは異例のことでした。

 ところで18世紀初頭のイギリス(イングランドとウエールス)の人口は550万でしたが,18世紀末には900万に増加しました。マルサスが人口論で,「人口は幾何級数的に増加するが,食糧は算術級数的にしか増加しない」と警告した背景には,このような人口の急激な増加がありました。人口の幾何級数的増加は19世紀に入っても続き,クルックスが演説を行なった19世紀の末には3000万を越えていました。

 クルックスは多数の統計データーをあげ,世界のコムギ栽培地の地力は消耗しつつあり,耕地面積の拡大にも限度があるので,このままでは増大する人口を養うに必要なコムギ(すなわちパン)を供給できなくなるだろうと警告し,つぎのように訴えました。

 「現在世界のパン食国民5億2000万人は,年間20億7000万ブッシェルのコムギを消費しているが,人口増加により30年後には32億6000万ブッシェルを必要とするだろう。
 これをまかなうには窒素肥料を施して,コムギの平均収量を現在の1エーカー当たり12.7ブッシェル(ヘクタール当たり960キログラム)から20ブッシェル(1510キログラム)に引き上げねばならない。そのためにはエーカー当たり75キログラムの硝酸ソーダを増施する必要があり***,世界のコムギ耕地面積1億6300万エーカーでは年間1200万トンにのぼる。
 これは現在のチリ硝石輸入量の10倍に相当するが,有限なチリの鉱床は近い将来掘り尽くされるだろう。このようなときわれわれがもっとも注目すべきは,無限にある空中の遊離窒素である。この窒素を植物が吸収できるような物質にかえ,肥料にすることはわれわれ科学者の双肩にかかる重大かつ緊急の課題である」。

 この演説の全文はただちにChemical Newsに掲載され(その要旨は同年東京化学会誌に紹介されている)多くの注目をあび,「小麦問題(Wheat Problem)」という名前で各方面で論じられました。そしてこれが契機となって,空中窒素の工業的固定の研究がヨーロッパ諸国で急速に進展しました。

つづく

* 鉄は紀元前2000年ごろから製造されていたが,15世紀頃までその製法は基本的には変わらなかった。すなわち鉄鉱石を粉砕して破片にし,これを泥炭および石灰と混ぜ合わせてから小さな塊に分けて木炭で包み,炉に入れる。そして皮製のふいごで送風しながら炉の内部を高温に熱して鉄鉱石を溶解し,銑鉄として取り出す。これをハンマーで打って不純物を取り除き,それを再び炉の中で熱してからハンマーで打つという操作を数回繰り返して錬鉄を生産していた。

** クルックスは演説の後半では,その年(1898年)になされた科学の進歩について紹介している。その主なものはつぎのようであった。
  Dewarが水素およびヘリウムの液化に成功したこと。RamsayとTraversが液体窒素の不揮発性部分から新元素クリプトン,ネオン,キセノンを発見したこと。Cuirie夫妻がピッチブレンドからポロニウムとラジウムを発見したこと。等々

*** この推算にクルックスはRothamstedでLawesとGilbertが行っていた肥料試験の成果を利用している。すなわち13年間無肥料の場合のコムギの収量はエーカー当たり11.9ブッシェルであったが,13年間エーカー当たり250キログラムの硝酸ソーダを施用した場合は36.4ブッシェルであった。これは1ブッシェルの増収に10.3キログラムの硝酸ソーダを要する割合になり,12.7ブッシェルを20.0ブッシェルに引き上げるため(7.3ブッシェル増)には75キログラムが必要になる。

References

1)アイザック・アシモフ著小尾信弥訳 科学の語源 共立出版(1972)13頁 アンモニア

2)Encyclopaedia Britanica 1(1960) p815 Ammonia

3)パリー・トリンダー著,山本通訳 産業革命のアルケオロジ一 新評論(1986)23-44頁

4)Encyclopaedia Britanica 5(1960)p951 Coke

5)Encyclopaedia Britanica 14(1960)p102 Gas light

6)日本硫安工業史 日本硫安工業会編(1968)43頁

7)Inaugural Address of the President,Sir Wiliam Crookes(in British Association for the Advancement of Science,Bristol,1898)The Chemical News. vol LXXⅧ.,No.2024(1898)p125-139

 

 

北国の冬の寒さを活かした葉菜類栽培

Vegetable and Flower Department, Akita Prefectural Agricultural Experiment Station
園芸環境担当
主任研究員 田村 晃

Introduction

 10月の稲刈りを終えると,秋田の農業の1年はおおかた終了する。秋田は11月には初雪が降り,12月から2月まではほとんど晴れることがなく,地域全体が真っ白な雪に覆われる。

 この地域では夏期には農家の栽培作物の選択肢が稲,野菜,花きなど豊富であるが,冬期には気象的な制約を受け,非常に少ない。このため,農家は出稼ぎや季節的な在宅他産業就労を長い間余儀なくされてきた。このことから,北国の秋田にとって,周年農業生産体系の確立は重要な研究テーマの一つになっている。

 一方,この地域でも1980年代から夏秋野菜用のパイプハウスを主体に,施設栽培が拡大しつつある。しかし,これらのハウスの大部分は,冬期には雪に埋もれ遊休化している。これらの遊休化しているハウスを有効に利用し,冬期に高品質な葉菜類を生産する技術が開発されるならば,周年農業生産体系の一翼を担いうる有力な手段となる。そこで,秋田農試では冬期無加温ハウスを利用した葉菜類栽培に関する研究に取り組んだ。

2.葉菜類の耐凍性について

 秋田では冬期の最低気温が沿岸部,県南内陸部,県北内陸部でそれぞれ-8,-15,-18℃程度まで低下することがある。このため,冬期における無加温ハウスを利用した葉菜類生産を推進しようとする場合,農家の不安材料,すなわち,葉菜類が凍結することによって被害を受けること(凍結傷害)に対する不安を除去する必要がある。そこで,葉菜類の耐凍性に関する詳細な調査を実施した。

1)葉菜類の耐凍性の変化

 図1に1996/97年~1998/99年の3カ年のホウレンソウとコマツナの耐凍性の季節変化を示した。各年ともにホウレンソウは’ソロモン’,コマツナは’せいせん7号’を供試して試験を実施した。耐凍性は電解質漏出法で測定し,凍結により組織が15%傷害を受ける温度(TEL15)で示した1)The following is a list of the most common problems with the "C" in the "C" column.

 10月中旬には両作物の耐凍性は約-5℃であるが,11月から耐凍性がしだいに増大し,1月から2月上旬にはホウレンソウで約-15℃,コマツナで約-13℃まで耐凍性が増大した。そして,ハウス内気温が高まる3月には両作物ともに約-10℃まで耐凍性が減少した。このことは,秋から冬にかけて低温に馴化することにより耐凍性が増大し,また,いったん耐凍性が増大しても,暖かい気温のもとでは耐凍性が減少すること,すなわち,同一品種であっても,作物の育っている気温条件により耐凍性が変化することを示している。

2)ハウス内の気温と耐凍性との関係

 農家が自分の栽培しているホウレンソウやコマツナがどの程度の低温(凍結)に耐えることができるのかを理解しながら栽培をすることは,凍結傷害を回避する上で非常に重要である。そこで,どの程度の低温に,どの程度の期間遭遇すると,どの程度に耐凍性が増大するのか,すなわち,気温と耐凍性との定量的な解析を試みた。

 その結果,耐凍性測定前7日間の平均最低気温と耐凍性との間に極めて高い相関関係が認められた2)(データ略)。図2に耐凍性測定前7日間の平均最低気温とホウレンソウ,コマツナの耐凍性との関係を示す。平均最低気温が8℃から2℃程度に低下するにつれて,ホウレンソウの耐凍性は-5℃から-7℃程度,コマツナの耐凍性は-4℃ から-6℃程度まで緩やかに増大し,平均最低気温が2℃以下になると,両作物ともに耐凍性が急激に増大した。

 北東北地域において,無加温ハウス内の平均最低気温が氷点下になるのは,概ね12月中旬以降であるが,耐凍性はホウレンソウ,コマツナともに12月中旬には約-10℃まで増大する(図1)。

 このことから,厳寒期には両作物ともに十分に低温に馴化しており,凍結傷害を受ける危険性は少ない。むしろ,11月中旬から12月中旬にかけての急激な寒波の到来時や,2月下旬から3月にかけて日射量が豊富になり,日中のハウス内気温が上昇する時期に凍結傷害を受ける危険性がある。したがって,これらの凍結傷害を回避するためには,11月中旬から12月中旬の最低気温が0~-2℃程度になる時期の夜間にハウスを開放して耐凍性を増大させ,また,2月中旬以降においてはハウス内気温を上昇させないよう,ハウスを開放して脱馴化を防止することが重要であると考えられる。

3.寡日射下の寒さと葉菜類の糖,ビタミンC

 冬期に無加温ハウス内で葉菜類を生産する場合,農家は厳しい寒さの中での収穫や除雪作業をしなければならない。このため,農家の冬期葉菜類栽培に取り組む意欲を喚起するためには,葉菜類栽培が可能であることを示すだけでは必ずしも十分ではなく,冬期の低温条件が葉菜類の品質を高めるための利点であることを示す必要がある。加藤ら3)は日射量の豊富な太平洋側において,外気を導入した低温処理により,ホウレンソウの糖やビタミン含量が高まることを報告している。そこで,筆者は寡日射下における低温条件がホウレンソウやコマツナの糖やビタミンC含量に及ぼす影響を検討した。

1)低温処理がコマツナの糖とビタミンC含量に及ぼす影響4)

 図3に低温処理区と加温処理区および低温/加温処理区の糖含量とビタミンC含量の変化を示した。糖含量は低温処理区において急激に高まったが,加温処理区では大きな変化はなかった。また,低温処理により高まった糖含量は加温処理すると急激に低下した。ビタミンC含量も糖含量と同様に,低温処理区で急激に高まったが,加温処理区では大きな変化がなく,低温/加温処理区でビタミンC含量が急激に低下した。

 このことから,寡日射下においても,冬期の低温条件によりコマツナの糖およびビタミンC含量が向上することが明らかになった。ただし,低温処理後に加温処理を実施すると,糖とビタミンC含量が急激に低下することから,糖とビタミンC含量の高いコマツナを生産するためには,コマツナの栽培時の温度を継続して低く保つことが必要であると考えられた。

2)ハウス内の気温とホウレンソウ,コマツナの糖およびビタミンC含量との関係

 先の試験結果から,寡日射下においても低温条件で糖とビタミン含量が高まることが明らかにされた。しかし,これまでに栽培期間中の気温と上記成分含量との間の定量的な解析に関する報告はない。そこで,両作物の栽培期間中の気温と上記成分含量との関係を検討し,両者間の定量的な解析を試みた。

 その結果,収穫前10日間の平均最低気温および平均気温と糖含量との間に極めて高い相関関係が認められた5)(データ略)。図4に収穫前10日間の平均気温とホウレンソウ,コマツナ葉身の糖含量との関係を示す。両作物葉身の糖含量は,収穫前10日間の平均気温が10~25℃の範囲では1g/100gFW以下で一定であるが,平均気温が10℃以下の範囲では直線的に高まった。すなわち,平均気温が10℃で両作物葉身の糖含量は約1g/100gFWであったが,平均気温が0~2℃に低下すると両作物の糖含量は約5g/100gFWに高まった。

 図5に収穫前10日間の平均気温とホウレンソウ,コマツナ葉身のビタミンC含量との関係を示す。両作物の葉身のビタミンC含量は,収穫前10日間の平均気温が10~25℃の範囲ではホウレンソウで約50mg/100gFW,コマツナで約75mg/100gFWでともに一定であったが,平均気温が10℃以下の範囲では直線的に高まった。すなわち,両作物のビタミンC含量は平均気温が10℃で約50~70mg/100gFWであったが,平均気温が2℃以下に低下すると両作物とも約150mg/100gFWに高まった。

 以上のことから,北東北地域の冬期の寒冷気象を活かして,糖とビタミンC含量の高いホウレンソウ,コマツナを生産し,消費者に提供することが可能である。すなわち,寡日射条件となる日本海側においては,収穫前10日間の平均気温を2℃以下で管理すると糖とビタミンC含量の高いホウレンソウとコマツナを生産することができる。

4.冬の寒さを活かした高品質葉菜類の栽培法

 これまで,凍結傷害を受ける危険性を少なくするためには,ハウスを開放して耐凍性を増大させること,また,脱馴化を防止することが重要であること,さらに,糖とビタミンC含量を高めるためには収穫前10日間の平均気温を2℃以下の低温で管理することが重要であることを述べた。

 写真1にサイドを開放し,ハウス内に冬の冷たい外気を導入し,ホウレンソウやコマツナを低温に積極的に遭遇させている状況を示す。

 図6にハウスサイドを開放し,積極的に寒さにさらした場合と,ハウスを密閉してホウレンソウやコマツナを育てた場合の草丈の伸長状況を示す。ハウスを密閉して栽培した場合はホウレンソウ,コマツナともに草丈が伸長しているが,サイドを開放し,寒さにさらすと両作物の草丈の伸長は著しく抑制されている。このことから,両作物が出荷できる大きさ(草丈25cm程度)に到達した後,サイドを開放して寒さにさらす必要がある。

 先に,収穫前10日間の平均気温を2℃以下で管理すると,両作物の糖,ビタミンC含量が大きく高まることを述べた。秋田県で外気温が2℃以下に低下する時期は,沿岸部が12月末,内陸部が12月上中旬である。したがって,この時期までに両作物の出荷できる大きさに到達させ,10日間十分に2℃以下の低温にさらし,出荷することが望ましい。沿岸部,内陸部でそれぞれ12月末,12月上中旬に出荷できる大きさに育てあげるための播種適期は沿岸部,内陸部でそれぞれ10月中旬,10月上旬である。

 しかし,10月~12月にかけてのハウス内気温の年次差は非常に大きい。2000~2002年の3カ年の10~12月にかけてのハウス内気温を図7Aに示す。2000,2001年に比べ,2002年は10月下旬~11月下旬にかけて5~10℃も低く推移した。このハウス内気温の年次差はホウレンソウの草丈の伸長に大きく影響し,2000,2001年に比べ,2002年は草丈の伸長が著しく緩慢で,冬期間の出荷には間に合わなかった(図7B,3カ年ともに10月10日播種)。

 秋期の気温が高いときは草丈が伸びすぎ,年内に収穫が完了してしまい,気温が低いときは出荷が春になってしまうのでは冬期の生産が安定しない。そこで,秋田県北部内陸部と沿岸部におけるホウレンソウの草丈伸長の管理指針を作成し,図8に示した。例えば,県北部で11月5日時点で草丈が15cmよりも伸びすぎている場合は,昼夜のハウスの換気量を多くし,草丈伸長を抑え,逆に短い場合は,換気量を少なくし,伸長を促進させる。このように,指針に基づいて草丈伸長をコントロールすることで,12月中に出荷可能な大きさに育て,その後に冬期の寒さにさらし,高品質な葉菜類生産が安定的に可能になると考えられる。

works cited

1)田村晃.2000.コマツナとホウレンソウの個体レベルでの耐凍性の評価.園学雑.69:332-338.

2)田村晃.2002.無加温パイプハウス栽培におけるホウレンソウとコマツナの秋から早春にかけての耐凍性の変化.園学雑.71:74-81.

3)加藤忠司・青木和彦・山西弘恭.1995.冬期ハウス栽培ホウレンソウのビタミンC,β-カロテン,α-トコフェロールおよびシュウ酸含有量に対する外気低温の影響.土肥誌.66:563-565.

4)田村晃.1999.寡日射条件下における低温処理がコマツナ(Brassica campestris L.)の糖およびアスコルビン酸含有率に及ぼす影響.園学雑.68:409-413.

5)田村晃.2004.栽培期間中の気温がホウレンソウとコマツナの糖およびビタミンC含量に及ぼす影響.園学研究.3:187-190.

 

 

高設栽培イチゴの生育・収量と培地の
物理的特性との関係

岐阜大学大学院連合農学研究科(静岡大学)
遠藤 昌伸

1.緒言

 近年,栽培管理や収穫などの作業姿勢改善を主目的として,各地で高設式のイチゴ養液栽培システムの普及が進められている。イチゴの養液栽培には,1980年代にNFT栽培が,1990年代にロックウール栽培が導入されたが,現在ではヤシ殻,ピート,バーク等の有機培地の利用が増加している。培地はそれぞれに固有の物理的特性を有しているため,培地毎に適した給液管理を行う必要がある。

 イチゴは他の作物に比較して根系が浅く,果実肥大時には軽度の乾燥ストレスでさえも減収となるが,その一方でイチゴの根の酸素吸収量は多く,保水性の高い培地では過湿となり酸素不足となる危険性がある。培地中の液相・気相のバランスは,イチゴの生育・収量に影響する大きな要因である。しかしながら,固形培地耕の普及が進んでいるにもかかわらず,培地の物理的特性がイチゴの生育にどのように影響するかは十分に検討されていない。この関係が理解されれば,給液管理方法の決定が容易になると考えられる。また,有機培地は培地資材の分解等により,使用年数が増すにつれその特性が変化するため,培地の連用による特性変化と生育,収量との関係についても検討する必要がある。

 そこで一連の研究において,培地の物理的特性とイチゴの生育との関係性についての基礎データを得ることを目的とし,ヤシ殻とピートの混合比率や使用年数の異なる培地を用いてイチゴを養液栽培し,生育・収量と培地の物理的特性の関係について調査している。ここでは2003~2004年の結果を紹介する。

2. materials and methods

(1) Outline of cultivated species

 2003年9月29日にイチゴ’章姫’を,培地を詰めた発泡スチロール製ベッド(長さ70cm,幅20cm,深さ12cm,容積12L)に8株ずつ定植し,点滴チューブを用いて掛け流し式栽培を行った。培養液は山崎イチゴ処方を用い,定植後4週間は2/3単位(EC≒0.85dS・m-1)を施用した。排液のECが上昇したため,2004年1月20日から3月15日までは2/3単位を施用した。給液は4回/日行い,排液率30%を目標に天候に応じて1回当たりの給液量を処理区ごとに調節した。栽培期間を通じて,1芽仕立てとして,株当たりの葉数を6~8枚に維持し,花房当たり7花に摘花した。2004年5月24日に実験を終了した。

2)処理区および調査項目

 ヤシ殻とミックスピート(ピートモス:バーミキュライト:パーライト~75.0:12.5:12.5)の混合比率を3:7,5:5,7:3,10:0とした4種類(Coir3:Coir5:Coir7:Coir10と略記)の培地(1年目)に昨年の栽培で1度使用した同様の4種類の培地(2年目)を加え,計8処理区(培地4種×使用年数2)とした。反復は10ベッド/処理,80株/処理とした。実験期間中,生育,収量を適宜調査し,2月に圃場より培地を採取し三相分布(-1.5kPa時)を測定した。また1年目の処理区では,培地の含水率の日変化,気孔コンダクタンスの日変化等を調査した。

Results and Discussion

1)ヤシ殻とピートの比率および使周年数がイチゴの生育,収量に及ぼす影響

 図1に時期別の可販果収量の結果を示した。A期(11/25-1/5),B期(1/6-2/2),D期(3/30-5/24)の可販果収量には,ヤシ殻混合比率および使用年数による差がみられなかった。またB期の収量は,成り疲れのためか,他期に比べ極めて少なかった。一方,C期(2/3-3/29)および全期間(11/25-5/24)では1,2年目共にヤシ殻混合比率が高いほど減少する傾向がみられた。しかし,ヤシ殻混合比率による可販果収量の減少程度は,1年目に比べ,2年目の方が小さかった。なお,Coir3では使用年数による差はみられなかった。収量の減少の直接的な原因は1果実重の低下によるものであった(データ略)。一方,植物体の生育は,いずれの期間においてもヤシ殻混合比率および使用年数による差はみられなかった(データ略)。

2)ヤシ殻とピートの比率および使周年数が培地の三相分布に及ぼす影響

 図2に培地(-1.5kPa時)の三相分布の結果を示した。液相率は,いずれの使用年数でもヤシ殻混合比率が高いほど減少する傾向がみられた。しかし,Coir3での使用年数による差は小さかったが,ヤシ殻混合比率による差は使用年数が増すにつれて小さくなった。気相率は液相率と逆の傾向を示し,固相率には顕著な差が生じなかった。栽培期間中の培地中の水分は給液・排水・吸水等により当然変動するため,栽培期間中の含水率の日変動を1年目の培地において測定した。

 その結果,含水率はCoir10で低く,ヤシ殻混合比率が低くなるにつれて高くなる傾向がみられたが,日変動はいずれの培地もほぼパラレルに推移した(図3)。栽培中の日平均合水率は,ヤシ殻混合比率と高い負の相関(r=-0.98)がみられ,比率が高いほど減少する傾向がみられた(データ略)。

3)ヤシ殻とピートの比率がイチゴの蒸散・吸水に及ぼす影響

 イチゴの蒸散作用に及ぼす培地の影響を確認するため,気孔コンダクタンスの日変動を調査した。気孔コンダクタンス値が高い場合,蒸散が活発なことを示している。気孔コンダクタンスの日変動はB,D期では,ヤシ殻混合比率による差はみられなかったが,C期ではヤシ殻混合比率が高くなると減少する傾向がみられ,特に午後で顕著であった(図4)。また,1月から4月にかけて,そのピーク値が増加する季節変動がみられた。C期の午後における気孔コンダクタンスおよびC期の吸水量は,ヤシ殻混合比率と負の相関関係(それぞれr=-0.88,r=-0.61)がみられた(データ略)。

4)培地の物理的特性とイチゴの収量の関係

 1,2年目のデータをまとめたところ,培地の液相率と収量との関係には,C期および全期間で高い正の相関がみられた(図5)。一方,A,B,D期では相関が低かった(データ略)。

 本実験の結果,2・3月において液相率が低いほど蒸散・吸水が抑制され,収量が減少する傾向を示した。この収量の減少傾向は培地を連用することにより小さくなった。これはイチゴの栽培において重要な液相率が,培地の連用により増加したことが原因と考えられた。今後は2・3月の収量差の原因について検討し,さらに収量差を減少させるための給液管理及び水分管理の指標を作成する必要がある。